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第132話 ワールドカップ27
しおりを挟む綾乃とのデートがなんだか気まずく終わり、俺は静かにホテルへと戻ってきた。
胸の奥に引っかかるモヤモヤ――テロリストのこと、綾乃の怯えた表情、彼女に「ごめんな」としか言えなかった自分の情けなさが、胸にしこりのように残っている。
でも――。
(……切り替えろ、雷丸。)
ここに来た理由を思い出す。
俺は、日本代表だ。多くの日本人の期待を背負って、ここリオに立っている。サッカーの世界最高峰、ワールドカップという舞台に立っているんだ。
私情に呑まれている場合じゃねぇ。
深く息を吸い込み、気持ちを切り替えた。
そして、俺はミーティング室の扉を静かに開けた。
――途端に、張り詰めた空気が肌に突き刺さる。
部屋の中は重苦しい沈黙に包まれていた。誰もが険しい表情で、会議用のテーブルに並べられた資料に目を落とし、言葉少なに考え込んでいる。
ピリピリとした緊張感。刺すような空気。まるでこの場そのものが戦場のようだった。
それも当然だ。
――明日は、ワールドカップ3回戦。
俺たち日本代表が戦う相手は、優勝候補の一角――スペイン代表。
そして、そのスペイン代表の中心に立つのは――
「無敵の闘牛」カルロス・トーレス。
その名を聞くだけで、胃がキリキリと痛んだ。
フランス戦、ベルギー戦と勝ち進んできたが、スペイン戦は――別格だ。
相手は、“世界最強の称号 ワールドクラス"を持つ男の一人。
理不尽なまでのフィジカルと、驚異的なテクニック、そして闘牛のような突進力。
俺たちがここまで乗り越えてきたどんな“猛獣”よりも、間違いなく最も“ヤバい”相手だった。
そんな中、藤堂監督が前に立つ。
腕を組み、鋭い目で俺たちを見据える。
「――お前たち、先の2戦は見事だった。」
その声には、静かな重みと確かな評価が込められていた。
フランスとの華麗な一戦。
ベルギーとの死闘の末の勝利。
あの戦いの中で俺たちが見せた闘志と力を、監督はしっかりと認めてくれていた。
だが――
「だが、これからの戦いは先の2戦とは比較にならない。」
その言葉と同時に、部屋の空気が張り詰める。
笑顔を浮かべていた仲間たちも、表情を引き締めた。
監督の視線は真っ直ぐに、俺たちを射抜いてくる。
「スペイン代表――カルロス・トーレスは、“無敵の闘牛”と呼ばれる男だ。」
映し出される映像。
それは、一人の男がフィールドを蹂躙する姿だった。
体躯は筋骨隆々。まるで戦場の闘牛のように逞しく、そして鋭い。
その突進力に立ち向かおうとした相手は、次々に跳ね飛ばされ、蹂躙されていく。
ボールを追いかける姿は、まさに突進。
一度標的にされたら、最後まで逃がさない。
まさに“無敵の闘牛”という異名にふさわしい圧倒的な存在感だった。
「フランスの華麗さ、ベルギーの狂気。それらを超えた、純粋な“力”がトーレスの強さだ。奴はただ、前に進む。それだけで勝つ男だ。」
監督の言葉に、ミーティングルームの空気は一層重くなった。
この戦いがどれほどの覚悟を必要とするか――その現実を、誰もが改めて痛感していた。
その沈黙を破ったのは、誰かの小さな呟きだった。
「じゃあ、どうすりゃいいんだ……?」
重く、しかし確かに響いたその問いに、監督は静かに、だが力強く答えた。
「簡単なことだ。」
その言葉に、皆が顔を上げる。
「お前たちは、これまで“戦術”で勝ってきた。フランスの華麗さを戦略で凌ぎ、ベルギーの狂気を頭脳で打ち破った。どんな相手だろうと、自分たちの力で道を切り開いてきた。」
その言葉に、自然と俺たちの胸が熱くなる。
「あのフランスに勝ったのは、お前たちの戦術と個の力だ。ベルギーの狂気を打ち破ったのは、お前たちの連携と闘志だ。」
ひとつ、ひとつ、言葉を紡ぎながら監督は全員の目を見渡す。
「だから、明日も同じだ。」
静かに、しかし確かに語る。
「また“戦術”で勝て。戦略で、トーレスの力を超えてみせろ。」
その瞬間、部屋に静かな熱が走る。
「お前たちなら、必ず勝てる。」
監督ははっきりと、そう言った。
その言葉に、チーム全員の表情が引き締まる。
これまでの戦いで積み上げた自信が、確信へと変わっていく。
「フランスを越えた。ベルギーを超えた。だったら、次はスペインだろ。」
長谷川キャプテンが静かに言葉を重ねる。
「そうだ。お前たちなら、できる。」
監督はそれだけ言い、ゆっくりと背を向けた。
誰も声を出さなかった。ただ、その言葉だけで十分だった。
監督の「絶対に勝てる」という信頼が、俺たちにとっては何よりの力になる。
――明日、絶対に勝つ。
その覚悟が、チームの中で静かに燃え始めていた。
――――――――――――――――
ワールドカップ3回戦――日本vsスペイン。
そのスタジアムは、まるで巨大な闘技場のような緊迫感に包まれていた。
赤く染まった観客席。無数のスペインサポーターが、赤い旗を掲げ、太鼓を打ち鳴らしながら歌い上げる。
その熱狂はまるで、すでに自分たちの勝利が決まっているかのようだった。
鼓動のように響く太鼓のリズムが、スタジアム全体を揺らしている。
「¡Vamos! ¡España! ¡Vamos!」
力強い声が、波のように押し寄せる。赤い炎が燃え盛るような錯覚にさえ陥る、そんな壮絶な熱気だ。
だが――俺たち日本代表も負けてはいられない。
日本のサポーターたちも、必死に声を張り上げていた。
青いユニフォームに身を包み、全身全霊で応援を送り続けてくれる仲間たち。
彼らの声援が、俺たちの背中を押してくれる。
「行けー!!日本!!」
「負けるな!!雷丸!!」
「最後まで戦えぇぇぇぇ!!」
その声は、スペインの大歓声に掻き消されそうになりながらも、確かに届いていた。
そして、ついに――奴が姿を現した。
優勝候補・スペイン代表。
その中心に、まさに“闘牛”のごとく悠然と歩いてくる男がいた。
『無敵の闘牛』――カルロス・トーレス。
その圧倒的な存在感は、スタジアム全体を一瞬にして静めるほどだった。
岩のように分厚い胸板、鍛え抜かれた肩と腕。
筋肉が盛り上がった脚は、まるで地面を砕くように一歩一歩を踏みしめて進んでくる。
「……デケェな。」
誰かが思わず呟いた。
その声には、恐れと驚愕が滲んでいた。
ただそこに“立っているだけ”で、見る者に圧倒的なプレッシャーを与える男――それがトーレスだった。
スペインサポーターの大歓声が、スタジアム全体を包み込む。
「¡Torres! ¡Torres! ¡Torres!」
そのコールは、まるで英雄の凱旋を祝うかのようだった。
だがトーレスは無言のまま、静かに俺たち日本代表を見下ろす。
まるで、リングの中央で立ち尽くす闘牛。
赤い旗――いや、俺たち日本代表を「獲物」として見定めるように、ゆっくりと視線を滑らせる。
そして、ニカッと笑った。
「雷丸!お前との戦い、待ちわびたぞ!」
挑戦的で、それでいて堂々とした声。
「……おう、俺も楽しみにしてたぜ!!」
俺も負けじと笑い返し、差し出されたその手を強く握る。
その瞬間、奴の手の力がズシリと伝わってくる。まるで「勝負はすでに始まっている」と言わんばかりに。
その重みを受け止めながら、俺もガッチリと握り返した。
次に、スペイン代表の選手たちとも順々に握手を交わす。
「日本。フランス、ベルギーを倒して勢いに乗っているな。だが、俺たちが勝つ。」
誰もが口元に笑みを浮かべていた。
だが、その奥には激しい闘志とプライドが滲んでいた。彼らは、この場所での“勝利”しか見えていない。
だが――俺たち日本代表も同じだ。
笑顔を見せつつも、心の中では一瞬たりとも油断せず、「絶対に勝つ」という気持ちを燃やしていた。
赤く燃えるスタジアムの中、日本代表の“青”が静かに、 しかし確かに燃え始めていた。
この闘技場で、俺たちは必ず勝つ。
赤く燃えるスタジアムの中、日本代表の“青”が静かに、しかし確かに燃え始めていた。
この闘技場で、俺たちは必ず勝つ。そう、心に誓った。
――だが、その前に立ちはだかるのは、今大会屈指の強豪、スペイン代表。
実況席が熱気に包まれ、興奮を抑えきれない声が響き渡る。
「さぁ、いよいよ始まります!ワールドカップ3回戦――日本対スペイン!!」
「スペインは世界屈指の強豪、言わずと知れたサッカー大国!そして、その中心に立つのは、“ワールドクラス”の男、カルロス・トーレス!!」
実況の声がトーレスの名を呼ぶと、スタジアム全体が沸き立つ。
スペインサポーターたちは赤い旗を振り、太鼓を打ち鳴らしながら声を張り上げていた。
「¡Torres! ¡Torres! ¡Torres!」
まるで彼のために用意された舞台。
まるで彼が勝つことが決まっているかのような――そんな空気に包まれていた。
「トーレスは、ただの選手ではありません。まさに“ワールドクラス”――世界最強のサッカー選手、その象徴と言っても過言ではないでしょう!」
実況がさらに熱を帯びる。
「これに対するは、今大会最大のダークホース、日本代表!!」
「フランス、ベルギーと強豪を撃破し、今や世界の注目を浴びる存在となっています!まさに”神風”の如く、勢いに乗る日本代表!」
けれど――それでもなお、誰もが思っている。
“スペインが勝つのは当然だろう”と。
“日本がどれだけ食い下がれるか”が見どころだと。
そんな空気が、スタジアムの隅々まで染み渡っていた。
「この強さの差を、どこまで埋められるか!日本代表の真価が問われる一戦となります!」
だが――
「……ワールドクラスだろうが、俺が超えてやる。」
俺は静かに、でも確かに心の中で呟いた。
トーレスのような“世界最強”と言われる男を超えて、初めて“世界”に挑戦できる。
ならば、やるしかない。俺が超えてやる。日本の10番として。
だが――
その時の俺はまだ知らなかった。
“ワールドクラス”という言葉の重みを。
“世界最強”のサッカー選手という存在が、どれほどまでに絶望的な壁なのかを。
〈ピィィィィィィィィ――!!〉
いよいよ、試合開始のホイッスルが鳴り響く。
スペインの赤と、日本の青――真っ向からぶつかり合う瞬間が、いま始まる。
――――――――――
スペインのボールで試合がスタートした。
開始のホイッスルと同時に、鮮やかなパス回しでボールは滑らかにトーレスの足元へと渡る。
「さぁ――お手並み拝見だ、ワールドクラス。」
俺は迷わず、トーレスにマークをつけようと足を踏み出した。
相手の動きを読み、距離を詰めてパスコースを消す。それが“いつもの動き”のはずだった。
だが――
トーレスは、静かに笑った。
余裕たっぷりに。
「……それで、いいのか?」
その声が聞こえた気がした。いや、確かに聞こえた。
その瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
そして、トーレスは“前に進んだ”。
――ただ、それだけ。
何のフェイントも、トリックもない。
ただ、重く、太く、真っ直ぐに。
「――え?」
次の瞬間、世界が“止まった”。
ゴオォッ――という風圧が耳を叩いた。
わけがわからなかった。
ただ、ボールを奪おうとしただけなのに。
ただ、距離を詰めただけなのに――
「……っ!!」
その瞬間、視界が真っ白に弾け飛んだ。
圧倒的な衝撃。
まるで――
――巨大なトラックに正面から轢かれたような感覚だった。
俺の身体は宙を舞っていた。
〈ドンッ!!〉
鈍い音と共に、身体が無様に吹き飛んでいく。
視界がグルリと回転して、青い空と観客席の赤が交互に見えた。
空がどっちなのかも、地面がどこにあるのかもわからない。
全てが、スローモーションだった。
(なん、で……?)
脳がついてこない。
理解が追いつかない。
(どうして、俺が……?)
ただ、止めに入っただけだ。
ただ、ボールに向かって足を出しただけだ。
なのに――
――なのに、どうして俺は“吹き飛ばされている”?
次の瞬間、ピッチに叩きつけられた。
〈ズザァァァッ!!〉
音と共に背中を焼くような痛みが走る。
芝が剥がれ、土が肌に突き刺さり、呼吸が止まる。
口に土の味が広がり、視界は地面に埋まった。
何も、分からない。
何が起きたのか、どうしてこうなったのか。
ただ、痛みと、呼吸の苦しさと――
そして、動かない自分の身体。
「は、はぁっ、はぁっ……」
必死に息を吐いて、顔を上げる。
ピッチの芝がボロボロになっていた。
俺の身体が作った“軌跡”。
それを見た瞬間、冷たいものが背筋を駆け抜けた。
視線を上げる。
見えたのは――
トーレスの背中。
――止まっていない。
奴は、俺を吹き飛ばしたことなど“気に留めることすらなく”、ただ前に進んでいた。
あの巨大な体躯を揺らし、重々しい歩幅で、一歩、また一歩と進んでいく。
その背中に、俺は恐怖すら覚えた。
「な……」
声にならない声が漏れる。
まるで、俺なんか“いなかった”かのように。
まるで、ただの“虫けら”でも踏み潰したかのように。
あまりにも“当然のように”俺を吹き飛ばし、何事もなかったかのように前に進んでいく。
実況席の声が悲鳴のように響く。
「な、なんという衝撃!!日本のエース、飯田雷丸が、カルロス・トーレスに――吹き飛ばされた!!」
「一歩も動かず、まるで当たり前のように!!衝撃です!!まるで壁にぶつかったかのような衝撃!!」
「これが――これが“ワールドクラス”の強さなのか……!!」
トーレスは、すでにゴール前に迫っていた。
その背中は揺るぎなく、まるで“絶対”を象徴しているかのように堂々としたものだった。
日本のディフェンダーたちが、必死に止めに入る。
「囲め!囲め!!」
長谷川キャプテンの必死の指示が飛ぶ。
しかし――
〈ドンッ!〉
〈ズザァァァッ!〉
〈グワッ!!〉
次々に弾かれていくディフェンダーたち。
まるで存在すら認識されていないかのように、軽々と身体を弾き飛ばされ、芝生の上を滑っていく。
まるで鉄の塊。
否――“暴走する巨大な闘牛”だ。
誰も、止められない。
誰も、抗えない。
「止められないなら、シュートコースを絞れ!!」
長谷川キャプテンの叫びが響く。
トーレスは堂々と、真っ直ぐに――ゴールへと進んでいく。
そして――
〈――――――ズドンッ!!!!!〉
トーレスの太ももが唸り、強靭な筋肉が弾ける音と共に放たれたシュート。
まさに“爆撃”だった。
ボールは一直線にゴールへと向かう。
大久保ゴールキーパーが、渾身の反応でその弾丸を捉える。
「うぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
叫びと共に、両手でシュートを正面から受け止めた――
はずだった。
――だが。
〈バヂィィィィィン!!!!〉
弾かれた。
大久保の身体が、まるで紙くずのように後ろにのけぞり、吹き飛ばされていく。
そのまま――
〈ドゴォォォォォォン!!!〉
ボールは何事もなかったかのようにゴールネットを突き破る勢いで突き刺さった。
ゴール。
それも、“完璧なゴール”だった。
そして、爆発するような歓声。
「¡Goooooooooool!!!」
「¡Torres! ¡Torres! ¡Torres!」
観客席が真っ赤に染まり、誰もが立ち上がり、狂ったように叫ぶ。
太鼓が響き、歌が響き、スペインの大歓声がスタジアムを飲み込む。
この瞬間、スタジアムは完全に“スペインのもの”だった。
――そして、俺は。
地面に転がったまま、その光景をただ呆然と見つめていた。
「…………嘘だろ。」
口から零れ落ちたのは、ただその一言だった。
これが――
これが“ワールドクラス”。
世界中のプロたちから、更に強者を選び抜いて構成される、ワールドカップ出場選手たち。
その中でも、さらに飛び抜けた存在。
上澄みの上澄みの中でも、なお突出する怪物。
理屈も、技術も、戦術も関係ない。
ただ“力”が――違う。
“世界”が――違う。
そして、その“違い”は、俺の身体ごと叩きつけられた。
これが――世界の頂点に立つ“選ばれし怪物”の力。
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