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第188話 富士の樹海26
しおりを挟む俺は片手をヒラヒラと振りながら、まるで散歩にでも来たかのように軽い足取りで戦場の中心へと歩き出した。
「じゃ、ちょいとお邪魔しまーす」
その場の誰もが一触即発の緊張感に包まれている中、俺たちはまるで朝のニュースを見ながらコーヒーをすするようなテンションで、ぬるっと戦場に滑り込んでいった。
「なんですかな!?この場違い感は!?」
崇拝派の翠嶺が思わずツッコミを入れるが、気にしない。俺たちは俺たちのペースで戦う。
「よし、みんな作戦通りにいくぞ!!」
その瞬間、「ちょっと待ってお兄ちゃん!!」と、貴音の声が響いた。
俺が振り向くと、貴音は勢いよく手を挙げて、まるで授業で先生に質問する生徒みたいなノリで叫んでいた。
「水月さんの相手は私にやらせて!!」
「……は?」
俺は思わず目を瞬かせる。
貴音が戦う?一体何を言い出すんだ?
「元々水月さんの相手する予定だった雪華は別のところのフォローにいって大丈夫!!私に任せて!」
貴音の必死な表情に、俺の頭が混乱する。
「え!?何言ってんだ!?貴音!?お前は戦えないから応援隊のはずだろ!?」
「私に考えがあるの!!信じてお兄ちゃん!!」
貴音の目が本気だ。あのいつもの甘えん坊な妹の顔ではなく、しっかりと覚悟を決めた表情をしている。
そこで麗華が前に出た。
「貴音に一旦任せてみましょう、飯田君。」
「でも……」
俺が何か言いかけるが、麗華が静かに首を振る。
「何か考えがある目をしてるわ、あの子。それに、もし本当に雪華を別のところに回せるなら、戦況が安定するもの。」
「…………」
俺は歯を食いしばる。貴音が何か考えてるのは分かる。だが、それでも心配だ。
「大丈夫よ。貴音の様子は私が見ておくから。」
麗華が俺の肩に手を置いて、まっすぐに言った。その言葉に、俺は少しだけ肩の力を抜く。
「……分かった。けど、無理はすんなよ、貴音。」
貴音はニッと笑って、「うん!」と元気よく頷いた。
戦場の空気が、また少し変わった。俺たちの戦いが、ここから本格的に始まる。
「分断するわ――――八岐大蛇(やまたのおろち)」
麗華の冷静な声が響いた瞬間、闇の中から巨大な蛇のシルエットがうねりながら浮かび上がる。その黒い鱗は月光を吸い込むように鈍く光り、まるで闇そのものが具現化したかのような圧倒的な存在感を放っていた。
ゴォォォォッ!!
八つの首を持つ黒蛇が、牙をむきながら咆哮を上げる。その瞬間、四方へと勢いよく分かれていき、それぞれの敵を狙い定める。
――鋼牙。
彼の前には、獰猛な二つの蛇の首が飛びかかるように迫る。
「チッ、こんなもんで俺を抑えられると思ってんのか!?」
鋼牙は巨大な斧を振り上げ、迫る黒蛇の頭を叩き潰そうとした。しかし、蛇は一瞬で形を変え、まるで霧のように斧をすり抜ける。
「……っ!?」
蛇は鋼牙の背後に回り込み、鎖のように絡みつこうとする。その動きに、鋼牙はすぐさま地面を蹴り、巨体とは思えぬ速さで跳躍した。
「ハッ、そんなもんで止まるかよ!!」
だが、その隙に麗華が指を動かし、別の蛇がさらに絡みつくように鋼牙を追い詰める。
――斑鳩。
彼女の周囲では、闇の蛇が螺旋を描くように旋回しながら迫っていた。
「なるほど、分断戦術ですのね。」
斑鳩は冷静に地脈を操作し、地面から岩の障壁を隆起させる。しかし、黒蛇はその障壁を絡め取るように溶け込むと、影の中からするりと斑鳩の足元へと現れる。
「っ……!」
斑鳩はすぐさま後退しながら警棒を振るい、闇の蛇を裂こうとしたが、それもまた霧のように避ける。
「なるほど……普通の防御手段では通じませんのね。流石あの伊集院家の才女。厄介ですわね。」
だが、その冷静な観察力の裏で、彼女の視線がわずかに鋭さを増す。
――水月。
彼女の前では、二つの蛇が左右から挟み込むように迫っていた。
「……なるほどね、これが伊集院麗華の闇の呪術。ただ、その対策は鳥丸様から聞いてるわ。」
水月は静かに微笑みながら、水が入った器を掲げる。その瞬間、周囲の空気がしっとりと湿り、淡い霧が広がり始める。
ザァァァ……
「月の帳(つきのとばり)」
水月が紡いだ言葉とともに、霧が水面のように蛇の動きを鈍らせる。
「闇は影、影は光の裏側……だったら、月の光を映せば、その姿は淡く揺らぐわよね。」
水月の術によって蛇の動きがかすかに狂わされる。しかし、それでも黒蛇は確実に彼女へと迫る。
「……はぁ、それでも完全には消えないか。私、爬虫類苦手なんだけど……。」
水月の目がわずかに鋭くなり、手をかざす。
――翠嶺。
最後に、二つの蛇が翠嶺へと向かう。
「ほう、その歳でここまで複雑な呪術を…………」
しかし翠嶺は動じることなく、まるで悟りを開いた僧のようにゆったりと手を前にかざした。
「――印刻世界(いんこくせかい)」
翠嶺が周囲の地面に無数の霊印を刻む。
まるで神聖な経典が天上に浮かび上がるかのように、彼の周囲に結界を張り巡らせていく。
「霊印投射機構(れいいんとうしゃきこう)――停止印(ていしいん)」
翠嶺が指先をすっと前に向けると、結界の内部に漂っていた霊印の一つが鋭く光を放つ。そして、それが触れた瞬間――闇の蛇の動きがピタリと止まった。
――四方で交錯する呪術と力。
戦場は一気に混沌を極め、激戦の幕が開かれた。
「――――みんな!行って!!」
麗華の鋭い指示が響くと同時に、俺たちは一斉に駆け出した。
俺は真っ先に、八岐大蛇の対処に追われる鋼牙へと向かう。
「よぅ!鋼牙!大変そうだな!!」
俺の軽口に、鋼牙はギロリとこちらを睨んだ。だが、今のこいつは俺に集中する余裕がない。
麗華の八岐大蛇(やまたのおろち)が鋼牙を飲み込もうとする中、奴は巨斧を振り回して蛇の首を打ち砕いている。だが、次々と生み出される蛇に対応し続けるのはさすがに骨が折れるはずだ。
「お前みたいな火力バカは、麗華の呪術とは相性悪そうだもんな!」
俺はニヤリと笑いながら言う。
「俺も同じだから、よく分かるよ!」
鋼牙が俺の言葉に反応した瞬間――俺は一気に踏み込んだ。
「根源解放Level2!!――――雷撃拳(らいげきけん)!!」
俺の拳に雷が奔る。
轟音とともに、拳が鋼牙の腹にめり込んだ。
「ぐぉっ!!」
鋼牙の巨体がぐらりと揺らぐ。手ごたえありだ。
今のこいつは八岐大蛇に意識を割かれすぎて、俺の拳に対する防御が甘くなっている。呪力鎧装(じゅりょくがいそう)が十分に展開されていなかった。
「おいおい、どうしたよ?そんなもんか?」
俺はさらに追撃を加えようと拳を握り直す。
「……ッ、このやろうが!!」
鋼牙の顔に怒りの色が浮かぶ。
次の瞬間、奴の斧が俺に向かって振り下ろされ――戦場の激闘はさらに激しさを増していく。
鋼牙の振り下ろす斧を避けながら、俺はチラリと横を見る。
――貴音の方は大丈夫か?
気になって視線をやると、案の定、貴音と水月が向かい合っていた。
水月の冷たい視線が貴音を射抜く。
「ちょっとあんた…………私のこと馬鹿にしてんの?」
その言葉には、どこか呆れと苛立ちが入り混じっている。
「飯田貴音。飯田雷丸の妹。あんたが呪術師でもなく、彼みたいに不思議な力を使うわけでもないのは知ってる。なのに私を止めるって……馬鹿なんじゃないの?」
水月の問いに、貴音は怯むことなくポケットをごそごそと探る。
「ううん、馬鹿じゃないよ!」
そう言って、彼女は――おにぎりを取り出した。
「…………は?」
水月の顔が、一瞬、完全に「理解不能」になった。
貴音はそんな彼女をよそに、にっこりと微笑んで、手のひらに乗せたおにぎりを差し出す。
「ねぇ、水月さん、お腹空いてるでしょ?ご飯食べると、気持ちも落ち着くよ!」
真剣な顔で言う貴音。
俺は戦いながら思わず「は?」と声を漏らしそうになった。
――おいおい、戦場のど真ん中で飯の交渉始める奴がいるか!?
水月も困惑している。
「……いや、だから何?私を戦いから引かせるために、おにぎりを差し出してるの?」
「うん!」
即答する貴音。
「水月さん、今すごく疲れてる顔してるし、お腹減ってるんでしょ!?戦うのをやめてくれたら、このおにぎりあげる!」
「…………」
水月の表情が曖昧になる。
確かに、彼女の顔には明らかに徹夜明けの隈が浮かんでいる。
「ほら、戦うのやめて、おにぎり食べようよ!」
「いや、だから、私は――」
水月が反論しようとした瞬間、貴音が言った。
「じゃあ、私がこのおにぎり、食べちゃおっかな~」
その一言に、水月がピクリと反応する。
「……っ」
俺は思った。
――水月、ちょっと揺らいでねぇか?
まさかの「飯テロ交渉」、意外と効果があるのかもしれない。
俺は鋼牙の攻撃を受け流しながら、貴音と水月のやり取りを見守った。
この交渉、どう転ぶんだ――!?
「このおにぎり、お米一粒一粒が立ってて、ふわっふわで、塩加減もちょうどいいんだよ!外はほんのりパリッとした海苔に包まれてて、噛んだ瞬間にじゅわ~っと旨味が広がるの!」
貴音は目を細めながら、おにぎりを愛おしそうに撫でる。
「この優しい味が、疲れた体に染み渡るんだよねぇ……はぁ~、幸せ~……」
水月の喉がごくりと動いた。
貴音はそれを見逃さなかった。
「ねぇ、水月さん。本当にいいの?このおにぎり、戦うのやめれば食べられるのに?」
水月は明らかに揺らいでいた。
「……くだらない……そんなことで私が――」
そう言いかけたが、貴音は容赦なく畳みかける。
「しかもね!このおにぎりの具がまた最高なの!」
パカッとおにぎりを半分に割ると、中からはツヤツヤとした梅干しが現れる。
「じゃーん!これは特製の梅おにぎり!ほんのり甘酸っぱくて、しょっぱすぎず、口の中でふわっとほどけるの!」
「……っ!」
水月の目がほんの少し泳いだ。
「そしてこっち!」
貴音は別のおにぎりを取り出す。
「鮭おにぎり!炭火でじっくり焼かれた鮭が香ばしくて、口の中でほぐれて、お米と絶妙に絡み合うんだよ!塩気もちょうどよくて、噛むほどに旨味が広がって――」
「……」
水月の手が、無意識のうちに微かに伸びかける。
「まだあるよ!」
貴音はさらにおにぎりを見せつける。
「高菜おにぎり!ごまの香ばしさがふわっと香って、しっとりした高菜がたっぷり詰まってるの!噛むたびにじんわりと広がる和の旨味……!ああ、もう、食べずにいられないよねぇ!」
「……!!」
貴音は一転して真顔になり、水月を真っ直ぐに見つめる。
「本当にこれ、食べなくていいの?」
その問いかけに、水月の呼吸が荒くなり、過呼吸のように胸が上下する。彼女の瞳には、戦うべきか、食べるべきかという葛藤が浮かんでいた。
俺は鋼牙の斧をかわしながら、心の中で叫んだ。
――おいおい、どんな戦法使ってんだよ!?戦場でおにぎりのプレゼンなんて聞いたことねぇぞ!
その異様な光景に、翠嶺が耐えきれず悲痛な声を上げる。
「水月さん、負けてはいけませんよ!我々崇拝派の誇りを忘れないでください!」
「で……でも……」
水月は視線を彷徨わせ、唇を噛む。
「崇拝派の崇高な理想のために、そのような卑劣な手に負けないでください!」
翠嶺の必死の訴えにも関わらず、貴音は穏やかな笑顔で水月に向き直る。
「ねぇ、水月さん。」
水月の視線が揺らぐ。
「自分の気持ちに素直になろうよ」
貴音はさらにおにぎりを近づける。
「これが欲しいんでしょ?崇拝派の考えなんて置いてさ、今は欲望に正直になろ?」
その言葉は、まるで魔法のように水月の心を揺さぶる。翠嶺は涙声で叫ぶ。
「水月さん!!!!ダメです!堕落してはいけません!!」
だが、その頃には――
水月の手が、完全におにぎりへと伸びていた。貴音がニッコリと微笑む。
「……ふふ…………いい子だね。」
水月の唇がわずかに震え、ついに彼女の指がおにぎりに触れた。
翠嶺は絶望的な表情で崩れ落ち、戦場の一角に信じられない静寂が訪れる。
「……う、嘘ですよね……こんな、こんなことで……」
水月はおにぎりをそっと握りしめ、恐る恐る一口。次の瞬間、その顔に至福の表情が広がった。
瞳にはほんのりと涙が浮かんでいる。
「……美味しい……」
その小さな呟きが、戦場に静かな勝利の鐘を鳴らした。
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