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12 自治区での生活

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「おーい、ロージー!馬車出ちまうってよー?」
「はぁい!」
「今日の御者はアレックスだからな!いつもの倍時間かかると思えよー?」

階下からこの家の主グルスの声が響いてくる。ロージーは出来上がった刺繍や工芸品の入った袋を抱えると、慌てて階段を下りて行った。

荷馬車には既に多くの荷が積み込まれている。ぎゅうぎゅうの荷物の間に己の身体を押し込み、荷物を頭上に抱えた。

「オッケー!アレックス、出して!」
「今日は荷が多いから潰れないようにするのだぞ!」
「はいはい!偉そうに言わないでよね!」

そう怒鳴り返した途端、馬車が動き出して舌を噛みそうになる。本当に荷物に潰されそうになったので、手足を突っ張って何とかこらえた。

ロージー、という名でロズリーがサガン自治区での生活を始めて、早二か月。半年間という期間の三分の一が早くも過ぎ去ろうとしている。今身を寄せている家は家長のグルスとその妻アン、テップとリッツの双子の男の子の四人家族で、家業である畑仕事の手伝いをしながら、絹糸の工芸品を作って販売をすることで寝食を共にさせてもらっていた。

一方アレックスという名で荷馬車の組合にその身を置くことになったアレクサンダーは御者見習いとして忙しい日々を送っている。これまで馬車は当然のように乗り、少しの揺れや音で文句を言っていたが、今は小さな荷馬車の取り回しにも苦労をしていて、これまで使ってきた御者たちがいかに技術の高い者達だったのかを痛感しているようだ。
それでも近くの市場までの荷馬車を任せてもらえるようになったのは、成長が早い証拠らしい。

やがて馬車はゆっくりと停車した。アレックスが馬たちに餌を与え、荷下ろしにかかる。

「ロージー、無事か?」
「えぇ、大丈夫。ちょっと手を引いてもらえると助かるんだけど。」
「ほら、つかまれ。」

差し出された手を握ると、力強く引っ張られて荷物の間から出ることができた。

剣だこくらいしかなかった彼の手は、今や擦り傷だらけで皮も厚くなっている。毎日綱を握っているためだ。そして、かなり筋肉がついた。最初は一つ荷を抱えるだけでふらついていたのに、今や両肩に荷物を担いでどんどん歩いていく。

「ロージー、明日は朝食を取ったらすぐに出発でいいか?」
「明日?」
「明日、仕事休みだろう?」
「あ、そっか!もうそんな日なのね!」
「なんだ、忘れていたのか?」
「毎日が精いっぱいすぎて忘れてた……。」
「明日、食事を取ったら迎えに行く。準備しておいてくれ。」
「承知いたしましたー。」

うっかり丁寧に答えそうになったので、慌てて語尾を伸ばして誤魔化した。

ここサガン自治区とサーナリアン公爵家には、移動のための魔法陣が設置されている。かつては国中に、そして世界中にあった魔法陣だが、技術の発達と共に魔法が衰退し、今は魔法陣を扱える魔術師があまり居ない状況だ。そんな状況だったため、ロズリーが披露した三輪車が注目を集め、あっという間に王都に広まったらしい。今はモスカータ発祥の最新移動手段として人気を博している。

サーナリアン家への魔法陣は基本的にサガンの族長が動かしていたが、実はロズリーの光魔法でも発動するということが判明した。そのため、月に一度、ロズリーはアレクサンダーと共に公爵家へ飛びどうしても決済しなければいけない事案を片づけたり、外せない用事を済ませている。
明日が二度目の帰宅日。前回は一日だけの滞在だったが、今回は三日ほどになりそうだ。

三日もサガンの家を空けるので、二人はやり残しが無いよう必死に働いていた。手慣れてきたおかげで、開店準備はスムーズに進んでいく。

「今日の目玉商品は何にするんだ?」
「今日は……まだないから、いくつか見て決めてくれる?」
「俺が決めていいのか?」
「もちろん!お客さんの目線も大事だからね。」

そう言いながら店頭に商品を並べていく。
ロージーがテップとリッツと共に作り上げた絹糸の工芸品やアクセサリー、グルスとアンが丁寧に世話をして育てた野菜たち、そして皆でワイワイ作った菓子。
砂糖は高級品だが、先日たまたま蜂の巣を見つけてはちみつを手に入れることが出来た。それを使っていくつか焼き菓子を作ったのである。

「焼き菓子とは珍しいな。」
「たまたま材料が手に入ったから。あ、味見どう?」

そう言って一枚クッキーを差し出すと、アレックスがそのままぱくっと口にした。

「あ!こら!ちゃんと持って確認して食べてよ!」
「大丈夫大丈夫、ロージーが作った奴だろ?あ、俺が死んだらお前死罪な!」

カラカラと笑うアレックスに、ロージーは売り物のお手玉を投げつける。
本来であれば王太子のアレクサンダーは、食べ物を口にする前に自ら浄化魔法を掛けなければならない。いつどこで毒を盛られるか分からないからだ。
ここに来たばかりの頃は、口にするもの全てに浄化魔法を掛けていたようだったが、いつの間にかそれをしなくなっていた。王宮に戻ってからがちょっと心配である。

「あ、このクッキー美味いな。師匠の家に買って帰りたい。」
「いいわよ、組合長にはお世話になってるし。はい。」

一袋クッキーを渡す。元々試食として配るつもりだったクッキーなので、一つあげたところで売り上げには影響しないだろう。

「いいのか?ありがとう!最近奥さんの産後の肥立ちが悪いっていうからさ。」
「あぁ!そうよね、五人目の子供産まれたんだっけ?あ、でも組合長の下のお子さん、まだ一歳くらいじゃなかった?」
「そうだな。確かそのくらいだ。」
「じゃぁ子供たちに見つからないように食べてもらって。あ、子供たちにはこっちの林檎の干菓子を。」

ロズリーは林檎で作った菓子を渡す。こちらはロズリーの飴がうっかり暑さで溶けてしまい、勿体無いからと思って作ったものだ。砂糖でつくられているので、一歳未満の子でも食べられる。

「え、このクッキーは一歳より小さい子供が食べられないのか?」
「えぇ、一歳未満児ははちみつを食べてはいけないの。理由は……明日説明するわ。」
「明日、な。分かった。じゃぁもらっていくよ、ありがとう!目玉商品はもちろん菓子にしてくれよな!」

話をしながらも手を動かしてくれていたおかげで、開店準備は綺麗に整った。一番目を引くところに菓子が並べられ、それを彩るように工芸品たちが並ぶ。その横にはお買い得商品として質のいい野菜が並んでいるので、うっかり買いすぎてしまいそうな雰囲気だ。

実際、この日の売り上げは過去最高を記録した。特にクッキーにつけられた札に人々の興味が集まる。

『注意 このクッキーには蜂蜜が使用されています 一歳よりも小さな子は食べてはいけません』

その理由を尋ねられることが多かったが、ロージーは全て「王都から来た旅人が言っていた」で済ませた。理由を説明したところで理解を得られないだろうし、「王都」という最先端の場所で判明した新たな事実としておいた方が広まりやすいだろう。

店を任されるようになってから、初めて完売による閉店を迎えたロージーは、明日の帰宅に向けて土産を探すことにした。どこの店も残っている商品は少ない。夕方に向けて客足も少なくなりつつある。

ふと、路地から少し入ったところにあるボロボロのテントが目についた。近づいてみると、少女が樽に座り、足をぶらつかせている。

「こんにちは。」
「あ!い、いらっしゃいませ!」
「ここでは何を売っているんだっけ?」
「あ、えぇと、今日はまだ何も売れていなくて。森で拾ったどんぐりと、松ぼっくりと、それと、あ、木の実もあります。」

ほとんど商品んが並んでいないので、てっきり売り切れたのかと思っていたが、そもそも商品がほとんどないらしい。木の実も傷んでいるものやかびているものが混ざっているうえ、誰でも摘めるようなものばかりだ。

「これ、あなたが森で集めてきたの?」
「そう。父さんが帰ってこなくて、母さんは病気で起き上がれなくて、それで、それで……。」

泣き出した少女を慰め、ロージーは店頭に並んだ商品を全て買った。こんな事をしても一時しのぎにしかならないが、どうしてもほおっておくことが出来なかったのである。

「ねぇ、あなたまた来週もここに来れる?」
「うん、母さんが治っていたら一緒に来る。」
「そっか。さっきのお金、たくさんだから身体の色々なところに隠してね。薬はあっちの店にまだ残っていると思うから、一つだけ買って帰りな。」
「うん!ありがとう!また来週ね!」

そう言って少女は薬屋の方へ駆けていった。その背を見送ってから、日が傾きかけている事に気づく。

「大変!」

そろそろアレックスが迎えに来てくれている頃だ。ロージーは慌てて来た道を戻り始める。駆ける足がいつもよりも軽い気がした。




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