余命一年の転生モブ令嬢のはずが、美貌の侯爵様の執愛に捕らわれています

つゆり 花燈

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1巻

1-1

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「さて、今宵最後の特別出品のお品となりました。伝説の人形師リーベンデイルの作品『宵闇の少女』です。その出来栄えの素晴らしさから、愛と美の女神ディーナが命を吹き込んだとも言われる伝説の人形です」

 オークショニアの朗々とした声と共に、真夜中のオークション会場の壇上が強い光で照らされる。光の中に、重厚で煌びやかな椅子に座る美しい少女の姿が浮かび上がった。

「瞳に埋め込まれたパパラチアサファイアは、誰もが一目で魅了される最高級の一品です。さあ、紳士淑女の皆様、奮ってご参加ください。一千万レプタから」

 オークショニアの声に続いて、客席から幾人もの声と札が上がった。
 波打つ青紫色を帯びた銀糸の長い髪、透けるように白い肌、高すぎない細い鼻に、見る者を誘う艶っぽい薄紅色の唇。
 肝心の瞳は繊細に織られた薄絹で覆われているが、その一枚の布の存在が、少女をより一層神秘的に見せていた。
 最高級の等身大ビスクドールのような、儚くも美しいの姿を前に、競り合う客たちの色と欲を含んだ醜悪な熱気が高まっていく。

「さあ、白磁の仮面の紳士から、八千八百万レプタが出ました。他にはいらっしゃいませんか?」

 強い光に照らされた壇上で、少女は競り上げられていく自分自身の値段に、不愉快さを感じずにはいられなかった。
 少女が内心顔をしかめた、ちょうどその時。

「一億!」

 甘いテノールが会場に響く。聞き慣れたその声に、少女は無意識のうちに安堵の吐息を零した。
 客席の最奥で、顔の上半分が隠れる銀狐の仮面をつけた青年が、扉を背に右手で札を上げている。
 会場のざわめきが、一段と大きくなった。

「ありがとうございます。銀狐の仮面の紳士が、宵闇の少女に一億レプタです。さあ、皆様……」
「一億一千万」

 シンプルな白磁の仮面を付けた中年の男が、オークショニアの言葉を遮る。
 しかし間を置くことなく、銀狐の仮面の青年は、「五億」と美しくよく通る声で告げた。

「五億レプタが出ました。皆様……」

 オークショニアの声に重ねるように、白磁の仮面の男が、苦々しげに掠れた声を絞り出す。

「ろ、六億」
「十億」

 躊躇ためらいなく高値を告げる銀狐の仮面の青年の声に、会場中がざわりと揺れる。客たちの視線が、青年と競り合う白磁の仮面の男に向けられた。
 男は手に持った札をきつく握りしめていたが、数秒後、肩を落として札を置いた。
 その姿をちらりと確認したオークショニアは、再び声を上げる。

「十億レプタが出ました。さあ、紳士淑女の皆様、他にお声はございませんか? 十億です」

 ざわめく客席をオークショニアが見渡した。

「……ございませんね。それでは銀狐の仮面の紳士が十億レプタで、『宵闇の少女』を落札となります!」

 高らかに響く落札の声と共に、オークショニアが手に持つ小木槌ガベルを「カンッ」と強く打ち鳴らした。
 オークション終了後の喧騒の中、壇上の光が落とされる。同時に客席全体が明るくなり、オークショニアから来客への礼が告げられた。
 会場内に残る熱気をかき消すかのように、銀狐の仮面の青年は落札された少女を冷ややかに見据える。
『リーベンデイル』の作品として競売にかけられた少女は、背筋に冷たいものが走るのを感じ、ふるりと小さく体を揺らした。
『リーベンデイル』は、百年以上前にまるで生きているように見える美しい人形を作った、伝説の人形師だ。現代に残る彼の作品は希少で、とてつもない高値で売買される。
 しかし、『リーベンデイル』の人形に、『愛と美の女神ディーナが命を吹き込んだ』と続くと、その言葉が指す物は違ってくる。
 誰の目から見てもとても美しい、生きた人形のような愛玩奴隷を意味するのだ。
 奴隷制度が存在しないこの国で、十年程前から愛玩用の奴隷売買の隠語として用いられる言葉だ。そして、愛玩奴隷として売られた被害者たちは『リーベンデイルの生きた人形』と呼ばれている。
 たった今リーベンデイルの生きた人形として競売にかけられた少女は、十九歳のアリヴェイル伯爵令嬢、アリシティア・リッテンドール。
 そして少女を落札した銀狐の仮面の青年は、アリシティアの最愛で最悪の婚約者、ルイス・エル・ラ=ローヴェルだった。
 彼は社交界で『神の最高傑作』と言われる美貌を持ち、先王の血を引く、二十歳の若き侯爵だ。


   ***


『僕のことはルイスでもエルでも、君が好きな方で呼んで。ねえ、僕も君のことをアリスって呼んでもいい?』

 それは、アリシティアがまだ幼かった日の出来事。
 キラキラと木漏れ日が差し込む色鮮やかな庭園で、アリシティアは息を呑む程に美しい少年と出会った。

『ええ、どうぞ。……エル?』
『ふふっ、ありがとう。アリスの瞳の色って、創世神話に出てくる女神様と同じ色だね。すごく綺麗だ』

 幼いアリシティアの頬に小さな手のひらを当てたルイスは、嬉しそうにその瞳を覗き込み、蕩けるような甘い笑みを浮かべた。
 けれど、幼い二人の愛おしい時間は長くは続かなかった。
 ルイスが十一歳、アリシティアが十歳の嵐の日。運命に定められたままに、惨劇は起こった。
 あの日をアリシティアは忘れない。

『君が父上と母上を殺した! 僕は君を許さない! もう君の顔なんて二度と見たくない! 大っ嫌いだ! 今すぐ僕の前から消えて!!』

 心を切り裂かれたように泣きながら叫ぶルイスは、傷だらけのアリシティアに告げた。


 あの日以降、二人を包む優しい世界は時を止めた。あまりにもあっけなく、全ては無惨に崩れ去った。
 そしてその後八年間、ルイスの世界から、アリシティア・リッテンドールという存在は、完全に消し去られた。


   ***


 オークション終了後、従業員がアリシティアを運ぼうとするのを遮り、ルイスはアリシティアを抱き上げた。そのまま従業員に案内された控室にアリシティアを連れていき、簡易的な寝台の上にぞんざいに転がす。
 雑に扱われたアリシティアは、眉間に皺を寄せた。
 だが、そんな彼女の表情など気にも留めず、ルイスは強引にアリシティアの目から薄絹をはぎ取った。
 薔薇色と朱色を混ぜ合わせた夜明けの空のような女神の瞳が、ルイスを見据える。

「こんばんは、愛しの婚約者殿。闇オークションは楽しかった?」

 甘い声とは裏腹に、目元に冷たい色を浮かべたルイスは、不機嫌にアリシティアを見下ろす。
 あからさまな嫌みを口にするルイスを、アリシティアは睨みつけた。

(楽しい訳ないでしょ)

 ルイスを怒らせた理由には、心当たりがある。けれど、そもそもアリシティアが闇オークションにかけられた原因は、間違いなくルイスだ。正確には、彼の想い人である王女のせいである。
 ルイスがしっかりと王女を抑えていれば、アリシティアが仮面舞踏会で誘拐されて、愛玩奴隷として競売にかけられることなどなかったというのに。

「こんばんは、侯爵閣下。体は全く自由に動かせないし、最悪の気分です。もし私が客で、競売にかけられたのが閣下なら、とても楽しめたでしょうけど。残念です」

 人形として競売にかけるために飲まされた怪しげな薬のせいで、体には力が入らず、ほとんど自由に動かせない。けれど、とりあえず声は出せる。
 自分をぞんざいに扱う最愛で最悪の婚約者を睨みつけながら、アリシティアは皮肉げに答えた。

「そう。僕も誰かさんのせいで、こんな時間まで働かされてすごく不愉快だ。ねぇ、わかってる? 僕がもう少し遅ければ、君は今頃チェーヴァ伯爵……、君を落札しようとして最後まで残っていた白磁の仮面の男だけど、彼に落札されてたんだよ? 君も知っているよね、チェーヴァ伯爵が口には出せないような嗜虐しぎゃく趣味を持っているって噂は」

 話しながら、ルイスは寝台の上のアリシティアのスカートを、勢いよくめくり上げた。
 柔らかな足と同時に、下着まで丸見えになる。

「ああ、やっぱり……」

 ルイスの視線がアリシティアの左太ももを捉える。そこには十数枚の書類がストッキングとガーターベルトで固定されていた。
 右足の太ももに巻かれた革のシースがついたベルトには、暗器である短剣が収められている。
 ルイスはアリシティアの左足から書類を抜き取り、そこに書かれた内容を確認した。
 それはアリシティアが盗み出した闇オークションの招待客名簿と、過去に落札された愛玩奴隷の売買契約書だった。

「ねぇ、君が見つけた書類はこれで全部?」

 ルイスは書類の束からアリシティアに、鋭い視線を移した。

「確認した限り、ここにあった書類はそれだけです。この闇オークションの主催は新参の組織のようで、裏社会の他の組織との繋がりや、古い記録は見つかりませんでした。……ねえ、それよりも先にスカートを下ろしていただけませんか?」

 レースの下着にガーターとストッキングまで、全て丸見えの状態だ。アリシティアは不快感と共に不満を口にする。
 そんなアリシティアを一瞥いちべつして、ルイスは再び書類に視線を戻した。

「僕は全く気にしないよ」
「気にしてください。それに、私は気にします。これでも一応恥じらいはありますので」

 文句を言うアリシティアを横目に、ルイスは寝台横の小さなテーブルに書類を置いた。

「恥じらい?」

 ルイスは目元を覆う銀狐の仮面を、乱暴に外す。
 そして、アリシティアの顔の横に片手をつき、覆いかぶさるように、その夜明け色の瞳を覗き込んだ。

「足くらいで今更?」
「淑女に対して『足くらい』って、失礼ですね」
「そもそも、恥じらいがある子は、闇オークションにわざと誘拐されて、見せ物になったりしないよ」
「わざとな訳ないでしょう」

 ルイスの言葉に咄嗟に反論するも、事情を知る者からすれば、アリシティアが自分から誘拐犯の手に落ちたことは明らかだった。
 ルイスのプラチナブロンドがさらりと揺れ、少し長めの襟足が、左側の首筋から前に零れ落ちる。緩やかなカーブを描いた前髪は、ほんの少し垂れた目元にかかっていた。
 細く高い鼻筋に、薄い唇。その顔は十二分に甘く整い、彼の天上人のごとく人間離れした美しさは、誰をも魅了する色香をまとっていた。
 寝台に乗り上げたルイスは、書類を巻きつけていたアリシティアの左足を持ち上げ……。突如その内ももに噛みついた。

「痛っ!」

 反射的に声を上げると、不機嫌な顔をしたルイスが、アリシティアにぐっと顔を寄せる。耳にかけた柔らかい癖のあるプラチナブロンドがサラリと下りてきて、アリシティアの頬をくすぐった。

「ねえ、僕の可愛いお人形さんドール。仮面舞踏会で君はわざと連れ去られ、ここで招待客名簿と過去に落札された少女たちの売買契約書を見つけた。つまり、君には自由に動ける隙があったってことだよね?」
「……それが何か?」
「にもかかわらず、書類を見つけ出した後、君は逃げなかった。その上、体の自由を奪う薬を大人しく飲み、自らの意志で競売にかけられた。いくら君でも、競売に使われている薬を飲めば動けなくなると、わかっていたよね。ねぇ、ドール。なぜ君はこんな危険なことをしたの?」

 ルイスは全てを見透かすような怜悧な瞳で、腕の中のアリシティアを見下ろす。
 ルイスが口にした『ドール』という呼び名は、アリシティアの名字であるリッテンドールからとった、ただの愛称ではない。
 王家の影――王族に仕え、諜報や暗殺など、表に出せない仕事を担う者――たちの組織、『影の騎士団』を統べる王弟から、伯爵令嬢としての表の顔と影としての裏の顔、二つの顔を持つアリシティアにつけられた偽名だ。
 そして、王弟の後継者として育てられ、将来影の騎士団の長となるルイスは、影としてのアリシティアをドールと呼ぶ。

「心外です。私が自らの意志で巻き込まれた訳ではありません。不可抗力です」
「へぇ?」

 アリシティアの白々しい言葉に、ルイスの唇が冷ややかにひずんだ時、にわかに部屋の外が騒がしくなった。
 幾人もの悲鳴と、激しく金属を打ち合わせる音が聞こえる。

「何?」

 アリシティアが驚きに目を見開く。

「ああ、第三騎士団が来たみたいだね」

 第三騎士団は、王都の治安維持を担当している。第三騎士団が来たということは、この闇オークション組織に、一斉捜査の手が入ったことを意味する。
 小さく舌打ちしたルイスは、体を起こしアリシティアのスカートを直した。それとほぼ同時に、乱暴に扉が開く。
 扉を開けたのは、剣を構えた年嵩としかさの騎士だった。中にいるのが王の甥であるルイスだと気づいた騎士は、急いで手に持った剣を鞘に仕舞う。

「失礼しました、ラローヴェル侯爵閣下。こちらにいらっしゃるとは思わず……」

 一歩引いて姿勢を正した騎士に、ルイスが首を横に振る。

「かまいません。それよりオークション関係者の方はどうなりましたか?」
「組織の者の捕縛は、ほぼ完了したと思われます。ただ、何人かには逃げられたようで、建物の中と周囲を第三騎士団で捜索中です」

 アリシティアの存在を無視して続けられる会話に耳を傾けながら、アリシティアは眉間に皺を寄せた。

(さっき、なんで私は噛みつかれたの?)

 アリシティアはルイスの背を睨みつけた。
 いつものことではあるが、ルイスの意味不明な行動は、アリシティアを苛立たせる。
 不機嫌なアリシティアをルイスはさりげなく自分の体で隠すと、アリシティアの足から抜き取った書類を騎士に渡し、部屋から出した。


 扉に鍵をかけて、簡易寝台まで戻ってきたルイスは、転がされたままのアリシティアの横に腰掛けた。
 アリシティアを見下ろす視線はやたらと冷たい。

「ねえ。君のその可愛い頭はただの飾り? アリヴェイル伯爵令嬢が闇オークションにかけられたなどと噂になれば、伯爵令嬢として、大きな醜聞となる。そしてそれは、君と婚約している僕と、ラローヴェル侯爵家にも影響する。いつも言ってるけど、もっと考えて行動してくれない?」

 一息に言い切って、ルイスは気怠けだるげに息を吐き出した。
 アリシティアの婚約者は、今日も今日とてそれはもう美しく、吐き出す吐息にまで色気がある。
 その圧倒的な美貌を前にすると、多くの令嬢は、ついつい張子の虎のように首を振って、言われるがまま全てを受け入れたくなるだろう。だが……

(じゃあ、自分が王女の恋人候補っていう噂はなんなのよ。あれだって、私という婚約者がいると世間に周知されていたら、十分な醜聞なのに。私の存在感が皆無なおかげで、醜聞になってないだけでしょ。私の存在感のなさに感謝しろ!)

 蠱惑的こわくてきで甘ったるい顔に過剰な色香をまとう婚約者に、アリシティアは心の中で罵詈雑言ばりぞうごんを並べる。もちろん、口に出しはしないが──


 アリシティアとルイスの婚約は、ごく一部の貴族にしか知られていない。
 ルイスは十一歳から八年間、アリシティアを完全に拒絶して、存在しないもののように扱ってきた。たとえ同じ場所にいても、言葉を交わすことも、視線が絡むこともなかった。
 そんな関係が変わったのは、アリシティアが十八歳になった日。八年間完全にアリシティアをいないものとして扱ってきたルイスが、突然アリシティアを呼び出したのだ。

『僕の可愛い婚約者殿。君が色事も扱う影になると、叔父上に約束したと聞いたのだけど、それは本当?』

 それが、八年ぶりにルイスからかけられた言葉だった。
 その日以降、ルイスとの関係は大きく変わった。理由はとても単純で、十八歳になったアリシティアに、色を使う影としての教育が始まり、その指南役に、婚約者であるルイスが選ばれたから。
 とは言え、ルイスがアリシティアと話すのは今のように周囲に誰もいない二人きりの時だけだし、ルイスの言葉はやたらと意地悪で嫌みで陰湿で、ついでに説教も多い。
 もちろん、周囲に人がいるところでは、今まで通りアリシティアはルイスの視界には入ってはいない。

(子供の頃は天使のように美しくて甘くて優しくて可愛かったのに。それがなぜ、こんなに陰険で腹黒に育ってしまったのか……)

 アリシティアは視線を薄汚れた天井に向け、嘆息した。
 言われっぱなしはしゃくなので、一応反論を試みる。

「今夜の仮面舞踏会で、誘拐犯が待ち構えている庭園に私を連れ出したのは、あなたの大切なエヴァンジェリン王女殿下の指示を受けたインサーナ子爵令嬢だということをご存じですか?」
「……知っている」
「月夜にしか咲かない花を私に見せてあげてほしいと、エヴァンジェリン殿下がインサーナ子爵令嬢にお願いし、私からは断れない状況が作り出されたのです。そして私は、インサーナ子爵令嬢に人気のない庭園の奥に連れていかれた。だけどそこには、仮面舞踏会が開かれている邸の庭園にはいる筈のない誘拐犯が待ち構えていたのです」
「……それで、君がわざと誘拐された理由は?」
「断れなかったのだから、わざとではないです」
「君なら相手が手練てだれの暗殺者や騎士でもない限り、その場で倒せただろう?」
「か弱い令嬢に、そんなことができる筈ないでしょう?」
「か弱い? 誰が?」

 ルイスはアリシティアを見下ろして、含みのある笑みを浮かべた。

「失礼ですね。何にせよ、今夜の件は全てにおいて用意周到で、あらかじめ計画された組織的な犯行のように思えました。どこかで聞いた話のように──」

 アリシティアの言葉が示しているのは、ここ最近王都で連続して起こっている、奇妙な令嬢誘拐事件のことであると気づいたのだろう。ルイスはほんの一瞬ではあるが、苦々しげに眉根を寄せた。

「……君のその口ぶりだと、一連の令嬢誘拐事件とエヴァンジェリンの間に、何らかの関わりがあると言っているように聞こえるけど?」
(はぁ? お姫様を庇うの?)

 アリシティアは、吐き出しそうになった言葉を必死に飲み込んだ。

「……私はあくまでも客観的な事実と、個人的な考えを申し上げたまでです。それより、あなたの大切なお姫様はきっと今頃、自分が親切心から夜の庭園に私を案内させたせいで私が誘拐されたと、悲劇のヒロインのごとく泣いていらっしゃるのでは?」
「それが何?」

 ルイスの声はどこか冷え冷えとして、わずかな苛立ちが感じられた。

「きっと今頃、お姫様はあなたがなぐさめに来るのを待っていると思います。急いで、会いに行ってさしあげてはいかが?」
(この最低男!)

 王女を庇うようなルイスの発言に、最後の一言はなんとか飲み込んだものの、つい嫌みを吐き出してしまった。
 わかっている。ルイスにとって、王女は特別な存在だ。
 ルイスがアリシティアを拒絶して、完全に視界から消し去った十一歳の時からずっと……
 少年のルイスが負った深い深い心の傷をそばで癒したのは、誰よりも純粋でけがれを知らない王女で、そんな王女に少年のルイスは恋をした。
 王女といる時のルイスは、いつも蕩けるような甘い微笑みを浮かべ、彼女を見守っている。
 寄り添う二人に、アリシティアは声をかけることも、自分から近寄ることもできない。
 長い間、ルイスの視界にアリシティアは存在しなかった。今でもおおやけには視線を向けられることすらない。
 ルイスがアリシティアを八年ぶりに呼び出したあの日以降も、ルイスのそばに王女がいる限り、ルイスとアリシティアの視線が交わることはない。
 王の甥であり若き侯爵であるルイスは、王女とのその親密さから、彼女の恋人候補の一人と噂されている。社交界ではその美しく純粋な恋物語が、ここ数年注目を浴びていた。

(婚約者がいるのに、何が純粋よ)

 そう毒づいても、アリシティアは、いまやすっかり社交界から忘れられた存在だ。十九歳の今なお社交界デビューを引き延ばしているし、十歳以降お茶会にも出ていない。
 社交嫌いで仕事一辺倒の父を持ち、数多くの伯爵家の中で序列にすると中の中くらいの立ち位置の家の、世間的にはひきこもりの娘。
 モブと言うに相応ふさわしい、目立たない中途半端な立ち位置だ。ルイスとの婚約の書類を貴族院に提出したのも十年近く前で、誰も覚えていないのだろう。
 それにひきかえ、見る者を魅了する絶世の美貌を誇る若き侯爵と、純粋で可憐な王女殿下。二人の恋愛事情に、社交界の注目が集まるのは必然なのかもしれない。
 ――八歳の時に思い出した、前世で読んだ小説のように。


   ***


 アリシティアには前世の記憶がある。前世の彼女は日本人で、この世界は前世で読んだ小説の中の世界に、似通っていた。
 とは言っても、現実と小説の内容には決定的な違いがあるため、全く同じ世界とは断言できないのだが……
 何にせよその小説は、とにかく面白く、とても人気があった。だが、登場人物たちの悲惨な過去に絡んで、所々に陰鬱いんうつで救いのないシーンがあったり、お話の中盤で早々に主要キャラが死んだりと、とにかくファン泣かせの作品だった。
 ちなみに、中盤で死ぬ主要キャラとは、まさに今、誰をも魅了する美しすぎる顔で、不機嫌にアリシティアを見下ろしている男だ。
 アリシティアはと言うと、本編終了後の番外編に名前のみ登場するが、その時にはすでに死んでいるモブ中のモブであり、全くもって重要ではないため、ここでは省略する。
 アリシティアは小説の内容を思い出して、ため息を吐きたくなった。

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