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第一章 賽は投げられた
日常からの脱却
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これまでの人生を振り返ると、茜は割と堅実に生きてきた方だと思う。小学校では八十点未満をとったことがなかったし、中学に上がってもまぁまぁ上位の方だった。高校は県内でも上位五位に入る進学校だったし、希望の大学に入ることだってできた。
ひとつ誤算があったとするなら、怪我だろう。教育学部で諸々教諭資格をとり、その中から幼稚園教諭としての道を選んだ。こども園が増えてきて、保育士資格もとった茜は、私立のこども園で三歳児以下の子供たちを預かる、未満児クラスで教諭として働いていたのだが、それが思った以上の重労働だったらしい。日に日に少しずつ体に蓄積していった疲れは、やがて身体を破壊した。
腰に爆弾を抱えた以上、こども園で働くことは難しい。それに加えて、再就職の厳しい現実にもぶち当たり、途方に暮れていた。あと数ヶ月でこども園の退職は決まっている。しかし、再就職先は決まっていない。そんな絶望的な状況の時に声を掛けてきたのが真鍋涼香だった。
元々彼女の子供の担任だったため、知り合いといえば知り合いだったのだが、退職や休職などについての情報は辞める直前まで伏せられる。しかし、身のフリを相談していた同僚の看護師が元々真鍋と友人関係にあり、酒の席で茜の身体の故障や退職の情報を漏らしてしまったらしい。かねてから茜の担任としての仕事ぶりを評価していた彼女は、その情報を得てから実に迅速に人事と話をつけ、医療事務として働かないか、と勧誘に来たのである。
一度患者として偶然真鍋が勤める薬局を利用した茜は、丁寧な接客や投薬に感嘆し、また薬局を利用するときはここに来よう、と心に決めていたため、あまり迷うことなくその誘いを受けることにした。そして、今日に至る。
決して高給取りではないが、安定した正社員としての仕事にありついてから、茜は持ち前の実直さで堅実にキャリアを積んできた。その中で幾度となく様々な選択肢が目の前に現れてきたわけだが、それらも常に堅実な、当たり障りのない方を選び続けてきたと思う。
「濱谷ちゃんさぁ、あんま冒険しないタイプだっけ?」
偶然にも二人で昼休憩となった折、真鍋が突然そんなことを言い出した。
「あんまりしないと思います。お菓子とかも決まった好きなのをいつも買うし。新発売とか、期間限定とか、あんまり興味なくて。」
「そっかー。んじゃ合コンとかあんま興味ない?」
「合コンですか!?行ったことないです……。」
お酒は強くないが、嫌いではない。飲み会も誘われれば行くほうだし、過去に彼氏がいたことだってあった。ただ、ここ数年はそういった話からすっかり遠のいていて、特に合コンのような積極的に出会いを求める場は苦手だった。といっても、行ったことはないのだが。
「真鍋さんも行くんですか?」
「あたしはあくまで幹事としてね!出会っちゃっても困るし。」
「出会っちゃダメでしょ。うーん。合コンは苦手だけど真鍋さんとは飲みに行きたい……!」
▼行く
▼断る
ここでアレがきた。どうしよう。いつもの堅実な茜なら迷わず「断る」の選択肢になるのだが、今回は真鍋の参加という誘惑がある。というのも、それがかなり稀少な機会だからだ。子持ちである彼女が飲み会という「自由」を手に入れるのは思っている以上に難しい。実際、茜がこの薬局に入って三年になるが、歓送迎会と忘年会を合わせても真鍋と宴席を共にしたのはニ回だけだった。一年に一回、あるかないかくらいである。
そして、真鍋との飲み会はものすごく楽しい。彼女の豊かな知識、経験、そして自己研鑚力。ただ酒を飲みながら話しているだけだというのに、ものすごく充実した時間を過ごしているという感覚になるのだ。
男性との出会いは、正直どうでもいい。だがしかし………この誘惑には抗えなかった。気がついたら「行く」が白くなった状態で消えていき、
「真鍋さんと飲めるなら!」
と言う言葉が口をついて出ていた。「よーし、決まり!」といたずらっぽく笑う真鍋の、また可愛らしいこと。
「ちなみに合コンって、どんなメンバーなんですか?」
「あ、ごめん。合コンっていってもあんまちゃんとしてないのよ、人数とか、メンバーとか。」
「?男女の人数合わせしない、ってことですか?」
「うん。あたし子供置いて飲み会行けること滅多にないから、一緒に飲みたい人片っ端から集めようと思ってんの。」
つまりその飲み会は真鍋が一緒に飲みたい友人や知り合い、そのまた友人などを手当り次第集めた異業種交流会のようなものらしい。人によっては出会いを求めて来ることもあるだろうから、そのつもりがない参加者が後々気を悪くしないようにという配慮から、最も分かりやすく「合コン」と称しているとか。
彼女の交友関係も気になるし、何より「一緒に飲みたいメンバー」に選ばれたことが嬉しい。毎日職場で顔を合わせているというのに、茜は完全に真鍋のファンなのだ。そして、自分を手放しで慕ってくれている茜のことを、真鍋もまた可愛がっていた。
なにはともあれ、降って湧いたような「合コン」は二週間後の土曜夜開催だ。奇しくもこれが、当たり障りのない方を選ぶという、茜にとっての「当たり前」を初めて脱却した出来事であった。
ひとつ誤算があったとするなら、怪我だろう。教育学部で諸々教諭資格をとり、その中から幼稚園教諭としての道を選んだ。こども園が増えてきて、保育士資格もとった茜は、私立のこども園で三歳児以下の子供たちを預かる、未満児クラスで教諭として働いていたのだが、それが思った以上の重労働だったらしい。日に日に少しずつ体に蓄積していった疲れは、やがて身体を破壊した。
腰に爆弾を抱えた以上、こども園で働くことは難しい。それに加えて、再就職の厳しい現実にもぶち当たり、途方に暮れていた。あと数ヶ月でこども園の退職は決まっている。しかし、再就職先は決まっていない。そんな絶望的な状況の時に声を掛けてきたのが真鍋涼香だった。
元々彼女の子供の担任だったため、知り合いといえば知り合いだったのだが、退職や休職などについての情報は辞める直前まで伏せられる。しかし、身のフリを相談していた同僚の看護師が元々真鍋と友人関係にあり、酒の席で茜の身体の故障や退職の情報を漏らしてしまったらしい。かねてから茜の担任としての仕事ぶりを評価していた彼女は、その情報を得てから実に迅速に人事と話をつけ、医療事務として働かないか、と勧誘に来たのである。
一度患者として偶然真鍋が勤める薬局を利用した茜は、丁寧な接客や投薬に感嘆し、また薬局を利用するときはここに来よう、と心に決めていたため、あまり迷うことなくその誘いを受けることにした。そして、今日に至る。
決して高給取りではないが、安定した正社員としての仕事にありついてから、茜は持ち前の実直さで堅実にキャリアを積んできた。その中で幾度となく様々な選択肢が目の前に現れてきたわけだが、それらも常に堅実な、当たり障りのない方を選び続けてきたと思う。
「濱谷ちゃんさぁ、あんま冒険しないタイプだっけ?」
偶然にも二人で昼休憩となった折、真鍋が突然そんなことを言い出した。
「あんまりしないと思います。お菓子とかも決まった好きなのをいつも買うし。新発売とか、期間限定とか、あんまり興味なくて。」
「そっかー。んじゃ合コンとかあんま興味ない?」
「合コンですか!?行ったことないです……。」
お酒は強くないが、嫌いではない。飲み会も誘われれば行くほうだし、過去に彼氏がいたことだってあった。ただ、ここ数年はそういった話からすっかり遠のいていて、特に合コンのような積極的に出会いを求める場は苦手だった。といっても、行ったことはないのだが。
「真鍋さんも行くんですか?」
「あたしはあくまで幹事としてね!出会っちゃっても困るし。」
「出会っちゃダメでしょ。うーん。合コンは苦手だけど真鍋さんとは飲みに行きたい……!」
▼行く
▼断る
ここでアレがきた。どうしよう。いつもの堅実な茜なら迷わず「断る」の選択肢になるのだが、今回は真鍋の参加という誘惑がある。というのも、それがかなり稀少な機会だからだ。子持ちである彼女が飲み会という「自由」を手に入れるのは思っている以上に難しい。実際、茜がこの薬局に入って三年になるが、歓送迎会と忘年会を合わせても真鍋と宴席を共にしたのはニ回だけだった。一年に一回、あるかないかくらいである。
そして、真鍋との飲み会はものすごく楽しい。彼女の豊かな知識、経験、そして自己研鑚力。ただ酒を飲みながら話しているだけだというのに、ものすごく充実した時間を過ごしているという感覚になるのだ。
男性との出会いは、正直どうでもいい。だがしかし………この誘惑には抗えなかった。気がついたら「行く」が白くなった状態で消えていき、
「真鍋さんと飲めるなら!」
と言う言葉が口をついて出ていた。「よーし、決まり!」といたずらっぽく笑う真鍋の、また可愛らしいこと。
「ちなみに合コンって、どんなメンバーなんですか?」
「あ、ごめん。合コンっていってもあんまちゃんとしてないのよ、人数とか、メンバーとか。」
「?男女の人数合わせしない、ってことですか?」
「うん。あたし子供置いて飲み会行けること滅多にないから、一緒に飲みたい人片っ端から集めようと思ってんの。」
つまりその飲み会は真鍋が一緒に飲みたい友人や知り合い、そのまた友人などを手当り次第集めた異業種交流会のようなものらしい。人によっては出会いを求めて来ることもあるだろうから、そのつもりがない参加者が後々気を悪くしないようにという配慮から、最も分かりやすく「合コン」と称しているとか。
彼女の交友関係も気になるし、何より「一緒に飲みたいメンバー」に選ばれたことが嬉しい。毎日職場で顔を合わせているというのに、茜は完全に真鍋のファンなのだ。そして、自分を手放しで慕ってくれている茜のことを、真鍋もまた可愛がっていた。
なにはともあれ、降って湧いたような「合コン」は二週間後の土曜夜開催だ。奇しくもこれが、当たり障りのない方を選ぶという、茜にとっての「当たり前」を初めて脱却した出来事であった。
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