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第142話 ワールドカップ37
しおりを挟む――4-4。
均衡が続いたそのスコアに、ついに“異変”が起きた。
俺の十八番――雷速ステップ。
地を裂くような爆発的踏み込みからの切り返し。
これまで何人のディフェンダーを置き去りにしてきたか分からない。
だが――目の前の男は、それを“見ていた”。
「……俺みたいな捻くれ者には、その動き、ちょっと正直すぎるぜ?」
エンリケ・マルティネスが、俺のステップ先を寸分の狂いなく読み切り、俺の前に立ちはだかった。
「なっ……!?」
そのまま奪われる。
間合いも、タイミングも、完璧に“崩された”。
「チッ……!」
俺はすぐに反転し、追う。
が――エンリケはもう、加速していた。
ディフェンダー陣が戻り、三人がかりで囲む。
ライン際、まるで網をかけるように、じわじわと追い込む。
「囲め!! 行き場はない!!」
誰もがそう思った。
どう見ても“詰み”。
クリア、ファウル狙い、アウトオブプレーでリセット…が妥当。
だが――
ライン際、狭小スペース。突破なんて不可能な局面。
普通なら諦める、いや、“存在しない”選択肢。
だが、エンリケは――そこに“イメージ通り”の解を持っていた。
「行き場はないって?お前達の目は節穴か?」
エンリケは、迷いなくボールを蹴り出す。
コーナーフラッグの根本――
人工芝の縁に埋め込まれた、しなやかな“弾性の柱”。
――跳ね返った。
フラッグポールの根元に当てられたボールは、
まるで計算された角度で、逆方向へ弧を描きながら跳ね返る。
「はっ……!? うそだろ!? フラッグで……!?」
DFたちが慌てて動こうとする。
だが――遅い。
ライン際で“詰み”を想定していた彼らは、
密集した位置から動けない。
味方同士の軌道が重なり、反応がワンテンポ遅れる。
その瞬間――
エンリケはラインの“外”へ走り出した。
「……まさか、外回り!? ライン外を!? そこ、ピッチ外だぞ!!」
誰もが目を疑った。
でも――審判は、ホイッスルを吹かない。
そう、ルール上、“選手の身体”が外に出るのは問題ない。
あくまでボールがラインを割っていない限り、プレーは続く。
エンリケは、ラインの外側を走りながら、跳ね返ったボールに追いつく。
柵すれすれ。カメラマンやスタッフの横をすり抜けるようにして――
それでも彼の動きはぶれない。
そして――
跳ね返ったボールに完全なタイミングで追いつく。
「っっ……マジかよ……!!」
「いや、嘘だろ……何だあれ、何だあの動き……!!」
観客が叫び、解説が言葉を失い、実況は絶叫する。
エンリケはライン外から再びピッチへと滑り込み――
完全に崩れたディフェンスラインの逆サイドへクロスを放った。
その先には、走り込んだ味方。
フリーでシュート。ネットが揺れる。
「ゴォォォォォォォォル!!!」
「決まったああああああ!!!」
「前代未聞!!! ライン外突破からの復帰クロス!!!」
「エンリケ・マルティネスが、今ここで常識をぶち壊したァァァ!!」
スタジアムが割れんばかりの歓声に包まれる。
――まるで、現実が、
“彼の想像の延長”にあるかのようだった。
天才マジシャンは、空間さえも欺く。
常識さえも、魔法で捻じ曲げる。
そのプレーは、まさに――芸術そのものだった。
〈ピィィッ!〉
日本ボールで試合が再開される。
だが、ピッチの空気はすでに“穏やか”ではなかった。
焦り。
恐れ。
「追いつけなければ終わる」という、確かな“緊張”。
俺がボールを持つ。
跳ねるボールを沈め、息を一つ。
ディフェンダーを一人、二人とかわし――視界が開けた。
目の前にはゴール。
――撃てる!!
「いけェェェェェ!!」
全力の踏み込み、右足を振り抜こうとした――その瞬間。
――“スッ”。
その軌道に、影が割り込んだ。
「なっ……!!」
エンリケ・マルティネス。
俺のシュートコースに、まるで“時間”を止めたかのように足を滑り込ませてきた。
「言ったろ? 少し素直すぎるぜ、雷丸。」
そして――トンッ。
驚くほどに柔らかいボールタッチ。
吸い込まれるように、ボールがエンリケの足元へ納まる。
「止めた……!? 雷丸のシュートを……!!」
周囲がざわつく。
その刹那――
エンリケが俺を抜き去った。
「まずい!!!」
すぐさま追おうとする。
だが、“止められた”という事実が、わずかに動きを鈍らせる。
その一瞬が命取りだった。
エンリケは、すでに中盤を駆け抜けていた。
アルゼンチンの選手たちが呼応する。
怒涛のカウンター。
ピッチに、背筋が凍るような緊張が走る。
「マズい……これはヤバい!!」
「2点差だけは……!! 2点差になったら……!」
――“終わる”。
ベンチがざわつく。
サポーターの声援が、祈りに変わっていた。
絶対に、これ以上は離されてはいけない。
だが――
この瞬間のエンリケは、誰よりも速かった。
華麗なステップ。
味方とのリズムを滑らかにシンクロさせる、創作の連鎖。
そして――ペナルティエリアの角。
エンリケが、一瞬、足を止めた。
それは、ただの静止じゃない。
“すべてを支配するための間(ま)”だった。
まるで舞台の主役のように、
ゆっくりと身体をひねり――シュートモーション。
「止めろォォォ!!!」
長谷川キャプテンの叫びと同時に、守備陣が動く。
長谷川キャプテンが左から体を滑り込ませ、
副キャプテン・藤井が正面から、
そして守備の要・井上が右から絞り込むように立ちはだかる。
三人の壁が、“射線”を完全に塞いだ。
――これなら、撃てない。
――撃たせるな。
ピッチの空気が一瞬、凍りつく。
シュートモーションに入ったエンリケが、身体をひねる――
(撃ってくる!!)
全員がそう信じ、身構えたその瞬間だった。
「……あぁ、そっちじゃないよ」
エンリケが、楽しげに囁いた。
――右足が振られる。
だが、その軌道は“ゴール”ではなかった。
パス。
しかも――嘲笑うかのように、逆サイドへ。
「は!? パスだと!?」
壁を築いた日本のDFたちが、一瞬で崩れる。
構えていた身体の反応が追いつかない。
そして――そこにいた。
どフリーのアルゼンチンFW。
ワンタッチ。
そのままノーステップでシュート。
ボールが、雷のようにゴールを襲う――!!
「大久保ォォォォ!!!」
絶叫が響く中、
日本の守護神――大久保修吾が飛んだ。
身体を捻り、全神経を指先に集中させる。
角度、タイミング、コース――すべてを“賭け”に出す!!
「うおおおおおおおおっ!!!」
全身を叩きつけるように空中へ!
――ガッ!!!
音が鳴った。
右手の先端――指先が、ボールに触れていた。
〈ゴォォォォォンッ!!!〉
跳ね上がったボールはクロスバーに直撃し、
ゴールライン手前にバウンド――こぼれる!
「止めたァァァァァァ!!!! 大久保だァァァァ!!!」
「アルゼンチンの決定機を、止めたァァァァァァ!!!」
「絶望の2点差を、紙一重で食い止めたッ!!!」
ピッチが震える。
ベンチが総立ちになる。
大久保は肩で息をしながら、ゴール内で拳を握りしめていた。
「……まだ、終わっちゃいねぇぞ。」
泥だらけの顔に浮かぶ、意地の笑み。
――守った。
ギリギリで、“未来”をつないだ。
この一瞬が、日本代表にとって――最後の希望の火種になる。
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