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10章 ー 経緯 ー

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「この女の子が、被検体βベータかね」



薄暗い石造りの研究所内部。
ちょうどハルが初めての座学を受けていた時刻。

ラボ・ブラックポンドの所長、ドクターレイクマンは、本日二人目の実験体を見て言った。

「はい、彼女の名前はイベリス・マクエル。サミエルシティ出身の血統魔術師です」
助手のラミィが答える。

「ほっほーう、サミエルシティにもまだ血統魔術師が残っていたんだな、闇魔導士の家系か?」

「霊力保持者です」

ドクターレイクマンは身振り手振りを極端に大きく反応して驚いた。

「ひょううううっ!! 霊力保持者ですか!? なぜ先にこの子を出さなかった?」

「いえ、被検体としての性能では、αアルファ少年の方が、見込みが高いと判断したからです」

レイクマンは机を叩きながら声を荒げた。

「素人が! これだから民間のエリートというのは信用できない! 闇魔法は一般階級で研究されつくしている。君たちは研究されつくされた安全な道が好きなのか? そうだろうね。その方が君たち自身も安全だ。安全な道を歩きつくして、ここブラックポンドへ辿り着いたのだとしたら、それはそれで大したものだよ。ただし、君らはまず、最先端の魔術研究というものの意味を勉強し直すところから始め給え! 研究はテストとは全く別物なのだよ!! 」

ラミィが恐る恐る答える。

「は、はい、存じております。ですが、やはり、できることなら、想定の範囲で研究を進めた方が、ドクターの負担にもならないのではないかと」

「ワタシの負担? ワタシに確認せずにか? なるほど、ワタシがワタシの負担を考えるなら、ワタシはブラックポンドにはいない。キミたちが勝手な想像で負担と考えているに過ぎない。キミは負担のない人生が好きか?」

「え、ええ、できることなら」

「なるほど、キミは研究者という存在に対し夢を追い過ぎたね。構わない。後でフォースインゴットの素晴らしい研究チームを紹介してあげよう。彼らはワタシの出した研究結果を分析するだけのつまらん集団だが、君のような優秀な人材にはお似合いだろう。給与も高い。希望通りだ。その子を置いて、下がり給え」

ラミィは暗い表情で部屋を出ていった。

イベリスに対し、レイクマンが尋ねる。

「サミエルシティ出身だって? 名前を忘れた。なんだったっけ?」

「い、イベリス」

「そーうだ、イベリスくん。キミが今回の被検体だ。睡眠はしっかり取れているね」

イベリスは頷く。

「そーか、よし、霊力保持者だそうだが、キミは今、人以外に何が見えている? 見えているものを教えてくれるかな?」

イベリスはレイクマンをじっと見つめる。

「すまない、イベリスくん、ちょっと難しかったかな。キミは昔、遊んだ友達のことを覚えているかい」

イベリスは頷く。

「その時、キミにしか見えない友達はいなかったかい?」

「みんな」

「みんな? どういう意味かな?」

「私の友達のことが見える人は誰もいなかったわ」

レイクマンは笑みを浮かべてこぶしを握り締めた。

「では、この部屋にその友達はいるかい?」

「いないわ」

「ほかの友達はいないかい?」

「うん、今は誰もいない」

「そうか、それは残念だ。ワタシもキミの友達と遊びたかったんだけどね」

「そうなの?」

「あぁそうさ。ワタシは、君の友達に非常に興味があってね。今度会ったら、紹介してくれ給え」

「うん、いいわ」

「約束だ。では、そこのベッドの上で横になってくれるかな?」

「なぜ?」

「きみの健康状態を確認するためさ。キミが健康なら、キミはまた友達に会うことができる」

イベリスは少し喜んだ。
「ほんとうに?」

「本当だとも。この薬を飲んでもらおう。キミが友達に会うための薬だ。なーに、飲みやすいさ、キャンディの味にしてある」

レイクマンは、コップの水に薬を混ぜ、イベリスに渡す。受け取るイベリス。

「飲んでいいの?」

「いいとも、眠くなるが、問題はない。キミは夢の中で、友達と再会できるんだ。目が覚めた時、キミは大いなる力を手にしていることだろう」

イベリスは薬を飲む。そのまま眠りに落ちるのをレイクマンが支えた。

レイクマンはドアに向かって研究員を呼んだ。

研究員が3人、大きな木箱をもって現れる。

「さて、被検体の準備は整った。リトルシャドウの状態はどうだ?」

研究員の一人、ビルが、箱を開けて答える。

「魔術で眠っていますが、リトルシャドウは、さっきの少年を取り込んだままです。大丈夫なんですか?」

「成功すれば、抽出も可能だろう。シャドウは、人を食べる魔物ではないんだ。眠ってさえいればそれ以上吸収することは不可能だろう。被検体は、死ぬ前に取り出せばいい」

「魔法陣の準備は完了しております。設置しますか?」

「ああ、被検体βを、中心に移動させ給え」

ビルたちは、ベッドからイベリスを抱えると、床に描かれた魔法陣の中央へ寝かせる。

工程はこうだ。

まず、イベリスを中央に寝かせ、リトルシャドウを足元へ。

補足しておくと、リトルシャドウというのは、輪郭こそヒトの形態をしているが、全身が黒いオーラに覆われているためあまり細部までは見えない。主体の核が煙のように実体を持たないため、変幻自在だった。ただ、移動が速いという訳ではなく、捕らえること自体はそこまで難しい魔物ではない。
数いるリトルシャドウから実験体として選ばれたのは、数少ない固有スキルの持ち主だったからだ。

リトルシャドウからユニークスキルを抽出し、イベリスへ転移させる。


リトルシャドウの持つスキルは、『マリオネット』


人を操るスキルである。

これがドクターレイクマンの狙いだった。
一度人へスキルが渡れば、そのスキルを受け継ぐことができる。
もし、研究で他の対象へ移せなかったとしても、遺伝で受け継がせることが可能だ。
『マリオネット』を扱うことができれば、これ以上の生物兵器はないと判断した。

レイクマンは、この『マリオネット』を使い、世界中を席巻せっけんしようと考えていた。

「これが上手くいけば、ワタシは王になれる」

誰にも気づかれないくらいの声で呟くレイクマン。

「よし、始め給え」

「はい」


ビルたちは、魔法陣の北側、東西側に別れ、それぞれ右手を陣の端へ付け、目を閉じ集中する。
魔法陣の南側にはレイクマン本人が術を掛けていた。

「エクストラクション。その魂を受け入れ給え」

魔法陣が赤紫色に光りだし、周囲から白いスモークが取り囲む。

ここまでは上手くいっていた。

だが、リトルシャドウの様子がおかしい。

暴れている。

しかし、術自体は、実験体を苦しませるような特性はなかった。

だが、レイクマンはその原因がすぐに分かった。

彼女、そう、イベリスを守るために、『霊体の何者か』が、リトルシャドウを押し付けていたのだ。

霊力保持者には稀に、守護霊が憑いている。

おそらく、イベリスの守護霊が、リトルシャドウとの融合を阻止しようとしたのだ。

「なるほど、キミの『友達・・』か!!」

リトルシャドウが呻き声をあげながら、眠りから覚めた。

『霊体の何か』と、リトルシャドウが激闘を繰り広げる。

「マジックプロテクト!」

レイクマンは術で守りながら入口近くまで退避する。

「ビル! 実験中止だ。下がれ、死ぬぞ!」

ビルたちも術で身を守りながら、すでに風圧で吹き飛んだドアのない出入口から逃げた。

「ドクターは、どうするんですか?」
ビルは去り際に声を掛ける。

「ブラックポンドには無害な実験体も複数いる。可能な限り解放してから後を追うつもりだ」

「ご武運を!」
ビルは敬礼して去った。



「私の夢も、ここまでか」



レイクマンはブラックポンドの実験体がいる部屋へ向かった。







◇ ◇ ◇







イベリスが目覚めた時、部屋の天井や壁が半壊していて、だれもいなかった。

まだ日中だったために、昼の光がラボに降り注いでいる。

眩しいが、悪い気分ではなかった。

床に座ったままで、周辺を見渡してみる。

足元に割れた木箱が転がっていたが、他には何もなかった。



「これは、外に出ても良いってことかな?」


一人呟くと、イベリスは立ち上がり、外へ出た。

イベリスは裸足だったが、全く気にはしていなかった。

外に出ることが、新鮮だったのだ。

ラボへ連れられてきてから、外へ出たのは初めてだった。

時間にして、5年ぶりくらいだった。

イベリスは、自分がどのくらいラボに幽閉されていたのかは知る由もない。

だが、久しぶりの散歩は解放感に満ちていた。


ラボの外に果樹園があった。

赤い木の実をもぎり、食べてみる。シャクっ、という小気味の良い音がした。

「おいしい」

イベリスは嬉しかったが、自分がどうして外に出られたのか分からないので不安もあった。

実験室にいた人はどこへ行ったのだろう。

ラミィは?

ドクターは?

他の研究員は?

わからないが、とにかく歩くしかないと思った。

自分がラボにいた時の生活は本当に無機質なものだった。

体操、計算、よくわからない、なぞなぞのようなテスト。

食べる物も種類は少なかった。

毎朝毎晩の決められたルーティーンを繰り返し、体調を報告する。

慣れというのは恐ろしいもので、いつの間にかその生活が当たり前になってしまっていた。

そこから逃げることすら恐ろしいと思うほどに。

自分の感情が消えていくのを感じた。

いつから寂しいと感じなくなっただろう。

だが、こうして外に出た瞬間に、色んな感情が戻ってくるような気がした。


今までロックしていた、宝箱の鍵が、ついに開いたのかもしれない。


しばらく歩いていると、身体に違和感を感じた。


お腹の辺りに異変があった。

咳をすると、黒っぽい煙がふわっと現れた。

明らかに何かにとり憑かれているような感じだった。

何があったかは分からない。ドクターが言っていた、大いなる力についても気になった。

身体の中に、誰かがいるような、そういう感覚だった。



「誰なの? あなたは」




『私に問いかけているのか?』



返事があった。

「そう! あなたよ、私の身体に入って、何をしたいの?」


『欲しい』



「なにを?」



『身体が』



「からだ? あなたは身体がないの?」



『欲しい』



「悪いけど、私の身体はあげられないわ。出て行ってくれない?」



『黙れ』



「そんなこと言われても黙ってられないわ。あなたにはあげられない」



『なぜ憑依できない、おまえは、何者だ』



「あなたが何者なのよ、出て行って、私の身体から」



『マリオネット』



急に、イベリスの意識が遠くなる。自分の身体が、自分のモノではなくなったような感覚だ。

術にかかったということは分かったが、完全に意識を失ったわけではなかった。

自分の身体が乗っ取られたという感覚だ。

出して! ここから出してよ!

術を掛けた謎の存在に声を掛けるが、届かない。

どうにか術を解くことはできないかと考えたが、どうにもできなかった。

自分の身体が勝手に歩いていく。


薄っすら映る視界には、浜辺が映った。

森を抜けたそこには、海があった。

壮大な海。ここから別の大陸にいけるのだろうかと思うと、少し胸が躍った。

だが、今は乗っ取られている。どうにもできない。

目の前に、大型帆船が見える。

イベリスは、こんな大きな船は初めて見る。

船に向かって手を振る私。
身体を動かしているのはイベリスではないが、その状態は理解できた。

船から降りてくる、中年ほどの船員らしき男。

すごく笑顔だ。船に乗せてくれるようなことを言っている。
よく聞こえない。意識が遠のいていく。

急に体からさっきの黒い煙が這い出したような気がした。

その衝撃がすさまじく、身体が爆発でもするのかと思った。

そのままイベリスは意識を失った。





◇ ◇ ◇




再び浜辺で目が覚めるイベリス。

さっきの人はいない。

船もなかった。


ゆっくり立ち上がって見渡すと、浜辺と森だけだ。大きな木が一本倒れている。

何かぶつかって倒れたような感じだった。


身体の中にいた存在が、いなくなっているのを感じた。

解放されたようだ。

ただ、どこへ行っていいかはわからない。

とにかく、ラボとは別の方向へ向かおうと思った。

人がいるところへ。

砂浜と海はとても綺麗だった。

これが、今まで見たかった世界なのかとイベリスは感じた。

嬉しいが、自分がこれからどうすればいいか全く分からないことが不安だった。

人がいるところへ行きたいが、ラボの人間と会いたくはない。

何か身を隠すことができる魔法でも使えればと思ったのだが。

ふと自分の両手を見ると、何やら青紫っぽいオーラが見えた。

「コレは、なんだろう」

腕にかざすと、自分の腕が透明になった。

すぐに察しがついた。魔術だ!

ドクターレイクマンは、大いなる力と呼んでいた。

実験がどうなったのかは分からないが、自分に何か新しい力が宿っていることは体感的に理解できた。

霊力保持者。

レイクマンの言葉を思い出す。

自分が、霊力を扱うことができるというのなら、何か特別なことができるのではないかと思った。

とりあえず、自分の姿を透明にして、人のいる場所を探すことにした。

できることなら、大人ではなく、自分と同じくらいの子どもと出会いたかった。

なんでも話し合える、友達がいれば。



イベリスは、そんな願いは叶わないと思いつつも、わずかな希望を持って新たな一歩を踏み出すのだった。





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