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第二章
43.リーベンデイルと宵闇の少女1
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ベンチの中央に座っていたアリシティアが場所を譲るように左に寄ると、アルフレードは彼女の右隣に腰を下ろした。
風が二人の間をすり抜け、木漏れ日が揺れる。蒼色が抜け落ち、朽葉色となりはじめた木の葉が、ひらりとアリシティアの視線の先を掠めていく。
「君がこのベンチに座っているのは久しぶりだね。だけどいつも言っているだろう? 私に話があるのなら、いつでも私の所に直接来て良いのだと」
アルフレードの優しすぎる言葉に、アリシティアはくすりと笑みを零した。
「そうおっしゃって下さるのはとても嬉しいのですが、私はしがない伯爵家の娘ですから」
「またそんな事を。君は特別だといつも言っているのに。……それで? 君がここにいる事に私が気づくまで、今日はどれくらいの時間がかかった?」
頑ななアリシティアに、アルフレードは困ったように微笑む。それはなんの意識もしないまま自然と浮かんだもので、僅かな呆れも混ざっていた。
「1時間半程でしょうか」
「そんなに?私もまだまだだね。君が暗殺者なら、今回も私はとっくに殺されていたね」
「大丈夫です。もしもお兄様が暗殺者に狙われたら、その時は私が守って差し上げますね。約束します」
「頼もしいけれど、私は守る立場になりたいのだけどね」
「守られるのも、王太子殿下のお仕事でしょう?」
「それはそうなんだけどね。それにしても、1時間半も…」
苦笑をこぼすアルフレードの隣で、アリシティアは目を閉じて深呼吸した。
「私はこの庭園でただぼんやりとした時間を過ごすのが、とても心地良いんです。だからほとんど待った感じはしません」
目を開けたアリシティアは、風が揺らす長い髪を耳にかけた。そんな彼女の姿を見て、アルフレードは眩しげに目を細め、柔らかな眼差しを向けた。
アリシティアは、アルフレードから王太子の執務室にいつでも来て良いと言われてはいる。けれども、本来であれば王太子であるアルフレードとアリシティアには、気軽に交流を持つことなどできるはずもない程に身分差があった。
アリシティアの家は、社交嫌いの父を持つ中流の伯爵家。領地には魔石の鉱山があるからお金だけはそれなりにあるが、本当にそれだけだ。
しかもアリシティア自身、モブで悪女な人生を目指していたのに、つい先日の社交界デビューで、これでもかというほどに悪目立ちしてしまった。
そのせいか、王宮内を歩くだけでやたらと人の視線を感じるようになった。『こいつがあの、ラローヴェル侯爵の婚約者か』と、思われているに違いない。
だからこそ、こんなにも注目を浴びている状況では王太子であるアルフレードに直接面会を求める事は、できる限り避けたかった。
「それなら良かった。どちらにしろ、私も君に話があったから」
「私に話ですか?」
珍しいとでも言うように、アリシティアが首を傾げた。
「そう。知ってる? 最近王宮では、君を見かけたらその日一日良い事があるっていう噂が広がっているらしい」
アルフレードの言葉に、アリシティアは一瞬目を見開き、そして笑いだした。
「なんですか、その有り得ない噂は」
ほんのりと甘い、軽やかな笑い声が、アルフレードの鼓膜をくすぐる。他人事のように笑うアリシティアに、アルフレードはため息混じりに、肩を落とした。
「アリシティア、実の所笑い事では無いんだ。君を見るとリネスの女神の恩恵を分けて貰えるとか何とか」
「ああ。そう言う事ですか」
アリシティアは納得した。
薔薇色と朱色を混ぜ合わせたような、夜明け色をした彼女の瞳はとても珍しい。何よりもその色は、その昔異世界から来た勇者と婚姻を結んだ、女神リネスの瞳の色だと言われている。
その事を鑑みれば、そんなジンクスが囁かれていても、おかしくはない。
「そのせいで、今の君は私や叔父上の想定よりも人目を集めてしまっている。本当はね、出来るだけ君には隠しておきたかった。でも、こんな状況だからね、そうも言っていられなくなったんだ」
「お兄様?」
アルフレードは一呼吸置いて、ゆっくりと話し出した。
「アリシティア。もしかすると、君はこれからとても危険な人間に狙われることになるかもしれない。どんな手を使ってでも、どれ程の犠牲を出そうとも、君を手に入れようとする人間に」
「……手に入れる?正妃様の派閥から命を狙われるという事ではないのですか?」
「確かにそれも無いとは言えない。だけどそちらは所詮は政権争いだ。私の地位が揺るがない限り、今の時点では、君をどうこうした所ではどうにもならない」
「そうなんですか?ルイス様の婚約者の私が邪魔なのでは?」
「確かに邪魔ではあるだろうね。だからと言って、君を狙って来るのは正妃派ではなく、エヴァンジェリンに個人的に取り入ろうとする貴族位だ。君がわざと誘拐されたりしなければ、そちらの方はあまり心配しなくてもいいかな」
「あれは、わざと誘拐された訳ではないと…」
「うん、そうだね。私の可愛いアリスがそう言うなら、そう言う事にしておいてあげよう」
アルフレードの声に皮肉めいた響きを捉えて、アリシティアは少しだけ拗ねたように兄を睨む。
「正妃派じゃなければ、危険な人物って言うのは誰なんですか?」
「狂信者だ」
アルフレードの声が、僅かに低くなり、その顔からは完全に笑顔が消えた。狂信者という言葉から連想できるのは……。
「女神リネスの信徒?」
アルフレードの様子に、不安が押し寄せてくる。けれど、アリシティアは今まで、神殿からの圧力のような物は、一度も感じた事はなかった。
そもそも、ルイスに教えられるまで、ルイスとの婚約が、宗教的な意味合いの強い政略結婚だと言う事すら、彼女は知らなかったのだから。
「いや、彼らは基本的に女神を恐れるから、君に危害を加えるようなことはしないだろう。一番恐ろしいのは……」
アルフレードは一度言葉を切り、深く息を吐き出した。
「伝説の人形師リーベンデイルの『宵闇の少女』の存在に、全てを狂わされた信者達だ」
アリシティアの肩が小さく揺れた。息を呑み目を見開く。無意識に体が強ばり、咄嗟に手を強く握りしめた。
風が二人の間をすり抜け、木漏れ日が揺れる。蒼色が抜け落ち、朽葉色となりはじめた木の葉が、ひらりとアリシティアの視線の先を掠めていく。
「君がこのベンチに座っているのは久しぶりだね。だけどいつも言っているだろう? 私に話があるのなら、いつでも私の所に直接来て良いのだと」
アルフレードの優しすぎる言葉に、アリシティアはくすりと笑みを零した。
「そうおっしゃって下さるのはとても嬉しいのですが、私はしがない伯爵家の娘ですから」
「またそんな事を。君は特別だといつも言っているのに。……それで? 君がここにいる事に私が気づくまで、今日はどれくらいの時間がかかった?」
頑ななアリシティアに、アルフレードは困ったように微笑む。それはなんの意識もしないまま自然と浮かんだもので、僅かな呆れも混ざっていた。
「1時間半程でしょうか」
「そんなに?私もまだまだだね。君が暗殺者なら、今回も私はとっくに殺されていたね」
「大丈夫です。もしもお兄様が暗殺者に狙われたら、その時は私が守って差し上げますね。約束します」
「頼もしいけれど、私は守る立場になりたいのだけどね」
「守られるのも、王太子殿下のお仕事でしょう?」
「それはそうなんだけどね。それにしても、1時間半も…」
苦笑をこぼすアルフレードの隣で、アリシティアは目を閉じて深呼吸した。
「私はこの庭園でただぼんやりとした時間を過ごすのが、とても心地良いんです。だからほとんど待った感じはしません」
目を開けたアリシティアは、風が揺らす長い髪を耳にかけた。そんな彼女の姿を見て、アルフレードは眩しげに目を細め、柔らかな眼差しを向けた。
アリシティアは、アルフレードから王太子の執務室にいつでも来て良いと言われてはいる。けれども、本来であれば王太子であるアルフレードとアリシティアには、気軽に交流を持つことなどできるはずもない程に身分差があった。
アリシティアの家は、社交嫌いの父を持つ中流の伯爵家。領地には魔石の鉱山があるからお金だけはそれなりにあるが、本当にそれだけだ。
しかもアリシティア自身、モブで悪女な人生を目指していたのに、つい先日の社交界デビューで、これでもかというほどに悪目立ちしてしまった。
そのせいか、王宮内を歩くだけでやたらと人の視線を感じるようになった。『こいつがあの、ラローヴェル侯爵の婚約者か』と、思われているに違いない。
だからこそ、こんなにも注目を浴びている状況では王太子であるアルフレードに直接面会を求める事は、できる限り避けたかった。
「それなら良かった。どちらにしろ、私も君に話があったから」
「私に話ですか?」
珍しいとでも言うように、アリシティアが首を傾げた。
「そう。知ってる? 最近王宮では、君を見かけたらその日一日良い事があるっていう噂が広がっているらしい」
アルフレードの言葉に、アリシティアは一瞬目を見開き、そして笑いだした。
「なんですか、その有り得ない噂は」
ほんのりと甘い、軽やかな笑い声が、アルフレードの鼓膜をくすぐる。他人事のように笑うアリシティアに、アルフレードはため息混じりに、肩を落とした。
「アリシティア、実の所笑い事では無いんだ。君を見るとリネスの女神の恩恵を分けて貰えるとか何とか」
「ああ。そう言う事ですか」
アリシティアは納得した。
薔薇色と朱色を混ぜ合わせたような、夜明け色をした彼女の瞳はとても珍しい。何よりもその色は、その昔異世界から来た勇者と婚姻を結んだ、女神リネスの瞳の色だと言われている。
その事を鑑みれば、そんなジンクスが囁かれていても、おかしくはない。
「そのせいで、今の君は私や叔父上の想定よりも人目を集めてしまっている。本当はね、出来るだけ君には隠しておきたかった。でも、こんな状況だからね、そうも言っていられなくなったんだ」
「お兄様?」
アルフレードは一呼吸置いて、ゆっくりと話し出した。
「アリシティア。もしかすると、君はこれからとても危険な人間に狙われることになるかもしれない。どんな手を使ってでも、どれ程の犠牲を出そうとも、君を手に入れようとする人間に」
「……手に入れる?正妃様の派閥から命を狙われるという事ではないのですか?」
「確かにそれも無いとは言えない。だけどそちらは所詮は政権争いだ。私の地位が揺るがない限り、今の時点では、君をどうこうした所ではどうにもならない」
「そうなんですか?ルイス様の婚約者の私が邪魔なのでは?」
「確かに邪魔ではあるだろうね。だからと言って、君を狙って来るのは正妃派ではなく、エヴァンジェリンに個人的に取り入ろうとする貴族位だ。君がわざと誘拐されたりしなければ、そちらの方はあまり心配しなくてもいいかな」
「あれは、わざと誘拐された訳ではないと…」
「うん、そうだね。私の可愛いアリスがそう言うなら、そう言う事にしておいてあげよう」
アルフレードの声に皮肉めいた響きを捉えて、アリシティアは少しだけ拗ねたように兄を睨む。
「正妃派じゃなければ、危険な人物って言うのは誰なんですか?」
「狂信者だ」
アルフレードの声が、僅かに低くなり、その顔からは完全に笑顔が消えた。狂信者という言葉から連想できるのは……。
「女神リネスの信徒?」
アルフレードの様子に、不安が押し寄せてくる。けれど、アリシティアは今まで、神殿からの圧力のような物は、一度も感じた事はなかった。
そもそも、ルイスに教えられるまで、ルイスとの婚約が、宗教的な意味合いの強い政略結婚だと言う事すら、彼女は知らなかったのだから。
「いや、彼らは基本的に女神を恐れるから、君に危害を加えるようなことはしないだろう。一番恐ろしいのは……」
アルフレードは一度言葉を切り、深く息を吐き出した。
「伝説の人形師リーベンデイルの『宵闇の少女』の存在に、全てを狂わされた信者達だ」
アリシティアの肩が小さく揺れた。息を呑み目を見開く。無意識に体が強ばり、咄嗟に手を強く握りしめた。
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