ケーキの上の一粒のラムレーズン 第二宇宙

✿モンテ✣クリスト✿

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第1章 1985年12月7日以後

第7話 ノーマン3、1985年12月11日(水)

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19851211

 ニューヨークのモルグ(死体安置所)は「New York City Mortuary」という。単なる死体の仮置き場ではない。医師が立ち会っていない、死因の明確でない死体はモルグに送られる。そこで監察医という行政解剖を行う医師によって死因が調査される。伝染病、中毒、あるいは災害により死亡した疑いのある死体、他殺の疑いのある死体、その他死因の明らかでない死体(自殺体など異状死体)について、死因の判明しない場合には解剖を行うことでその死因を明らかにする。

 ハドソン川に浮いていて、俺らが回収した水死体だって来る。水に長く使っていると、水鳥、魚が食い漁ってものすごいことになっている。かろうじて皮膚で形骸が保たれていて、湯剥きトマト状態になっているから、皮膚が破れようものなら、こりゃあもう、パスタソースに最適だ。さらに、内部腐敗が進行している。ようするに、バクテリアが繁殖して、メタン、ブタン、その他奴らのガスの排泄物が死体内部に溜まりに溜まっている。医療メスを当てた途端、ガスの内圧で水の入った風船玉を針で突いたような状態となり、中身は数メートル吹き上がるという寸法だ。

 ビジュアル的にも素敵だが、ビジュアルは我慢できても、俺の嗅覚は我慢できないことがある。結果、俺の昼飯はモルグの排水口に消え去る場合がしばしばある。

 それが、我が結婚前の俺の元恋人、現在は同僚のドクター・マーガレット・タナー主任監察医は、平然としている。昼食前の解剖であろうと、彼女の昼食には影響がない。昼食はだいたい俺らニューヨーカーの定食のステーキだ。さすがに乙女だからミディアムレアを注文するが、平気でポンドステーキを食べてしまう。

 俺が結婚前、彼女と恋人関係にあった頃、彼女が俺をディナーに招待してくれた。彼女の部屋にだ。彼女は「私、キッチンアイテムを収集するのが趣味なの」とほざいた。彼女の部屋に行ってわかった。彼女のキッチンアイテムとは、肉きり包丁のことだった。

 世界中のありとあらゆる、アメリカ、ヨーロッパ、中国、はては日本のナイフがキッチンに整然と整理してならんでいる。もちろん、彼女の料理は最高だったよ。ステーキは、筋繊維を切り整え、これがオクラホマの牛かよ?というくらい食べやすい。まるで、日本のビールを飲ませたビーフみたいだ。未成熟の仔牛肉のソテー料理など絶品である。

 ディナーが終わる。とうぜん、俺らはベッドに行く。マーガレットは、これが彼女か?というくらいベッドではしとやかで、俺の言いなりだ。

 だがな、俺が彼女におおいかぶさり、俺のものが彼女の中に深く入っている、彼女の両脚が俺の臀部を締め付けるその時、彼女は恍惚となっているが、彼女の腕は俺の背中に回され、俺の背骨を冷徹に数えているのだ。背骨、俺の脊椎骨を、頸椎、胸椎、腰椎、仙椎、尾椎、約30個分ゆっくり指で触れながら、びてい骨まで指を這わせ、びてい骨を自分の体の方に圧迫してお互いの腰を押し付けた後、もうこれ以上といってない艶めかしい「ハァ~ン」というため息をついて、彼女の中の俺を強烈に締め付けて逝ってしまうのだ。

 俺は彼女を愛していた。いや、今でも愛している。しかし、彼女の「同業者とは結婚しないの!」宣言だけではなく、愛し合っている最中でも無意識に俺を人体として扱うオンナ、結婚は無理かもしれない、と思って、マーガレットに無理押しせず、今の女房と結婚した。何もかにも女房よりも最高のマーガレットをふって、嫉妬深いが愛情の満ち溢れた女房と結婚した、これがその理由だ。

 まあ、そういうこと。俺は会ったときから、マーガレットと同じ匂いをヨウコ・シマヅに感じていた。似た者同士なんだろうか?こいつら、絶対に幸せな結婚などできっこない、という匂い。

 さて、マーガレットの待つモルグに日本人三人組を連れてきた。カメラをぶら下げていたり、出っ歯だったり、英語もろくに喋れないという三人組ではない。人種差別?仕方ないじゃないか?街で見かける日本人はそういう奴らなんだから。

 エレベーターを使い、4階のマーガレットのオフィスに彼らを案内した。マーガレットのオフィスのドアはいつも通り半開きになっていた。廊下からも見える室内は、そこら中に死体から取った組織サンプルのプレパレートが顕微鏡の廻りに散乱し、調書ファイルが何冊も広げられてデスクにおかれている。

 俺のデスクがレベルワンのカオスなら、これはどうしたって、レベルファイブは超えている。脱ぎ捨てた服、下着が散乱している彼女の部屋そのものだ。俺がいつも片付役だもの。なんとなく、ヨウコもそういう脱ぎ捨て方をして、このミヤベが片付けているのかもしれんな、と思った。

 俺はいちおうノックした。マーガレットは顕微鏡をのぞき込んで組織検査をしていた。「ドクター・タナー、お客さんだ。例の日本人女性の母親と彼女の恋人と弁護士先生だ」

「エミ・モリの関係者の方々ね。I would like to offer my condolences for the loss of your Ms. Emi Mori. このような時ではありますが、まことに申し訳ありませんが、私の法執行者としての義務を果たさせてください。まず、エミ・モリのなきがらの本人確認をさせてください。お母様は大丈夫ですか?」と顕微鏡台から立ち上がってマーガレットは三人に言った。

「問題ございません。ご案内いただけますか」とミセス・モリが言った。

「わかりました。階下の安置所にまいりましょう」と言って、マーガレットは廊下に出た。俺と三人も彼女についていく。

 マーガレットは白衣をひるがえして、ヒールなしのパンプスでさっさとエレベーターホールに歩いていった。金曜日の午前中。夕方から夜になれば山程仏さんが来るのだろうが、まだ、午前中はすいている。三人もモルグに来るのは初めてなんだろうが、平然とマーガレットについていっている。

 俺はと言えば、今朝朝飯で食べて胃袋に収まっているハムエッグとご相談だ。解剖をするわけではないが、絶対にああいった場所は好きじゃない。もちろん、現場なら屍体など日常茶飯事にお目にかかる。現場は大丈夫だ。しかし、消毒液の臭気が漂い、何百体もの屍体を保管しているモルグはいけない。

 マーガレットは、調書を再度確認して、番号を確かめている。75番。普段は解剖助手がついているのだが、マーガレットは何でも自分ですることを好む。さっさと冷蔵ブースの扉を開け、ストレッチャーに遺体を乗せて検台エリアに押していった。脚の親指につける本人確認タグも確認している。

 マーガレットは頭部のおおいを開いて、顔を見えるようにした。「たしかに、エミ・モリ本人に間違いありませんか?」とマーガレットは三人に訊いた。母親はハンカチを握りしめ「間違いございません。本人です」と気丈に言った。「わかりました。これで結構です。では・・・」と言いかけるとヨウコが「少々、ドクターにお聞きしたいことがございます」と言うのだ。

「ミス、話は上でしようぜ。ここはもういいだろう?」と俺が言うと、「そうね、ミセス・モリ、ミスター・ミヤベとミスター・ノーマンは上に戻ったほうがいいかもしれないわね。でも、私は、ドクター・タナーがよろしければここでお話があるの」と言う。「私は結構よ。お話をお聞きしましょう」と言うが、俺もいないわけには行かない。

 俺は通りがかった解剖助手を呼び寄せた。「ミスター・ミヤベ、この助手に連れて行ってもらって、ミセス・モリと会議室で待っていてもらえないか?ジョージ、彼らを会議室まで案内してやってくれないか?」と助手のジョージに頼んだ。ジョージは、「問題ないよ。会議室にお連れして、飲み物でも出しておくよ」と言って、二人を連れて言った。

 ヨウコは腕組みをして、唸っていたが、俺に訊いた。「インスペクター、いえ、ノーマン、あなたが私に言ったオフレコの話をドクター・タナーからお聞きしたいんだけど、よろしいかしら?」俺は、「マーガレットがいいと言うなら、マーガレットから説明してもらう」と答えた。

 マーガレットは、「ノーマン、何を彼女に話したの?」と訊くので、「俺は、彼女に『通り魔的な犯行ではなく、意図的に狙撃された可能性がある、だから捜査も長引くかもしれない』とだけ説明したんだ。これから日本への搬送とかでてきて、関係するだろうからな」

「仕方ないわね。ミス・ヨウコ」「ヨウコでいいわ」「じゃあ、ヨウコ、まだ正式調書は作ったけど受理されていないので本当はあまり説明できないの」「私も弁護士よ。オフレコでお話はお聞きしましょう」

「わかったわ。う~ん、あなた、屍体はみたことがある?」「パリで刑事事件を担当した時、何回か見たことはあります。だから、気を使わないで、死亡原因の箇所でも何でもお見せください」

「オッケー。じゃあ、見せながら説明する」マーガレットは頭部のおおいをまた開いて、俺に説明したような話をヨウコにした。

「ヨウコ、いい?ここが弾丸の射入口」と、髪の毛をのけて頭部を指し示した。ポッカリと穴が開いていた。「大口径の弾丸だったら、反対側の側頭部が吹き飛んでいたでしょう。それで、切開して脳を調べたの。弾丸は反対側の頭蓋の裏に止まっていたわ。そこと射入口の位置を考えると、40度くらいの傾きがある。もしもまっすぐ立って、顔をまっすぐにして歩いていたなら、狙撃した人間の位置はビルの3~8階、或いは、屋上と考えられる」とマーガレットが言った。

「マーガレット、弾丸の線状痕は調べられたのよね」「ええ、弾丸は調べたわ。アーマライトAR-7というライフルから発射された『.22ロングライフル弾』だった。口径は、日本式だと5.6ミリくらい。おもちゃみたいな弾丸よ。でも、十分に殺傷能力はある。それで、ここからはノーマンにも説明していないんだけど、ノーマン、あとで調書は渡すわね、そのライフルの持ち主は、探偵事務所のピンカートン社の探偵が登録していた。だけど、この探偵、2週間前に死亡している。狙撃されてね。他殺だわ。そのあと、銃の行方はわかっていないのよ」

「つまり、マーガレット、あなたは、エミが、既に死亡していた他殺された探偵の持ち物のアーマライトAR-7というライフルから発射された弾丸で殺害された。犯人がライフルを構えていたのは、タイムズスクエアのどこかのビルの3~8階、或いは、屋上だった、とこう考えられているということね?」

「その通りよ。アーマライトAR-7を使って、ピンポイントで頭部を狙った犯人は腕がいいわ。これはあくまで私の個人的なカンだけど、この娘は、誰かに狙われていて、意図的に殺害されたのよ」

 ヨウコは憤怒の表情を浮かべ「誰が、誰がエミを殺した?コンチクショウ、私の妹みたいな彼女を殺しやがって!」とつぶやいた。息を吸い込んで呼吸を整えて感情を押さえて、ヨウコはマーガレットに言った。「失礼。ダーティーな言葉をはいて。マーガレット、ドクター・タナー、インスペクター、ありがとうございました。これはまだオフレコで、遺族にはぼかして説明するわ。ドクター・タナー、遺体はいつ引き取れるの?」

「調書が受理されて、検屍官事務所のケースがクローズしたら、いつでもお引渡しします。遺体の処置などはノーマンから手続きは聞いている?」
「聞いているわ」
「遺体は、普通ジュラルミンのコフィン(棺桶)に保管して飛行機の冷蔵ブースで・・・」
「ああ、日本人の場合、火葬にするの。それはミセス・モリに確認します。遺灰にして、骨壷で持って帰るから、手間はかかりません」
「わかったわ。お気の毒だったわね」「妹のように思っていました」
「あとの捜査は、ノーマンにまかせるのよ。彼、腕は良いからね」
「わかりました、マーガレット、どうもありがとう」

 マーガレットがエミの髪の毛を元に戻して、シーツで彼女をおおい、ストレッチャーを冷蔵室に押してブースに戻した。冷蔵室から出てくると、「じゃ、上に行きましょう」と言った。

 俺たちは、彼女のオフィスの側の会議室に向かった。会議室で、ミセス・モリとミスター・ミヤベには、調書の受理が正式に終わった後、遺体はお引渡しします、手続きは、ヨウコがノーマンから聞いているので彼女が手配できるでしょうとマーガレットは説明した。死因に関して、オフレコでヨウコに説明しました、ヨウコからお聞きください、捜査はNYPDのこのインスペクターが行います、ニューヨーク検死局が担当できるのはここまでです、本当にお気の毒でした、と一同に頭を下げた。

(しかし、ピンカートンの探偵だと?そいつも殺されて、銃は行方不明?エミ・モリのファイルのVolume 08にはジョン・ヒンクリー、ブッシュファミリーとCIA、FBI、ピンカートン社の資料があったじゃないか?Volume 11には、FBIのNCAVC(国立暴力犯罪分析センター)と凶暴犯逮捕プログラム、プロファイリングの技術資料が含まれていたじゃないか?何だと?単なる27才の日本人の娘っ子の他殺案件じゃなさそうじゃないか?なんなんだ?!捜査は簡単じゃねえな?)と俺は思った。
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