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第二章
第三十四話
しおりを挟む「到着だ、我が従僕供よ。ここが我らの住居である……仮の、だがな」
片目を覆いながら、くつくつと唸りとも取れない笑い声を上げるイシュタム。瞳が妖しく輝いている様には中々雰囲気が出ているが、それを白昼街中でやっているというのがなんとも締まらない。
彼女が示した家は、少なくとも以前の家と比べれば遥かに豪奢であった。一般的な平屋ではなく、珍しい二階建て。外壁や屋根に傷は無く、新品同様と言えるほど美しい。建てられてからもあまり年月が過ぎていないというのがはっきりと見てとれた。
「……って、新居に衝撃を受けて流しちゃったけど誰が従僕よ。私はあんたの姉だし、ヴィルヘルムに至っては初対面じゃない」
「我は実力ある者を好む。そこに年齢や知己の違いは無い」
「その上から目線はどっから来てるのよ……悪いわねヴィルヘルム。妹の我儘に付き合わせちゃって」
アンリの謝罪に鷹揚に手を振る事で、気にしていないという意思を伝えるヴィルヘルム。
実際の所、彼はイシュタムの態度に対して寧ろ好ましいとまで感じていた。まともに自分に応対してくれる相手が数える程しかいない現状を省みると、彼女のようにある種ブレない態度で接してくれるのは貴重な体験であったからだ。
すわ第二の友人か、と既にアンリを第一の友人としてカウントしつつも、若干浮き足立った思考をするヴィルヘルム。イシュタムは言うまでもなく変人の部類に入るが、残念さで言えば彼もまた十二分に残念であった。
「エレシュは? あの子も一緒に引っ越したの?」
「ああ、相変わらずの本の虫を貫き通している様だ。全く、我の祭儀場を日当たりが無いからという理由で書庫にするなどと……」
ブツブツと不満を呟く様子を見ると、どうにも普段からそのエレシュという少女に対して不満が溜まっている様だ。
「まあとにかく入るといい。こんな所で立ち話もなんだからな」
まさに勝手知ったるという風に振る舞うイシュタム。だが、余裕そうな表情で手にかけた門扉、その鍵を開くのに若干手間取った所を見ると、やはり慣れきってはいないようだ。
ちょっとした庭を抜け、高級感あふれる扉を開くと、そこには簡素ながらも広々としたエントランスが広がっていた。
多くの内装は木製だが、全てが艶のある黒檀で仕上がっており、一般の木材のような貧乏臭さは伺えない。良くある様な高級品のいやらしい輝きは無く、目にも優しい上品な美しさとして仕上がっている。
家具や調度品はきっちりと色合いが統一されているため、見た瞬間非常にスッキリとした印象を受ける事だろう。もしかしたら配置も計算されているのか、玄関から見た際に丁度シンメトリー(左右対称)となるのがまた良い。
そして極め付けは、壁面の燭台にフワフワと浮かぶ光り輝く球体だ。それを見た瞬間、アンリは隠す事なく驚きの声を上げた。
「嘘、あれ『光源球』じゃない!? ようやく研究が終わった位だから、まだかなりの高値の筈なんだけど!?」
「ああ、あれなら初めから付いていた。それ程までに珍しい物か?」
「当たり前じゃない……あれ一個作るのにどんだけコスト掛かってると思ってるのよ」
輝きの魔法を封じ込め、長期間輝く様に調整されたマジックアイテム。作成するには光魔法が使える人材と、さらにその魔法を封じ込める為の専用容器が必要になり、相応のコストが必要となる為、現状では金持ちの嗜好品としての意味合い以上のものを持たないとされている。
アンリもかつて研究職に就いていた際、開発の様子を覗いたことがある。完成すればかなりの収益が見込める商品として開発が進められていたが、上司から尻を叩かれているのか全員憔悴したような表情で作業に取り組んでいたのが記憶に新しい。
技術が一般化されたという話も聞かない為、そんな代物がとても裕福とは言えない自らの実家に備え付けられていたというのが、アンリにとっては衝撃的であった。
「この家に我らは一銭も払っていない。あれよあれよという間に手続きが進められ、気付けば前の家には家具一つ無くなっていた……何か手掛かりの一つでもと、たまに戻ってもそれきりだ」
口調こそ仰々しいが、そこに込められた言葉は全て本心からのものなのだろう。表情からは若干の寂しさと虚しさが見て取れる。
彼女がヴィルヘルム達と鉢合わせしたのも、丁度彼女が元実家へと顔見せに足を運んでいたタイミングとぶつかったからである。完全に偶然ではあったが、都合のいい偶然でもあった。
……イシュタムが屋根に立っていた理由? それは至極単純。本人に聞けば滔々と様々な理由を仰々しい言い方で連ねるだろうが、端的に言ってしまえば『カッコいいから』である。物語中の、夜屋根上を駆けるシーンに影響でもされたのだろう。
「じゃあこれを誰が用意したっての? こんな邸宅、ちょっとやそっとの金額じゃとても手が届かないわよ?」
「む、それはだな……」
何を答えあぐねているのか、暫しの間瞑目して顎に手を当てるイシュタム。
コツ、コツ、コツとゆっくりとした足音がホールに三度刻まれると、彼女は静かに口を開いた。
「……我が同胞に聞くといい」
「つまり分からないからエレシュに聞け、と」
ジットリとした二対の視線を向けられるが、そう何度も引き下がるイシュタムではない。今度は余裕そうな笑みを崩さず、黒髪を掻き上げて見せる。
「フッ……その程度の雑事に手間を割ける程、我は暇ではないという事だ。そういった事は全て同胞が担当している」
「嘘おっしゃい。あんな変な事してる暇あるでしょうに」
「へ、変じゃないもん! ……ンンッ、仮初とはいえ我も学び舎に通う身。ある程度勉学に励まなければ疑われてしまうだろう?」
「はいはい、つまり宿題があるって事ね。まあ、それなら良いんだけど」
変と断じられた事に思わず素が出てしまうイシュタム。やはり演技はあまり得意ではないのか、真っ白な頰にも朱色が差している。
「それで、エレシュの部屋は何処なの? 折角だからあの子にも会っておきたいんだけど」
「奴の部屋は二階の右奥だが……今は仕事に出掛けている。鍵も掛かっているから勝手に入る事も出来ないぞ。それとも待ってみるか?」
期待の眼差しを向けられるアンリ。一瞬それも良いかと考えるが、背後に立っていたヴィルヘルム、そして自身に課せられた任務について思い出し、その申し出を断る。
「あーごめん、今日はそこまで時間が無いのよ。一先ず実家の様子が見れただけで少しは満足したわ」
「む、そ、そうか……」
目に見えて若干落ち込むイシュタムだが、こればかりはアンリにどうしようもない事だ。せめてもう少し会話を続けようと、目を泳がせて話の種を探す。
と、丁度背後にいたヴィルヘルムの事を思い出した。有るではないか、丁度いい話の種が。
「そ、そうだ! まだ正式に紹介して無かったよね? こちらはヴィルヘルム。無表情であんまり喋らないけど、悪い奴じゃないから!」
それまで気配を殺して立っていた彼の事を、アンリはずずいと前に押しやる。
(ちょっ!? いきなり初対面の相手と話せって、幾ら何でもハードル高過ぎませんかアンリさん!?)
混乱する内心を他所に、彼はどうして良いか分からずその場に立ち尽くす。
いきなり知らない相手を紹介されたイシュタムは目を見開いて驚きを露わにするが、暫くするとジッと彼の顔を見つめはじめた。
「……なるほど、邪なる気配を感じていたが、それはあくまで我と同じ仮の姿だったか。我すらも欺くその実力に敬意を評して、我が神名を授けるとしよう……その名もイシュタル・ヌアザ! 前世において神を僭称し、しかし人の身に堕とされた古の存在である!」
「(……相変わらず病気の方は治ってないみたいねー)」
そして何を思ったのか、唐突に自己紹介を始めるイシュタム。誰が聞いても『何を言っているんだコイツ?』という風な内容だが、それを聞いたヴィルヘルムは、今までの相手とは全く違った反応をした。
何度も繰り返すが、彼には著しく対人関係が不足している。おまけに周囲が変人で固められている為、『まとも』な感性という物が今一つ理解出来ないでいた。
その為、彼女の自己紹介に対して「そういうものか」と至極シンプルな思考で受け止めることが出来たのだ。幸いにして(不幸にして?)彼は天魔将軍が一柱。そういったオカルトな話には事欠かないのである。
「……なるほど、な」
「!!」
理解した、という風に声を返すヴィルヘルム。本人からすれば完全に理解したつもりなのだが、それは著しく間違っている。
ここでまた彼とズレた解釈をしてしまったのが当のイシュタムだ。
彼女のこういった思春期的な言動の裏には、当然元となる物語の存在がある。最近市井で流行っている、冒険譚だ。そこに出てくる主人公のライバル的な存在に一目惚れして、こうした偉そうな言動を取っている訳だが、問題はそこに出てくるそのライバルの相棒である。
なんとその相棒、各種特徴がヴィルヘルムにそっくりなのだ。基本的には無口で無表情、謎めいた言動が多いが、その端々からライバルの事を思っている事が伺える。読者人気も高いキャラクターとして認知度も高い。
そして、自身の発言に一切物怖じしていない点。この時点で彼がとんでもない聖人か、もしくは元ネタを知っているという二択しか、イシュタムの頭の中には無かった。
「(や、やった……! 私、初めて友達が出来そう……!!)」
そう、イシュタムもまた、ヴィルヘルムと同じ悩みを共有する者だったのである。
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