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【挿話】取り換え姫と世界樹の守護者
君が消えた日
しおりを挟む彼女が倒れている。壊れた人形のように。手足は奇妙な方向に曲がり、夜明けの空のような目は見開いたまま。その瞳孔はいつもよりも大きなまま固まっていた。ドレスは切り裂かれ、首の皮膚には食い込むように紐が巻き付いている。
青紫がかった銀の髪は絡まり合って固まり、異臭を放つねっとりとした液体がこびりついていた。
『……』
彼女の名前を呼ぶ。なのに何故か声が出ない。声を出そうとすると、まるで喉を潰され、灼熱の炎で焼かれたように酷く傷む。
よくみると、彼女の身体に人の姿に似た何かがまとわりついていた。僕は右手を振り上げて風の刃を作った。真っ赤な液体と、汚らしい肉片が室内に飛び散る。
少し彼女の身体にまで飛び散ってしまった。彼女の身体を汚すつもりは無かったのに…。
血溜まりの中、散らばった肉片の上をゆっくりと歩き、彼女の側にひざまづいた。震える手を彼女の頬に伸ばすと、その頬はとても温かかった。
──── ああ、気絶しているのか。ごめんね、来るのが遅くなってしまった。
彼女の身体を丁重にローブで包み、抱き上げようとした時。後ろで誰かが何かを叫んだ。そして、僕が彼女を連れ出そうとするのを邪魔してきた。
早く彼女を医者にみせないとならないのに。だから、また僕は風の刃を出した。手が使えないから、思い通りには切り裂けなかった。でも僕の邪魔をした奴は、床に倒れ首から大量の血を流して、ピクピクと痙攣している。
細切れにはできなかったけれど、僕の邪魔をしなくなったから構わない。
両腕にしっかりと彼女を抱いて、階段を降りていく。高い塔からでると、まだ外はとても暗かった。大地の向こう側に没する間際の上弦の月がひときわ青く輝いていて、明かりは必要なかった。
どこに連れて行こうか。城の医師は信用できない。そんな事を考えていた時。また男が一人、近づいてきた。
──── 邪魔だな。
そう思って風の刃で切り裂こうとした時、その男が彼女の名前を呼んだ。叫ぶように。悲鳴のように。
ああ、この人は切り裂いちゃダメだ。幼い頃から彼女がずっとその小さな身体で守り抜いてきた、彼女の大切な……。
男は僕の腕の中の彼女を奪い取るように抱き寄せた。何度も何度も彼女の名前を呼ぶ。
僕の声は出ない。喉が締め付けられているようで、何かに気道をふさがれているようで。
この国に僕の声を奪う事ができる魔術師なんていたのか。僕は音を紡がなくとも、思念だけで魔法が使える。だから、声なんて奪っても意味はないのだけれど…。そんなことをぼんやりと考えていた時、なんとなく思い出した。
ああそうだ。泣いているのは彼女の兄だ。けれど血は繋がってはいない。彼女は取り替え姫だったから。それでも彼女にとっては、とても大切なただひとりの家族だった。
彼女を抱きしめて嗚咽を漏らす彼女の兄を眺めながら、僕は不意に魔女の所に行こうと思った。
僕の中の膨大な魔力を対価に、彼女の治療をしてもらおう。必要なら僕の中の全ての血液を対価にしてもいい。魔女は魔力を含む血液を好むから。もし足りなければ、彼女を殺せと言った、このリネス国の全ての民の血を差し出そう。
──── 大丈夫。治療してもらうから。
彼女の兄は彼女を抱きしめたまま、土に膝をつき、座り込んでしまった。
彼が嘆くのはわかるけれど、出来るだけ急いで彼女を魔女に診てもらわないといけない。だから僕は手を差し出し、彼から彼女の身体を丁重に引き受ける。
そして、沈みかけた青い上弦の月に向かって、僕は彼女を抱いたまま歩き出した。
魔女の家に辿り着くと、勝手に扉が開く。中へ入れという事だ。足を踏み入れた先には妖艶な魔女がいて、魔女は僕について来いと言う。
彼女を抱いたまま奥の部屋に入ると、小さな寝台があった。魔女に指示されるがまま、僕は彼女を寝台にそっと横たえる。
僕は声がでないから、無言で手のひらの上に魔力を集め、魔女に治療の対価を支払おうとした。だが、魔女はただ首を横に振る。もしかしたら魔力よりも欲しい物があるのかもしれない。なんでも構わない。僕の持っているものならなんでも差し出す。そう言いたかったけれど、やはり声は出なかった。
魔女は僕と彼女を残して部屋を出たけれど、すぐにたっぷりとお湯が入った桶を持って戻ってきた。
お湯は緑色だから、なにかの薬液なのだろう。治療は専門外なので魔女に任せるしかなかった。
魔女は開いた彼女の瞼を閉じさせて、奇妙な方向へと向いた手足を、正しい形に戻してくれた。そして薬液の入った桶に布を浸して絞り、彼女の身体を清めていく。身体だけではなく、彼女の美しく長い髪も。
彼女は自分の髪の色が変だと言っていたけれど、僕はとても綺麗だと思う。彼女の髪を指に巻き付けて、彼女とたわいのない話をしているだけでも、僕にとっては至福の時間だった。
魔女は彼女の髪を片側に寄せて、時間をかけて何度も何度も布で拭き、綺麗に梳かしてくれた。
やがて魔女が大きくて白い布を持ってきて床に広げた。彼女の身体を布の上に寝かせろと言うので、彼女を抱き上げ、そっと寝かせた。彼女の身体からは傷が消えていた。手足も元の形にもどっていた。
けれど、彼女の身体は冷たくて、どうしてか、とてもかたかった。
魔女は彼女の身体を布で巻いた。
そして僕に「あなたの望む場所へお行きなさい」と言った。
僕は冷たくてかたくなった彼女の身体を抱いて魔女の家を出た。
冷えた空気の中顔を上げると、朝焼けが広がっていた。
薔薇色と朱色を混ぜ合わせたような空。僕の大好きな……。
───── ああ、そうか。もう君はいないんだ。
探さないと……。僕のせいで、たった一人で先に逝かせてしまった僕の最愛を。本当はとても怖がりで、けれど意地っ張りで、寂しがり屋な君を。
たとえどんな世界線にいたとしても、僕は必ず君を見つけるから。君がどんな姿をしていても、必ずぼくは君を抱きしめて、君にキスを贈る。
ねぇ、だから……。
──── その時は、もう一度僕に微笑んで…。
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