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詠嘆編
第90話 斎乃宮
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夢幻の狭間 落之都
かつて、ここは栄華を誇った大和朝廷初代帝卑弥呼の時代に栄えた帝京。今では都のほぼ全てが膝丈まで水没するか荒廃し、朱色に染められた建造物には苔が生い茂り崩れかかっている。
俺は、道中に偶然出会った二人の少年少女、クロとシロの案内のもと、サクヤと呼ばれる人物の元へと向かっていた。
「えへへ、御剣お兄さん~」
「御剣お兄ちゃん~」
両手で抱いたクロとシロは俺から離れず、べったりと体を抱きしめて離さない。こんなに可愛らしい子ども達がここにいるのは、おそらく訳があるのだろう。それに、2人ともが懐いてくれるのは正直なところ嬉しかった。
2人を連れて暫く都の中を歩いていくと、正面に一際目立つ宮城が見えてくる。周りと比べてみれば、その宮城は綺麗な外観を保っている。
「あ、御剣お兄さん、あそこが斎乃宮だよ」
「あそこにサクヤお姉ちゃんがいるんだ」
「よし、行ってみるか」
「門を開けてもいいよ」
「分かった。とりあえず、一回降ろすよ」
2人を両肩から降ろし、自分を先頭に宮城の門を開く。ぎしぎしと音を立てて、朽ちた門がゆっくりと開かれる。
「これは…」
中の様子は、塀に囲まれていたせいで外から見えなかった。目の前に広がるのは、草木が生い茂り、花が咲き誇る自然溢れる光景だった。
まるで宮城が大自然の中に佇んでいる様な絶妙な光景に、思わず驚愕してしまう。
「あっ、いたよ!」
「サクヤお姉ちゃん!」
クロとシロは、大きな木の下に置かれた椅子に座り、小冊子を読む緑色の髪をした女性の元へと駆け寄る。女性は2人に気づくと、読み物を閉じて傍らに置き、駆け寄ってきた2人を抱き抱える。
「珍しいですね、クロとシロが2人で来るなんて」
「お久しぶり!サクヤお姉ちゃん!」
「サクヤお姉さんに会わせたい人がいるの!」
「私に⁇」
女性が此方を向いたので、深く頭を下げる。彼女から感じる呪力、いや、神力のそれは、大神のそれに他ならなかった。
「当代大御神の神器、御剣と申します」
「神器…」
椅子から立ち上がると、彼女は俺の前へとゆっくり歩み寄る。そして、顔を暫くじっと見ると、優しく微笑んだ。
「大神、木葉咲耶姫。私のことはサクヤとお呼びください、当代の御剣様」
「やはり、あなた様は大神様でしたか」
「恥ずかしながら左様にございます。今はこうして、この地の様子を見守る存在に過ぎませんが」
「ねぇねぇ、御剣お兄ちゃん。さっきの話、サクヤお姉ちゃんにしてみたら⁇」
「そうだな。サクヤ様、実は…」
サクヤ様にことの経緯を説明する。
「承知しました。ですが残念ながら、夢幻の狭間の全ては私ですら把握できておりません。その者が何処へ向かったのか…」
「ここに来る前、タタリがこの夢幻の狭間に封じられたことを聞きました。何か手がかりはありませんか⁇」
「…手がかりが無い訳ではありません。私が認知できない、夢幻の狭間に流れ着いた異物が最後に集まる場所ならば…」
「何処ですか、そこは」
「斎の宮と呼ばれる場所です。この落の都の深部に位置するかつて大神たちが居を構えていた場所になります。斎ノ巫女様に封印された大神も、そこにいるはずです」
「案内していただけませんか⁇」
「…承知しました。ではこちらへ。クロ、シロ、ふたりも一緒に」
「「はーい」」
サクヤに案内され、宮城の中へと足を進める。いつか見た大和らしい装飾品の数々が、壊れかけながらも栄華を保っていた。
「この世界に流れ着いても、これだけ綺麗に残っているとは、正直驚きました」
「それも然りです。ここは外界とは隔離された異界の狭間、永劫に時は進まず、流れ着くものは当時の面影を残したまま。物は勿論、人も私たち大神なども同様ですが」
「…ここに来る前、楼門で郭と名乗った神職に会いました。サクヤ様は彼をご存じですか?」
「郭の事でしょうか。彼は、かつては草薙村の武人でした。貴方もよくご存知の初代斎ノ巫女、白雪舞香様の旦那様ですよ」
「それじゃあ、彼は千代のお父上殿…」
「えぇ、彼は望んでこの夢幻の狭間の案内役を仰せつかっています」
なんとも不思議な雰囲気の持ち主だったあの神職が、千代の実の父親だと聞いた時は驚いてしまった。思いがけない巡り合いとは、この事を言うのだろう。
道中、俺はこれまでの経緯を簡単に説明した。反乱、建国、大戦、祟神威大神との戦い、そして夢幻の狭間に来た真相、その全てを。
俺の話を聞いたサクヤ様は、現世の混乱を憂いていた。彼女自身も、大御神カミコと共に禍ツ大和大戦を戦い抜いてきた御柱だ。その一言一言に計り知れない重みを感じる。
「夢幻の狭間は、時の大御神カミコ様に付き従う多くの大神たちが、その神力全てと引き換えにタタリの魂を永遠に繋ぎ留めていた場所です。私も、その内の一柱でした。何よりも、私は大御神様から与えられた使命を全うできず、現世の皆々様に苦労を強いてしまったことを謝りたいのです」
「いいえ、謝る必要などありませんよ」
「え?」
「確かに、サクヤ様のおっしゃる事も分かります。ですが、これは今や俺たちの戦いです。瑞穂も、千代も、俺も、葦原の皆、皇国全ての者たちが、自らの宿命を果たすため、己が意思で戦いに身を投じています。かつての先代方が紡いできた世を守るために。誰も、責任を押し付けられたなんて思っていません」
「………」
その言葉を聞いたサクヤ様は、神妙な顔つきが少し和らいだように見えた。
「御剣様を見ていると、先代様を思い出します」
「剣史郎のことですか?」
「ええ、彼も貴方様と同じで、いつも私や他の皆を気遣っておりました。本当に優しいお方です」
話しているうちに、どうやら目的の場所にたどり着いたらしい。
「ここは…」
目の前に広がるのは、外を満たしていた水が滝のように流れ落ちる大穴だった。底は暗く、先がどれだけ続いているか分からないほど深い。
言葉で言い表すのなら奈落の底、見ているだけでも吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
「この世の狭間で行き場を失った幾千もの俗物が、最後に流れ着く夢幻の狭間の最深部。恐らく、貴方様が探すものは、この先にございます」
「承知しました。それでは…」
「お待ちください、御剣様。先にお伝えしておきます。ここに入らば、二度と元の世に戻ることは叶いません」
ある程度は予想できていた。そもそも、この夢幻の狭間を始め、現世、常世、根の国、そのどれもが簡単に行き来することができない。
先の救国大戦の折、白雪舞花様が亡者の身でありながら現世に現界されたことも、俺が根の国、そして常世に誘われたことも、どれもが大御神や大神の神力によるものや、それらに匹敵する呪力を用いらなければなし得ることはできない。
この穴の先にある最深部、そこにタタリが封じられ出てくることが出来ないのは、それほどの力を持ってしても外に出ることが不可能な空間だといえる。
だが、俺の決心に揺らぎはない。
「それでも俺は行きます。全てを終わらせないとなりませんから」
「貴方様は、神器としての力を失うまで、その一生をこの底で過ごすことになるのですよ」
「覚悟は出来ています」
「………」
サクヤ様は、俺がそう言うとそれ以上何も言わなかった。
「分かりました。御剣様、これを」
「これは…」
手渡されたのは開いた手のひらに載せられるほどの小さな箱だった。網目が見えないほど細かく織り込まれており、形も歪みのない四面形であった。
何よりも、その箱から感じられる神力の源は、目の前のサクヤ様からであった。
「それは、私の神器の一つ、 天之無目堅間と云います」
「神器…これは何のため俺に」
「かつて共にタタリを封じた大神たちはもうおりません。それは、私の神力で創り出した植物で編んだ籠であり、人智を越える存在を封印するための最後の手段となり得ます。御剣様、これを貴方様に授けます。そこにタタリを封じれば、迷わず呪力で焼き尽くしてください」
「そんな事をすれば、貴女は…」
「私とて同じです。疾うの昔に覚悟はできております」
サクヤ様が俺に伝えたかったのは、この神器が自らの覚悟を示したものであるという事。タタリを封印し焼き尽くせば、正真正銘、タタリはその存在を滅することになる。
しかし、同時に神器を失った大神であるサクヤ様は、その存在を失うことにもなる。それを実行すれば、待っているのは人の姿を持って現界しているサクヤ様の、即ち神格の消滅だ。
それ以上何も聞かず、神器を受け取る。すると、サクヤ様は優しく包み込むように両手を添える。
「ご武運を」
「有り難く」
彼女の覚悟を受け取り懐に仕舞った後、俺は両脇に控えていたシロとクロの頭を優しく撫でる。
「御剣お兄ちゃん、行っちゃうの?」
「………」
「御剣お兄さん…」
「心配要らない。帰ってきたら色んな話をしてあげるし、美味しいものも食べさせてあげるさ」
すると、シロとクロは御剣に抱きつく。御剣はそんな二人を優しく抱き返す。
「頑張ってきてね、御剣お兄さん」
「絶対勝ってきてね!」
「あぁ。二人とも、行ってくるよ。サクヤ様のことを任せたぞ」
「うん!気をつけてね御剣お兄ちゃん!」
「帰ってきてね。また、御剣お兄さんとお話ししたいから…」
「分かった。では、サクヤ様。行って参ります」
二人と一柱に別れを告げた俺は、闇に包まれた大穴へと飛び込んだ。
◇
数刻前、最深部
暗い闇の中、ぼんやりと放たれる光を頼りに石畳を歩く人物が一人。皇都守の正装を身に纏った一人の青年だった。
「さてと、ここかな」
瑞穂たちを出し抜き、阿礼から奪った書物の解読書を利用して夢幻の狭間へとやって来た瑛春であった。
彼がなぜここを訪れたのか。それは、これから巡り合うある人物に御目通りを願うためであった。
「主か」
「久々にその声を聞いた気がするよ。レイセン」
歩みを止めた瑛春の姿勢の先、赤く塗られた椅子に座るのは、大和を混沌に陥れた一柱、禍霊仙命その本人であった。
レイセンは、椅子に座したまま深くため息をつく。
「確かに、主と相見えるのは久方ぶりじゃ」
「そう言えば、最後に話したのもここがまだ現世にあった頃だったね。もう百年くらいは経つんじゃないか」
「それ程じゃろうな」
しばらく、相対する二人の間に奇妙な間が作られる。
「さて、さっそく本題に入ろうじゃないか。生憎、僕を追って怖い連中がすぐにでも此処にやってくるからね。禍霊仙之命、約束を果たしてもらうよ」
◇
過去 大和朝廷 帝京 斎乃宮
大御神陣営と、タタリ陣営による己の存在を賭けた大戦の最中、妾はある人物と出会った。
「初めまして、禍霊仙之命」
人に例えるのなら、彼は青年ぐらいの年頃だろう。真白い狩衣に身を包み、菅笠を被っている。普通なら、彼を見て疑念を抱く事はない。
しかし、妾と彼が出会ったのは、タタリが創り出した黄泉喰らいの大水晶の上、この年頃の、それも人が黄泉喰らいの大水晶の上に立ち、平然としているのは明らかに異質そのものだった。
「主は何者じゃ」
熟考の末に絞り出した言葉を投げ掛ける。
「僕?さぁ、何者だろうね」
青年は妾の問いにあっけからんとそう返す。妾が大神であることを知らないのか、はたまた知っている上でそう返しているのか。もしも後者であれば、彼が人の理から外れた存在であることを物語る。
「生まれた時からこの姿さ。名前すら分からない。ただ」
「ただ、なんじゃ⁇」
「僕はたった一つだけ目的を持っている。僕の存在意義は神を喰らい、本来の姿を取り戻すことさ」
「か、神喰らいじゃと…」
その言葉を聞いた瞬間、妾は背筋に悪寒が走り、身構える。大神として長い刻を生きていた妾であったが、この時の一言には初めて恐怖を覚えた。
「はは、身構える必要なんてないさ。神喰らいと言っても、僕は明確に誰を喰らうべきか理解している。少なくとも君ではないさ」
「なら、一体誰を喰らうと言うのじゃ…」
「タタリさ」
「タタリじゃと」
青年はそう言うと、黄泉喰らいの大水晶から飛び降り、目の前に着地する。
「僕の身体は、万物の理において不完全な存在なのさ。タタリを取り込み、初めて真の力を得ることができる。でも、今の状態では悲しいかな、タタリを取り込むことなどできない。だから、その刻をゆっくりと待つことにするよ」
「何故、妾にその話をする」
「何故?簡単さ、君は大神…いや、今は大和大神が正しかったかな。タタリの目論見に手を貸している立場だよね。それも、タタリから一番の信頼を得ている。自らの意思に揺らぎながらも、さ?」
「………」
確かに、妾の本心は揺れ動いている。かつて、妾も大御神殿には恩を受けている。
しかし、妾が主に信仰を集めている大和の民が徐々に信仰を現人神卑弥呼に向けている中、大神も新たな時代を迎えなくてはならないとも思っている。
全ては、信仰を確固たるものとするために。
だからこそ、妾は例え心が揺らごうとも、禍褄棚綺大神が始めた禍ツ大和大戦に大和側として参戦した。
それを、初めて会ったこの青年に見透かされている。恐ろしいものだ。
「僕と一つ取引をしないか、禍霊仙之命。僕がタタリを取り込む手助けをしてほしい。僕の命、身体、存在は不変だから。何十年、何百年経とうが構わないさ」
「妾に何の徳があるのじゃ。妾にタタリを裏切れと言うのか?」
「断れば、君を喰らってもいいんだけど?」
「脅しは止めるのじゃ」
「まぁ、強いて言うのなら君にも得する事はあるよ。僕の力は大神自身の力の安定化。この力を使えば、君は信仰なくとも存在を維持することができる」
「………」
「信じられないなら、ちょっとだけ力を見せてあげる」
青年は妾の肩に手を置く。すると、妾の持つ神力が凄まじい勢いで強まったのを感じた。その力に驚くと、青年は両手を広げて高笑いする。
「どうだい⁉︎僕の力は‼︎」
「確かに、主の力は誠のものじゃな…」
「どうする、禍霊仙之命⁉︎僕に手を貸す気になっただろう⁉︎信仰も、人も、何もかも必要としない!!大神が、自らの力で存在することができる力さ‼︎」
妾は何を血迷ったのかその力に魅了されてしまった。そして、後に瑛春と名乗る青年の取引に応じてしまった。
かつて、ここは栄華を誇った大和朝廷初代帝卑弥呼の時代に栄えた帝京。今では都のほぼ全てが膝丈まで水没するか荒廃し、朱色に染められた建造物には苔が生い茂り崩れかかっている。
俺は、道中に偶然出会った二人の少年少女、クロとシロの案内のもと、サクヤと呼ばれる人物の元へと向かっていた。
「えへへ、御剣お兄さん~」
「御剣お兄ちゃん~」
両手で抱いたクロとシロは俺から離れず、べったりと体を抱きしめて離さない。こんなに可愛らしい子ども達がここにいるのは、おそらく訳があるのだろう。それに、2人ともが懐いてくれるのは正直なところ嬉しかった。
2人を連れて暫く都の中を歩いていくと、正面に一際目立つ宮城が見えてくる。周りと比べてみれば、その宮城は綺麗な外観を保っている。
「あ、御剣お兄さん、あそこが斎乃宮だよ」
「あそこにサクヤお姉ちゃんがいるんだ」
「よし、行ってみるか」
「門を開けてもいいよ」
「分かった。とりあえず、一回降ろすよ」
2人を両肩から降ろし、自分を先頭に宮城の門を開く。ぎしぎしと音を立てて、朽ちた門がゆっくりと開かれる。
「これは…」
中の様子は、塀に囲まれていたせいで外から見えなかった。目の前に広がるのは、草木が生い茂り、花が咲き誇る自然溢れる光景だった。
まるで宮城が大自然の中に佇んでいる様な絶妙な光景に、思わず驚愕してしまう。
「あっ、いたよ!」
「サクヤお姉ちゃん!」
クロとシロは、大きな木の下に置かれた椅子に座り、小冊子を読む緑色の髪をした女性の元へと駆け寄る。女性は2人に気づくと、読み物を閉じて傍らに置き、駆け寄ってきた2人を抱き抱える。
「珍しいですね、クロとシロが2人で来るなんて」
「お久しぶり!サクヤお姉ちゃん!」
「サクヤお姉さんに会わせたい人がいるの!」
「私に⁇」
女性が此方を向いたので、深く頭を下げる。彼女から感じる呪力、いや、神力のそれは、大神のそれに他ならなかった。
「当代大御神の神器、御剣と申します」
「神器…」
椅子から立ち上がると、彼女は俺の前へとゆっくり歩み寄る。そして、顔を暫くじっと見ると、優しく微笑んだ。
「大神、木葉咲耶姫。私のことはサクヤとお呼びください、当代の御剣様」
「やはり、あなた様は大神様でしたか」
「恥ずかしながら左様にございます。今はこうして、この地の様子を見守る存在に過ぎませんが」
「ねぇねぇ、御剣お兄ちゃん。さっきの話、サクヤお姉ちゃんにしてみたら⁇」
「そうだな。サクヤ様、実は…」
サクヤ様にことの経緯を説明する。
「承知しました。ですが残念ながら、夢幻の狭間の全ては私ですら把握できておりません。その者が何処へ向かったのか…」
「ここに来る前、タタリがこの夢幻の狭間に封じられたことを聞きました。何か手がかりはありませんか⁇」
「…手がかりが無い訳ではありません。私が認知できない、夢幻の狭間に流れ着いた異物が最後に集まる場所ならば…」
「何処ですか、そこは」
「斎の宮と呼ばれる場所です。この落の都の深部に位置するかつて大神たちが居を構えていた場所になります。斎ノ巫女様に封印された大神も、そこにいるはずです」
「案内していただけませんか⁇」
「…承知しました。ではこちらへ。クロ、シロ、ふたりも一緒に」
「「はーい」」
サクヤに案内され、宮城の中へと足を進める。いつか見た大和らしい装飾品の数々が、壊れかけながらも栄華を保っていた。
「この世界に流れ着いても、これだけ綺麗に残っているとは、正直驚きました」
「それも然りです。ここは外界とは隔離された異界の狭間、永劫に時は進まず、流れ着くものは当時の面影を残したまま。物は勿論、人も私たち大神なども同様ですが」
「…ここに来る前、楼門で郭と名乗った神職に会いました。サクヤ様は彼をご存じですか?」
「郭の事でしょうか。彼は、かつては草薙村の武人でした。貴方もよくご存知の初代斎ノ巫女、白雪舞香様の旦那様ですよ」
「それじゃあ、彼は千代のお父上殿…」
「えぇ、彼は望んでこの夢幻の狭間の案内役を仰せつかっています」
なんとも不思議な雰囲気の持ち主だったあの神職が、千代の実の父親だと聞いた時は驚いてしまった。思いがけない巡り合いとは、この事を言うのだろう。
道中、俺はこれまでの経緯を簡単に説明した。反乱、建国、大戦、祟神威大神との戦い、そして夢幻の狭間に来た真相、その全てを。
俺の話を聞いたサクヤ様は、現世の混乱を憂いていた。彼女自身も、大御神カミコと共に禍ツ大和大戦を戦い抜いてきた御柱だ。その一言一言に計り知れない重みを感じる。
「夢幻の狭間は、時の大御神カミコ様に付き従う多くの大神たちが、その神力全てと引き換えにタタリの魂を永遠に繋ぎ留めていた場所です。私も、その内の一柱でした。何よりも、私は大御神様から与えられた使命を全うできず、現世の皆々様に苦労を強いてしまったことを謝りたいのです」
「いいえ、謝る必要などありませんよ」
「え?」
「確かに、サクヤ様のおっしゃる事も分かります。ですが、これは今や俺たちの戦いです。瑞穂も、千代も、俺も、葦原の皆、皇国全ての者たちが、自らの宿命を果たすため、己が意思で戦いに身を投じています。かつての先代方が紡いできた世を守るために。誰も、責任を押し付けられたなんて思っていません」
「………」
その言葉を聞いたサクヤ様は、神妙な顔つきが少し和らいだように見えた。
「御剣様を見ていると、先代様を思い出します」
「剣史郎のことですか?」
「ええ、彼も貴方様と同じで、いつも私や他の皆を気遣っておりました。本当に優しいお方です」
話しているうちに、どうやら目的の場所にたどり着いたらしい。
「ここは…」
目の前に広がるのは、外を満たしていた水が滝のように流れ落ちる大穴だった。底は暗く、先がどれだけ続いているか分からないほど深い。
言葉で言い表すのなら奈落の底、見ているだけでも吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
「この世の狭間で行き場を失った幾千もの俗物が、最後に流れ着く夢幻の狭間の最深部。恐らく、貴方様が探すものは、この先にございます」
「承知しました。それでは…」
「お待ちください、御剣様。先にお伝えしておきます。ここに入らば、二度と元の世に戻ることは叶いません」
ある程度は予想できていた。そもそも、この夢幻の狭間を始め、現世、常世、根の国、そのどれもが簡単に行き来することができない。
先の救国大戦の折、白雪舞花様が亡者の身でありながら現世に現界されたことも、俺が根の国、そして常世に誘われたことも、どれもが大御神や大神の神力によるものや、それらに匹敵する呪力を用いらなければなし得ることはできない。
この穴の先にある最深部、そこにタタリが封じられ出てくることが出来ないのは、それほどの力を持ってしても外に出ることが不可能な空間だといえる。
だが、俺の決心に揺らぎはない。
「それでも俺は行きます。全てを終わらせないとなりませんから」
「貴方様は、神器としての力を失うまで、その一生をこの底で過ごすことになるのですよ」
「覚悟は出来ています」
「………」
サクヤ様は、俺がそう言うとそれ以上何も言わなかった。
「分かりました。御剣様、これを」
「これは…」
手渡されたのは開いた手のひらに載せられるほどの小さな箱だった。網目が見えないほど細かく織り込まれており、形も歪みのない四面形であった。
何よりも、その箱から感じられる神力の源は、目の前のサクヤ様からであった。
「それは、私の神器の一つ、 天之無目堅間と云います」
「神器…これは何のため俺に」
「かつて共にタタリを封じた大神たちはもうおりません。それは、私の神力で創り出した植物で編んだ籠であり、人智を越える存在を封印するための最後の手段となり得ます。御剣様、これを貴方様に授けます。そこにタタリを封じれば、迷わず呪力で焼き尽くしてください」
「そんな事をすれば、貴女は…」
「私とて同じです。疾うの昔に覚悟はできております」
サクヤ様が俺に伝えたかったのは、この神器が自らの覚悟を示したものであるという事。タタリを封印し焼き尽くせば、正真正銘、タタリはその存在を滅することになる。
しかし、同時に神器を失った大神であるサクヤ様は、その存在を失うことにもなる。それを実行すれば、待っているのは人の姿を持って現界しているサクヤ様の、即ち神格の消滅だ。
それ以上何も聞かず、神器を受け取る。すると、サクヤ様は優しく包み込むように両手を添える。
「ご武運を」
「有り難く」
彼女の覚悟を受け取り懐に仕舞った後、俺は両脇に控えていたシロとクロの頭を優しく撫でる。
「御剣お兄ちゃん、行っちゃうの?」
「………」
「御剣お兄さん…」
「心配要らない。帰ってきたら色んな話をしてあげるし、美味しいものも食べさせてあげるさ」
すると、シロとクロは御剣に抱きつく。御剣はそんな二人を優しく抱き返す。
「頑張ってきてね、御剣お兄さん」
「絶対勝ってきてね!」
「あぁ。二人とも、行ってくるよ。サクヤ様のことを任せたぞ」
「うん!気をつけてね御剣お兄ちゃん!」
「帰ってきてね。また、御剣お兄さんとお話ししたいから…」
「分かった。では、サクヤ様。行って参ります」
二人と一柱に別れを告げた俺は、闇に包まれた大穴へと飛び込んだ。
◇
数刻前、最深部
暗い闇の中、ぼんやりと放たれる光を頼りに石畳を歩く人物が一人。皇都守の正装を身に纏った一人の青年だった。
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「主か」
「久々にその声を聞いた気がするよ。レイセン」
歩みを止めた瑛春の姿勢の先、赤く塗られた椅子に座るのは、大和を混沌に陥れた一柱、禍霊仙命その本人であった。
レイセンは、椅子に座したまま深くため息をつく。
「確かに、主と相見えるのは久方ぶりじゃ」
「そう言えば、最後に話したのもここがまだ現世にあった頃だったね。もう百年くらいは経つんじゃないか」
「それ程じゃろうな」
しばらく、相対する二人の間に奇妙な間が作られる。
「さて、さっそく本題に入ろうじゃないか。生憎、僕を追って怖い連中がすぐにでも此処にやってくるからね。禍霊仙之命、約束を果たしてもらうよ」
◇
過去 大和朝廷 帝京 斎乃宮
大御神陣営と、タタリ陣営による己の存在を賭けた大戦の最中、妾はある人物と出会った。
「初めまして、禍霊仙之命」
人に例えるのなら、彼は青年ぐらいの年頃だろう。真白い狩衣に身を包み、菅笠を被っている。普通なら、彼を見て疑念を抱く事はない。
しかし、妾と彼が出会ったのは、タタリが創り出した黄泉喰らいの大水晶の上、この年頃の、それも人が黄泉喰らいの大水晶の上に立ち、平然としているのは明らかに異質そのものだった。
「主は何者じゃ」
熟考の末に絞り出した言葉を投げ掛ける。
「僕?さぁ、何者だろうね」
青年は妾の問いにあっけからんとそう返す。妾が大神であることを知らないのか、はたまた知っている上でそう返しているのか。もしも後者であれば、彼が人の理から外れた存在であることを物語る。
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「か、神喰らいじゃと…」
その言葉を聞いた瞬間、妾は背筋に悪寒が走り、身構える。大神として長い刻を生きていた妾であったが、この時の一言には初めて恐怖を覚えた。
「はは、身構える必要なんてないさ。神喰らいと言っても、僕は明確に誰を喰らうべきか理解している。少なくとも君ではないさ」
「なら、一体誰を喰らうと言うのじゃ…」
「タタリさ」
「タタリじゃと」
青年はそう言うと、黄泉喰らいの大水晶から飛び降り、目の前に着地する。
「僕の身体は、万物の理において不完全な存在なのさ。タタリを取り込み、初めて真の力を得ることができる。でも、今の状態では悲しいかな、タタリを取り込むことなどできない。だから、その刻をゆっくりと待つことにするよ」
「何故、妾にその話をする」
「何故?簡単さ、君は大神…いや、今は大和大神が正しかったかな。タタリの目論見に手を貸している立場だよね。それも、タタリから一番の信頼を得ている。自らの意思に揺らぎながらも、さ?」
「………」
確かに、妾の本心は揺れ動いている。かつて、妾も大御神殿には恩を受けている。
しかし、妾が主に信仰を集めている大和の民が徐々に信仰を現人神卑弥呼に向けている中、大神も新たな時代を迎えなくてはならないとも思っている。
全ては、信仰を確固たるものとするために。
だからこそ、妾は例え心が揺らごうとも、禍褄棚綺大神が始めた禍ツ大和大戦に大和側として参戦した。
それを、初めて会ったこの青年に見透かされている。恐ろしいものだ。
「僕と一つ取引をしないか、禍霊仙之命。僕がタタリを取り込む手助けをしてほしい。僕の命、身体、存在は不変だから。何十年、何百年経とうが構わないさ」
「妾に何の徳があるのじゃ。妾にタタリを裏切れと言うのか?」
「断れば、君を喰らってもいいんだけど?」
「脅しは止めるのじゃ」
「まぁ、強いて言うのなら君にも得する事はあるよ。僕の力は大神自身の力の安定化。この力を使えば、君は信仰なくとも存在を維持することができる」
「………」
「信じられないなら、ちょっとだけ力を見せてあげる」
青年は妾の肩に手を置く。すると、妾の持つ神力が凄まじい勢いで強まったのを感じた。その力に驚くと、青年は両手を広げて高笑いする。
「どうだい⁉︎僕の力は‼︎」
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「どうする、禍霊仙之命⁉︎僕に手を貸す気になっただろう⁉︎信仰も、人も、何もかも必要としない!!大神が、自らの力で存在することができる力さ‼︎」
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