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第7章:海の向こうのジパング

第89話:不殺生戒

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気配探知が敵の接近を報せる。
「とりあえず、あれは俺が何とかするよ」
空也の休息用に作ったシェルター、その窓の外に目を向けて星琉は言う。
白夜が言う【形無き敵】、500年前に死んだ10万の敵兵が怨霊となって迫りつつあった。
「いえ、あれは私の責任ですから私が…」
「今は見学してればいいよ」
立ち上がろうとする空也の両肩を掴んで止め、ポンポンと軽く叩いて宥める。
心配そうな顔をする少年に、大した事はないと言うように笑みを向けた。
そしてストレージから鎮魂花レエムの小枝を取り出して、それを手に外へ出る。

気配探知で探ると、怨霊は山の国境側に広がっていた。
神樹の御使いたちは既にスタンバイしている。
今回は広範囲・規模が大きいので風の妖精の力も借りる。
星琉は鎮魂花レエムを怨霊が迫る側に向けた。

複合魔法:風の鎮魂歌ウィンドレクイエム

強い風が吹き、青い花びらが乱舞する。
花びらの数は一気に増え、山の頂上から麓まで覆い尽くす。
不浄の霊を無垢な魂に戻すその技で、10万の怨霊のうち命じられて渋々戦ったに過ぎない大多数の霊が神界へ還された。

残ったのは、自ら望んで戦いに身を置いた者たち。
『我等はそのような技では納得出来ぬ』
『納得させたくば武力で示せ』
強い意志を持って進んでくる霊は千の数に近い。

「分った」
短く答えると、星琉はストレージから聖剣を取り出す。
それを片手に持ち、もう片方の手にあった鎮魂花レエムを触れさせる。
青い星型の花が付いた枝は、青い聖剣に溶け込んでいった。
以前、聖騎士たちが使っていた浄化魔法ピュリファイを付与した武器と同じ原理だ。
実体のない霊に物理ダメージは通らないが、付与された魔法は通る。
『全員まとめてかかってこい!』
強い意志力を込めて、星琉は千の兵に【声】を響かせた。

納刀したまま目を閉じる少年に、武士たちが迫る。
その刃が到達する寸前、光が閃いた。
一瞬で数十~百の霊が光の粒子と化して消える。
いつの間に抜刀したか、星琉の手には抜き放たれた刀、鞘は燐光と化してその身体を覆っている。

岩で作られ、更に魔法の防御壁で覆われたシェルターの中、空也は星琉の戦いを見詰める。
空也自身も剣の才はかなり高いが、星琉の剣技は次元が違い過ぎた。
少年の姿がフッと消え、現れる度に百近い兵が倒される。
兵たちの攻撃は全く当たらない。むしろ攻撃する暇すら無い。
少年の太刀筋は全く見えず、辛うじて見えるのは光の軌跡のみ。
総勢1000近くの怨霊たちが、恐ろしいほど短い間に消え去った。

「見事だ。強き者と戦って果てたならば悔いは無い」
最後に消えた武将らしき霊が告げる。
「満足してもらえたなら良かった。来世では幸せであるよう祈ってるよ」
笑みを向けて星琉は言う。
星琉が柄に手を添えると、身体を包んでいた燐光がそこへ集まり鞘に戻る。
10万の怨霊は神界へ送られ、全て消えていた。

「終わったよ」
微笑みつつ戻って来る少年を、シェルターの中にいる少年が呆然と見詰める。
「あなたは何者ですか…?」
空也は問う。
「現代の日本人だよ」
星琉は笑って答えた。

「とりあえず、プルミエに来てもらうよ」
星琉は駆け寄って来る仔犬を懐に入れ、左右の手で母犬と空也の身体に触れた。
そして、魔道具マイクロチップのアプリを起動する。

範囲型・対象指定アプリ:teleportation

少年2人と神獣母子が、ジパングからプルミエに移動した。


プルミエ王城地下・瀬田の研究室。
500年間仮死状態だった空也は、バイタルチェックを受けていた。
「山頂とはいえ湖は年中凍っているわけではないだろうし、人間の身体を完全に凍結させるほど温度は低くならないと思うんだが…」
蘇生される前の状態を聞き、瀬田は首を傾げる。
湖から引き上げられた時、空也の血液は凍っていた。
人間の血液が凍る温度は氷点下18℃以下と言われている。
湖は表面が凍結しても、湖底は氷点下にはならない。
水は圧力がかかると体積が減り、温度が上がる。
その性質から、常に上から水圧がかかる湖底の水は水面よりも温度が高く、凍らないらしい。

「多分、これが刺さっていたからです」
疑問に思う瀬田に、空也が宝剣を見せた。
彼の心臓と肺を貫いていたという刀は、氷の力を秘めているという。
空也の出血はほとんど無かった。
それは刀が臓器を貫通する際、瞬時に凍結させたからかもしれない。

「剣が凍るのはトワの聖剣で見慣れているが、刺さった人間を凍らせるなんて凄まじい凍気だね」
瀬田は宝剣を眺めて言う。
531歳という信じられない年齢の空也、その肉体は10代の少年並みに若々しい。
それはサイエンスフィクションの世界でお馴染みの冷凍睡眠コールドスリープと同じ効果なのかもしれない。
31歳が10代の若さを保っているのは、本人の体質だろうけれど。

「それで、500年の眠りから覚めた英雄殿は、これから何をしたいか決めたのかい?」
瀬田は聞いた。
空也は瀬田から星琉へと視線を移し、自らの心に決めた事を告げる。
「500年前、私は軍を率いて10万の敵兵を殺しました。 その敵兵の彷徨える霊を成仏させた彼を見て、心に決めた事があります」
「………?」
見詰められた星琉が首を傾げる。
「私は、敵軍を滅ぼす将ではなく、大切なものを護る者になりたい」
戦乱の世を生きた空也は、心からそう願った。
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