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第一章 「ハルジオンの花」
春咲紫苑
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車外の風景は、無駄にデカい建物ばかりの都会から、平坦で変わり映えのない田舎に変わって、かれこれ1時間は経つ。春咲紫苑は、そんな景色をボーっと眺め、溜息を漏らした。
「・・・まったく、つまらないわね」
その呟きを耳にした助手席に腰掛けた老紳士は、振り向いて紫苑の顔を覗き込む。
「紫苑お嬢様。間もなく到着しますので」
紫苑は「お嬢様」と呼ばれている。
現に彼女は黒い高級外車の後部席に乗車している。
白いワンピース姿に、艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、病的と思わせるほど白い肌。佇まいは名家のお嬢様という言葉に相応しい。
「文句言うなよ、“貧乏神“のくせに、、、」
運転手の男性がミラー越しに彼女を睨む。
紫苑もまた眉間にしわを寄せるが、すぐに切り替える様に、景色に意識を集中した。
一方で老紳士は運転手を嗜める。
「私が居る前で紫苑お嬢様を侮辱する発言はよせ」
「・・・!?すみません」
運転手は不服気味に謝罪する。
それは、紫苑に対してではなく、老紳士に対してだ。
「いいよ、名取。私は、慣れてる」
「し、しかしですな」
「・・・いいから」
名取と呼ばれた老紳士は、次の言葉を口にしようとするも、紫苑の表情を察して、黙るしかなかった。
車内に暗い沈黙が流れる。
春咲家は日本でも有数の名家。
何をするにも成功すると言われるほど、様々な分野で名を残してきた。要は大富豪の一族である。
その中でも、紫苑の存在は異質で、特別だった。
左手に触れた者を“不幸“にする。
故に、紫苑は春咲家親族及び親戚、さらにはそこに仕える使用人の大半に忌み嫌われていた。
産まれてから17年。ほとんど自室に幽閉されてきた。
基本は広い部屋で独りきり、たまに外に出れたと思えば、屋敷内で親族や使用人に虐められていた。
ある日、唐突に外に出ても良いと言われた。
花純家と呼ばれる春咲家と親交のある名家に引き取られるという条件付だった。
本来ならば解放されると両手を挙げて喜ぶ所だろうが、17年という月日は紫苑の純粋な心を折るには十分すぎる時間。長年の境遇と環境は、紫苑を17歳の少女とは思えぬほど、冷めきった心にしてしまった。
きっと新しい箱が用意されただけに過ぎない。
どこまでいっても“貧乏神“の立場は変わらないのだ。
春咲家だろうが花純家だろうが、待遇は変わらず、同じ様に幽閉される毎日が続くのだろう。
それだけは、分かり切っていた。
「花純家の現当主は非常に厳しい人物だそうだ。冷徹かつ冷酷で、人間嫌いという話だ。なんで貧乏神を引き取ろうと考えたかが分からないが、散々玩具にして、あとは好きに捨てるのかもしれんな」
聞いてもいない事をべらべらと喋り出す運転手。
噂程度の信憑性しかないが、なんとなく本当になりそうな気もする。悔しいがいちいち反論するのも面倒だ。
「噂話が絶えぬのは、花純家当主は春咲家と親交はあれど、都心より離れた場所に棲まう御方。さらに多忙の為か催し物にも滅多に参加されないのです。私も花純家先代とはお会いした事がございますが、ご子息である現当主のお姿は幼少期に一度きりに拝見した程度です」
名取は春咲家に仕えて長い。
いまは一線を退いたが、かつては執事長として、様々な催しや会合にも居合わせた名取が詳細を知らないというのは、それだけ直接的な関わりがないという事だ。
(まあ、どうでもいいや)
どこに行っても何も変わらないのだから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
花純旅館。
T県N市にある由緒正しい温泉旅館だ。
鉄筋12階建ての館内には、豪華なシャンデリアが吊るされた吹き抜け天井のある圧巻のロビーがあり、訪れた来客者を歓迎する。
従業員への指導も徹底している為、リピーターや外国人観光客も多く利用している。
また、客室数も多く、和室や洋室もあり、露天風呂付き客室や新築の別館もある。
外観からしても趣きのある建物を目の前に、紫苑は緊張した顔つきで降りたった。
「ここが花純旅館でございますね」
名取は紫苑の前に立ち、深く一礼をした。
「残念ですが私がお仕え出来るのはここまで」
「・・・うん」
その意味は良く理解していた。
いよいよ紫苑は最後の味方を失う所なのだ。
春咲家の屋敷の中で唯一、愛情と優しさを与えてくれたのは、この名取國辰だけだった。
それがいま春咲家から離れる事で、自分の使用人では無くなってしまう。他人になってしまうのだ。
「まったく同情ですか、名取執事長」
「なに?」
「これは春咲家を長く苦しめ続けてきた“貧乏神“です。同情の余地などありませんよ」
名取に話掛けながら、運転手は車のトランクからスーツケースを取り出し、紫苑に手渡そうとする。
「さっさと受け取って去ってくれませんかぁ?」
「・・・」
紫苑はスーツケースを受け取ろうとせず、運転手を真っ直ぐな瞳で睨み付けた。
お互い一歩も譲らず睨み合う2人を見兼ねた名取は頭を抱える。
「いい加減にしないか、谷津」
「で、でも!こいつ、生意気な態度で!」
「紫苑お嬢様もどうか冷静にーーー」
と、運転手が目を逸らした瞬間、その隙を逃さなかった紫苑は、その“左手“で谷津と呼ばれた運転手の腕を掴んだ。
「ーーーなっ!?」
触れられた事に驚愕した様子の谷津。
紫苑は不敵な笑みを浮かべた。
それは能力の発動条件であったからだ。
直後、頭上を飛んでいた鳩が“偶然にも“糞を落すと、谷津の鼻を掠める形で下に落ちた。慌てて身体を後ろに反らすと、バランスを崩して尻餅を着く。そこは車の走る道路上であった。
「・・・ひ、ひぃ!!」
「あ、危ない!!」
青信号で突っ込んでくる車に、谷津は死を覚悟して思わず目を閉じた。必死に駆け寄る名取だったが、間に合いそうにない。
ーーーキ、キキィ!!
道路脇に停車する高級外車と、その後ろで倒れ込む谷津の姿に気付いた乗用車のドライバーは、ブレーキを掛けながら大きく横に逸れて走り去っていく。
使用人の直ぐ後ろを、車が過ぎ去った際の風が吹き、地面に着いた両手越しに車の振動が伝わる。
苦笑いしながら肩を震わせる谷津の元に駆け付けた名取がゆっくりと彼を起き上がらせる。
「だ、大丈夫か!?」
「・・・はっ、はいっ」
ようやく熱が冷めた谷津を横目に、紫苑はスーツケースを片手に取り、威圧した目で言う。
「あんたが次に喋るなら、その程度の“不幸“じゃあ、物足りないと思ってるからね」
「ーーー!?」
目の前の少女の威圧に、脚が小刻みに震え出す。
それ程までに恐怖の時間を体感した。
思わず目が泳ぎ、自分より背の低い少女を、何故か直視出来ない。その様子を察して、紫苑は振り返り、歩き出した。
「紫苑お嬢様!?」
「なに?」
「どうか、どうか、お元気で」
「名取はいつでも私の味方だね。ありがとう」
「それが、私が、あなたの母君から承った使命です」
「・・・そっか。元気でね、名取」
振り返らず歩みを続ける紫苑の後ろ姿に、名取は再び一礼した。その姿に彼女の母親の姿が重なり、思わず涙があふれた。
「どうか彼女の歩みの先に、幸があらんことを」
「・・・まったく、つまらないわね」
その呟きを耳にした助手席に腰掛けた老紳士は、振り向いて紫苑の顔を覗き込む。
「紫苑お嬢様。間もなく到着しますので」
紫苑は「お嬢様」と呼ばれている。
現に彼女は黒い高級外車の後部席に乗車している。
白いワンピース姿に、艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、病的と思わせるほど白い肌。佇まいは名家のお嬢様という言葉に相応しい。
「文句言うなよ、“貧乏神“のくせに、、、」
運転手の男性がミラー越しに彼女を睨む。
紫苑もまた眉間にしわを寄せるが、すぐに切り替える様に、景色に意識を集中した。
一方で老紳士は運転手を嗜める。
「私が居る前で紫苑お嬢様を侮辱する発言はよせ」
「・・・!?すみません」
運転手は不服気味に謝罪する。
それは、紫苑に対してではなく、老紳士に対してだ。
「いいよ、名取。私は、慣れてる」
「し、しかしですな」
「・・・いいから」
名取と呼ばれた老紳士は、次の言葉を口にしようとするも、紫苑の表情を察して、黙るしかなかった。
車内に暗い沈黙が流れる。
春咲家は日本でも有数の名家。
何をするにも成功すると言われるほど、様々な分野で名を残してきた。要は大富豪の一族である。
その中でも、紫苑の存在は異質で、特別だった。
左手に触れた者を“不幸“にする。
故に、紫苑は春咲家親族及び親戚、さらにはそこに仕える使用人の大半に忌み嫌われていた。
産まれてから17年。ほとんど自室に幽閉されてきた。
基本は広い部屋で独りきり、たまに外に出れたと思えば、屋敷内で親族や使用人に虐められていた。
ある日、唐突に外に出ても良いと言われた。
花純家と呼ばれる春咲家と親交のある名家に引き取られるという条件付だった。
本来ならば解放されると両手を挙げて喜ぶ所だろうが、17年という月日は紫苑の純粋な心を折るには十分すぎる時間。長年の境遇と環境は、紫苑を17歳の少女とは思えぬほど、冷めきった心にしてしまった。
きっと新しい箱が用意されただけに過ぎない。
どこまでいっても“貧乏神“の立場は変わらないのだ。
春咲家だろうが花純家だろうが、待遇は変わらず、同じ様に幽閉される毎日が続くのだろう。
それだけは、分かり切っていた。
「花純家の現当主は非常に厳しい人物だそうだ。冷徹かつ冷酷で、人間嫌いという話だ。なんで貧乏神を引き取ろうと考えたかが分からないが、散々玩具にして、あとは好きに捨てるのかもしれんな」
聞いてもいない事をべらべらと喋り出す運転手。
噂程度の信憑性しかないが、なんとなく本当になりそうな気もする。悔しいがいちいち反論するのも面倒だ。
「噂話が絶えぬのは、花純家当主は春咲家と親交はあれど、都心より離れた場所に棲まう御方。さらに多忙の為か催し物にも滅多に参加されないのです。私も花純家先代とはお会いした事がございますが、ご子息である現当主のお姿は幼少期に一度きりに拝見した程度です」
名取は春咲家に仕えて長い。
いまは一線を退いたが、かつては執事長として、様々な催しや会合にも居合わせた名取が詳細を知らないというのは、それだけ直接的な関わりがないという事だ。
(まあ、どうでもいいや)
どこに行っても何も変わらないのだから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
花純旅館。
T県N市にある由緒正しい温泉旅館だ。
鉄筋12階建ての館内には、豪華なシャンデリアが吊るされた吹き抜け天井のある圧巻のロビーがあり、訪れた来客者を歓迎する。
従業員への指導も徹底している為、リピーターや外国人観光客も多く利用している。
また、客室数も多く、和室や洋室もあり、露天風呂付き客室や新築の別館もある。
外観からしても趣きのある建物を目の前に、紫苑は緊張した顔つきで降りたった。
「ここが花純旅館でございますね」
名取は紫苑の前に立ち、深く一礼をした。
「残念ですが私がお仕え出来るのはここまで」
「・・・うん」
その意味は良く理解していた。
いよいよ紫苑は最後の味方を失う所なのだ。
春咲家の屋敷の中で唯一、愛情と優しさを与えてくれたのは、この名取國辰だけだった。
それがいま春咲家から離れる事で、自分の使用人では無くなってしまう。他人になってしまうのだ。
「まったく同情ですか、名取執事長」
「なに?」
「これは春咲家を長く苦しめ続けてきた“貧乏神“です。同情の余地などありませんよ」
名取に話掛けながら、運転手は車のトランクからスーツケースを取り出し、紫苑に手渡そうとする。
「さっさと受け取って去ってくれませんかぁ?」
「・・・」
紫苑はスーツケースを受け取ろうとせず、運転手を真っ直ぐな瞳で睨み付けた。
お互い一歩も譲らず睨み合う2人を見兼ねた名取は頭を抱える。
「いい加減にしないか、谷津」
「で、でも!こいつ、生意気な態度で!」
「紫苑お嬢様もどうか冷静にーーー」
と、運転手が目を逸らした瞬間、その隙を逃さなかった紫苑は、その“左手“で谷津と呼ばれた運転手の腕を掴んだ。
「ーーーなっ!?」
触れられた事に驚愕した様子の谷津。
紫苑は不敵な笑みを浮かべた。
それは能力の発動条件であったからだ。
直後、頭上を飛んでいた鳩が“偶然にも“糞を落すと、谷津の鼻を掠める形で下に落ちた。慌てて身体を後ろに反らすと、バランスを崩して尻餅を着く。そこは車の走る道路上であった。
「・・・ひ、ひぃ!!」
「あ、危ない!!」
青信号で突っ込んでくる車に、谷津は死を覚悟して思わず目を閉じた。必死に駆け寄る名取だったが、間に合いそうにない。
ーーーキ、キキィ!!
道路脇に停車する高級外車と、その後ろで倒れ込む谷津の姿に気付いた乗用車のドライバーは、ブレーキを掛けながら大きく横に逸れて走り去っていく。
使用人の直ぐ後ろを、車が過ぎ去った際の風が吹き、地面に着いた両手越しに車の振動が伝わる。
苦笑いしながら肩を震わせる谷津の元に駆け付けた名取がゆっくりと彼を起き上がらせる。
「だ、大丈夫か!?」
「・・・はっ、はいっ」
ようやく熱が冷めた谷津を横目に、紫苑はスーツケースを片手に取り、威圧した目で言う。
「あんたが次に喋るなら、その程度の“不幸“じゃあ、物足りないと思ってるからね」
「ーーー!?」
目の前の少女の威圧に、脚が小刻みに震え出す。
それ程までに恐怖の時間を体感した。
思わず目が泳ぎ、自分より背の低い少女を、何故か直視出来ない。その様子を察して、紫苑は振り返り、歩き出した。
「紫苑お嬢様!?」
「なに?」
「どうか、どうか、お元気で」
「名取はいつでも私の味方だね。ありがとう」
「それが、私が、あなたの母君から承った使命です」
「・・・そっか。元気でね、名取」
振り返らず歩みを続ける紫苑の後ろ姿に、名取は再び一礼した。その姿に彼女の母親の姿が重なり、思わず涙があふれた。
「どうか彼女の歩みの先に、幸があらんことを」
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