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11 ゲームを始めるためには

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モスカータ王国の北側、高い山々に囲まれた大地にはいくつもの集落が点在している。彼らは元々流浪の民であったが、夏は暑く冬は寒いこの大地に根を張り、逞しく生き抜いてきた。いくつもの国同士が争いを始めた時は息を殺して機を伺い、その当時最も強大であった国に庇護を求め、粛々と生きてきたという。

今はモスカータの国民と認識されているものの、実際は彼らに最大限配慮し、王国のしきたりや慣習などとは一線を画す形で「自治区」を運営することを許されていた。

その中の一つがこの「サガン自治区」。ロズリーの祖父初代サーナリアン公爵がその認定に尽力したとされる区域である。公爵の没後もその支援事業を執事長イレイスがひっそり引き継ぎ、現公爵の与り知らぬところでその関係を保ってきた。そして、祖父の遺言によればいずれロズリーがその役割を引き継ぐことになるらしい。

「イレイス、苦労をかけるわね。」
「とんでもございません。それにしてもお嬢様は聖様になってから実に突飛なアイデアを出されるようになりましたね。」

そう言いながら、彼の手が止まることはない。イレイスとマリーはせっせと絹糸でアクセサリーを作っていた。サガンの人々は手仕事や物に込められた思いを大切にする。ロズリーとアレクサンダーの「ゲーム」に協力してもらえるよう、心を込めた贈り物を作っていた。



アレクサンダーとの散歩を切り上げて東屋に戻ったロズリーは、王妃と側妃に「相談」という形で今回の話を持ち掛けた。

「まず、私は幼いころよりいずれ王宮に上がるかもしれないと両親より言われて育って参りました。その覚悟は持ち合わせているつもりでおります。そして、祖父からはそれを当然の権利と思わないようにとも厳しく言われて参りました。王宮の皆様は常日頃努力を惜しまず研鑽を積み、常に王族たらんとされている、と。それ故、これからの努力も惜しまぬ所存でございます。」
「ふむ、素晴らしい心がけだな。」
「さすがサーナリアン家でございますね。」

まずは自らの決意と思いを伝え、短く息を吐いてから本題に入った。

「ですが、恐れ多くも王太子殿下との婚約という名誉あるお話を頂いてから、実際に殿下とお話をさせていただきましたところ、私と殿下とで向いている方向が異なるのではないかという思いが湧いて参りました。既にご公務に携わられている方故、余裕を感じられるのかもしれませんが……。」
「いや、ロズリー、皆まで言わずとも良い。ワタクシとてアレの親。問題には気づいていながら、気づかぬふりをしてきたのです。」
「王妃様……。」

側妃が王妃にそっと寄り添った。どうやらアレクサンダーの放蕩ぶりは王宮内でだいぶ問題になっているらしい。

「王妃様、恐れながら王太子殿下は市井の暮らしについてどれくらいご存じでしょうか。」
「市井の暮らしか、恐らく何も知らぬだろうな。弟たちは困ったことに王宮を抜け出して城下に遊びに行くことがあるようだが、アレクはそういったことに全く興味を示さなんだ。」
「そうでしたか。……王妃様、私、王太子殿下にぜひ市井の暮らしを間近で感じていただきたいと考えているのですが、不敬な考えでございましょうか。」
「いや、ワタクシもいっそアレクを平民に預けようかなどと考えたことがあった。」
「まぁ、堅実な王妃様がそのような大胆な策をお考えになるなんて!」
「それほどまでにヘンリーとレオニダスが優秀ということ。誇ってよいのですよ。」
「恐れ多い事でございますわ。」

フルフルと首を振るアンリの様子から、彼女が息子を帝位に就ける気などこれっぽっちもないことを察したロズリーは、言葉をつづけた。

「王妃様と側妃様はサガン自治区をご存じでしょうか。祖父が支援した自治区で、今も当家とは密やかな繋がりがございます。」
「サガンというと、あの美しい刺繍を作る者たちではなくて?私のこのドレスのような。」
「はい、側妃様のドレスの刺繍はサガンの文様でございます。そのサガン自治区であれば、王都から一時的に身を寄せる平民という形で過ごすことができると考えております。」
「王太子を一時的にでも平民に落とせと申すか。」

王妃からピリッとした空気を感じるが、それでもロズリーは怯まずに話を続けた。

「サガン自治区はあのあたりで唯一王都までの直通魔法陣を有する土地でございます。王都との行き来が簡単にできるうえ、王太子殿下のお顔もあまり知られておりません。それゆえ、ありのままの生活をご覧になっていただけると考えます。また、王太子殿下はいずれこの国の全てを背負って立つ方。今、まだお若くあらせられるうちに自治区の者たちと繋がりを持てば、それはいつか来る王政を盤石なものにできるのではないでしょうか。」

サガン自治区で生活してみることの有用性をひたすら説くロズリーの熱意に押されたのか、王妃はその話を一旦持ち帰り、数日中に返事をすると約束した。王や家臣たちとも相談の結果、告げられたのは「ぜひ頼みたい」との一文。これにはロズリーも淑女にあるまじき姿ではあるが、飛び上がって喜んだ。


そうして、今に至る。サガンの族長にはすでに話が通っており、アレクサンダーとロズリーの身の安全は保障してくれた。ただし、あくまで対等な立場として接してもらう以上、自治区の人々に正体は明かせない。しかし、無料で王都からやって来る何も知らない男女を受け入れてくれというのは無理な話だ。
よって、贈り物を以て誠意を見せ、半年間だけ置いてもらう、居候の許可をもらうことにした。

ちなみに、平民として扱ってほしいが貴族の出で、身の回りの事が一切できないという設定になっている。所謂「没落貴族」の設定だ。これにはさすがの王妃も難色を示したが、他に良い案もなく、結局それでいくことになった。

王と王妃から「世間を知ってこい」と言われたアレクサンダーは、当初何のことかさっぱり分からなかったようだが、ロズリーとの会話を思い出しサガン行きをしぶしぶ承諾した。その間の公務は弟たちが一時的に受け持つことで、いずれ国政を補佐するための礎とするらしい。

「お嬢様、今お作りになったもので予定の数は終了でございます。」
「ふぅ、大変だったけれど何とかなったわね。」

ずらりと並んだ指輪や組紐。これはロズリーがのばらの世界で目を奪われた、絹糸の工芸品が元になっている。染め上げた絹糸で台紙と綿を縫い留め、指輪にしたものだ。ひし形の文様は淡く輝き、繊細で優美な美しさを放っている。
組紐も滑らかな光沢が目を引く素晴らしい出来で、これならばきっと喜んでくれると確信を持てる美しさだった。

「これを族長に渡して、民たちに配ってもらいます。そして、お嬢様と殿下の受け入れ許可をもらい、そこから生活が始まります。」
「殿下には前もって注意点を伝えておいた方が良いでしょうね。イレイス、説明をお願いできるかしら。」
「もちろんでございます。」
「魔法陣の近くに、公爵家の小屋があったわよね?そこで説明してから、そのまま現地に入りましょう。」
「事前のご説明でなくて良いのですか?」
「あまりあれこれお伝えして、逃げられたら困るもの。」

ロズリーのあっけらかんとした様子に、イレイスは思わず破顔する。小さな子供だと思っていた令嬢は立派な淑女になり、更に女神に見初められたあの日から誰の目にも明らかな成長を遂げた。しかし、そのような素晴らしい女性の中に、確かにイレイスの知る、あの小さな女の子の面影が残っているのである。主人の娘ではあるが、親心というかそのような感情が湧いてきて、彼の目の端にほんの少し涙が滲んだ。

「さ、お嬢様、それでは急ぎ準備を致しませんと。最低限の着替えとはいえ大荷物ですから、ご自身でも中身を把握なされませ。」
「わかっているわ。さ、次いきましょう!」

キリッとした笑顔で自室に向かう小さかった淑女の背に、イレイスはそっと一礼すると、その後を追ったのだった。

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