上 下
40 / 73
本編

35 怪我の功名?

しおりを挟む
「なぁ、この人本当に環菜の婚約者な訳?」
 早く去れと言われても行こうとしない悠人にさらに眉間の皺の数を増やした人が1人。苛ついているのが分かった環菜は慌てて悠人に弁明した。
「うん、そう。悠人には信じられないかも知れないけど、本当に婚約者なの」
「でもそれっておかしかないか?だって、俺が環菜に別れて欲しいって言ってから、一か月も経ってないよな?それなのに婚約してるって、どういうこと?俺と別れる前からこの人と付き合ってたのか?それとも、この人に何か弱みでも握られて仕方なく結婚を迫られているとか」
「ええっ、違うからっ」
 悠人からの疑いに環菜は驚いた。

「・・・言うに事欠いて環菜の事まで侮辱するか?最悪だな」
 只でさえ不機嫌だったのに、さらに冷気まで撒き散らし始めた婚約者に、環菜までちょっぴり背筋が寒くなったがこれ以上宗司さんを悪化させないために心を奮い立たせた。
「お願い、宗司さん。私に最後まで説明させて。理由は兎も角もう一度私と付き合いたいって言ってるんだから、きちんと話を聞く権利はあると思う。そうしないと悠人も納得出来ないと思うから」
 もう一度、お願いと懇願されて、不承不承ながら宗司も折れた。
 怒気をまき散らすことは止めてくれた。眉間は変わらなかったけど。

「悠人、私絶対にそんなことしてないから。宗司さんに弱みを握られてもないし、悠人と別れる前から付き合ってたことは絶対にないから。別れた次の日に宗司さんに偶然出かけた先で会って付き合って欲しいって言われたの。ほんとだから。なんだったら、証人もいるし」
「なんだよ、証人って」
「高校の時の橘彩華ちゃんって覚えてる?一度クラス一緒だった」
「ああ、いたな。確か背の小さい、大人しい子だった記憶しかないけど」
 ショッピングセンターでの経緯と彩華達夫婦の事を話し終えると、付き合い始めたのは別れ話の後だと一応は信用してもらえたようだった。
 だけど、宗司さん的にはまだ不満が残ったらしい。
「環菜と数年付き合ってたなら、その相手が二股や浮気なんてしそうもないことぐらい分かってて当然だと思うがな」
 恋敵からの指摘に悠人は何も言えずにぐっと堪えていた。

「確かに俺から環菜に別れて欲しいって言ったけど、今はもの凄く後悔してる。でも、環菜がそんなに早く結婚を急いだのって名前を変えたいっていう結婚願望が強かったからじゃないのか?それを理由に結婚を受けただけなら、俺でいいだろう?だって、木槌なんて変わった名前なんてフルネームじゃ三田と同じくらいインパクト強い名前だぞ。佐藤の方が良くある苗字だし。環菜はよくある苗字ってやつにずっと憧れてたじゃないか」
 高校からの長い付き合いだから、私のコンプレックスの事も知っていた悠人はそういったけど。確かにずっと三田以外のありふれた苗字というものに憧れてた。それはそうなんだけど。
 でも、今は違う。
「そりゃあ、木槌っていう名前は一般的とは言えない苗字だとは思うけど、ちゃんと自分で決めて宗司さんと結婚するって決めたから。ううん、どんな苗字でも構わない。私は宗司さんだから結婚したいと思ってる」

 悠人には真っすぐに目を逸らさずに今思っている自分の気持ちをありのまま伝えた。私とやり直したいと言ってくれた相手には正直に向き合いたかったから。
 嘘偽りのない気持ちをそのまま受けた悠人は、暫く言葉なく立ち尽くし上を見上げて長く息を吐いた。

「・・・分かったよ。今さらこんなこと言ってもいい訳になるかもしれないけど言わせて。俺はさ、あんまりいい彼氏じゃなかったかもしんないけど。心変わりもした馬鹿だけどさ、環菜の事は俺なりにだけど・・・ずっと好きだったよ」
 その大きくもない声は、環菜が聞いたこともない震えが混じっていた。
「うん。私も悠人の事好きだったよ」
 お互い過去形で語った。
「そっか。・・・足、怪我させて悪かったな。治療費俺が払いたかったけど、彼氏が嫌がるだろうから俺の謝罪の言葉だけで勘弁してくれ。ごめんな、環菜。じゃあ俺、これで帰るわ。―――さようなら、三田さん」
 私が振られた時に悠人に言ったみたいに、他人行儀な言葉を最後に振り返ることなく悠人は静かに帰って行った。
 後姿が見えなくなってから何故か涙が次々と溢れて止まらくなった。

 静かに涙を流し続ける環菜を宗司は黙ったまま抱きしめ続けてくれた。

 ***

 宗司さんに付き添われて救急に赴き整形外科を受診した結果、予想していた通り骨に異常はなく軽い捻挫と診断された。
 会計も終わり、救急へと来た時と同様に環菜は宗司に抱き上げられて車へと運ばれていた。
「もー、足は少し引きずるけど歩けるのに」
 と口答えをするも、そんなこと許してもらえるはずもなかった。
 待合室にいる人達から向けられていた視線がものすごく恥ずかしかった。

 シートベルトを着けることぐらい自分でも出来る事なのに、それさえも宗司にされてしまった。運転席に収まった彼は機嫌が良さそうだ。
「俺がそうしたかったから、してるだけ。怪我してる間くらい俺を頼って?」
 もう、そんな嬉しそうな顔してそんなこと言われたら反論しにくいよ。
「十分いっぱい頼ってるよ。有難う、医者に連れて来てくれて」
「どういたしまして。あ、そうだ。さっき環菜がレントゲン撮ってる間に環菜のお母さんと連絡取って許可貰ったんだけど、今日から環菜は俺のアパートで生活することになったから」
「はい?」
 いきなり何の話をされたのか分からなかった。
 宗司さんのアパートで生活って何だ!?どういうこと!?
「ほら、俺のせいで怪我させたし、環菜のアパートは外階段を利用するにしてもその足じゃ大変だろ?結婚式場の予約も取れた事をお母さんに説明した上で、環菜の世話を引き受けますって伝えたらいっそそのまま同棲始めても構わないって言ってくれたんだよ。良かったな、環菜」

 はいーーーっ!?

 お母さんてば、何勝手にそんな大事な事決めちゃってくれてるの!
 私は急いで携帯を取り出すと、お母さんに電話した。
「ちょっとお母さん!なんで勝手に
「環菜?足怪我したんですって?軽い捻挫だって宗司さんから聞いたけど、無理したら癖になるからあんまり無理しちゃだめよ?」
 また途中で言いたいことを遮られた。
「や、無理はしないけど、なんで勝手に宗司さんのアパートに
「だって環菜のアパートは階段だけど、宗司さんの所はエレベーターなんでしょ?会社へも車で送り迎えしてくれるっていうし、こんな時は大いに甘えなきゃ。というわけで宗司さんにはお母さんも環菜の事頼んでおいたけど、自分からもきちんとお願いしなさいよ?じゃあね」
「えっ、ちょっとお母さん!?」
 再度会話を遮られたかと思うと、言いたいことを言いたいだけ言ったお母さんから唐突に電話を切られた。
 ツーツーツーと聞こえるビジートーンがとてつもなく空しく聞こえた。

「ある程度必要なものは環菜のアパートに今から戻って取りに行くけど、残りの荷物は早めに引っ越しの準備しないとな?」
 母親の仕打ちに言葉なく呆然としている環菜に、飛び切りいい笑顔を見せる宗司だった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

貴方だったと分かっても

jun
恋愛 / 連載中 24h.ポイント:71pt お気に入り:550

4年間の君と私

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:1

能力1のテイマー、加護を三つも授かっていました。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:10,587pt お気に入り:2,217

異世界迷宮のスナイパー《転生弓士》アルファ版

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:584

仲良しな天然双子は、王族に転生しても仲良しで最強です♪

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:688pt お気に入り:305

処理中です...