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第三章

二十、

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 麻野があの女を鬼だと思った点は、そこにもある。民俗学を専攻しているがゆえに、衣類の生地について敏感だったのだ。
「それで、なんて答えたんだ」
「誤魔化しました。答えたくなかったから」
「……殺されそうになっていたように思ったが」
「よく見てますね」
 新居崎は、ふと、目をすがめた。疲労でぼうっとしていた目に、彼らしい鋭さが戻ってくる。
「きみは、その、酒呑童子とやらの居場所を知っているのか。そしてそれを、言わなかったのか。……殺されそうに、なっても」
 麻野は頷いた。
 新居崎は、ゆっくりと身体を起こした。ベッドサイドに腰をかけて、長い足を組み、向かい側のベッドで仰向けに寝転ぶ麻野を見つめた。
 すでに辺りは暗くなっており、部屋の明かりは枕灯だけだ。眠るつもりでいたから、部屋中を照らす電気は消してある。橙色の明かりが、まるで焚火のように、優しい気持ちにさせてくれた。
「きみにとって、幼いころに出会ったその男は、特別なんだな」
「はい」
 新居崎は、ゆっくりと首を横に振って、ため息をついた。俯いた新居崎は、また、ため息をつく。
「こんなことに巻き込んでしまって、すみません。帰れなかったし、新幹線もまた予約しなおさないと。後日、新幹線代を支払いますから」
「構わない。帰宅が一日伸びたからといって、仕事に関してはなんとかなる。講義があるわけでもないしな」
 新居崎は、そう言うと、さらに俯いた。
 麻野から表情が見えなくなる。暗い部屋のなかで、新居崎は酷くぐったりとしているように思えた。
 もっと、さっきの女や、過去に出会った酒呑童子について、聞いてくると思ったのに。新居崎はもう話しをするつもりはないようだ。
「……先生、怒ってる?」
「わからない」
 否定はなかったが、肯定もしない。
 ただ。新居崎の声は酷く投げやりで、小さかった。
「……きみといると、嫌な気分になる」
 麻野は、息を呑んだ。
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