異世界帰りのハーレム王

ぬんまる兄貴

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第34話 雷丸の猛アタック

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 朝の廊下を歩いていると、視界の先に静香さんの姿があった。
 相変わらずの美貌。髪はしっとりと輝き、着物姿が絵画のように完璧。


 
「……綺麗だ……」



 俺は思わずつぶやいてしまった。

 静香さんがこちらを振り返り、その凛とした目が俺を捉える。

 

「貴方、初めて会った時もそう言ってたけど、本気でそれを言ってるの?」



 その瞬間、俺の脳内に警報が鳴り響いた。


 
 ――――やばい、これ本気のやつだ!


 
 でも、ここでビビったら男が廃る!
 俺は胸を張り、堂々と答えた。

 

「もちろん本気だ!静香さんを見たら、そんな言葉が自然に出るに決まってるだろ?」



 静香さんは一瞬眉をひそめたが、すぐに冷静な微笑みを浮かべた。


 
「ふふ、そう……。でも、貴方って他の女性にも同じことを言ってるんじゃないの?」


 
 その言葉に、俺の心臓がギクッと跳ねた。

 

「そ、そんなことはない!俺のこの『綺麗だ』は特別なんだ!」



 ――と、言い切る俺の後ろで、焔華がニヤニヤしながら小声で囁く。


 
「雷丸、昨日もわしに同じことを言っておったがのぅ。」

「えっ……?」



 俺の背中に冷や汗が流れる。

 さらに追撃の貴音が、不思議そうな顔で首をかしげながら加わる。


 
「お兄ちゃん、雪華にも言ってたよね?『雪華って、儚げで綺麗だよな』って。」

「え、いや、それはその……状況が違うっていうか……」



 言い訳をしようとする俺の横で、雪華が柔らかい微笑みを浮かべながら静かに爆弾を投下した。

 

「雷丸様、確かに私は5日連続で『綺麗』と『可愛い』の言葉をいただきました。とても嬉しかったです。」



 俺は振り返りざまに叫ぶ。


 
「ちょっ、お前たち!ここは黙ってるところだろ!」



 しかし、静香さんは涼しげな笑みを浮かべ、俺を見下ろしてこう言った。

 

「なるほど、貴方の『綺麗だ』は……かなり廉価版のようね。」

「廉価版!?いやいや、俺の『綺麗だ』はプレミアム版だ!」



 俺は必死に弁明するが、静香さんの冷たい微笑みに圧倒される。


 
「そう、ではその『プレミアム』な言葉を、もう少し信頼に値するものにしてちょうだいね。」



 ――その一言が、俺のハートを見事に貫いた。


 
 俺はその場に立ち尽くしながら、自分の『綺麗だ』発言がいかに軽かったかを反省する羽目になった。

 でもな、静香さん……本当に綺麗なんだよ!これは本音なんだってば!
 


 

 ――――――――――

 

 

 あの日の「廉価版」発言で俺のプライドはズタボロだ。
だが、だからと言って諦めるわけにはいかない。


 俺は静香さんに「俺の本気」を証明するため、毎朝彼女の行動を徹底的にチェックし、彼女のそばでアピールし続けることを決意した。


 
 
 ~~~~初日――朝の庭掃除~~~~

 


「静香さん!庭掃除ですか?俺も手伝います!」



 朝露に濡れた庭で、ほうきを持って優雅に掃除する静香さんのもとへ俺は勢いよく駆け寄った。
 その姿は朝日に照らされ、まるで庭に咲く一輪の花のよう。いや、俺には静香さんこそが庭そのものを輝かせているように見えた。

 

「邪魔になるから、どいてくれるかしら?」



 静香さんはほうきを軽く振りながら、まるで一片の感情もない冷たい声を投げかけてくる。


 しかし!俺、飯田雷丸はそんなことで諦める男ではない!


 
「いやいや、俺、静香さんの役に立ちたいんです!それに、こうして一緒にやれば効率も上がるじゃないですか!」



 俺は満面の笑みで、すかさず自分のほうきを取り出す。そう、事前に用意しておいたのだ。
 静香さんの役に立つ準備は万全だってことを見せつけてやる!


 
「……その笑顔、何か裏があるの?」



 静香さんは俺を鋭い目で睨みつける。いやいや、俺の純粋な心を疑わないでくれ!
 だから俺は、心の奥底からの本気を込めて叫んだ。


 
「俺、静香さんが本気で綺麗だと思ってるんです!その気持ちを証明したいんですよ!」

「……」



 静香さんは一瞬動きを止め、俺を見つめる。その瞳は冷静で鋭く、まるで俺の魂そのものを見透かしているようだった。

 

 ――やばい、緊張してきた。でも俺は負けない!


 
「俺の『綺麗だ』はプレミアム版なんです!廉価版だなんて言わせません!」



 静香さんはクスリと小さく笑った。え、笑った!?これ、好感触じゃないか!?


 しかし、次の瞬間――。


 
「そう……では、そのプレミアムな思いを、掃除で証明してみせて?」



 静香さんのほうきが俺の足元を軽く払う。おおっと危ない!


 
「任せてください!俺が庭を最高に綺麗にしてみせますよ!」



 俺はほうきを握りしめ、全力で庭の掃除を開始した。これが俺の本気だ!


 だが――静香さんの隣で掃除するたびに、俺の視線はどうしても彼女の横顔に吸い寄せられてしまう。

 

「……静香さん、やっぱり綺麗だなぁ……」

「掃除に集中してくれる?」



 冷たく突き放されても、このドキドキは止まらない。俺の本気、いつかきっと伝わるはずだ!

 


 ~~~~1時間後~~~~



 庭は俺の努力のおかげでピカピカに。いや、俺の目には静香さんが立っているだけで、さらに輝いて見える!



「どうですか、静香さん?俺の掃除っぷり!」


 
 俺は誇らしげに胸を張り、汗だくの額をぬぐいながらアピールする。

 静香さんはほうきを持った手を軽く止め、掃き清められた庭をぐるりと見渡す。
 その冷静な目が俺の努力の結晶をしっかりと評価しているようで、俺の心臓はバクバクだ。

 

「……そうね。まぁ、思ったよりは使えるかもしれないわ。」

「えっ、本当ですか!?」



 俺は一瞬、心の中で大歓声を上げた。やった!これは褒めてるに違いない!俺の本気がついに静香さんに届いた!


 
「……まぁ、ね。」

 

 静香さんの口元がわずかにほころぶのを見て、俺は完全に舞い上がった。
 

 
 ――勝った。俺、これ勝ったぞ!


 
 異世界帰りのハーレム王、ついに伊集院静香の信頼をゲットだ!と、そう思った瞬間――。

 静香さんが小さく溜息をつき、ふと俺を見上げてきた。


 
「でも……」

「でも?」



 俺は思わず身を乗り出す。何だ、どうした?もっと褒めてくれるのか?


 
「あなたの視線、掃除した庭よりも、私の肩や首元に多かった気がするけど?」

「…………」



 静香さんの目がじっと俺を見据える。冷静で、まるで俺の内心を見透かすかのような鋭い視線だ。


 
「……え、えっと、それは、その……」



 俺は慌てて口を開くが、言い訳が見つからない。いや、確かにチラチラ見てたけど!でも、それは静香さんがあまりにも美しいからであって――いや、違う、これは俺の敗北だ!


 
「……掃除の腕は評価するけど、視線の掃除が必要ね。」



 静香さんは冷たく言い放ち、ほうきを軽く振って歩き去る。

 残された俺は、庭で膝をつき、拳を握りしめながら心の中で叫ぶ。



 ――あぁぁぁ!またしても廉価版扱いかぁぁぁ!!



 輝く庭の中、俺の心だけがどんよりと曇っていた。


 
 

~~二日目――書斎の前でのスタンバイ~~

 

 静香さんが書斎にこもったのを確認した俺は、扉の前で息を潜めてスタンバイ。


 今日は完璧な作戦を用意してきた。彼女が書斎から出てきた瞬間に「お疲れ様です!」と言って、キンキンに冷えたお茶を差し出す――これで俺の健気さをアピールするってわけだ!

 

 ――よし、来た!扉が開く音だ!!


 
「静香さん!お疲れ様です!!」



 俺は満面の笑みで、差し出したお茶を掲げる。これぞ異世界帰りのハーレム王・飯田雷丸の完璧なタイミングだ!



 ――だが、その瞬間、静香さんの顔がカッと見開かれる。

 

「……何してるの、貴方。」

「あ、いや、その……お茶を……!」



 静香さんは眉をひそめ、呆れ顔で一歩踏み出した。


 
「貴方、書斎の前で立ち聞きでもしてるの?」

「ち、違います!!断じて違います!俺はただ、静香さんが疲れてるかなと思って!」



 そう言って、俺は冷たいお茶を静香さんに差し出す。


 
「これ!お茶です!頑張ってる静香さんに冷たいお茶をどうぞ!」



 だが、静香さんはそのお茶を一瞥するだけで、手も伸ばさずに言い放った。

 

「……それで?書斎の前でスタンバイする理由にはならないわ。」



 ぐっ、鋭い……!彼女の言葉に俺のプランが崩壊しそうになるが、ここで引き下がる俺じゃない!

 

「い、いや!俺はただ……その……静香さんに感謝の気持ちを伝えたくて!」

「感謝の気持ち?」



 静香さんが冷静な目で俺を見つめる。その目は、まるで「信じられないものを見る」ような冷たさだ。


 
「そうです!俺、静香さんが家族やみんなのために一生懸命働いてるのを見て、感動したんです!だからせめてものサポートを……!」



 ――どうだ、この健気さ!これが俺の本気だ!!



 だが、静香さんの次の言葉が俺の心を切り裂く。


 
「じゃあ、その感動した気持ちを胸に秘めて、廊下から消えてちょうだい。」


 
〈ズガーン!!〉



 あまりの直球に、俺の心に稲妻が走る。いや、俺力(おれりょく)でも防ぎきれないこの冷たさ!

 静香さんは最後にため息をついて、俺のお茶に一瞥をくれると、こう言い放って立ち去った。

 

「そのお茶、貴音さんか誰かにあげてちょうだい。」



 残された俺は、震える手でお茶を掲げたまま、廊下に一人ポツンと立っていた。


 
 ――なんだこれ、めっちゃ悲しい。



 だが、俺は拳を握りしめ、心の中で叫ぶ。


 
「負けないぞ、俺!明日はもっといい作戦を考えてやるからな!!」



 次なるステージに向けて、俺の挑戦はまだまだ続く――!


 

~~三日目――静香さんにお弁当を作る大作戦~~



 俺は早朝から台所に立ち、静香さんのためだけにお弁当を作ることにした。
 愛情たっぷりの手作り弁当なら、きっと彼女の心に響くに違いない!


 俺の料理スキルは、これまで妹の貴音にお弁当を作ってきた経験でしっかり磨かれている――はずだ。
 そんな俺が自信を持って作り上げたのは、茶色一色の輝く弁当……その名も「俺特製!肉だらけ弁当」だ!

 
 豚の生姜焼き、唐揚げ、肉巻きおにぎり、焼肉、さらにミートボール。
 肉!肉!!肉!!!それ以外の何物でもない!!


 毎回、これを貴音に渡すと彼女は微妙な苦笑いを浮かべるが、俺はこの弁当に全力の自信を持っている。
 だって、これぞ俺の“俺力(おれりょく)”の詰まった一品だからな!

 
 ――そして昼休憩の時間、作戦決行!


 静香さんが一息ついているタイミングを狙い、俺は自信満々で彼女に弁当箱を差し出した。


 
「静香さん!これ、俺が作ったお弁当です!」



 静香さんは弁当箱を見て、一瞬驚いたような顔をした。
よし、きっとこの意外性が彼女に刺さったはず!


 だが、ふたを開けた瞬間――


 
「……これ、何?」



 静香さんの声が妙に冷たい。


 
「肉です!」



 俺は胸を張って答える。これ以上の説明が必要ないくらい、肉だらけなのだから!

 静香さんは眉をひそめ、再び弁当箱をじっくりと見つめた。

 

「全部?」

「……はい!」



 静香さんの目が、さらに鋭くなった気がする。


 
「……野菜は?」

「必要ですか?」



 その瞬間、静香さんの眉がピクリと動いた。やべ、地雷踏んだ!?


 
「貴方……野菜が必要だと思わないわけ?」

「い、いや、あの……肉だけで栄養バッチリかと!」



 静香さんは深い溜息をつき、弁当箱をテーブルにそっと置いた。


 
「それで?これを私にどうしろと言うの?」

「食べてください!俺の愛情が詰まってます!」



 その言葉に静香さんは、しばらく無言のまま俺をじっと見つめた。
 その冷たい視線に、俺の自信がじわじわと削られていく……。

 やばい、なんか雲行きが怪しいぞ!?

 

「……まぁ、気持ちは受け取ったわ。」



 ――おお!やったか!?



 だが、その次の一言が俺の心をズタボロにする。


 
「……で、この弁当、焔華さんに渡してくれる?」

「ええええぇぇぇぇ!?」



 俺の全力の愛情弁当が、まさか焔華の胃袋行きに!?

 静香さんは冷静な表情で立ち上がり、最後に一言。


 
「貴方の努力は買うけど……次は野菜も入れてちょうだいね。」



 そう言い残して去っていく静香さんの後ろ姿を見送りながら、俺はその場で崩れ落ちた。

 

 ――静香さん攻略、まだまだ遠い……!



 弁当箱を握りしめながら、俺は次回こそ野菜を入れる決意をしたのだった。





 ――――――――――――――
 


 

 こうして、俺の「本気アピール作戦」は連敗続きだ。
弁当は却下され、掃除も半分スルーされ、書斎前でのスタンバイ作戦に至っては完全に不審者扱いだった。

 
 だが、俺は気づいている。
 静香さんはあくまで無表情を貫いているけど、ほんの一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、楽しそうな微笑みを浮かべていたことを!


 これは確実に俺の努力が伝わっている証拠だ!

 
 そんなことを考えていたら、俺の中で湧き上がる感情が抑えられなくなった。

 

「……くっそぉぉぉ!静香さん、やっぱり俺はお前が好きだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 俺はその思いをぶつけるべく、伊集院家の屋根に駆け上がり、全力で叫んだ。



 夜空に響き渡る俺の魂の咆哮――!


 

「静香さーーーーーん!俺はお前が好きだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 家の中が一瞬でざわつく気配がした。


 そして、すぐに麗華の怒鳴り声が聞こえてくる。


 
「うるさいわよ!深夜に何やってんの!?バカじゃないの!?降りてきなさい!」



 だが、俺の熱い想いはこんな怒声で止められるものではない!

 

「いいや、俺は降りない!静香さんへの気持ちがある限り、俺はここで叫び続けるんだ!」



 俺の全力の無視スキル発動。麗華の怒声なんて耳に入らないぜ!


 
「静香さーーーーん!俺の想いを受け止めてくれぇぇぇ!!!」



 麗華が家の中から何かを持ってくる気配がしたが、俺は構わず空に向かって叫び続ける。


 
「俺はお前が好きだ!明日こそ、俺の本気を見せるから覚悟してろよ!」



 その瞬間――


 
〈バシッ!〉



 何かが俺の後頭部に直撃した。
 振り返ると、庭の下で麗華が仁王立ちしており、手に石を持っているではないか!

 

「次は本気で投げるわよ!!」

「えぇぇぇぇ!?実のところ、俺けっこう痛かったんだけど!?」



 そのやり取りを遠くから見ていた雪華と焔華がクスクス笑い、貴音は「あぁ、また始まった……」と小さく溜息をつく。


 しかし、俺はこの程度で止まらない!


 
「よし!明日こそ俺の本気を見せてやる!」



 拳を握りしめ、俺は次なる作戦を考え始めた。
 屋根の上で見た星空は俺の決意をさらに強め、静香さん攻略の熱い想いを胸に眠りにつくのだった――。




 
 ――――――――――

 

 【静香視点】



 ――最近、飯田雷丸に付き纏われている。



 初めは警戒していた。
 異世界帰りだとか、魔王を倒しただとか――まるで冗談みたいな話を堂々と言い放つ彼。
 さらに、妖術でも呪術でもない未知の力を操る存在。

 
 そんな男が私に近づいてくる。
「綺麗ですね」なんて、唐突に言うものだから、最初は何か裏があると疑った。
 何かしらの目的があるんだろう、と冷静に見極めようとしていた。


 
 だが――



 ここ最近、嫌でも分かってしまった。

 
 この男、ただのバカだ。
 純粋で、まっすぐで、バカ正直なだけのバカだ。


 どうやら、あの「綺麗ですね」発言も、何かを企んでいるわけでもなく、取り入ろうとしているわけでもなく、単純にそのまんま私を褒めただけらしい。

 

 ――――――正直すぎるでしょ………………。



 それにしても、こうも毎日毎日、飽きもせずしつこくアプローチされると、嫌でも分かる。
 彼の行動――いや、彼のすべてが、あまりにも純粋すぎるのだ。

 
 最近では、私の顔を見るたびに「静香さーん!!」と満面の笑みで駆け寄ってくる。
 その光景を目にすると、私の頭の中ではある一つの結論が生まれてしまう。



 ――彼は、犬だ。わんちゃんだ。


 
「静香さん!」と叫びながら、勢いよく駆け寄る姿はまるで尾を振る犬そのもの。
 嬉しそうな笑顔で話しかけてくるその仕草は、散歩に連れていけと訴える犬のようだ。


 
「静香さーん!今日も綺麗ですねー!」



 その声が聞こえるたび、私の脳内では勝手に「ワン!」という効果音が再生されるようになってしまった。

 もちろん、私にそんな気はない。ないはずだ。


 
 だが――


 
「静香さーん!今日は何か手伝うことありますか!?俺、なんでもやりますから!!」



 彼がそう叫びながら、全力疾走で駆け寄ってくるたび、私は静かに溜息をつきながら思う。


 
 ――本当に、犬みたい。



 こんな犬っぽい男が、あの未知の力を持つ存在だなんて、誰が信じられるだろうか。

 ……まぁ、それでも彼の純粋さだけは認めざるを得ない。
 

 しかし、最近、また新しい問題が生まれてきた。

 
 
「静香さーん!今日は肩揉みしますよ!」

「……結構よ。」

「そっか…………」

 

 断ると、雷丸君は途端にしょんぼりしてしまう。

 その姿が、どう見てもおもちゃを取り上げられた子犬そのものだ。
 肩が落ちて、耳まで垂れ下がっているように見える。


 
「……」



 私はその光景を見ながら、思わず内心で溜息をついた。



 ――やめて、そんな顔をしないで。心が痛むでしょ。



 まるで、飼い犬を冷たく突き放してしまった罪悪感が胸に重くのしかかるようだ。
 正直、この感覚が少し厄介だ。



 ――どうして、こんなバカに心を揺さぶられなければならないのかしら。



 それでも、彼は飽きることなく毎日こうして「静香さーん!」とやってくる。
 それが段々と私の心に奇妙な影響を与え始めている。


 最近では、彼を断るたびに胸がチクチクと痛むようになってきた。
 まるで、本当に子犬をいじめているような気分になるのだ。


 
 いや、私は悪くないはずよ。
 むしろ、この男がしつこく絡んでくるのが原因なのだ。


 そう、自分に言い聞かせるものの――


 
「静香さーん!今日の掃除、俺も手伝いますよ!」

「……別に必要ないわ。」

「……そっか……」



 まただ。
 この、しょんぼりした顔。

 
 まるで、「遊ぼう」と必死に訴える子犬を無視してしまったときの気まずさが押し寄せてくる。

 
 本当に、厄介な男だわ。

 

「静香さーん!」



 今日も廊下の向こうから、彼の声が響いてくる。
 元気いっぱいの声に、私は深い溜息をつきながら、それを迎える準備をした。



 ――なぜか、少し微笑んでしまいながら。


 
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