25 / 44
第三章 父と娘、蓉子の正体
しあわせ色のパンケーク
しおりを挟む
さちはその日も台所に立っていた。
野菜をざくざくときざむ音、ことことと煮ることで食材が染み込む音、ゆっくりと火を通す汁物の芳醇な香り。
考え事があるなら、何かを作っていたほうが心が落ち着くからだ。皆が喜ぶと思うと、素材のひとつひとつが、さちの心の光となる。
じゃが芋の晩餐会以降、ぬらりひょんとの絆は一歩近づけたようにさちは思っていた。おりんの言う、『同じ布団で仲良く』かどうかはわからないが、ぬらりひょんと共に過ごす時間が以前より増えていた。
ぬらりひょんとの絆が深まっていくにつれ、頭の中に浮かぶのは、父の壱郎と姉の蓉子のことだった。
(お父様はいつも私に厳しかった。憎まれていると思うほどに。でもなぜなの?)
今思えば、父の壱郎の行動はいろいろと不可解なことが多かったように思う。突如、洋食屋へ奉公に出したり、急に九桜院家に閉じ込めたり。さちを罵倒していたかと思うと、ふたりきりになるとさちを優しく見つめていたり。
壱郎の気まぐれだと思っていたが、そこに何か理由があったのだろうか。
「一度お父様と、話す必要があるのかもしれない……」
父のことを思うと、今も恐怖で体が震えてきそうになる。けれども今のさちは、ひとりではない。さちの幸せを願ってくれる者たちがいるのだ。
いろんなことを考えながら、料理を作る。台所はさちの居場所であり、心のよりどころでもあった。
「さち、元気かい?」
土間の入り口から、風呂敷包みを持った、ろくろ首のおりんが顔を見せた。
「おりんさん、いらっしゃいませ」
さちの顔がぱっと明るくなった。
出会った当初は少々の誤解から、さちを虐めたおりんであったが、今はさちの良き相談相手だ。そして数少ない同性の友人でもある。人間とあやかしという違いはあったが、さちにとってはたいした問題ではなかった。
「おりんさん、お茶をどうぞ」
「ありがと。ねぇ、さち。今日はさちにいいものを持ってきたんだけど」
「いいもの?」
「もらいものなんだけど、料理下手なあたしじゃ、使いこなせないからさ」
おりんが風呂敷包みから出したのは、黒光りする鉄製の浅い鍋だった。鍋といっても両脇の取っ手はなく、中央に長い柄がついているのが特徴的だ。
「これはフライ鍋ですね!」
「やっぱり、さちにはわかるんだねぇ」
「ええ。洋食屋ではよく使われている道具ですから。これ、本当にいただいていいのですか?」
さちはかつて洋食屋で奉公をしていたため、馴染みのある調理器具だった。
「もらいものだから、好きにしてよ。代わりと言ったら何だけどさ。このフライ鍋で、おやつでも作ってよ。簡単なものでいいからさ」
「フライ鍋で作る簡単なおやつ……パンケークなんて、どうでしょう?」
「ぱんけーく?」
「火加減さえ気を付ければ、簡単にできますよ」
悩み事はきれいに消え失せ、さちの頭の中は、これから作るパンケークのことでいっぱいになっている。自然と笑顔がこぼれ、きらきらと輝いていた。
「さち姐さーん、なんか、いい匂いするでやんすけどぉ……」
さちが次々とパンケークを焼き上げていると、どこで嗅ぎつけたのか、一つ目小僧もひょっこり顔を出してきた。
「おやおや、食いしん坊の一つ目小僧が、さっそく来たねぇ」
「おりんさん、おいらは美食家でやんす」
「そういうのを、食いしん坊って言うんだよ」
おりんと一つ小僧が笑い、さちもつられて笑った。
静かだった台所が一気に、にぎやかにになり、さちの心もぽっかりと温かくなっていく。
「一つ目ちゃんも食べましょ。ぬらりひょん様にも声をかけてきてくれる?」
「がってんでやんす!」
一つ目小僧に連れてこられたぬらりひょんも、嬉しそうに微笑んだ。
わしには別の『顔』がいくつかあるのだと、さちに正体を晒したぬらりひょん。今は日によって姿を変えていた。今日は美丈夫な男の姿をしている。さちにとっては、どの姿も大切なお方であることは変わらない。
「ほぅ。パンケークとな。これはまたうまそうだ」
さちがフライ鍋で焼いたパンケークを囲み、楽しいおやつの時間となった。
パンケークはふんわりとした優しい食感で、口に入れた瞬間、卵と砂糖の甘い香りが拡がっていく。添えた蜂蜜とよく合っている。食べた瞬間、思わず笑顔になってしまう味だ。
「さち、やっと元気になってきたね。やっぱりあんたは料理をしてるときが、一番楽しそうだ」
おりんがパンケークを口に運びながら、満足そうに微笑んだ。おりんの笑顔を見た瞬間、さちはおりんの思いに気が付いた。
「おりんさん、フライ鍋はまさか私のために……」
「ちがうよ、もらいもんだって言ったろ。余計なことに気にするんじゃないよ」
おりんの頬が、ほんのりと赤い。もらいものといってはいるが、おそらく嘘だろう。料理好きなさちのために、どこからか調達してきたのだ。
「ありがとうございます、おりんさん」
「ふん。これからもフライ鍋であれこれ作ってもらうつもりだからね」
ふたりの会話を聞いていた一つ目小僧が、うひひと不気味な声で笑った。
「うわぁ、おりんさんが照れてるでやんす。世も末でやんすなぁ……」
「一つ目小僧! おまえはひとこと余計なんだよっ!」
「うおぅ、暴力反対でやんす。さち姐さん、お助けをぉ!」
ぬらりひょんは何も言わず、静かにパンケークを味わっているようだ。
さちを気遣ってくれる、優しいあやかしたち。彼らと共にずっと過ごしていたい。
(ぬらりひょん様のお屋敷には、私の居場所がある。ここにいられるのなら、お父様との話し合いであろうと、怖くはないわ)
迫りくる父との対峙に、さちは秘かに思いを強くしていた。
野菜をざくざくときざむ音、ことことと煮ることで食材が染み込む音、ゆっくりと火を通す汁物の芳醇な香り。
考え事があるなら、何かを作っていたほうが心が落ち着くからだ。皆が喜ぶと思うと、素材のひとつひとつが、さちの心の光となる。
じゃが芋の晩餐会以降、ぬらりひょんとの絆は一歩近づけたようにさちは思っていた。おりんの言う、『同じ布団で仲良く』かどうかはわからないが、ぬらりひょんと共に過ごす時間が以前より増えていた。
ぬらりひょんとの絆が深まっていくにつれ、頭の中に浮かぶのは、父の壱郎と姉の蓉子のことだった。
(お父様はいつも私に厳しかった。憎まれていると思うほどに。でもなぜなの?)
今思えば、父の壱郎の行動はいろいろと不可解なことが多かったように思う。突如、洋食屋へ奉公に出したり、急に九桜院家に閉じ込めたり。さちを罵倒していたかと思うと、ふたりきりになるとさちを優しく見つめていたり。
壱郎の気まぐれだと思っていたが、そこに何か理由があったのだろうか。
「一度お父様と、話す必要があるのかもしれない……」
父のことを思うと、今も恐怖で体が震えてきそうになる。けれども今のさちは、ひとりではない。さちの幸せを願ってくれる者たちがいるのだ。
いろんなことを考えながら、料理を作る。台所はさちの居場所であり、心のよりどころでもあった。
「さち、元気かい?」
土間の入り口から、風呂敷包みを持った、ろくろ首のおりんが顔を見せた。
「おりんさん、いらっしゃいませ」
さちの顔がぱっと明るくなった。
出会った当初は少々の誤解から、さちを虐めたおりんであったが、今はさちの良き相談相手だ。そして数少ない同性の友人でもある。人間とあやかしという違いはあったが、さちにとってはたいした問題ではなかった。
「おりんさん、お茶をどうぞ」
「ありがと。ねぇ、さち。今日はさちにいいものを持ってきたんだけど」
「いいもの?」
「もらいものなんだけど、料理下手なあたしじゃ、使いこなせないからさ」
おりんが風呂敷包みから出したのは、黒光りする鉄製の浅い鍋だった。鍋といっても両脇の取っ手はなく、中央に長い柄がついているのが特徴的だ。
「これはフライ鍋ですね!」
「やっぱり、さちにはわかるんだねぇ」
「ええ。洋食屋ではよく使われている道具ですから。これ、本当にいただいていいのですか?」
さちはかつて洋食屋で奉公をしていたため、馴染みのある調理器具だった。
「もらいものだから、好きにしてよ。代わりと言ったら何だけどさ。このフライ鍋で、おやつでも作ってよ。簡単なものでいいからさ」
「フライ鍋で作る簡単なおやつ……パンケークなんて、どうでしょう?」
「ぱんけーく?」
「火加減さえ気を付ければ、簡単にできますよ」
悩み事はきれいに消え失せ、さちの頭の中は、これから作るパンケークのことでいっぱいになっている。自然と笑顔がこぼれ、きらきらと輝いていた。
「さち姐さーん、なんか、いい匂いするでやんすけどぉ……」
さちが次々とパンケークを焼き上げていると、どこで嗅ぎつけたのか、一つ目小僧もひょっこり顔を出してきた。
「おやおや、食いしん坊の一つ目小僧が、さっそく来たねぇ」
「おりんさん、おいらは美食家でやんす」
「そういうのを、食いしん坊って言うんだよ」
おりんと一つ小僧が笑い、さちもつられて笑った。
静かだった台所が一気に、にぎやかにになり、さちの心もぽっかりと温かくなっていく。
「一つ目ちゃんも食べましょ。ぬらりひょん様にも声をかけてきてくれる?」
「がってんでやんす!」
一つ目小僧に連れてこられたぬらりひょんも、嬉しそうに微笑んだ。
わしには別の『顔』がいくつかあるのだと、さちに正体を晒したぬらりひょん。今は日によって姿を変えていた。今日は美丈夫な男の姿をしている。さちにとっては、どの姿も大切なお方であることは変わらない。
「ほぅ。パンケークとな。これはまたうまそうだ」
さちがフライ鍋で焼いたパンケークを囲み、楽しいおやつの時間となった。
パンケークはふんわりとした優しい食感で、口に入れた瞬間、卵と砂糖の甘い香りが拡がっていく。添えた蜂蜜とよく合っている。食べた瞬間、思わず笑顔になってしまう味だ。
「さち、やっと元気になってきたね。やっぱりあんたは料理をしてるときが、一番楽しそうだ」
おりんがパンケークを口に運びながら、満足そうに微笑んだ。おりんの笑顔を見た瞬間、さちはおりんの思いに気が付いた。
「おりんさん、フライ鍋はまさか私のために……」
「ちがうよ、もらいもんだって言ったろ。余計なことに気にするんじゃないよ」
おりんの頬が、ほんのりと赤い。もらいものといってはいるが、おそらく嘘だろう。料理好きなさちのために、どこからか調達してきたのだ。
「ありがとうございます、おりんさん」
「ふん。これからもフライ鍋であれこれ作ってもらうつもりだからね」
ふたりの会話を聞いていた一つ目小僧が、うひひと不気味な声で笑った。
「うわぁ、おりんさんが照れてるでやんす。世も末でやんすなぁ……」
「一つ目小僧! おまえはひとこと余計なんだよっ!」
「うおぅ、暴力反対でやんす。さち姐さん、お助けをぉ!」
ぬらりひょんは何も言わず、静かにパンケークを味わっているようだ。
さちを気遣ってくれる、優しいあやかしたち。彼らと共にずっと過ごしていたい。
(ぬらりひょん様のお屋敷には、私の居場所がある。ここにいられるのなら、お父様との話し合いであろうと、怖くはないわ)
迫りくる父との対峙に、さちは秘かに思いを強くしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
元Sランク受付嬢の、路地裏ひとり酒とまかない飯
☆ほしい
ファンタジー
ギルド受付嬢の佐倉レナ、外見はちょっと美人。仕事ぶりは真面目でテキパキ。そんなどこにでもいる女性。
でも実はその正体、数年前まで“災厄クラス”とまで噂された元Sランク冒険者。
今は戦わない。名乗らない。ひっそり事務仕事に徹してる。
なぜって、もう十分なんです。命がけで世界を救った報酬は、“おひとりさま晩酌”の幸福。
今日も定時で仕事を終え、路地裏の飯処〈モンス飯亭〉へ直行。
絶品まかないメシとよく冷えた一杯で、心と体をリセットする時間。
それが、いまのレナの“最強スタイル”。
誰にも気を使わない、誰も邪魔しない。
そんなおひとりさまグルメライフ、ここに開幕。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる