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第三章 父と娘、蓉子の正体
しあわせ色のパンケーク
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さちはその日も台所に立っていた。
野菜をざくざくときざむ音、ことことと煮ることで食材が染み込む音、ゆっくりと火を通す汁物の芳醇な香り。
考え事があるなら、何かを作っていたほうが心が落ち着くからだ。皆が喜ぶと思うと、素材のひとつひとつが、さちの心の光となる。
じゃが芋の晩餐会以降、ぬらりひょんとの絆は一歩近づけたようにさちは思っていた。おりんの言う、『同じ布団で仲良く』かどうかはわからないが、ぬらりひょんと共に過ごす時間が以前より増えていた。
ぬらりひょんとの絆が深まっていくにつれ、頭の中に浮かぶのは、父の壱郎と姉の蓉子のことだった。
(お父様はいつも私に厳しかった。憎まれていると思うほどに。でもなぜなの?)
今思えば、父の壱郎の行動はいろいろと不可解なことが多かったように思う。突如、洋食屋へ奉公に出したり、急に九桜院家に閉じ込めたり。さちを罵倒していたかと思うと、ふたりきりになるとさちを優しく見つめていたり。
壱郎の気まぐれだと思っていたが、そこに何か理由があったのだろうか。
「一度お父様と、話す必要があるのかもしれない……」
父のことを思うと、今も恐怖で体が震えてきそうになる。けれども今のさちは、ひとりではない。さちの幸せを願ってくれる者たちがいるのだ。
いろんなことを考えながら、料理を作る。台所はさちの居場所であり、心のよりどころでもあった。
「さち、元気かい?」
土間の入り口から、風呂敷包みを持った、ろくろ首のおりんが顔を見せた。
「おりんさん、いらっしゃいませ」
さちの顔がぱっと明るくなった。
出会った当初は少々の誤解から、さちを虐めたおりんであったが、今はさちの良き相談相手だ。そして数少ない同性の友人でもある。人間とあやかしという違いはあったが、さちにとってはたいした問題ではなかった。
「おりんさん、お茶をどうぞ」
「ありがと。ねぇ、さち。今日はさちにいいものを持ってきたんだけど」
「いいもの?」
「もらいものなんだけど、料理下手なあたしじゃ、使いこなせないからさ」
おりんが風呂敷包みから出したのは、黒光りする鉄製の浅い鍋だった。鍋といっても両脇の取っ手はなく、中央に長い柄がついているのが特徴的だ。
「これはフライ鍋ですね!」
「やっぱり、さちにはわかるんだねぇ」
「ええ。洋食屋ではよく使われている道具ですから。これ、本当にいただいていいのですか?」
さちはかつて洋食屋で奉公をしていたため、馴染みのある調理器具だった。
「もらいものだから、好きにしてよ。代わりと言ったら何だけどさ。このフライ鍋で、おやつでも作ってよ。簡単なものでいいからさ」
「フライ鍋で作る簡単なおやつ……パンケークなんて、どうでしょう?」
「ぱんけーく?」
「火加減さえ気を付ければ、簡単にできますよ」
悩み事はきれいに消え失せ、さちの頭の中は、これから作るパンケークのことでいっぱいになっている。自然と笑顔がこぼれ、きらきらと輝いていた。
「さち姐さーん、なんか、いい匂いするでやんすけどぉ……」
さちが次々とパンケークを焼き上げていると、どこで嗅ぎつけたのか、一つ目小僧もひょっこり顔を出してきた。
「おやおや、食いしん坊の一つ目小僧が、さっそく来たねぇ」
「おりんさん、おいらは美食家でやんす」
「そういうのを、食いしん坊って言うんだよ」
おりんと一つ小僧が笑い、さちもつられて笑った。
静かだった台所が一気に、にぎやかにになり、さちの心もぽっかりと温かくなっていく。
「一つ目ちゃんも食べましょ。ぬらりひょん様にも声をかけてきてくれる?」
「がってんでやんす!」
一つ目小僧に連れてこられたぬらりひょんも、嬉しそうに微笑んだ。
わしには別の『顔』がいくつかあるのだと、さちに正体を晒したぬらりひょん。今は日によって姿を変えていた。今日は美丈夫な男の姿をしている。さちにとっては、どの姿も大切なお方であることは変わらない。
「ほぅ。パンケークとな。これはまたうまそうだ」
さちがフライ鍋で焼いたパンケークを囲み、楽しいおやつの時間となった。
パンケークはふんわりとした優しい食感で、口に入れた瞬間、卵と砂糖の甘い香りが拡がっていく。添えた蜂蜜とよく合っている。食べた瞬間、思わず笑顔になってしまう味だ。
「さち、やっと元気になってきたね。やっぱりあんたは料理をしてるときが、一番楽しそうだ」
おりんがパンケークを口に運びながら、満足そうに微笑んだ。おりんの笑顔を見た瞬間、さちはおりんの思いに気が付いた。
「おりんさん、フライ鍋はまさか私のために……」
「ちがうよ、もらいもんだって言ったろ。余計なことに気にするんじゃないよ」
おりんの頬が、ほんのりと赤い。もらいものといってはいるが、おそらく嘘だろう。料理好きなさちのために、どこからか調達してきたのだ。
「ありがとうございます、おりんさん」
「ふん。これからもフライ鍋であれこれ作ってもらうつもりだからね」
ふたりの会話を聞いていた一つ目小僧が、うひひと不気味な声で笑った。
「うわぁ、おりんさんが照れてるでやんす。世も末でやんすなぁ……」
「一つ目小僧! おまえはひとこと余計なんだよっ!」
「うおぅ、暴力反対でやんす。さち姐さん、お助けをぉ!」
ぬらりひょんは何も言わず、静かにパンケークを味わっているようだ。
さちを気遣ってくれる、優しいあやかしたち。彼らと共にずっと過ごしていたい。
(ぬらりひょん様のお屋敷には、私の居場所がある。ここにいられるのなら、お父様との話し合いであろうと、怖くはないわ)
迫りくる父との対峙に、さちは秘かに思いを強くしていた。
野菜をざくざくときざむ音、ことことと煮ることで食材が染み込む音、ゆっくりと火を通す汁物の芳醇な香り。
考え事があるなら、何かを作っていたほうが心が落ち着くからだ。皆が喜ぶと思うと、素材のひとつひとつが、さちの心の光となる。
じゃが芋の晩餐会以降、ぬらりひょんとの絆は一歩近づけたようにさちは思っていた。おりんの言う、『同じ布団で仲良く』かどうかはわからないが、ぬらりひょんと共に過ごす時間が以前より増えていた。
ぬらりひょんとの絆が深まっていくにつれ、頭の中に浮かぶのは、父の壱郎と姉の蓉子のことだった。
(お父様はいつも私に厳しかった。憎まれていると思うほどに。でもなぜなの?)
今思えば、父の壱郎の行動はいろいろと不可解なことが多かったように思う。突如、洋食屋へ奉公に出したり、急に九桜院家に閉じ込めたり。さちを罵倒していたかと思うと、ふたりきりになるとさちを優しく見つめていたり。
壱郎の気まぐれだと思っていたが、そこに何か理由があったのだろうか。
「一度お父様と、話す必要があるのかもしれない……」
父のことを思うと、今も恐怖で体が震えてきそうになる。けれども今のさちは、ひとりではない。さちの幸せを願ってくれる者たちがいるのだ。
いろんなことを考えながら、料理を作る。台所はさちの居場所であり、心のよりどころでもあった。
「さち、元気かい?」
土間の入り口から、風呂敷包みを持った、ろくろ首のおりんが顔を見せた。
「おりんさん、いらっしゃいませ」
さちの顔がぱっと明るくなった。
出会った当初は少々の誤解から、さちを虐めたおりんであったが、今はさちの良き相談相手だ。そして数少ない同性の友人でもある。人間とあやかしという違いはあったが、さちにとってはたいした問題ではなかった。
「おりんさん、お茶をどうぞ」
「ありがと。ねぇ、さち。今日はさちにいいものを持ってきたんだけど」
「いいもの?」
「もらいものなんだけど、料理下手なあたしじゃ、使いこなせないからさ」
おりんが風呂敷包みから出したのは、黒光りする鉄製の浅い鍋だった。鍋といっても両脇の取っ手はなく、中央に長い柄がついているのが特徴的だ。
「これはフライ鍋ですね!」
「やっぱり、さちにはわかるんだねぇ」
「ええ。洋食屋ではよく使われている道具ですから。これ、本当にいただいていいのですか?」
さちはかつて洋食屋で奉公をしていたため、馴染みのある調理器具だった。
「もらいものだから、好きにしてよ。代わりと言ったら何だけどさ。このフライ鍋で、おやつでも作ってよ。簡単なものでいいからさ」
「フライ鍋で作る簡単なおやつ……パンケークなんて、どうでしょう?」
「ぱんけーく?」
「火加減さえ気を付ければ、簡単にできますよ」
悩み事はきれいに消え失せ、さちの頭の中は、これから作るパンケークのことでいっぱいになっている。自然と笑顔がこぼれ、きらきらと輝いていた。
「さち姐さーん、なんか、いい匂いするでやんすけどぉ……」
さちが次々とパンケークを焼き上げていると、どこで嗅ぎつけたのか、一つ目小僧もひょっこり顔を出してきた。
「おやおや、食いしん坊の一つ目小僧が、さっそく来たねぇ」
「おりんさん、おいらは美食家でやんす」
「そういうのを、食いしん坊って言うんだよ」
おりんと一つ小僧が笑い、さちもつられて笑った。
静かだった台所が一気に、にぎやかにになり、さちの心もぽっかりと温かくなっていく。
「一つ目ちゃんも食べましょ。ぬらりひょん様にも声をかけてきてくれる?」
「がってんでやんす!」
一つ目小僧に連れてこられたぬらりひょんも、嬉しそうに微笑んだ。
わしには別の『顔』がいくつかあるのだと、さちに正体を晒したぬらりひょん。今は日によって姿を変えていた。今日は美丈夫な男の姿をしている。さちにとっては、どの姿も大切なお方であることは変わらない。
「ほぅ。パンケークとな。これはまたうまそうだ」
さちがフライ鍋で焼いたパンケークを囲み、楽しいおやつの時間となった。
パンケークはふんわりとした優しい食感で、口に入れた瞬間、卵と砂糖の甘い香りが拡がっていく。添えた蜂蜜とよく合っている。食べた瞬間、思わず笑顔になってしまう味だ。
「さち、やっと元気になってきたね。やっぱりあんたは料理をしてるときが、一番楽しそうだ」
おりんがパンケークを口に運びながら、満足そうに微笑んだ。おりんの笑顔を見た瞬間、さちはおりんの思いに気が付いた。
「おりんさん、フライ鍋はまさか私のために……」
「ちがうよ、もらいもんだって言ったろ。余計なことに気にするんじゃないよ」
おりんの頬が、ほんのりと赤い。もらいものといってはいるが、おそらく嘘だろう。料理好きなさちのために、どこからか調達してきたのだ。
「ありがとうございます、おりんさん」
「ふん。これからもフライ鍋であれこれ作ってもらうつもりだからね」
ふたりの会話を聞いていた一つ目小僧が、うひひと不気味な声で笑った。
「うわぁ、おりんさんが照れてるでやんす。世も末でやんすなぁ……」
「一つ目小僧! おまえはひとこと余計なんだよっ!」
「うおぅ、暴力反対でやんす。さち姐さん、お助けをぉ!」
ぬらりひょんは何も言わず、静かにパンケークを味わっているようだ。
さちを気遣ってくれる、優しいあやかしたち。彼らと共にずっと過ごしていたい。
(ぬらりひょん様のお屋敷には、私の居場所がある。ここにいられるのなら、お父様との話し合いであろうと、怖くはないわ)
迫りくる父との対峙に、さちは秘かに思いを強くしていた。
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