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第三章
1.アリスの秘密と張り巡らされた蜘蛛の糸
しおりを挟む風が庭園を吹き抜けていく。様々な朱に染まった木の葉がゆっくりと二人の周りを舞う。アリシティアの肩に顔を埋めたルイスの重みと温もりを感じて、アリシティアは小さくつぶやいた。
「………ねぇ、馬鹿なの?」
「そうかも…」
「私が『はい』って言うと思う?」
「思わない。だって君は、僕には素直じゃないから」
「何それ。あなただって、私には意地悪だし口が悪いし、説教ばっかりだし…」
「うん。だけどずっと僕には君だけなんだ。僕には君のいない世界なんて、なんの価値もない。それに君をエリアスに渡したくない。もちろんあのムカつく魔女、ウィルキウス・ルフスにも」
「エリアスは…」
「わかっている。レティシア様を想っているんだろう? でもそれを聞いた今も、僕にはエリアスとアリシティアの方が深い繋がりをもっているように思えるんだ。君とあの魔女とは違う何かを…」
ルイスの言葉に、アリシティアの肩が小さく揺れた。
ルイスの事情や、彼がアリシティアを思い続けた過去を見せつけられ、彼女の心は歓喜した。それでも、アリシティアにはそれを素直に受け入れる事は出来ない。アリシティアにとっては、ルイスから拒絶され続けた六年の長さは変わらない。
なによりも、アリシティアの壊れた心の欠片の中には、18歳での死を受け入れ、ルイスを思って泣いていた幼い日のアリシティアがいる。
ルイスを受け入れるということは、ルイスとアリシティアの未来を望む事。
けれどそれは、傷ついて血を流すアリシティアの決意を、悲しみを、痛みを、裏切る行為ではないだろうか。
『アリシティア・リッテンドールの死は決まっている』
『ルイスがお姫様に恋をするのも、すべては予定調和』
何も差し出さず、何も失わず、守りたいものを守れはしない。だからアリシティアは自らの命を、未来を、『定められた運命』に差し出した。そしてルイス達が生きる未来を選んだ。
「‥‥‥すべてを望めば、すべてを失う」
あの嵐の日のように。
──── だったら……。
アリシティアは淡い微笑みを浮かべた。
アリシティアにとっては、己の運命を変えるよりも大切なことがある。
それはルイスの命を救うこと。そして王太子暗殺事件を食い止める事。その対価として、アリシティア自身は運命のまま死ぬ未来を受け入れた。ずっとそうするしかないと思っていた。それはルイスの想いを聞いた今も決して変わらない。
けれど、ルイスがアリシティアが死ねば己も死ぬというのであれば……。運命に身をゆだねるのではなく、ルイスにアリシティアの未来を差し出せばいい。
ルイスを信じることに賭けたわけではない。すべてをルイスにゆだねるだけ。ただそれは、ルイスにとってはルイスの命を対価とした賭けになるけれど……。
「アリス?」
「ねぇエル、あなたが本当に私を選ぶと言うのであれば、私とこの国の秘密を教えましょうか?」
これを話してルイスに裏切られたら、アリシティアは殺されるだろう。
それでもアリシティアの運命という切り札は、ルイスの手の中のカードの一枚になる。ただその切り札を使うということは、同時にルイスの死を意味するが……。
「秘密?」
ルイスはアリシティアの肩から、そっと顔を上げた。
彼女の次の言葉を待つように、彼はじっと夜明け色の瞳を見つめる。
「ええ。私の命だけでなく、使い方によっては王家を揺るがすこともできる秘密。もしもあなたが私ではなくお姫様を選んだ時、それはあなたの手の中で最強の切り札となる。けれどその切り札を使うということは、あなたの死を意味することになるのだけれど……。どう、聞きたい?」
現代の取り替え姫であるエヴァンジェリンを、王女の座から引きずり下ろす事ができる本物の王女。それだけではない。神殿を味方につけ、王太子の地位さえおびやかす事ができる。
それこそが、女神に祝福された夜明け色の瞳を持つ、アリシティア・リッテンドールという存在だ。
正妃はそんな存在を決して許しはしないだろう。それどころか、もしもルイスがエヴァンジェリンを選べば、彼女の為にルイス自身が、アリシティアの死を望むかもしれない。
そこまで考えて、不意にアリシティアはくすりと笑った。
ルイスにここまで言われても、アリシティアはやはり最後の最後には、彼がエヴァンジェリンを選ぶ未来を思い浮かべている。
「一体何を…」
アリシティアが自嘲するのを見て、ルイスは目を眇めた。
「怖い?」
「君の命がかかっているんだよね? それは、君以外誰が知っているの?」
「…国王陛下、王太子殿下、第二王子。あとは、王弟殿下…かしら?」
「つまり、正妃サイドが知らない王家の秘密…」
ルイスは息を呑んだ。多分今の言葉だけで予測をつけたのだろう。じっと食い入るように、アリシティアの夜明け色の瞳を見る。
「そうね」
「それは誓約魔法が必要?」
「いいえ? 全てはあなた次第。貴方が私を裏切れば私が殺されるだけ」
アリシティアはルイスから一歩身を引いた。足元でカサリと落ち葉が擦れあう音がした。朱色に染まった世界に、ひらひらと青い蝶が舞う。
「裏切らないよ」
ルイスが一歩踏み出し、アリシティアが広げた距離が再び狭まった。
ルイスがアリシティアを裏切り、アリシティアが殺されるような事になれば、きっと王弟と王太子はアリシティアが殺された理由をさぐるだろう。彼らは間違いなく真実にたどり着く。エヴァンジェリンが取り替え姫だという真実に。
そうなると、王家の血を継がないエヴァンジェリン側につき、本物の王女のアリシティアを裏切ったルイスを、彼らは間違いなく殺す。
アリシティアは自分がこれから告げる真実の先にある残酷さに、小さく身震いした。それはアリシティアが己の命運をルイスに差し出す代わりに、ルイスにアリシティアへの命の誓約を求めるようなもの。
けれど、「裏切らない」と、ルイスは即答した。
それは彼女が望んだ言葉なのに、なぜかアリシティアは戸惑った。事実を話せば、ルイスの選択肢を奪う事になる。エヴァンジェリンと幸せになる未来を。
アリシティアはあんなにも、ルイスが幸せになる事を望んでいたというのに。
けれど、アリシティアがいない世界など要らないとルイスは言った。彼の言葉は、とてつもなく甘美で、そして猛毒のようだった。
「ねぇ、あなたがお姫様を選ぶ選択肢が消えるけれど、いいの?」
「アリス。もしも僕が君を裏切るのなら、そんな僕はこの世界に存在する価値なんてない」
ルイスに見つめられて、アリシティアは何故か泣きたくなった。
やはり聞きたくないと言って欲しくなった。いや、違うかもしれない。漠然とした不安に襲われる。けれど、何に恐れているのか、自分でもわからなくなった。
「…意味がわからない」
「そうだね。僕もよくわかってないかも」
「なにそれ、本当に良いのね?」
「うん、教えてアリシティア」
アリシティアは泣きそうになりながらも、無意識に小さな笑みを零した。そして両手を伸ばしルイスに抱きつく。巣にかかった獲物を絡めとる蜘蛛のように…。
アリシティアは唇をルイスの耳元にあてて、風が吹いた瞬間小さく囁いた。
「私は陛下の娘で、アルフレードお兄様とリアスの妹」
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