神龍の愛し子と呼ばれた少年の最後の神聖魔法

榛玻璃

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第一部 神龍の愛し子と神聖魔法

26.最悪の選択

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 神殿に戻ったハデスは幼子のように泣きじゃくるアルバートを寝かしつけると、すぐに医務室に向かった。いつの間にか夜はすっかり更けてしまっていた。

 ティーアは未だ目を覚ましていない。医務室のベッドで横たわったまま、ぴくりとも動かないのだ。

「ハデス様、ティーアは大丈夫なのでしょうか?」

 そう問いかけてくるのは、彼女に付き添っていた赤銅色の髪の、二十代後半くらいの若い男性だ。
 神官である彼――アレスタ・フォルトバーグはハデスの秘書であり、ハデスが最も信頼している腹心である。

「それは……」

 ハデスは言葉を詰まらせた。アレスタが不安げな表情で見つめる中、ハデスはゆっくりと口を開くと、静かに言った。

「わかりません。ですが……魔族の眷属となった場合、それを救う手立ては神聖魔法にはありません。アルの話が真実だとしたら、彼女は……」

 ハデスの言葉は言葉を詰まらせる。
 鎮痛な面持ちの彼にアレスタは一瞬表情を強張らせたが、すぐにその表情を取り繕う。そして再びティーアの眠るベッドへ目を向けた。そこには目を覚ます様子もなく規則正しい寝息を繰り返す彼女の姿があった。昨日と何一つ変わらない顔、姿。それなのに、心が変容してしまっているかもしれないとは、いったい誰が想像できようか。

「本当に……彼女は魔族となってしまったのですか? にわかには信じがたいことですが……」

 アレスタの問いに、ハデスは頭を振った。
 確証はなかったからだ。アルバートの話は要領を得ず、ただただ事実ではないことを祈るばかりだった。

「それに、リオルは魔王軍最高幹部の一人で、その力は強大です。仮に神聖魔法で対処できたとしても、私程度の力ではリオルの影響を取り除くことはできないでしょう」

「まさか……ハデス様のお力をもってしても……」

 ハデスの言葉に、アレスタは絶句する。
 絶句する自らの秘書を横目に、ハデスは自嘲するように笑った。

「元来、私の魔力は高くありません、無けなしの魔力量を技術で補っているに過ぎないのです。もし、力があったならば……私は彼女を救えるのでしょうか」

 その言葉にアレスタは何も言うことができなかった。
 沈黙が部屋に漂う。沈黙を破ったのはハデスだ。

「ティーアを殺す、きっとその判断が神官長としての正しい決断なのでしょう。でも私はそれを迷ってしまっています」

「それは……アルが悲しむからですか?」

 アレスタの言葉に、ハデスは返答を詰まらせる。しかしすぐに口を開いた。

「ええそうです……私は神官長失格です」

 アルバートはティーアに懐いていた。ティーアを処分すると聞いたら、彼はどんな顔をするだろう。そのことがずっと頭から離れないのだ。

「人であれば、それは当然の迷いでしょう。ハデス様、差し出がましい質問ですが、アルは……アルの神聖魔法でもだめなのでしょうか?」

 アレスタの問いにハデスは首を振った。

「わかりません。ただ、神聖魔法における『治癒』は外傷を癒せてもそれ以外は治せません。『浄化』では眷属化したティーアを消してしまうことになるでしょう。神聖魔法の新しい術式構築など前例が無く、仮に構築できたもしても途方もない歳月がかかるでしょう」

 その答えに、アレスタはさらに表情を曇らせる。どうすれば良いのか分からないのだろう。それは仕方のないことだ、とハデスは思った。物事を判断するには情報が足りないのだ。

「アレスタ、ティーアを地下へ。結界を張り、その中に閉じ込めます。皆には私が浄化を施していると、そう伝えてください」

「かしこまりました」

 判断を先送りにした自分に対して、アレスタは何も言わなかった。彼はただ頭を下げると、ティーアを抱き抱えて連れて行く。ハデスはそれを見送ってため息をつく。
 ティーアは神殿が拾い育ててきた孤児だ。神殿で暮らすハデスにとって、神殿で育った孤児たちは家族同然の存在だった。

 そんな家族を、殺そうとしているのだ。
 救えないからといって。
 そんな自分勝手な都合で……。
 それを他の孤児たちは許すだろうか。
 アルバートは……。
 彼はきっと悲しむだろう。
 ハデスのことを恨むかもしれない。

(――それでも、きっと遠からず私は決断するのでしょう)

 最悪の決断だ。けれど、神殿を守るためには下さなければならない決断。

 選択肢を秤にかけて、より大きな見返りがあるほうを選ばなければならないのだ。そしてその天秤において、切り捨てるべきはティーアだ。
 彼女が一人犠牲になることで、神殿に住まうすべての命が救われるのだ。
 神官長として行わなければならない決断だと、彼は理解していた。
 理解していたが、その言葉が喉から音となって出てくることはなかった。

(私は神官長失格ですね……)

 ハデスはもう一度ため息をついた後、ゆっくりと立ち上がり部屋を出た。
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