1 / 4
白い電話1
公園を眺める目が、ふと隅に置かれた電話ボックスで留まった。
それは何の変哲もない普通の電話ボックスだった。少なくとも外観は違和感がない。しかし中にある電話の色は白。長く生きたが、公衆電話の歴史上にそんな特異な色は見たことがなかった。
老婦は好奇心に身を任せて、電話ボックスの前に立つ。中には小さな少女の先客がいた。リュックを背負い、大きな瞳に大粒の涙を溜めて懸命に何か話しかけている。さすがに会話を聞き取ることは、年老いて鈍くなった耳では不可能だったが。
「あ……」
老婦の視線に気づいた少女が、慌てて目尻に浮かんだ涙を拭って、電話ボックスを飛び出した。
「待ちなさい」
まるで逃げるように駆けだそうとした少女をとっさに引き留める。思わず少女の腕を掴み、少女と同じ目線になるように身をかがめる。
「どうしたの? お母さんは?」
「お母さん? いないよ」
「……え?」
「死んじゃったから」
「そう……」
「でも寂しくないよ。お母さんはいつもあたしの話、聞いていてくれるからね」
幼い子供が親と死別して、寂しくないはずがないだろうに。そう同情の籠った眼差しを向けると、気丈なほど無邪気に笑いかける少女の瞳と目があった。
「この電話はね、天国に繋がっているの」
「天国?」
「うん。受話器を取ってお金を入れて、ゼロを十回。目を閉じて、死んじゃった人の姿を思い浮かべるの。そのまま話しかけたら、電話の向こうでその人が聞いていてくれるんだって。そう魔法使いのお兄さんが言っていたよ」
魔法使いとは、世の中奇特な人がいたものだ。
少女の話に相槌を打ちつつ、老婦は柔らかく微笑んだ。
「魔法使いだなんて、面白い人がいるものね」
「悲しいことがあれば泣けばいいんだって。けれどその倍、楽しいことがあったら笑わなきゃいけないんだって。そうしたらね、気がつけば世界は楽しいことで溢れてくるんだ。おばあちゃんにも、楽しいこととか悲しいことってあった?」
「ええ、そうね。だって八十年も生きているのだもの。辛いことも哀しいことも、もちろん嬉しいことだって、数えきれないほどあったわ」
自分の人生を振り返ると、楽しいことも苦しいことも思い出せる。生きていることさえ嫌になるほど辛い出来事も、たくさんあった。しかしそれでも、ただ笑っている瞬間の記憶のほうが多い気がするのは、自分の人生が幸せに満ちていたという証か。
「おばあちゃんは今、幸せ?」
確かめるような少女の問いに、老婦は一瞬返事に詰まった。辛いことはたくさんあった。泣きたいほどに苦しい夜も、幾度となく過ごした。そんな自分は幸せだったのだろうか。
自分の歩いてきた道を振り返るように頭上に広がる晴天を見上げる。
長い人生の中で、確かに笑っていた記憶のほうが、色が濃い。それでもただひとつ、まだやり残していることがあるとすれば、夫ともっと言葉を交わしていたかったことくらいだろうか。
「――ええもちろん。幸せだったわ」
もはや叶うはずのない夢に想いを馳せる老婦は、夫を探すように、空を見上げる瞳を揺らした。
それは何の変哲もない普通の電話ボックスだった。少なくとも外観は違和感がない。しかし中にある電話の色は白。長く生きたが、公衆電話の歴史上にそんな特異な色は見たことがなかった。
老婦は好奇心に身を任せて、電話ボックスの前に立つ。中には小さな少女の先客がいた。リュックを背負い、大きな瞳に大粒の涙を溜めて懸命に何か話しかけている。さすがに会話を聞き取ることは、年老いて鈍くなった耳では不可能だったが。
「あ……」
老婦の視線に気づいた少女が、慌てて目尻に浮かんだ涙を拭って、電話ボックスを飛び出した。
「待ちなさい」
まるで逃げるように駆けだそうとした少女をとっさに引き留める。思わず少女の腕を掴み、少女と同じ目線になるように身をかがめる。
「どうしたの? お母さんは?」
「お母さん? いないよ」
「……え?」
「死んじゃったから」
「そう……」
「でも寂しくないよ。お母さんはいつもあたしの話、聞いていてくれるからね」
幼い子供が親と死別して、寂しくないはずがないだろうに。そう同情の籠った眼差しを向けると、気丈なほど無邪気に笑いかける少女の瞳と目があった。
「この電話はね、天国に繋がっているの」
「天国?」
「うん。受話器を取ってお金を入れて、ゼロを十回。目を閉じて、死んじゃった人の姿を思い浮かべるの。そのまま話しかけたら、電話の向こうでその人が聞いていてくれるんだって。そう魔法使いのお兄さんが言っていたよ」
魔法使いとは、世の中奇特な人がいたものだ。
少女の話に相槌を打ちつつ、老婦は柔らかく微笑んだ。
「魔法使いだなんて、面白い人がいるものね」
「悲しいことがあれば泣けばいいんだって。けれどその倍、楽しいことがあったら笑わなきゃいけないんだって。そうしたらね、気がつけば世界は楽しいことで溢れてくるんだ。おばあちゃんにも、楽しいこととか悲しいことってあった?」
「ええ、そうね。だって八十年も生きているのだもの。辛いことも哀しいことも、もちろん嬉しいことだって、数えきれないほどあったわ」
自分の人生を振り返ると、楽しいことも苦しいことも思い出せる。生きていることさえ嫌になるほど辛い出来事も、たくさんあった。しかしそれでも、ただ笑っている瞬間の記憶のほうが多い気がするのは、自分の人生が幸せに満ちていたという証か。
「おばあちゃんは今、幸せ?」
確かめるような少女の問いに、老婦は一瞬返事に詰まった。辛いことはたくさんあった。泣きたいほどに苦しい夜も、幾度となく過ごした。そんな自分は幸せだったのだろうか。
自分の歩いてきた道を振り返るように頭上に広がる晴天を見上げる。
長い人生の中で、確かに笑っていた記憶のほうが、色が濃い。それでもただひとつ、まだやり残していることがあるとすれば、夫ともっと言葉を交わしていたかったことくらいだろうか。
「――ええもちろん。幸せだったわ」
もはや叶うはずのない夢に想いを馳せる老婦は、夫を探すように、空を見上げる瞳を揺らした。
あなたにおすすめの小説
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド
【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから
えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。
※他サイトに自立も掲載しております
21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
侯爵様の懺悔
宇野 肇
恋愛
女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。
そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。
侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。
その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。
おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。
――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。
最後に一つだけ。あなたの未来を壊す方法を教えてあげる
椿谷あずる
恋愛
婚約者カインの口から、一方的に別れを告げられたルーミア。
その隣では、彼が庇う女、アメリが怯える素振りを見せながら、こっそりと勝者の微笑みを浮かべていた。
──ああ、なるほど。私は、最初から負ける役だったのね。
全てを悟ったルーミアは、静かに微笑み、淡々と婚約破棄を受け入れる。
だが、その背中を向ける間際、彼女はふと立ち止まり、振り返った。
「……ねえ、最後に一つだけ。教えてあげるわ」
その一言が、すべての運命を覆すとも知らずに。
裏切られた彼女は、微笑みながらすべてを奪い返す──これは、華麗なる逆転劇の始まり。
あの素晴らしい愛をもう一度
仏白目
恋愛
伯爵夫人セレス・クリスティアーノは
33歳、愛する夫ジャレッド・クリスティアーノ伯爵との間には、可愛い子供が2人いる。
家同士のつながりで婚約した2人だが
婚約期間にはお互いに惹かれあい
好きだ!
私も大好き〜!
僕はもっと大好きだ!
私だって〜!
と人前でいちゃつく姿は有名であった
そんな情熱をもち結婚した2人は子宝にもめぐまれ爵位も継承し順風満帆であった
はず・・・
このお話は、作者の自分勝手な世界観でのフィクションです。
あしからず!