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第161話 ワールドカップ56
しおりを挟むワールドカップの公式パーティーも終わり、ホテルのベッドに身を沈めた俺は、深いため息をついて天井を見上げていた。
大歓声も、勝利の興奮も、もう今は静まり返った南米の夜の中に消えていく。
明日の朝には、日本へ帰国。
ここブラジルでの時間も、これで最後だ。
「……なんか、あっという間だったな」
カーテンの隙間からこぼれる街の灯りが、部屋の中に揺らめいている。
少しだけ名残惜しくて、スマホを手に取った。
その瞬間――通知音が鳴った。
LINE。
差出人は……藤咲綾乃だった。
画面には、短く、丁寧な文章。
「飯田さん、お疲れ様です。
これからお暇でしょうか?」
「……おいおい」
思わず小さく吹き出す。
“お暇でしょうか?”って、どこかのお嬢様かよ。
でも――どこか、ほんのり期待してしまうのはなぜだろう。
この時間に来るメッセージってだけで、なんかこう、ちょっとドキッとするじゃん?
俺は一拍おいてから、指を動かす。
「お疲れ様、綾乃。ちょうどヒマしてたとこ。
どうかした?」
返したメッセージが“既読”になった瞬間、即座に返ってきた。
「よかったです。
飯田さんのホテルのロビーにいます。少しだけ、お話しませんか?」
心臓が、ほんの少しだけ跳ねた。
――ブラジル最後の夜に、綾乃が誘ってきた。
「……行くしかねぇだろ、そりゃあ!!」
俺は勢いよく立ち上がり、髪を軽く整え、Tシャツに上着を羽織って――
夜のロビーへと向かった。
――――――――――
夜のホテルロビー。
柔らかなシャンデリアの光が降り注ぐ中、エレベーターから降りた俺は、少しだけ緊張しながら周囲を見渡した。
「綾乃……あ、いた」
ロビーの一角。きっちりスーツを着こなし、髪をまとめて佇む藤咲綾乃の姿が目に入る。
……え、なんか雰囲気ガチガチすぎない?
まるでクレーム対応直前のCAみたいな気配を漂わせている。
「綾乃――」
名前を呼ぼうとした、その瞬間――
〈ズシャッ!!〉
絨毯の上に音速土下座。
「お、おいおいおいおい!!??」
まさかのロビーでの急降下。絨毯もビビる完璧なフォーム。
その額が地に着いた瞬間、綾乃が叫ぶ。
「この度は誠に申し訳ございませんでしたァァァァ!!」
声でかッ!!!
「やめろっ!マジでやめろ!!なんか“記者会見”みたいになってるから!!」
慌てて駆け寄り、肩を掴んでぐいっと上体を引き起こす。
周囲の宿泊客が「あれ飯田選手じゃない!?」と見はじめてる。お願いだからフラッシュ焚かないで!!
ようやく顔を上げた綾乃は、うつむいたまま震える声で言った。
「……飯田さん……あの時、私……テロリスト側の誘いに乗って、あなたを……裏切るような形になってしまって……」
唇を噛み、眉を下げるその顔は、いつものしっかり者の綾乃じゃなかった。
真面目で不器用で――だからこそ、ずっと引きずってたんだ。
俺はそっと笑って、肩に手を置いた。
「おいおい、そんな顔すんなって」
綾乃が顔を上げる。瞳には、涙の膜が浮かんでいた。
「気にしてねぇよ。お前も必死だったろ? あの状況で誰だって迷うし、何が正解かなんて分かんねぇって」
「でも……」
綾乃が口を開きかけるのを遮るように、俺は軽く笑って言った。
「それに、今こうして謝りに来てくれた。それだけで俺はもう嬉しいんだよ。」
その言葉に、綾乃の目がまた潤んだ。
「だからそんな顔すんなって」
そう言いながら、軽く肩に手を置いて――ついでに、ちょっと照れくさくなった俺は口元を歪めて冗談をひとつ。
「……あんまり気にしてると、シワが増えるぞ?」
綾乃が、ふっと吹き出す。
「何ですかそれ……」
その笑みは、どこか照れくさく、でも確かに柔らかかった。
重たかった空気がふわっとほどけて、ようやく“いつもの綾乃”が戻ってきた気がした。
そこで俺は、満を持してニヤリと笑い――
「……ってことで、この話はもう終わり!さあ、デート行こうぜ、デート!」
「――えっ!?」
予想外の急展開に、綾乃の目がまんまるになる。
「土下座なんて俺は求めてない!お詫びとしてはさ……俺を、サンバに連れて行くこと!!」
「さ、サンバ……!?」
「そう、ブラジル式リベンジデートだ!派手に行こうぜ派手に!ノリと勢いでチャラにしてくスタイルだ!!」
綾乃は目をぱちくりさせて、しばらく沈黙――
やがて、呆れたように笑ってぽつりと呟いた。
「……貴方という人は、本当に……」
だけどその口元は、ほんの少しだけ――楽しそうに緩んでた。
そして、少し照れながらも小さく頷いて言った。
「……分かりました。じゃあ今日は私が、精一杯“派手に”お詫びさせていただきます」
その返事に――俺は満面の笑みでガッツポーズを決めた。
「よっしゃああ!!派手に行くぞ!今夜はカーニバルだぁぁ!!」
――――――――
俺と綾乃は、着替えタイムに突入した。
俺はラテン感全開の柄シャツ+短パンで“リオの風”を気取るスタイル。
一方、綾乃は――
「……ど、どうですか?」
おずおずと出てきた彼女は、白を基調にしたワンピースにサンダル姿。
ゆるく巻いた髪に、耳元で揺れるピアス――思わず見とれた。
「うおっ……めっちゃサンバ映えしてる!!」
「“映え”って何ですか、もう……」
呆れながらも、頬を染めて笑う綾乃。ちょっと反則級にかわいいぞ。
そして、タクシーの中。
窓の外には、夕焼けとネオンが交差するリオの街。
「で、今日行くクラブって、どんなとこなんだ?」
俺が尋ねると、綾乃は背筋をすっと伸ばし、完全に“案内モード”へ。
「“バイーリ・ド・サンバ”というお店です。リオでも人気のサンバクラブで、本場のダンサーが毎晩ショーをしているんです。観光客だけじゃなく、地元の人にも愛されてる場所ですよ」
「マジかよ!本場のサンバが見れるのか!? そりゃ最高だな!!」
俺はテンションMAXで拳を握る。綾乃はそんな俺を見てクスッと笑い、首を傾げた。
「せっかくブラジルに来たんですから、楽しまないと損ですよ?」
「だよな!よし、レッツゴーだ!!」
タクシーはリオの繁華街を抜け、華やかなストリートへ差しかかる。
ネオンが瞬き、遠くからリズムの効いた音楽が流れてくる。
「サンバってやっぱり夜が本番なんだな」
「ええ。夜のリオは全体がフェスティバルみたいになりますから。音楽も人も、昼とはまったく違う顔になるんです」
その言葉通り、タクシーが停車した先には――
まばゆいネオンと爆音リズムに包まれた“陽気の渦”があった。
ストリートではすでに音楽に合わせて踊る人々。
店内からはサンバの生バンドが弾けるような演奏を響かせ、
ダンサーたちが煌びやかな衣装で舞い踊っている。
「……うおぉぉ……これが……これが……!!」
俺はまるで異世界に来たみたいな顔で呆然と立ち尽くしていた。
「これが……本場のサンバかああああああああああ!!!!」
完全にテンション大爆発。
綾乃は俺のリアクションを見て、嬉しそうに笑った。
「ふふっ、気に入ってもらえたようで、なによりです」
「気に入るとかのレベルじゃねぇよ!!魂が揺れてる!!」
俺の体は、もう音に釣られて勝手にリズム刻み始めてる。
ヤバい、これは踊らずにはいられねぇ――!
「なぁ綾乃……俺も、踊ってみてぇんだけど。どうすりゃいい?」
その一言に、綾乃は一瞬だけ目を瞬かせたあと、ふっと笑みをこぼした。
「ふふっ、それなら――私が、教えてあげましょうか?」
……マジで!?
まさかの“マンツーマン・サンバ指導”発動――心臓が跳ねすぎてリズム刻んでるレベルだ!
「お、おう!ぜひお願いしたいっ!」
俺が勢いよく答えると、綾乃はくすっと微笑みながら、そっと俺の手を取った。
「まずはステップの基本からですね。サンバはリズムが命なので、音楽に身を委ねるのが大切です」
彼女が手を引いてフロアの隅へと移動する。
周囲ではブラジル人たちが陽気に踊りまくり、会場はすでに熱気の渦。
「足を前後に、リズムに合わせて……そう、こんな感じです」
綾乃が見せるステップは軽やかで、リズムに合わせて腰が自然に揺れる。
……え、何その完璧なムーブ。アイドルかよ。
「うおぉ……思ったよりムズいなこれ……!」
「大丈夫ですよ。私がついてますから」
そう言いながら、綾乃は俺の肩に手を添えてリードしてくれる。
丁寧で、優しくて、距離が近くて……って、近ッ!?
「1、2、3……そうです、その調子!」
少しずつ、リズムが掴めてくる。俺の足取りもだんだんスムーズに――
「お?おぉ!?……ちょっとサンバっぽくなってきたかも!」
「はい、すごくいい感じですよ!」
綾乃が嬉しそうに笑う。
その笑顔に乗せられて、俺の動きにも自信が出てきた。
音楽がテンポアップする――
「じゃあ、次は少し速くいってみましょうか?」
「望むところだ!」
息を合わせ、俺たちはステップを刻み続ける。
それを見た現地の客がざわめきはじめた。
「オーラ!日本人がサンバ踊ってるぞ!」
「いいぞ!もっといけー!」
気づけば、俺たちの周囲に手拍子の輪ができていた。
「うおっ……これが本場のノリか!!」
鼓動とビートがシンクロする。
足も、腰も、勝手に動く。もはや魂が踊ってる!
綾乃も驚いたように俺を見て、息を弾ませながら笑った。
「飯田さん……すごいです!もう完全に“リオの風”になってます!」
「はっはっはっ!誰だと思ってる!? ハーレム王は、どんな場所でも全力で楽しむ男だ!」
俺の宣言に、観客が一斉に歓声を上げる。
陽気な声が飛び交い、リズムが街を揺らす。
俺は笑いながら手を高く掲げ、サンバのリズムに合わせてステップを刻み続ける。
綾乃も隣で楽しそうに踊ってる。
ゆれるワンピース、軽やかな笑顔――まるで夜のリオに咲く一輪の花みたいだ。
……踊ってると、だんだん気持ちも大胆になってくるんだよな。
「なぁ、綾乃」
音楽の中で少しだけ声を張ると、綾乃がくるりとターンして、俺の方を見て小首を傾げた。
「なんですか?」
その仕草が可愛すぎて、ちょっと言うのをためらいかけたけど――俺はニヤッと笑って、ストレートに切り出した。
「綾乃も、俺のハーレムに入るってことでいいんだよな?」
綾乃のステップが、一瞬だけ止まった。
……でも、俺は続ける。
「あの時、ヴァルターじゃなくて、俺を選んでくれただろ?」
彼女は目を伏せ、サンダルのつま先で床をかすかに蹴った。
「それは……」
その声が曖昧だったから、俺はニヤリと笑って一歩前へ出る。
「じゃあ、別の質問で聞くわ」
サンバの音がほんの一瞬遠のいたように感じた。
そして俺は――まっすぐに言った。
「綾乃。お前、俺のこと好きか?」
綾乃がハッと顔を上げた瞬間、俺は自分の胸を親指で指しながら、ド直球で追い打ちをかける。
「俺は好きだぜ、お前のこと」
その言葉に、綾乃の目が見開かれた。
けど俺はもう止まらない。
「真面目で、責任感強くて、家族思いで……だけどちょっと不器用で、変に頑固で……それでも誰より優しくて、一生懸命で」
綾乃が何か言おうとしたけど、俺は続けた。
「しかも――可愛いしな。ワンピース姿、マジで反則。見た瞬間、息止まったぞ」
そう言うと、綾乃の顔がみるみるうちに真っ赤になった。
「な、なに言ってるんですか……」
「本音だよ。俺はお前の全部が好きなんだよ。もう全部、惚れてんだよ」
リズムは止まらず、サンバの熱が夜を包む。
でも俺たちの世界は、今この瞬間だけ静かだった。
「だから、改めて聞く」
俺はもう一度、綾乃の手を取って――
「お前、俺のハーレムに入ってくれるか?」
音楽が、遠くに感じる。
鼓動の音だけが、やけに大きく響いていた。
綾乃はしばらく目を逸らしたまま、震える唇をかすかに開き――ぽつりと、言った。
「……もう、断れるわけないじゃないですか」
綾乃の手に、少しだけ力がこもる。
「誰より無茶苦茶で、誰より破天荒で、誰より……バカみたいに真っ直ぐで」
俺は思わず笑ってしまいそうになるが、彼女の瞳があまりにも真剣で、自然と表情を引き締めた。
「テロの時もそうでした……。きっと、誰もが怖くて動けなかったあの瞬間に、飯田さんは迷いなく私を助けに来てくれて……」
綾乃は少しだけ目を伏せ、続けた。
「本当は、もっと怖かったはずなのに。大事な試合を犠牲にしてでも、私のために来てくれた。……あの瞬間から、ずっと胸が痛くて、苦しくて……でも」
――気づいたら、惹かれていた。
言葉にはならなかったけれど、その気持ちが全部、綾乃の瞳に込められていた。
「……それに、私……飯田さんがサッカーしてる姿を見るのが、何より好きなんです」
俺の目をまっすぐ見ながら、綾乃が微笑んだ。
「子どもみたいに笑って、誰より楽しそうにボールを追いかけてる姿を見てると――私まで、元気になれるんです」
その言葉は、俺にとって最高の褒め言葉だった。
綾乃が、俺の手をしっかりと握り――そっと言った。
「だから……これからも、近くでその姿を見せてください」
「私は――あなたの“ハーレム”に入ります。自分の意思で」
その宣言に、俺は思わず――満面の笑みを浮かべて、がっつりと彼女の手を握り返した。
「よっしゃあああああ!!正式加入いただきましたァ!!」
俺は天に拳を突き上げて、夜空に勝利の雄叫びを響かせた。
ブラジル人たちが陽気に拍手し、サンバのリズムがさらに盛り上がる中――
綾乃はちょっと恥ずかしそうに、それでも確かに俺の隣で笑っていた。
俺はそっと綾乃の肩を抱いて、少しだけ真面目な声で言った。
「なぁ、綾乃。ハーレム入りってことは……もう家族だ」
その一言に、綾乃が目を丸くしてこちらを見る。
「だからもう、一人で抱え込まなくていいんだ。」
その言葉に、綾乃の肩がピクリと揺れた。
俺は、真正面から彼女の瞳を見て、真剣に言った。
「綾乃の両親の医療費……それ、全部俺が引き受ける」
「――えっ?」
驚きで硬直する綾乃に、俺はにっかり笑って親指を立ててやった。
綾乃の目に、信じられないという色が浮かぶ。
でも――それでも、涙がじんわりとにじみ始めていた。
「……でも、そんな……本当に、いいんですか……?」
その震える声に、俺は即答した。
「おう!むしろ、これからが本番だろ?」
少し顔を寄せて、にやっと笑ってみせる。
「お前、アイドルになりたいんだろ?」
綾乃の瞳が、大きく見開かれた。
「だったら――俺が全力でプロデュースしてやるよ!!」
拳をぎゅっと握りしめ、俺は宣言する。
「愛している人を輝かせるのが、ハーレム王・飯田雷丸の使命だからな!!」
その熱量に、綾乃はとうとう泣き笑いのような顔で、声を震わせた。
「……もう……ほんと、どうしてあなたは、いつもそうなんですか……!」
ぽろぽろと涙を流しながら、それでも――
彼女の笑顔は、誰よりも明るかった。
「ありがとうございます、飯田さん……私、ちゃんと……夢、追いかけてみます!」
俺は満面の笑みで頷いた。
「全力でプロデュースしてやるからな!センターも、推し投票も、全部俺がぶっちぎらせる!!」
その宣言に、綾乃が照れくさそうに笑いながら、俺の腕を軽くぺしっと叩く。
「もう……調子いいんですから」
けれど、その頬はほんのり赤く染まり、瞳には確かな信頼の光が宿っていた。
そして――音楽がクライマックスへと向かい、激しいビートが店内を震わせる。
熱気が最高潮に達したその瞬間――!
「フィニッシュだぁぁぁ!!」
俺は腕を突き上げ、全身でサンバの熱を表現するような大ジャンプ!
キメ顔とともに、思い切り決めポーズを叩き込んだ!!
――バチィィィン!!
まさに雷丸流、魂のフィニッシュポーズ!
……すると――
「ブラボーーー!!!」
店内の客たちから、嵐のような拍手と歓声が巻き起こった!
手拍子、口笛、陽気な叫び――まるでサンバの神に祝福されたかのような大喝采!!
「ハッハァァ!やったぞぉぉ!!」
息を弾ませながら、俺は満面の笑みでガッツポーズ!
そのまま、感極まって――
俺は綾乃をぎゅっと抱きしめた。
汗ばんだ肌とドキドキする心臓ごと、彼女を腕の中に包み込む。
「……ありがとな、綾乃。お前がいてくれて、ほんと良かった」
耳元で囁くように言うと、綾乃の顔がカァァァッと真っ赤になる。
「ちょ……もう、ほんとに、飯田さんは……!」
でもその腕は、俺をそっと受け止め返していた。
まるで――「この人となら、大丈夫」と、そう思ってくれているように。
リオの夜、サンバの余韻がまだ鳴り響くなか。
熱くて、騒がしくて、最高に幸せな――俺と綾乃の“新しい関係”が、今ここで始まったんだ。
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