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陰謀
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「話は分かった。だが、生憎周焔様は打ち合わせに出掛けていらして不在だ。改めてお目に掛かる機会を設けさせていただきたい」
女はここから少し離れた下町に安ホテルを取って滞在しているという。息子はそこに待たせているそうだ。できれば一刻も早く周に目通り願いたいという彼女だったが、察するに金銭的な事情でそう長くホテル住まいをする余裕がないのだろう。意を理解した李は、早速今夜にでも都合をつけようと言ってひとまずは女をホテルに帰したのだった。
(――とはいえ、困ったことになった。焔老板には何とご説明申し上げれば良いか……)
周は現在、もう一人の側近である劉と共に取引先での打ち合わせに出ていて帰るのは夕方だ。今は午後の二時を回ったばかり――冰はペントハウスの社長室で資料整理の仕事をしているが、さすがにこんなことを打ち明けるわけにもいかない。李はひとまず医療室に向かい、医師の鄧浩に相談してみることに決めた。
鄧浩とは香港時代からの長い付き合いの上、彼もまた十五年前の鉱山視察の際に同行していた。当時の事情はよく知っているので話しやすいわけだ。
そうして鄧に打ち明けたところ、酷く驚いたのは言うまでもない。
「鄧、お前さんはあの時の娘の名を覚えているか? 確かスーリャンだかスーリーだったか……私も今ひとつうろ覚えなのだが――」
「名前――ですか。私は記憶にありませんね。というよりも、あなたほどの人が彼女の名を訊くことすらしなかったのですか?」
今しがたロビーで会ってきたばかりなのでしょう――と、眉根を寄せる。何事につけても神経質と言えるほど完璧な李にしてはずさんだと、鄧は驚き顔なのだ。
「仕方あるまい……それだけ衝撃だったのだ」
「まあ……確かに。いきなりそんな途方もないことを聞かされれば動揺するなという方が無理でしょうね……。それにしても焔老板の子供を生んだなどと――私にはタチの悪い冗談としか思えませんね」
どう考えても有り得ない、もしくはその女が何か企んでいるのではと鄧も渋顔だ。
「第一、そんな話はこれまで老板からも聞いたことがありませんよね。仮にその女性の言うことが事実だというなら、当時老板はその女性との間にお気持ちを通わせ合ったということになります」
ところが周は傷が癒えてその村を立ち去る際に名残惜しいような様子はしていなかったし、香港へ帰還してからも特にはその女について気に掛ける様子もなかったと記憶している。
「もしも焔老板が本当にその女性とどうこうあったというなら、あの後すぐにでも香港へ呼び寄せているはず。やはりガセとしか思えませんね」
鄧はハナから女の陰謀ではないかと思っているようだ。李とてまた然りである。
「私もそう思う。老板のご気性から考えれば、仮にその女性との間に子供ができるほどにお気持ちを通わせ合ったというなら、すぐにも一緒に暮らそうとお考えになったはずだ。それに、当時老板が彼女にお気持ちを傾けていらしたという素振りも見受けられなかった」
周のことだ。本当に気に掛けていれば何らかの行動を起こしただろう。現に冰に対しては長い間生活費の面倒を見たり、幼い彼が一人になってしまうようなことがあったなら自分が引き取ろうとしていたくらいだ。そんな彼が愛した相手を延々放っておくわけもないと思うのだ。
女はここから少し離れた下町に安ホテルを取って滞在しているという。息子はそこに待たせているそうだ。できれば一刻も早く周に目通り願いたいという彼女だったが、察するに金銭的な事情でそう長くホテル住まいをする余裕がないのだろう。意を理解した李は、早速今夜にでも都合をつけようと言ってひとまずは女をホテルに帰したのだった。
(――とはいえ、困ったことになった。焔老板には何とご説明申し上げれば良いか……)
周は現在、もう一人の側近である劉と共に取引先での打ち合わせに出ていて帰るのは夕方だ。今は午後の二時を回ったばかり――冰はペントハウスの社長室で資料整理の仕事をしているが、さすがにこんなことを打ち明けるわけにもいかない。李はひとまず医療室に向かい、医師の鄧浩に相談してみることに決めた。
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そうして鄧に打ち明けたところ、酷く驚いたのは言うまでもない。
「鄧、お前さんはあの時の娘の名を覚えているか? 確かスーリャンだかスーリーだったか……私も今ひとつうろ覚えなのだが――」
「名前――ですか。私は記憶にありませんね。というよりも、あなたほどの人が彼女の名を訊くことすらしなかったのですか?」
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「仕方あるまい……それだけ衝撃だったのだ」
「まあ……確かに。いきなりそんな途方もないことを聞かされれば動揺するなという方が無理でしょうね……。それにしても焔老板の子供を生んだなどと――私にはタチの悪い冗談としか思えませんね」
どう考えても有り得ない、もしくはその女が何か企んでいるのではと鄧も渋顔だ。
「第一、そんな話はこれまで老板からも聞いたことがありませんよね。仮にその女性の言うことが事実だというなら、当時老板はその女性との間にお気持ちを通わせ合ったということになります」
ところが周は傷が癒えてその村を立ち去る際に名残惜しいような様子はしていなかったし、香港へ帰還してからも特にはその女について気に掛ける様子もなかったと記憶している。
「もしも焔老板が本当にその女性とどうこうあったというなら、あの後すぐにでも香港へ呼び寄せているはず。やはりガセとしか思えませんね」
鄧はハナから女の陰謀ではないかと思っているようだ。李とてまた然りである。
「私もそう思う。老板のご気性から考えれば、仮にその女性との間に子供ができるほどにお気持ちを通わせ合ったというなら、すぐにも一緒に暮らそうとお考えになったはずだ。それに、当時老板が彼女にお気持ちを傾けていらしたという素振りも見受けられなかった」
周のことだ。本当に気に掛けていれば何らかの行動を起こしただろう。現に冰に対しては長い間生活費の面倒を見たり、幼い彼が一人になってしまうようなことがあったなら自分が引き取ろうとしていたくらいだ。そんな彼が愛した相手を延々放っておくわけもないと思うのだ。
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