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第一章
第八話
しおりを挟む翌日。昨日は一人でいたから面倒事に絡まれたというのに、今日も今日とてヴィルヘルムは一人で村を歩いていた。
とはいえ、流石のヴィルヘルムと言えども学習能力はある。今回ばかりは彼がそれを望んだわけでは無いのだ。
『雑事でヴィルヘルム様の手を煩わせる訳には行きません。勇者共の情報収集については、私が全て行わせて頂きます。どうかヴィルヘルム様においては、奴らの首を直々に刈って頂ければと』
今朝の斬鬼の発言である。彼女の病的なまでの忠誠心は強く伝わってくるが、ヴィルヘルムにとっては全てが有難迷惑である。
まず勇者達の首を刈るなどと物騒な事を言っているが、そもそも彼は人殺しなどしたくは無い。勿論向かって来ればそれ相応の対応はするが、だからといって積極的に殺そうとした事は一度も無いのだ。
というか勘違いされて久しいが、彼自身そもそも人間である。同族殺しに抵抗が無いわけがない。
しかし、だからといって彼女に着いていった所でやることが無いのも事実。初対面の相手と話す事が出来ない、というかコミュニケーション能力が皆無のヴィルヘルムにとって、見知らぬ人から情報を引き出すという作業は向いていない事この上ない事だった。
結局斬鬼の言葉に従うほか無かったヴィルヘルムは、昨日と同様に村をぶらつく他無かったのである。女に養われるヒモニートと実態は何ら変わらない。
(今日は何をするべきか……)
金はあるが、肝心のやりたい事がないという贅沢な悩みを抱えながら村を歩くヴィルヘルム。昼間から暇を潰せる場所というのは中々存在しない。
強いて言えば酒場はあるが、彼は一人で酒を飲んで楽しめるほど酒を好んではいない。故に、何がしかを求めて彷徨うのは自然な事だった。
「あれ、アンタは……」
そんな最中、彼が出会ったのは先日の女性であった。
先日同様、串焼きの屋台の前にたどり着いたヴィルヘルムは、そこで串焼きを頬張る女性の姿を見つけた。彼女もヴィルヘルムの事を確認したのか、串焼きから慌てて口を離す。
「こ、これはお昼抜いちゃってちょっとお腹が減ってたから……別に大食いって訳じゃ無いんだから!」
「?」
現在は昼と呼ぶには少しばかり遅い時間。そんな時に串焼きを食べているところを見られたら、間食をしていると誤解されてしまうという女性特有の心理が働き、慌ててヴィルヘルムに弁解する女性。
だが良いか悪いか彼はその事実に全く気づいていなかった。故に、その慌てる理由が分からず小首を傾げる。
「って、私は何をこんなに焦ってんだか……昨日会ったばかりの相手なのに」
「……食わないのか」
「ってうわっ!? 喋った!!」
ヴィルヘルムとしては善意で話したつもりなのだが、まるで珍獣を目にした時の様なリアクションをされややヘコむ。
それでもその鉄面皮には一切表情が写っていなかったのだが、その無表情を不機嫌になったと判断したのか、女性は手を向け頭を下げる。
「ごめんごめん、昨日とか全然喋らなかったからさ。何か事情があるのかなーって思って。でも話せるなら全然問題無さそうね」
がさり、と音を立てて差し出される紙袋。口の先からは僅かに串が見え、中に幾本かの串焼きが入っている事が分かる。
「これお詫び。一本上げるわ」
昨日の時点で串焼きは食べ飽きているが、彼女の行為を無下にするのも忍びない。ヴィルヘルムは言われるがままに串を手に取り、一口頬張った。
「ほらここ、空いてるんだから座りなさいよ。アンタだけ突っ立たせるのも気まずいじゃない」
ベンチの側、空いたスペースをポンポンと手で叩く女性。その自然な仕草に、思わずヴィルヘルムの鼓動は高鳴る。
彼の人付き合いが恐ろしく少ないという話はしただろう。それ故に、彼は女性との交際という一大イベントを未だに経験していなかった。ヴィルヘルムにとって、女性と付き合うというのは物語の中の出来事であったのである。
だからこそ、物語の中で熟成された空想は酷く捻じ曲がる。ありえないシチュエーションにときめきを覚え、あるはずのない恋心に想いを馳せる。今時子供でも分かる様な事が分からない、例えるならまさに少女漫画を読んだ乙女だ。
もっと言ってしまえば、ただの拗らせた童貞である。これは酷い。
彼女に導かれるまま、ヴィルヘルムは椅子に座る。女性との間に少し空いたスペースは、きっと偶然ではないのだろう。
「うーん、やっぱりこの串焼きは美味しいわね。肉がいいのか、タレがいいのか……アンタはどっちだと思う?」
「……分からん」
誤解されない様補足しておくと、ヴィルヘルムはコミュニケーションが嫌いではない。ただ、上手くできないだけなのである。下手の横好きというには少し違うだろうが、似た様なものだ。
「私はタレだと思うのよねぇ。この風味が何とも……旅の途中でもこんな感じのやつが作れれば良いんだけど」
「……旅?」
「そ、旅よ旅。パーティー組んで長旅してるの。漸くこのあたりに辿り着いて、今は小休止ってとこ」
そう言った彼女の表情は、あまり愉快なものではなかった。
「でも最近、本当にこのまま旅をしてていいのかって思って……あんまり他の奴とも反りが合わなくなって来ちゃったし、これが本当に自分のやりたかった事なのかって」
手に持った串を見つめながら、彼女は静かに呟く。それはヴィルヘルムに向かってというより、誰ともなく一人ごちた様に見えた。
ハッと気付くと、慌てたように苦笑いで取り繕う女性。
「わ、私何言ってんだろ……ごめん、このことは忘れて!」
「……ああ」
変わらない無表情で返すヴィルヘルムだったが、今ばかりはこの対応が、女性にとっては有難かった。変に同情や怒りを向けられるより、何倍もいい。
その後しばしの沈黙。二人の間には咀嚼音だけが響き、どこか気まずい雰囲気が流れる。
「……続きは無いのか?」
「え?」
ふと、珍しく自身から話しかけたヴィルヘルム。呟きにも満たないような小声だったが、それはしっかりと女性の耳に届いていた。
目線は向けずに、しかし肉を口に運ぶ手は止めて。彼は鈍感であったが、それでも大して見知らぬ相手にまで現状を愚痴るというのは滅多にない事だと分かっていた。
ストレスの原因を解決することは出来ないが、それでも愚痴に付き合い解消することは出来る筈、そう考えたヴィルヘルムは、自身に見合わない事だと知りながらも話をすることにしたのである。
「……はは! ちょっと長くなっちゃうけど、しっかり付き合ってよね!」
「……ああ」
その時女性が浮かべた笑みは、紛れもなく心からの笑みだった。
そうして始まる、ただヴィルヘルムが女性の話を聞くだけの時間。しかし、それは両者にとって、久々に出来た心休まる時間であったことは間違いないだろう。
◆◇◆
「ふう~愚痴った愚痴った! 悪いわね、長い間付き合わせちゃって」
「……いや」
空が少し赤みがかった頃、ようやく女性の話は終わりを迎えた。付き合うと決めたとはいえ疲れるものは疲れるのか、ヴィルヘルムの声にも若干の疲労が見て取れた。
彼女はベンチから立ち上がると、置いてあった紙袋を指す。
「それ、残り全部食べちゃって良いわよ。長話に付き合ってくれたお礼」
もういらない、とは口に出来なかった。肝心なところで意志の弱い男である。
「あ……そういえば名前、まだお互いに聞いてなかったわよね」
背を向けた状態から首だけ振り返ると、女性は夕日と共に告げた。
「私はアンリ。アンリ・シュツルム。魔導の探究者、なんて呼ばれる小娘よ。アンタの名前は?」
「…‥ヴィルヘルム」
「おっけ、覚えた。それじゃあ、縁があったらまた会いましょう」
そういって後ろ手に手を振り、颯爽と去っていくアンリ。彼女の後姿を見送りながら、ヴィルヘルムはまた一口肉にかぶりつく。
(……よっしゃ! 初めて人とまともに話せた気がする!)
残念ながら、彼はほとんど話を聞いていただけであり、自分からした発言はほとんど無い。最後まで締まらないのがこの男の短所でもあった。
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