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エレテ・アドニが、眷属として二つ足をどう思っているか確認した
しおりを挟むそうして時間が過ぎて。
たぶん、季節も過ぎさって。
今もぼくは、樹上で暮らしている。
たぶん、十五歳になったと思う。
もしかしたらもう少し時間が過ぎたかも?
気がつけば長く伸びていた髪の毛は、木漏れ日みたいな緑色がかったうすい金茶になっていて、歩く時に引きずってしまう。
前はあんなに邪魔だと感じたのに、今は伸びたなとしか思わない。
今日、久しぶりに森を出ることになった。
ヴィラグファさまが『ちょっと二つ足のところを見てきてほしい』と言ったから。
街に行って、したいことがあるわけではないけど。
本体が木で動けないヴィラグファさまの代わりをつとめるのは、眷属の仕事として正しいはずだ。
乳が出ないのに胸の先をぱちんされたり、お尻を木の杭でごりごりされるよりも、仕事らしいと思う。
もしも仕事ではなかったとしても、ヴィラグファさまが外出をすすめるなら、理由があるのだろうと思った。
護衛兼、ヴィラグファさまの目と耳と鼻と口である写し身を肩に乗せて。
さくさくと地表に積もった枯れ葉の上を歩く。
裸足で歩いても足の裏は痛くない。
眷属になったら、体が丈夫になった気がする。
皮ふは分厚くなってないのに、木の枝くらいでは傷つかなくなった。
ぼくが眷属になってからのヴィラグファさまは、どんどん意地悪な本性を出すようになった。
種をぼくの中で発芽促進する時以外も、木の杭でいじめてくる。
胸の先をぱちんと挟まれるのは、びりびりするからやめてほしいと頼んでも聞き流される。
……頑丈になったこと自体は、良いことなんだろう。
耐えられるんだから。
耐えたくないのに。
『可愛いエレテ・アドニ』
「……」
意地悪をしないでほしいと言っているのに、いつもお腹も息も苦しくなってしまう、長くて太くてごつごつの杭ばかり使うんだ。
お腹の中から押されるとすぐもらしてしまうから、いやなのに。
『どうして、すねてるの?』
毎日のようにぼくが種を出さなくても、写し身はたくさんいるのに。
写し身たちを使って、どこが気持ち良いか調べる必要なんてないのに。
気持ち良くなりすぎて、泣きながらおもらしするぼくの姿を楽しむなんて、ヴィラグファさまは本当に意地悪だ。
「すねてない」
『すねてると思うけど、ぁいてっ、体が割れちゃうよー』
肩の上でぼくをからかうヴィラグファさまの写し身を指先で弾いて、痛くもないのに痛いと言って、二つ足の真似をする姿から目をそらす。
本当は意地悪なくせに、ぼくが文句を言っても怒らないんだもの。
気遣ってくれたり、優しいところは変わらないんだもの。
ずるいよ。
写し身がむにゃむにゃ言っているのを聞きながら歩いて、森を抜けた。
「……あれ?」
森を出ると、すぐ目の前に街の外壁があるはずなのに。
外壁の周囲に、なんだかわからないものがたくさん並んでいたのに。
それが地面に毒を打ち込んで木の根を痛めつけて腐らせる道具だと、ヴィラグファさまが教えてくれた。
今のぼくの目の前に広がるのは、廃墟みたいな光景。
高い外壁があった場所に、崩れた石がごろごろと転がっていた。
元は壁として積んであった石なのだろう。
大きい石に絡むように、木の根が地面から突き出している。
木の根が壁を崩したのかな。
ヴィラグファさまの根……ではないよね、遠すぎる。
「うわ、なんだか知らない間に、すごくぼろぼろになったみたい」
『そうかもね』
「それで、どうしてぼくを街に来させたの?」
『会わせたい二つ足がいるんだよ』
ぼくが顔を知っている街の中の住民なんて、ほとんどいないんだけど。
屋敷にいた使用人か、家族くらいしか。
ずる、ずる、と引きずるような音がして、ぼくの目の前にどす黒いかたまりが三つ、放り出された。
写し身たちが、つたでぐるぐる巻きにしたそれらを、壁の内側から引きずってきたのだ。
「???……え?」
『この二つ足たちは知ってるよね』
ぼくの記憶の中の姿と違って、ガリガリに痩せている上に、すごく臭い。
何年も体を拭くのをさぼったみたいで、髪の毛も整えずに、ご飯を食べずにいるとしたら。
元の姿は……。
「もしかして、父と義母姉?」
『大正解~』
なにがあったのか森にいたぼくは知らないけど、街の壁と同じでぼろぼろだ。
元の姿を知っていて、今のぼろぼろの姿を見ても、どうしたのかな、と他人事のようにしか思えないのは何故だろう。
前は、父に認めてほしかったはずで。
義母に構われたくなくて。
義姉が嫌いだったのに。
とても心が凪いでいる。
「……ぁあ、あるだす?、おまえあルダスなのか?、おい、わしをたすけろっ」
乾燥した土みたいにひび割れてがらがらの声が、何年も聞いていなかった父の声なのか、分からない。
おかあさまが亡くなってから誰にも呼ばれなくなった名前は、自分の名前だと思えなかった。
「いいえ、ぼくはそのような者ではありません」
ぼくはもうトゥルゾ子爵家のアルダス・トゥリアガラスではない。
エレテ・アドニになったんだ。
ヴィラグファさまの眷属にしてもらったぼくは、街の住人ではなくなり、貴族でもなくなった。
だから、この二つ足たちに再会したいと考えたこともなかった。
思い出しもしなかった。
ぼくを愛してくれたのは、おかあさまとヴィラグファさまだけ。
この二つ足たちは、ぼくが愛するものではない。
どうしてこの二つ足たちに会わせたのだろう。
見た目は同じでも、ぼくはもう二つ足ですらない。
ヴィラグファさまの眷属で、遠くには離れられないはずだし、離れたくないのに。
「あたくしをたすけなさいよ、やくたたずぅっ」
「どうしておまえがいきてるんだ、この、どろぼうねこぉっ」
「あるだす、あるだすっ」
なにを言われても、心に響かない。
「……ぼく、ここにいないとだめ?」
『いいや、眷属化後の変化の確認のために生かしておいたんだ、もう用は済んだよ』
「それなら、帰っても良い?」
森の外は、空気が薄くて熱くて重たい。
ヴィラグファさまのそばで甘やかされてしまうことに慣れたぼくは、もう、街では暮らせそうにない。
『可愛がってあげるから、帰っておいで』
「可愛がるのはいらない」
『そう?』
「途中でやめてくれないでしょ」
肩の写し身がゆらゆらと揺れて、楽しそうな笑い声が響いた。
背を向けたぼくの背後で、どすっ、ぶつん、ごりごりとなにかを突き刺して引き裂いて押しつぶすような音と、口を塞がれたような絶叫がしたけれど、振り返ることはなかった。
写し身はぼくのほほをつつき、『まっすぐ帰っておいで』とヴィラグファさまの言葉を告げる。
静まりかえった崩れた街と違って、森の中は豊かな命であふれてる。
絵本で描いてあったとおり。
思い出した世界樹の伝承がある。
はるか昔。
この地に人がいなかった頃。
楽園を求めて遠方より辿り着いた先祖が、若き世界樹の足元に住まわせてほしいと頼んだ。
森は世界樹の体で、手足。
人が実りを分けてもらうことを、世界樹は許した。
だから人は、この地を本物の楽園にしようと決めた。
木を切り倒し。
掘り返して、薬を撒いて、農地に伸びてくる根を退けて。
ぼくらの祖先は、一生懸命に自分達の楽園を拡張していった。
世界樹の足元に広がる、人の楽園。
それがぼくの生まれ育った街。
そう、聞いていたのに。
違っていた。
長い時間をかけて、地面に毒を含まされたヴィラグファさまは、本体まで蝕まれ。
森を見守り、兵士にもなる写し身を実らせることができなくなった。
身動きが取れないまま根から体を切り刻まれ、力を根こそぎ奪われても、耐えることしかできなかった。
枯れかけながら。
死にかけながら。
耐えていたのだ。
ぼくが、種を差し出すまでは。
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