彼女たちの屋根裏 (生活シリーズ① 新版)

✿モンテ✣クリスト✿

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第3話 佐藤の業務引継ぎ1

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 遠藤は彼の管理会社とマンション組合との管理員委託派遣契約書を佐藤の条件を加えた書面で作成していたので、それを響子に渡す。

「細かいかもしれないけれど管理員の勤務時間の始業八時という変更と、昼食とフレックスタイムの休憩の合計二時間というのは組合規定の変更を伴います。組合員の三分の二の賛成が必要ですが、80戸の内、35戸は私の所有、20戸は遠藤さんのアイワ不動産の所有だから、私とアイワの代表登録してある吉村課長代理の賛成で約69%で問題なしです。形式上、個人所有の25戸のオーナーに組合会議の声をかけておきます。それから後にこの書面に署名しますが、今から佐藤さんは当マンションの管理員で四日間の引継ぎで折田さんと交代、これでよろしいわね?」

 威厳があるマンションの組合理事長の言い方だが、彼女のゴスロリ衣装のせいで、幼女戦記のターニャ少尉が敵の工場攻撃前の「宣誓します!我軍は…」みたいになった。佐藤は真面目な顔をするのに苦労した。彼女に慣れている遠藤と折田はいつものことだ、という顔をしている。
「九条さん、当方の無理な引継ぎをご了承いただきありがとうございます。引継ぎは問題なきよう、今から開始いたします」

「了解しました…ねえ、それで、引継ぎは五時まででしょう?その後、私、佐藤さんにこのマンションの監視システムのことでご相談があるのよ。折田さんからお聞きしたの。『監視カメラを使って人間の行動を予測する技術』というのを開発していらっしゃるんでしょう?せっかく60台も監視カメラを設置したんだから、もっと活用できないかな?と思ってさ」
「理事長…」と佐藤。
「響子でいいわ。響子と呼んで」遠藤と折田は『理事長、お嬢さん』で佐藤は『響子』呼びなのは特別扱いのようだ。遠藤と折田は別におかしいとは思っていない。

「え~…響子さん、それは『移動人物追跡に基づく動線クラスタリングを用いた行動解析』という技術です。銀行などの金融機関、空港ビルなどで、Condensation algorithm というのを拡張して入退室するランダムな人物をトラッキングし、その移動データだけでクラスタリングすることによって得られた行動経路を異常行動の発見に応用するものです…」遠藤と折田はポカンとして聞いている。響子は面白そうに聞いている。

「…セキュリティに関する応用技術でして、監視カメラの動画を顔認識させて人間の顔のワイヤーフレームを作成します。それで、複数の個人の動きを追跡することが可能になります。さらに、顔のワイヤーフレームの変化によって、例えばある人物が異常行動、つまり犯罪行動とかですが、それをするかどうか、本人の心理、感情の変化がどうなっているかで、普通の行動から乖離した異常行動を将来とるのかを予測します。そのデータを使えば犯罪防止に役立ちます」

「なんだか理解不能。おバカな私にもっと噛み砕いて教えていただけない?」
「それはかまいませんが、この技術を使うためには、クラウドにデータをアップしてクラウドサーバーで解析させるか、現場置きのスパコン並のコンピューターを使う必要があります。マンション程度の監視システムのサーバーでは能力不足で実用になりません。さらに、監視システムデータをイントラネット外に出すのは、プライバシーの侵害に抵触します」
「つまり、私の理解では、デートをネットに出しちゃダメ、このマンション内でその顔認識とかの解析ができれば、大丈夫、ってことよね?」
「響子さん、少なくとも0.1テラフロップス以上の性能があるコンピューターじゃないと…って、わかります?私は私物で私のマンションにそれを置いてありますが…私のマンションですからデータはネット経由になるので問題ですし…」
「わかっているわよ。それ、あるわ。この部屋にあるの」
「ハァ?そんなスパコン並みのものが?この部屋に?」
「フフフ、あるの。だから、五時過ぎに来て頂戴」遠藤と折田は勝手にやってくれ、という顔をしている。佐藤の話す言葉は彼らにとってチンプンカンプンだ。

 響子との面接は三時を少し過ぎた頃に終わり、遠藤、折田、佐藤の三人は彼女の家を後にした。遠藤は社に戻りますと言って帰っていった。

 折田の部屋で元の職場の作業着に着替えた佐藤は、折田と屋上からマンションを巡回していった。屋上の塔屋《ペントハウス》のエレベーター機械室、塔屋の上の高架水槽、給水消火設備の機械室を見て回る。どこにも監視カメラが設置されている。それも遠隔操作の可動式タイプだ。設備が高級すぎて使い切ってないな、と佐藤は思った。

 それから各階を見て回る。各階の消火栓設備、火災報知器の位置を確認した。エレベーターホールにも監視カメラが設置してある。これだけ厳重だと女性は安心だろうな、と佐藤は思う。折田は角の空き部屋をマスターキーで開けて、ベランダから各階四方の建屋の壁に設置してあるカメラを佐藤に見せた。これも遠隔操作の可動式で、上下左右が監視できる。ベランダの監視もできるから、おかしな人間が侵入してきたり、ベランダに間違って閉じ込められたりしたら役立ちそうだ。外部も見下ろしで監視できる。マンションの周囲を数百メートル監視できるということだ。これも宝の持ち腐れだな、と佐藤は思う。

 一階まで降りて、受変電設備、駐車場、ゴミ置き場、エントランスなどを一通り巡回した。全ての場所にカメラがあった。エントランスでは既に佐藤の顔認証が済んでいて、カメラに顔を向ければマンションへの入退室は可能になっていた。四時過ぎで入居者の小学校低学年の生徒たち、買い物に行く奥さんたちが出入りしていて、折田は一人ひとりに挨拶をする。挨拶を返す人、無視する人、それぞれだった。

 ひと通り見て回って折田の住み込みの部屋に戻った。佐藤は作業着を脱いで着替えた。「明日からマンション住人に会えたら紹介し始めよう。管理員室に頻繁に来る人、全く来ないで私も顔すら知らない人、さまざまだ。80世帯入居しているんだから、いろいろあらあな。浩のマンションもそうだろう?」と折田。

「マンション住人の立場と管理員の立場じゃあ視点が違いますよ、オジサン。住人だと、お隣さんの顔も知らない、引っ越して挨拶に回っても、邪魔者を見るような目で見られます。マンション組合で住民として会議に出席しますが、住民の出席者は専業主婦のオバサンたちや高齢者ばかり。そういう人とは知り合いですが、住民の七割はまったく知らない。地震とか火事の際に顔見知りになっておけば助け合えるのにと思います」
「まあ、そういうご時世なんだろうな。私の次の職場のマンションは厄介な住民がいないといいがなあ」
「オジサン、このマンションに厄介な人は?」
「何人かいる。それも明日から教えよう。明日は八時に来るんだよな?」
「時間が早くてスミマセン」
「引継ぎが四日間だから、早いほうがいい。さて、これエレベーターのカード」と折田が佐藤にカードを渡す。「そろそろ五時だから、おまえは理事長の部屋に行かないと」

「あれ?オジサンは?」
「あんな寺の坊主のお経みたいな話に付き合えねえよ」
「しかし、理事長…響子さんは一人でしょう?」
「ああ、長男と長女は同じ階の別の部屋に住んでる」
「マズイでしょ?」
「マズイか?誤解されるとか?」
「それもありますし、響子さんのあの衣装が…」
「ああ、ありゃあ、初見の人に会う時とか喜んで着るんだよ。驚かそうと思って。わざと。私も始めての時はビックリした。今日の格好はおとなしい方だよ。ソファーに座ると下着が見えるほど短いスカートの時もあるからなあ。なんだ?浩、理事長の毒気に当てられたか?襲っちゃダメだぜ」
「私はロリ趣味じゃない」
「そうだよなあ、あれで39歳だよ。どう見ても20歳に見える」

「そうですね。でも、私にはヒビキがいますので…」
「まったく、おまえの親父も言ってたが、あれじゃあ、なんで離婚したのかわからんってさ。離婚して別々のマンションに住んでいるけど、それをお互い行ったり来たりしていて、それを離婚というか?え?折田?とこの前も言われた」
「毎週一回は会ってますから」
「それで、会って、まだエッチしてるって言うじゃないか?」
「まあ、そうですね。響《ヒビキ》が欲しがりますから」
「私には理解できないよ。まあ、いいや。理事長に会いに行きな」

┈┈••✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼••┈┈

 佐藤は二階の理事長の部屋に行く。彼女は二階に四部屋自分用に持っている。201号室と202号室は仕切り壁がなくつながっている。マンション建設の際に要望したそうだ。構造計算が大変だったろう。残り二室は2LDKと1LDKで、長女と長男が住んでいる。子どもと一緒に201号室と202号室に住めば他二室を貸し出せる。そうすれば家賃が二室で月三十万円ちかくになるはずだ。金持ちだからできることだ。

 折田が以前本人になぜ最上階に住まないのか、間取りも広いのだし、と聞いたら、彼女は「マンションの10階なんてビル火災で死んじゃう恐れがあるでしょ?それに最上階なら高額家賃が徴収できるのに、マンションオーナーがそんな大事な案件に住んでどうするの?」と言われたそうだ。実に合理的な考えだ。

 佐藤は201号室のモニター付きドアカメラのボタンを押す。「九条さん…響子さん、管理員の佐藤です」とモニター画面に大声で言った。ドアカメラは最新式で、留守中でも来防者の画像を録画でき、後で確認したり、リアルタイムでスマホから応答もできる機能がある。管理員の手間を省いてくれるスグレモノだが、この機能を使い切っている入居者は少ないだろう。

 ドアが開いた。響子がご苦労さま、どうぞと佐藤を部屋に招き入れる。

「佐藤さん、なんで廊下であんな大声を出すのよ?」
「誰が見ている、聞いているかわからないでしょ?だから、わざと聞かせるために大声を出すんですよ。誰か聞いていたら、ああ、理事長のところに管理員が用事で来たんだな、ってハッキリとわかるでしょう?独身の妙齢の女性宅にお邪魔するんですから」
「変な気を使うのねえ」
「誤解されたり、あらぬ噂が飛んだらお互い困るでしょう?」
「あら?佐藤さんとだったら、私は困らないけど…」今日会ったばかりで剣呑なことを平気で言う。

「…あの、早速、その高性能のパソコンを見ましょう」
「あれ?話題を変えるのねえ?まあ、いいわ。近所の居酒屋で続きを話そうね。え~っと、こっちの部屋のデスクにセットしてもらったわ」
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