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慟哭
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一方、そんなことは知る由もない鐘崎組では、留守番の組員たちが平和な午後を過ごしていた。
事務所には常に三人ほどの組員が常駐している。むろん各々の仕事によって出入りはあるので、いつも決まった面子というわけではないが、日によって今日は事務所待機係とか外回り係とかに分けられてはいるものの、必ず三人以上はいつ何時何があっても動けるように詰めながら留守番を兼ねているのである。
と、そこへ表門に常設されている門番の警備室から外回りに出ていた組員が二人帰って来たとの連絡が入る。少しすると組員の春日野菫が舎弟の徳永竜胆を伴って帰って来た。
「ただいま戻りました!」
徳永がビシっと敬礼と共に元気のいい挨拶をしてよこす。彼は現在、組員の中では一番の若手なので、礼儀の点でも非常に丁寧な態度なのだ。そのすぐ後ろから春日野も顔を見せた。
「どうも、お疲れーっス!」
留守番の連中が明るい声で出迎える。春日野は組に入ってからの年数だけでいえばまだ浅いものの、前にいた道内組では幹部だったほどの男で、しかも実家は代々任侠の組を構えている名門の出だ。性質も実力も誰もが認める文句なしの精鋭といった彼は、組員たちからも一目置かれているのだった。
「お疲れです。いやぁ、外は暑い暑い! もうすっかり夏日だな」
化粧室の洗面台へと向かって手を洗いながら春日野が笑顔を見せている。すると、留守番組の一人が不思議そうに首を傾げてよこした。
「あれえ、春日野さん? ずいぶん早かったスね。今さっき出てったばっかりなのに……もう用事済んだんスか?」
「え――?」
どういう意味だと春日野の方が不思議顔でいる。
「姐さんと一緒に自治会館じゃなかったんスか?」
春日野といえば普段は姐さん――つまり紫月の側付きだ。自治会などに出掛ける際にも必ずついて行くのが通常である。
「……今日は自治会の用事はなかったはずだが――」
「……そうなんスか? けど、ついさっき姐さんに電話が架かってきて、夏祭りのことがどうとかで出掛けて行かれたスけど……」
それを聞いて春日野は驚いた。
「いや、今日は姐さんも外出の予定はないとのことだったんで、今朝から源次郎兄さんの使いでこいつを連れて依頼料の受け取りに行っていたんだ。姐さんがお出掛けになることは聞いていないが――」
「……はあ、そうスか。だったら姐さんお一人で行かれたのかな」
春日野の姿が見当たらなかったので、自治会館なら近場だしと思い一人で行ったのかも知れない。
「じゃあちょっと行ってくる」
帰って来たばかりではあるが、春日野はすぐに自治会館へと向かった。
ところが――だ。ものの十分もしない内に蒼い顔でとんぼ帰りして来たのに、誰もが驚かされることとなった。
「自治会館に行ってみたが、姐さんはいらしていないそうだ」
「……どういうことスか?」
「ちょうど防犯の川久保さんたちがパトロールに出掛けるところだったんだが、今日はそれ以外誰も会館を使っていないとのことだった」
「ちょっ……待ってくださいよ。それじゃ姐さんは何処へ行っちまったってんです?」
紫月が組員に嘘をついて出掛けるなど、これまでにはなかったことだ。仮に私用だとしても、調べればすぐにバレるような見え見えの嘘をつく理由が分からない。
「……何かあったのかも知れない」
春日野の厳しい表情に平和な午後が一瞬で暗転した。
事務所には常に三人ほどの組員が常駐している。むろん各々の仕事によって出入りはあるので、いつも決まった面子というわけではないが、日によって今日は事務所待機係とか外回り係とかに分けられてはいるものの、必ず三人以上はいつ何時何があっても動けるように詰めながら留守番を兼ねているのである。
と、そこへ表門に常設されている門番の警備室から外回りに出ていた組員が二人帰って来たとの連絡が入る。少しすると組員の春日野菫が舎弟の徳永竜胆を伴って帰って来た。
「ただいま戻りました!」
徳永がビシっと敬礼と共に元気のいい挨拶をしてよこす。彼は現在、組員の中では一番の若手なので、礼儀の点でも非常に丁寧な態度なのだ。そのすぐ後ろから春日野も顔を見せた。
「どうも、お疲れーっス!」
留守番の連中が明るい声で出迎える。春日野は組に入ってからの年数だけでいえばまだ浅いものの、前にいた道内組では幹部だったほどの男で、しかも実家は代々任侠の組を構えている名門の出だ。性質も実力も誰もが認める文句なしの精鋭といった彼は、組員たちからも一目置かれているのだった。
「お疲れです。いやぁ、外は暑い暑い! もうすっかり夏日だな」
化粧室の洗面台へと向かって手を洗いながら春日野が笑顔を見せている。すると、留守番組の一人が不思議そうに首を傾げてよこした。
「あれえ、春日野さん? ずいぶん早かったスね。今さっき出てったばっかりなのに……もう用事済んだんスか?」
「え――?」
どういう意味だと春日野の方が不思議顔でいる。
「姐さんと一緒に自治会館じゃなかったんスか?」
春日野といえば普段は姐さん――つまり紫月の側付きだ。自治会などに出掛ける際にも必ずついて行くのが通常である。
「……今日は自治会の用事はなかったはずだが――」
「……そうなんスか? けど、ついさっき姐さんに電話が架かってきて、夏祭りのことがどうとかで出掛けて行かれたスけど……」
それを聞いて春日野は驚いた。
「いや、今日は姐さんも外出の予定はないとのことだったんで、今朝から源次郎兄さんの使いでこいつを連れて依頼料の受け取りに行っていたんだ。姐さんがお出掛けになることは聞いていないが――」
「……はあ、そうスか。だったら姐さんお一人で行かれたのかな」
春日野の姿が見当たらなかったので、自治会館なら近場だしと思い一人で行ったのかも知れない。
「じゃあちょっと行ってくる」
帰って来たばかりではあるが、春日野はすぐに自治会館へと向かった。
ところが――だ。ものの十分もしない内に蒼い顔でとんぼ帰りして来たのに、誰もが驚かされることとなった。
「自治会館に行ってみたが、姐さんはいらしていないそうだ」
「……どういうことスか?」
「ちょうど防犯の川久保さんたちがパトロールに出掛けるところだったんだが、今日はそれ以外誰も会館を使っていないとのことだった」
「ちょっ……待ってくださいよ。それじゃ姐さんは何処へ行っちまったってんです?」
紫月が組員に嘘をついて出掛けるなど、これまでにはなかったことだ。仮に私用だとしても、調べればすぐにバレるような見え見えの嘘をつく理由が分からない。
「……何かあったのかも知れない」
春日野の厳しい表情に平和な午後が一瞬で暗転した。
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