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二年生 冬休み
34 シェリルの涙
しおりを挟む新しい年になり、私は昼間は錬金術師ギルド、夜は宿屋の食堂のバイトをこなす日々に戻った。
マチルダ様からは何の便りもないけど、アンさんからの情報によると、星祭り当日にリーバイ男爵領に到着したようだ。
アンさんはそれだけ私に伝えると、忙しそうに去って行った。
アンさんとセイラさんは、最近殆ど宿屋に帰って来ていない。
働いている間はいい。
でも、寮の部屋でひとりになると、どうしても考えてしまう。
マチルダ様は、いつまでも自分を見てくれない家族に見切りを付けて、新しく自分の人生を始める為に旅立って行った。
私は?
私はどうなんだろう。
最初は前世の記憶を活かして、新しい人生を楽しもうと思っていた筈だった。
でも、いつの間にか前世の記憶に囚われて、人との関わりを避け、楽しむことに抵抗を感じていた。
アイツとのことも、よく考えたら前世の人生で起きたことで、今の私の人生には全く関係無いのだ。
あるのは私の頭の中。
記憶の中だけ…。
私の心に残る傷。
この傷だって、本来なら前世の私のもので、今の私には関係ないはずなのに…。
いつまでも塞がらず痛みを感じ、塞がったかのように思えても、また何かのきっかけで傷がひらき、激しい痛みを感じる心の傷。
前世の記憶の中にしかないはずの傷が、今の私を苦しめている。
これまで、アイツにざまあみろと言ってやるために魔法の研究をしてきた。
色んな魔法を研究したけど、闇魔法の癒しの魔術は、前世の記憶が蘇ってから時々起こるパニックを何とか出来ないかと考え出したものだ。
この世界には体の傷や病気を治す方法はあったけど、心の傷や病気を治す方法は、癒しと安寧を司る闇の神に祈ることしかなかったから。
最初は記憶操作であの出来事の記憶を消してしまえばいいんじゃないかと考えた。
でも、記憶操作のような大きな魔術には大量の魔力がいる。
私の魔力量では記憶操作は出来なかった。
意識や心や記憶に影響を与える闇魔法。
闇魔法は闇の神の力。
癒しと安寧を司る闇の神。
だとしたら、心の傷を癒し、人々に安寧を与えることこそが、闇魔法の本来の力なんじゃないだろうか?
記憶操作や洗脳のような魔術しか使われていないようだけど、心の傷を癒すことも出来るんじゃないだろうか?
そう考えて研究を続けた。
少しずつ理論が形になり、いざ自分で試してみようとしたら、落とし穴に気付いた。
闇魔法は自分で自分にかけることは出来ないのだ。
光魔法の回復や治癒は自分にもかけられるのに、闇魔法は自分にはかけられない。
魔法学園に入学して、様々な資料を調べたり先生達にも相談し、こっそり試してみたりもしたけど、やっぱり自分で自分に闇魔法はかけられなかった。
癒しの魔術をかける時、傷になった出来事の一部が術者に見えてしまう。
私の心の傷は、今の私のものではなく、前世の私のものだ。
転生者についての資料が無かったことを考えると、前世の記憶を持つ人間という存在は、一般的では無いのだろう。
私の心の傷を、この世界の誰かに見せる訳にはいかない。
せっかく見つけた前世の苦しみを和らげる方法も、自分には使えない。
私は一生、アイツの裏切りを思い返しては傷付かなくてはいけないんだろうか。
前世の記憶なんて、無ければ良かったのに。
でも、前世の記憶が無ければ、そもそも魔法の研究をしようとは思わなかっただろう。
闇の神のお力から、癒しの魔術を思い付くことも無かっただろう。
そうしたら、アルノー先輩は心の傷に苦しみ、立ち直れなかったかもしれない。
そもそも奨学金を受けてまで魔法学園に入る必要もなかっただろう。
そうしたらマチルダ様やウィルフレッド様や、アンさんやセイラさんに出会うことすらなかっただろう。
浮気男ざまあみろ計画に邁進していたからこそ、今の私があるともいえるのだ。
「頭の中がぐるぐるだ」
寮の部屋のベッドに転がりうだうだ考えていた私は、立ち上がり机の上の日記を開く。
中には浮気男ざまあみろ計画を書いた紙。
懐かしい日本語で書かれたそれは、私がこの世界で生きて行くための道標だった。
「十五年」
この世界に生まれて十五年。
「アイツ、どうしてるだろう」
結婚とかしたんだろうか。
「子供とかいるのかな」
三人欲しいと言っていた。
「会いたい」
会えない。
「会いたいよ、修平…」
浮気男でもいい。
もう一度ちゃんと会って話しがしたい。
「私、異世界に転生したんだよ」
しかも魔法のある世界だ。
「羨ましいでしょ」
目の前の懐かしい日本語が、込み上げた涙でゆるゆる滲んで見える。
「ざまあみろ」
堪えきれなかった涙がぽたりと落ちて、書かれた文字を滲ませた。
いくら頑張って目標を達成しても、その成果を見せたい人には届かない。
私はいつになったら、前世の記憶に見切りをつけて、新しい人生を始めることが出来るんだろう。
何度も零した涙で、滲んで読めなくなってしまった計画書を見ながら、また新しい涙を落とす。
私は…いつになったら……。
ぽたぽた落ちる涙を拭うことも出来ず、滲んでいく計画書を抱きしめた。
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