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第二章 新たな生活とじゃがいも料理あらかると

世間知らずな娘

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「え、寝てませんよ? 休む部屋もお布団も、別々ですけど?」

 おりんの言わんとすることが、さちには理解できなかった。

 きょとんとした顔を見せるさちを見たおりんは、怪訝な表情を見せる。

「さちさん、あんた……。ぬらりひょん様の嫁なのに、寝所が別々なのかい?」
「ええ。ぬらりひょん様、私のために、ふかふかのお布団を用意してくれたんですよ。それが嬉しくて! 九桜院家では固くて、ごわごわしたお布団しか使えませんでしたから」

 何も疑問に思わないさちは、嬉々として、ぬらりひょんの優しさをおりんに伝えた。
 おりんは苦笑いを浮かべると、さちの頭をぽんぽんと軽く撫でた。

「ぬらりひょん様はきっとさちさんのことが、かわいそうで可愛くて守ってやりたいんだろうねぇ。あんたはまだ若いし、きっとこれからだね、うん。焦らなくていいからね」

 同情するような口調で、さちのことをなぜか慰め始めるおりんだった。

(私がかわいそう? どういう意味?)

 九桜院家の外にほとんど出たことがないさちは、良くも悪くも世間のことを知らない。嫁というものは、夫の食事や身の周りのことをお世話する存在としか思っていなかったのだ。九桜院家での境遇を思えば、それだけでも十分すぎるほどの幸せだったし、何の不満もなかったから尚更だ。

「おりんさん、ぬらりひょん様の妻として、私はまだまだってことでしょうか? 私はかわいそうで守らねばならない存在でしかないと。ぬらりひょん様が優しくして下さるから、私はこのままお傍にいられればそれで良いと思っていました……」

 急に落ち込み始めたさちを見たおりんは、慌てて機嫌をとろうとする。

「ご、ごめんよ! あたしって、つい余計なことを言っちゃうもんだからさ。今のことは忘れて。それよりさ、さちさんが起きたら食べてほしくて、お粥を作ってみたんだよ。良かったら食べて!」
「お粥……食べたいです」

 お粥と言われて、急にお腹が空き始めたさちだった。とりあえず何か食べよう。それからまた考えようと思い、おりんが差し出した土鍋のふたを開けた。ほわっと湯気が立ち、炊いたお米の甘い香りがさちの鼻孔びこうをくすぐる。

「ん~いい香り。……あれ?」

 よく見ると、おりんが出したお粥はところどころ焦げついていた。どうやら火加減に失敗して、焦がしてしまったらしい。

「ご、ごめんよぉ! あたし、料理って苦手でさ。化け火のやつも機嫌悪いし、うまくいかなくて。きれいなところだけ食べてくれてもいいし、何なら止めといてもいいよ」

 さちを虐めたことで、化け火がすっかり機嫌を悪くしてしまい、火加減の調節が上手くいかなかったのだ。焦げ付きを直そうと水を足したり混ぜたりしていたため、見た目には美味しそうなお粥とは言えない状態だった。
 お粥を見つめたまま動けなくなっているさちを見たおりんは、急にうなだれてしまった。

「ごめん。こんなお粥、嫌だよね。……下げるね」

 鍋を下げようとするおりんの手を、さちが止めた。

「待ってください。全部いただきますから!」
「え……」

 さちは鍋の前で手を合わせ、「いただきます」と言うと、匙でお粥をすくい、口の中へ運んでいく。混ぜすぎてしまったのか、粘り気がでており、美味しいお粥とはいえない味だ。しかも焦げついたお米が、口の中でがりごりと音をたてている。とてもお粥を食べているとは思えない。それでもさちは、お粥をひたすら口の中に運んでいく。

「あんた……」

 焦げついたお粥を食べ続けるさちを、心配そうにおりんは見守っている。
 どうにかお粥を食べ終えたさちは、おりんに顔を向け微笑んだ。

「おりんさん、ごちそうさまでした。作っていただいて、うれしかったです!」

 それはお世辞ではなく、さちの本心だった。九桜院家ではいつも残り物しか口にできなかったし、ぬらりひょんの屋敷では、ぬらりひょんや一つ目小僧や油すましに毎日料理を作っている。さちは、さちのためだけに料理を作ってもらった経験がないのだ。
 たとえ焦げていても、さちのことを思って作ってくれたものなら残さず食べたかった。何より、お米の一粒でも無駄にしたくない。

「さちさん、あんた、本当にいい子なんだねぇ……。あたしゃ、うれしいよ!」
「きゃっ」

 おりんは突如、さちをその胸で抱きしめた。
 どうやら、おりんはさちを気に入ってしまったらしい。着物越しでも伝わる豊満な胸元を顔面に押し付けられ、さちは呼吸をするのもやっとだ。あわあわと手を動かして抵抗するが、意外と力の強いおりんには全く太刀打ちできない。

「いい子だね、健気だねぇ。あんたを虐める奴がいたら、遠慮なくお言い。あたしが成敗してやるからさ」

 そのおりん本人が、つい先ほどさちを虐めていたというのに、おりんはすっかり忘れてしまったようだ。

「お、おりんさん、くるし……」
「いい子、いい子」

 おりんに抱きすくめられ、頭を撫でられまくったさちだったが、しばらくしてどうにか解放してもらえたのだった。
 おりんの腕から解き放たれたさちは、気になることを聞いてみた。あやかしとはいえ、同じ女なら聞ける気がした。

「あの、おりんさん」
「なんだい、さち。おりん姐さんが何でも答えてあげるよ」

 すっかりさちを気に入ってしまったおりんは、さちは妹分で、自分はその姉御と思いたいようだ。

「ぬらりひょん様は私のことを、『かわいそう』って思ってるって言いましたよね? だから私は、ぬらりひょん様の寝所に呼ばれないのですか?」

 おりんは一瞬困った顔をして、すぐに愛想笑いを浮かべた。

「さっきの話かい? 忘れてよ」
「ごめんなさい、忘れられないです。私はぬらりひょん様のお傍にいたい。そのためには、まことの妻にならなくてはなりません。それなのに嫁としてまだ不十分ってことですよね……」
「ぬらりひょん様はきっと、あんたのことが可愛くて仕方ないんだよ。だから気にしなくていいよ」
「でも……」

 ぬらりひょんはさちにいつも優しい。けれど今一歩距離をおかれている気がするし、妻として常に必要とされているようには思えない。寝所に呼ばれる理由はよくわからないが、ぬらりひょんにとって必要な嫁と思われたい。

「どうしたらいいんでしょうか……」

 しゅんと小さくなってしまったさちを、おりんは慌てて慰める。

「じゃ、じゃあさ! 大人っぽいところを、ぬらりひょん様にお見せしたらどうかな? さちはハイカラな料理が得意なんだろ? だったら、ぐっとお洒落で華やかな料理をお出ししたらどうかな? でも、そんな都合の良い料理なんてないか……」
「お洒落で華やかなハイカラ料理……」

 さちはしばし考え、やがてひとつの料理を思いつく。

「あります! ぬらりひょん様のお好きなじゃが芋料理で」

 料理のこととなると、途端に元気を取り戻したさちだった。

「あるのかい? あたしも手伝うよ。いや、あたしじゃあ、戦力にならないね。料理は見ての通りの腕前だしさ。あたしは他のものを用意してあげる。得意分野ってやつかな」
「他のものって何ですか?」
「んふふ。楽しみにしておいで。あんたは料理を頑張りなよ」

 おりんは何か企んでいるようで、楽しそうに笑っている。 

「はい!」

 さちは元気良く返事をした。

(ぬらりひょん様にとって、もっと必要な存在でありたい。本当の嫁として認められたい)

 それはさちが初めて感じる、心からの欲求であった。

「ところで、さち。何を作るんだい? さしつかえなければ、料理名だけでも教えておくれよ」

 さちはにっこりと笑って答える。

「じゃが芋のサラドです」
「サラド……?」

 今度はおりんが、不思議そうな顔をした。





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