4 / 13
手に入れるなら良いものにしたいから、迷子を変えていこうと思う
しおりを挟むぼくが思い悩んでいる間、木は独り言のように音を垂れ流していた。
『動かすために種が必要なのに、フタツアシが流し込む毒のせいで種のない果実しか作れないから、切り刻まれて奪われてもフタツアシの巣穴を崩すことができない、先にフタツアシがチカいを破ったのだから報いを受けるべきなのに、ごまかして逃げれば良いと思わせて許すべきではないんだ、君のオスの種をサツリク用ウツシミのコンカクの素として分けてくれる?』
聞いたことがない言葉がたくさん使われた、理解できない言葉のような音のようなそれは、ひどく禍々しい歌のようにも聞こえた。
木が興奮している。
植物が興奮するなんて知らなかった。
ざわざわと揺れる梢を見上げても怖いとは思わないけれど、不安になる。
落ちるはずのない若葉が、ざあざと雨のように降ってくる。
枯れ葉ばかりになってしまうよ、落ち着いて。
「わける?」
『おねがい』
「でも」
ぼくは木でも草でもないから、どこにも種は持ってないし、種を作ることもできない。
そう口にする前に、周囲を取り囲んでいた木の枝が手足に絡みついてきていた。
「うわぁああっっ!?」
『いやならあきらめるよ、ごめん、やめた方が良いよね』
音だけは穏やかに聞こえるのに、なぜかしょんぼりと肩を落としている姿が想像できてしまった。
相手は、木なのに。
きっと、これは大事なことなんだろう。
ぼくは理解できてないけど、木にとっては大切で、諦められないことなんだと思う。
あきらめるよと言っているくせに、ぼくの手足に絡む細い枝葉は、怖がる子供を慰めるようにさわさわと揺れている。
怖がらないで、お願い、と頼んでくるように。
「ゆっくりなら、大丈夫だと……思う」
なにをされるのかが分からなくて不安だけど、断る理由はない。
今のぼくは、木に嫌われたら生きていけない。
食べるものがない。
木が守ってくれなければ、飢えて死ぬ前に森の中で獣に襲われて死んでしまうかもしれない。
森の出口がどちらなのかも、分からない。
『気を付けるね』
手足と背中を支えるように細い枝がからみつき、ぼくの体を上空を覆う樹冠の中へ運んでいく。
「うわ、わ、わわっ」
細い枝がぴし、ぱし、と服に当たって、びりびりと破れる音が聞こえる。
どこにも痛みはないのに四方から服を引っ張られる感覚と、布が裂ける音が続いて、枝が体に当たりそうな恐怖に目を閉じた。
どれくらい運ばれたのか。
背中が、がさがさと音を立てる床らしき場所に下ろされた。
『はい、どうぞ、飲んで』
果物をくれる時に似ている木の言葉に、横になったままゆっくりと目を開けると、目の前には果実ではなくて、水のためられた葉が差し出されていた。
「ありがとう」
『はい、どういたしまして』
木がぼくにくれる食べ物は、白い果実だけだった。
不満に思ったことはない。
大きさと味の違う果実は食べ飽きなくて、水分もたっぷり含まれていたから、水が欲しいと思ったことはなかった。
でも今は、上空に運ばれた怖さでのどがからからだ。
顔よりも大きな葉に手を添えて、そっと口をつけて飲んでみた。
「ん!……っ……っ、ぷは、おいしい」
今までに飲んだことのある水の中で、一番美味しかった。
ほんのり甘くて爽やかな香りがしているのに、なんだか酸味とほんのり苦いような気もした。
飲み込んだら、お腹が中から温かくなってきた気がした。
『体は、これでみがいて』
「……もしかして臭かった?、ごめんなさい」
木の根元の周囲には水源が見当たらなかったから、体を洗うのは諦めていた。
近くで水の音も聞こえないし、木から離れたら戻ってこられない気がしていた。
木に鼻はなさそうだから、ごまかせているかな、と思ってたんだけど。
言われないから、と失礼なことをしてしまった。
申し訳なさがあるけど、臭いし、痒くなってきて困っていたから嬉しい。
木なのに、人は体を洗いたがるとか、そういうことに気が付くなんてすごい。
もとからぼろだったけれど、枝に当たって裂けてしまった服は脱いで、着たきりで汚れた下穿きも洗えそうにないから諦めるしかない。
おかあさまが存命の頃は、着替えや毎晩の清拭は、乳母や使用人任せだった。
でも、今のぼくは、女性の舞踏用のびらびらした五枚重ねの服だって、一人で着替えることができる。
差し出された、布のように柔らかい若葉を水に浸して拭けば、垢がぽろぽろと落ちて、古い肌がはがれたみたいにつるつるになった。
頭の先から爪先まで、つるんと一皮剥けたみたいに。
まじまじと見てみれば、全身の肌の色が白くなった気がする。
義姉の身代わりをさせられる時に、塗りたくっていた白粉みたいな不自然さではなくて、元から白いみたいに。
木の白い幹とお揃いみたいで、少し嬉しい。
三年で背中の中ほどまでだらだら伸ばして、汚れと髪粉でこてこてのごわごわになっていた髪の毛も、水で洗っただけでつるつるになった。
うねうねのくせっ毛だったのに、ふわふわでさらさらに変わった。
地味な茶色だったのに、髪色が明るくなった気がする。
結論としては、木がすごいってこと。
義姉の身代わりをさせられるようになった初めの頃は、かつらをかぶせられた。
少しでも似せようとしていたのだろう。
ぼくが淑女のふるまいを知らないのに、外見だけ似せても意味がないと思っていたけど。
義姉の髪色に近いくすんだ金髪のかつらは、ぼくの髪と色が違っていた。
髪粉を大量にかけられるし、頭が蒸れてむずむずした。
毛先が肌にちくちくしてかゆい。
踊るとずれる。
最後には、酔っぱらいの変態男から逃げる時に落としてしまい、「あたくしのかつらを無くすなんて!」と殴られた。
かつらが無くなったから、伸ばすしかなかった。
義姉は二度と貸すものかと怒っているし、ぼくにかつらを買うお金はない。
したくもない身代わりなのに、義母に頼むなんて嫌だった。
身代わりを嫌がれば、殴られるし蹴られる。
耐えられなくて逃げると、姉に逆らうなんて、と食事抜きになって、義母に鞭打ちされた。
本で知った知識では、淑女は他人を殴ったり蹴ったりしないらしいから、義母姉が社交界に出ない理由を知った時は納得した。
義母姉は社交を諦めた方が良い、とぼくは思ってた。
一度だけ口にしたら、小水に血が混ざるまでお腹を蹴られたから、それからは黙っていたけど。
もう伸ばす必要はないから切りたいけど、はさみがない。
木には、髪の毛の長さなんて気に掛けることではないだろうけど。
それにしても、ぼくはものすごく汚かったんだな。
木が臭がるのも当然だ。
迷惑をかけてしまったことに落ち込み、着替えを探して周囲を見回して。
敷布の包みを木の根元に置いてきてしまった、と気がつくと同時に、目の前に葉っぱを貼り合わせた、服のようなものが差し出される。
脱いだ服は、どこにいったんだろう。
『はい、どうぞ』
「……ありがとう」
『はい、どういたしまして』
渡されたそれが、今まで着ていた女性用の服に似ているのは、木が男性の服を知らないからだろう、となにも言わないでおいた。
言葉で男性用の服を説明できる自信がない。
森の中を歩き回る時は、足が出てしまう女性用の服は引っ掛けて破れたり、怪我をしてしまうから不便なんだけど。
その時が来たら、足を覆うものがもらえないか聞いてみよう。
そういえば。
「あの、木さん、下着は」
『今から種をもらうから、後でね』
「え?」
一枚の布のようにくっついている葉の服は、肌触りが本物の布以上になめらかで柔らかくて、こんなに良いものを着たことない、と感激していた。
それで、反応が遅れた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
69
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる