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episode2

美女と黒猫は事件の前触れ

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 夜空の月が私を怪しく誘う。月の光に導かれるように、猫の姿で夜道をどこまでも駆け抜ける。
 月が美しい夜は、どうしてこんなにも心が駆り立てられるのだろう? 黒猫に変身するようになる前は月を見てもなんとも思わなかったのに、今は月夜になると闇夜を駆けたくなる。奨さんと暮らすようになってから、さらに欲求が強くなった気がする。特に満月の夜は体が疼いてたまらなくなる。自覚してないだけで、意外とストレスが溜まってるのかしら。

 瑤子さんの本で、月は古来から人に影響を与えてきたことを知った。月の光には癒しの力があると考えられていて、月光浴は女性にお勧めなんだそうだ。かのクレオパトラも、自らの美を保つため月光浴を欠かさなかったんですって。私の場合、クレオパトラのような麗しい美女じゃなくて黒猫になっちゃうんだけど、月には不思議な力があるのは私も同感だ。

 月が美しい夜には猫の姿でお散歩してくることは、奨さんにも伝えてある。女の子がひとりで危ないよ、って心配されたけど、猫になってる私なら大丈夫。跳躍力も敏捷性も人間の時とはまるで違うから。さすがは猫だよね。以前襲ってきた大きな黒猫みたいな奴じゃなければ、逃げ切る自信が今の私にはあった。
 心ゆくまで月夜を駆け抜け、体と心が落ち着いたら奨さんのところに帰る。あまり遅くなると奨さんが心配するから、遅くとも夜の11時ぐらいまでには帰るようにしていた。体のほてりが治まってきたので、そろそろ帰ろうとした時だった。
 大きな帽子を被った、長い髪の女性が視界に入った。夜中なのに帽子被ってるなんて変なの、と思った瞬間、女性の傍らに信じられないものを発見してしまった。同じ猫とは思えないほど逞しくて、大きな体。鈍く光る目はぞっとするほど不気味な色合いを浮かべている。あいつだ、あの夜私を襲ったあの黒猫! 大きな黒猫に襲われて私は意識を失い、奨さんに助けられたのだ。爪で思いっきりひっかかれた痛みは今も覚えている。なんでこんなところにいるんだろう? また私を襲うつもり? 咄嗟に物影に隠れると、そっと様子を伺った。また突然襲われたら、たまらないもの。
 大きな黒猫は女性に従うように頭を垂れていた。女性に服従しているといった様子で、私を襲ったときに感じたホラー映画のモンスターのような恐ろしさはなかった。一体何してるんだろう。この辺に住み着いてる猫なの? 大きな黒猫を用心するためにも情報を知りたくなった私は、気配を消しながらそっと近づいていった。女性は何かを話している。大きな黒猫に話しかけているんだ。何を話してるの? 少しずつ近づいていくことで声が聞こえてきた。

「タチバナ、月をごらん。今日も私達に力を与えてくれているわ。なのにおまえときたら、仕事で余計なヘマばかりしている。もっと強い猫になると思ったのに」

 大きな黒猫は、タチバナという名前らしい。猫とは思えない名だ。おまけに女性に叱られているらしい。なんで怒られてるんだろう。興味をもった私は、少しずつにじり寄っていった。タチバナという黒猫を叱りつけている女性は、長く伸びた髪が月夜に照らされ、妖しく煌めいていた。タチバナという黒猫同様に、どこか不気味な女性だった。見た目は普通の人間なのに、月光の中では妙に存在感を増している。一体何者なんだろう? そう思った瞬間だった。

「そこにいるのは誰?」

 大きな黒猫を叱っていた女性が、私が潜む方向を睨んできたのだ。しまった、見つかった! 

「あらあら、どうやら黒猫ちゃんみたいねぇ」

 姿を見せてはいないのに、なぜか私が黒猫だとわかってしまったようだ。この女性、やっぱり怖い。

「タチバナと同じような気配を感じる子ね。捕まえていらっしゃい、タチバナ。うちの子にするわ」

 女性が大きな黒猫に命令した途端、弾丸のような速さでタチバナは私に向かってきた。その眼は赤く光り、命を刈り取る死神の使いのようだった。逃げないと!
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