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過去:花を拾う
クマ(みたいな)養蜂家 1/2
しおりを挟む人生は孤独に終わるもの、と諦めていた。
おれは親の仕事を継いで、蜜蜂の巣箱と共に各地をさまよう養蜂業を営んでいる。
自然の影響を受けるから毎年の収入は安定しないし、定住もできない。
女受けの悪い業種であることと、おれの見た目もよくないことが重なって、仕事仲間や取引先の果樹園や卸売業者との付き合いしかなかった。
子供の頃から眉や頭髪が多かったが、大人になればなっただけ、全身が毛深くなった。
剃れだの抜けだの、周りは好き勝手に言うが、毛深いところも含めておれを好きになってくれる誰かに出会いたかった。
自分の毛を手入れするより、蜂の面倒を見る方が重要だった。
夢を見すぎた、と気がついたのは早かったが、国中を転々とする生活の中で女の体も知らずに独り身のまま、三十路に突入していた。
出来と要領の良い弟が嫁を迎えて、商品加工場として使う拠点に定住してくれたから、おれ自身は国中を巣箱を持ってうろついて暮らしていても、気楽なもんだった。
そんな生活が変わったのは、突然だった。
親の代から付き合いがある卸売業者に、弟夫婦が製品化した蜂蜜や蜜蝋などを運んだ帰り道、街道の石畳の上で倒れている老爺を見つけた。
うつ伏せでぐったりとしている姿は、枯れた花のように見えた。
行き倒れだ、とすぐに気がついた。
けれど手荷物の一つも周囲には見当たらず、身包みを剥がれた後と考えるには身綺麗すぎて、怪しさしかなかった。
背を覆う縮れた白髪は毛先に向かうにつれて薄紅に染まっていき、合歓の花のように見えた。
緑の細い布を接ぎ合わせたような服は、砂埃に汚れてしわしわになっていたし、ところどころ破れていた。
助けるつもりはなかった。
普段なら、行き倒れに見せかけた追い剥ぎの可能性を考えて素通りするのに、この時は声をかけてしまった。
「おい、生きてるか?」
「……ミズ、ホしい」
しわがれた干からびたような声を聞いて、なぜかずくりと腰が疼いた。
腰でも痛めたか?、と首を傾げてから。
手持ちの水を飲ませて終わりになるはずだった。
それなのに、仰向けにすると同時に見えた顔から目をそらした。
見たら、心を囚われると思った。
再び目を向けて、もう囚われていることを思い知る。
深いしわの刻まれた老爺の顔は、見たこともないほど美しかった。
長い道程を歩んできた旅人のように砂埃にまみれ、日焼けなのか病なのか皮膚が赤むけてしまっているのに、美しかったのだ。
痩せこけた頬に長く影を落とす白いまつ毛、元は色白なのだろうと思えば血管さえ透けてみえそうなまぶた。
やつれているのに、年老いているのに、死にかけているのに、美しかった。
造作が整っていても男だと分かったが、性別を超越している。
年を経てこれなら、若い時は国を傾けるほどの美貌だったのかもしれない。
思わず息を呑んでから、おれはなにを考えているのかと自分に驚く。
老爺の服の手触りが、しおれかけた葉のようにかさかさでしんなりとしていることが、恐ろしくなった。
このままでは枯れてしまうと根拠もないのに思った。
人は枯れるのではなく死ぬと考えるのが当たり前なのに、この時は、枯れるとしか考えられなかった。
上半身を支えて水を飲ませながら、子供のように軽い体と少しでも力を入れたら折れそうな細い腰に、ひどくうろたえたのを今でも思い出せる。
水を飲ませた後で、老爺を抱えて荷車に乗せた。
この時にはすでに手遅れで、おれの心は老爺しか見えなくなっていた。
街に戻ったところで、身元不明の老爺と共に泊まれる宿を探す方が難しいだろう、と拠点に戻ることにして。
その判断が老爺……後に合歓と名付けた者の命を救ったかもしれない、なんて知ったのは、かなり後のことだった。
冬の拠点に連れ帰った老爺は、意識が混濁している様子でありながらも、不思議そうに周囲を見回していたが、再び水を飲むとこんこんと眠りについた。
数日が経ったが、老爺は起きなかった。
時折、目を覚まして水を欲しがるので、仕事の合間に老爺を寝かせている部屋を訪れながら、この年の冬は静かに過ぎていった。
水だけ欲しがって、寝て過ごしているのに死なない老爺を薄気味悪いとは思わなかった。
自分でも奇妙に思うが、老爺は植物のように冬を過ごしているのだと理解していた。
一冬の間に名無しではつらいな、と仮のつもりで〝合歓〟と呼んでいた。
拠点での寂しい一人暮らしの慰めになった。
こうして冬を寝て過ごした後に目覚めた合歓は、物言う花になっていた。
なにが起きているのか驚愕しながらも、目が離せなかった。
ある日の朝、突然、老爺が若くなっていた。
間違いなく昨夜までは老爺だったのに、朝に寝かせていた部屋を訪ねると、そこには光り輝かんばかりにまばゆい美貌の青年がいた。
合歓の花の色をした、美しい青年だった。
部屋中に、むせてしまいそうな甘い香りが満ちて、室内には枯れ落ちた葉や花弁に見えるものが散らばっていた。
木々が秋に葉を落として春に芽吹くように、老爺にそっくりな色を持った美しい青年が、人にはありえない薄黄色の瞳でおれを見た。
まるで、全てを見透かされているようだ、と思った。
触れなくても分かる、しっとりと吸い付きそうな滑らかな肌。
しみ一つ、しわ一つない顔は人の願望を叶えた人形のように整っていて、髭もなければほくろやそばかすもない。
すらりと形の良い鼻には鼻毛なんて生えてなさそうで、軽く開いた唇はうっすらと色づき、ひどく艶めいて見えた。
毛先に向かって白から薄紅に色を変える髪はふわふわと広がり伸びて、真っ白な背を覆い隠していた。
凹凸の少ない体は明らかに男性のもので、合歓は全裸だった。
「アナタは、ダレ?」
「おれは……」
言葉を話し慣れない子供のように訥々とした口調、花畑を揺らす甘い薫風のような声。
合歓がおれの姿を認めた途端に、部屋の中の香りが濃くなったと感じたのは、気のせいか?
合歓は人ではなかった。
文字通りに、そのままの意味で、合歓は花だった。
いいや、正確には木なのか?
名を聞けば、ナマエはナいと応え。
どこから来たと聞けば、モリと言う。
顔色ひとつ変えずに「このミはヒトにジュセイとヨばれている」と告げてくる姿を信じてしまった。
嘘だと思えなかった。
見目の美しさゆえ、誰かに追われているのかという心配は杞憂だった。
同じ地域に滞在して、巣箱の管理で協力している同業者二人に相談したものの、合歓の言葉は真実だろうという答えしか出なかった。
人の侵入を拒むほど深い森のさらに奥深くに、樹木の精霊、樹精はいるという。
養蜂は巨木の並ぶ深森では行わないので見たことはないが、その存在と話だけは子供の頃から幾度となく聞かされた。
信仰のように、愛する存在であるように。
この国には、精霊を探し求めてはいけない、という法律がある。
過去に精霊の怒りを受けた近隣国が滅んだ事例から。
国中の作物が枯れ果て、飢え苦しんだ人々が逃げ込んだ周辺の国まで枯れた。
周辺国の人々が、逃げ込んできた人々を追い返せば、全ては元通りになったという。
全ての作物が枯れた国に閉じ込められた人々の末路は、考えるまでもない。
人の姿はしていても、精霊に深入りすべきではない。
恐ろしい存在だと知っているのに。
精霊の恐ろしさを知っているのに、養蜂家として、自然の恵みに礼儀を尽くすことを受け継いでいる以上「オイしいミズをありがとう」と言われれば、追い出せなかった。
追い出したくなかった。
精霊がその気になれば、森や農地を枯らすことも簡単だと理解しているのに、おれは、合歓を側に置くことにした。
恐れと興味と喜びの日々を過ごすうちに、合歓はおれが考えているよりも、人に歩み寄ってくれる性質であると知った。
なにもかも全てをこちらの都合に従ってはくれなかったが。
建物の外にいる時はできるかぎり服を着る……作る?、という約束だけは守ってくれている。
おれだって、水と太陽の光だけで生きていけと言われたら無理なので、合わせられないことがあるのは仕方ない。
木の精霊だからなのか、合歓は気性は穏やかだが頑固だった。
頑固というより、自分のやりたいようにしかやらないというか。
人の生来に合わせる価値を見出していない、だけかもしれない。
一度「マチにイきたい」と言われて買い物の際に連れて行ったが、道の脇から緑が消えて石畳になった辺りで体調を崩した。
慌てて半ば森に埋もれた拠点に戻れば元気を取り戻す。
拾った時に老爺の姿だったのは、冬だったからということもあるだろうが、街の近くの環境が体に合わなかったからか、と気がついた。
人が多い地は樹精に合わないと考えなくても分かりそうなものだが、おれの側にいたいと言われているような気がした。
マチにイってみたかったな、と拗ねたような口調で呟く姿は、幼子のようにいとけなく。
背を流れる柔らかい髪をふわりふわりと揺らしながら森の浅部を歩く姿は、消え溶けてしまいそうに儚く見えて。
いつまでも拠点にいれば良い、と告げてしまった。
街には行けなくても欲しいものは揃えられる、おれがいるからと。
合歓の明確な微笑みを見たのは、この時が初めてだった。
呼吸が詰まり動悸が止まらず、不細工な顔を伸ばした前髪と髭で隠していたのに、「ネツをトモナうビョウキか?」と聞かれた。
明確に返事をしなかったらなぜか抱きつかれて、驚きすぎて倒れて頭を地面にぶつけて気絶した。
意識を取り戻したおれの体は合歓の服と同じ細い葉に包まれていて、心配そうに「カラダはヒえたか、ゲンキになった?」と聞いてくるので、抱きつかれて驚いたとは言えなかった。
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