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第四週 ~この鍵を取れば、自由~
しおりを挟む「おつかれさまでーす」
かけた声に同じ言葉が返ってくるのを背中で聞きながら、そそくさとオフィスを後にした。
今日は、まちにまった射精管理第四週、最終日だ。
取引先からのインフル飛び火で、うちのオフィスにも欠員が出て、いつもより仕事量は増えてしまったが「絶対に残業なんてしてたまるか!」とフルスピードで片付けて、無事、定時上がりを成しとげた。我ながらよくやったと思う。
今日だけではない。退社後、一分一秒でも早く萌と会いたくて頑張っているうちに、社内での評価も上がりつつある。
――それもこれも、萌のおかげだな。
むふ、と笑って、俺はエレベーターのボタンを押した。
一階から上がってくるのを待つ間、スマートフォンをチェックする。萌からの新着メッセージが入っていないかと。
たん、とタップしてアプリを開いて、二人のやりとりをたどるうちに苦笑いがこぼれる。
――即レスしすぎだろ、俺。きめえ。
直近最後の萌からのメッセージは7:11と7:21。それに対する俺の返信は7:12と7:21。ステッカーではなく、二行ほどの文章でそれだ。
射精管理されはじめてから、日を追うごとに即レスぶりに拍車がかかっている。
萌が気遣って朝や昼休み時間など返信しやすい時間に送ってくれているということもあるが、それだけではない。
以前の俺は、出勤前に届いた萌からのメッセージを帰宅時まで放置したりと割と雑なことをしていた。
それくらいで萌は怒らない、捨てられないと安心しきっていたから。割とヒドイ男だったと自分でも思う。
――甘くみてたんだよな、俺。
萌のことを。俺だけしかいない、誰にも取られる心配のない女だと。
萌は俺しか知らない。つきあうのだって、キスもセックスも俺が初めてだった。だから、俺だけのものだって――今までもこれからも――そう思っていた。
でも、わかってしまった。
萌は、本気になればいつでも俺を捨てられるし、他の男の目にも充分魅力的に映る女だと。
「……何が、『おまえら、まだつきあってる?』だよ」
三日前、大学のサークル仲間から届いたメッセージは即削除した。「結婚秒読み」とだけ返して。
思いだして、舌打ちが出る。
街中でバッタリ萌に会って「メチャクチャきれいになっててビックリした!」というチャラ男は、俺に確認してきたのだ。
まだつきあっているのか、つきあっていないなら連絡を取って食事に誘いたいと。
チャラいくせに律儀といえば律儀だが、腹が立つことに変わりはない。
その夜、萌と会ったとき、よっぽどヤツの連絡先を消すように言いたくなったが我慢した。
そんな権利はないのだと、今は、わかっている。
俺に遠慮して甘やかしてくれる、都合の良い女はもういないんだと。
今、俺が恋をしているのは、俺の――もしかすると萌自身も――知らなかった本当の萌だ。可愛くてエロくて、きっと俺がいなくても次を見つけて生きていける強い女。
――次の男に譲る気なんて、一ミリもねえけど。
俺が最初で最後の男になる。絶対に。
ぎゅう、とスマートフォンを握りしめ、決意を新たに、チン、と開いたエレベーターに乗りこんだ。
「……ええと……あまおうとフロマージュ・ブランのタルトとレモンメレンゲパイ、さくらジュレ、それぞれひとつずつ、お願いします。あ、それと抹茶マドレーヌもひとつ」
ガラスケースから顔を上げ、白いエプロンを着けた店員に伝えると、はい、と元気のいい返事が返ってきた。
萌のマンションと最寄り駅の間、住宅街の中にひっそりとあるこの店は新鮮なフルーツを使ったスイーツが人気で、萌のお気に入りの店のひとつだ。
萌が今のマンションに引っ越してから、彼女の誕生日には、ここのフルーツタルトに蝋燭とプレートを立てて祝うのが二人の習慣になっている。
――今日も、記念日みたいなもんだし。
ということで、萌の好きなものを買いにきたのだ。
レジ前に移動し、会計を待ちながら、スマートフォンを取りだしてながめる。
萌からの連絡はない。今朝の7:21に来た「仕事終わったら連絡するね」が最終だ。
――仕事、たてこんでんのかなぁ。
連絡をする余裕もないほど忙しいのだろうか。
――部屋の前で待ってればいいか……いや、それだと萌が気にするかな。不審者通報されても嫌だし。駅前の喫茶店で待つか……。
ううん、と考えこんだところで、声がかかった。
「……おまたせいたしました。お支払いはいかがなさいますか」
「あ、SYAIKAで」
「かしこまりました。こちらの機械にかざしてください」
「はい」
「……はい、ありがとうございます。こちらレシートになります。焼き菓子は本日より二週間、ケーキの方は生物(なまもの)となりますので本日中にお召し上がりください」
注意事項に頷いて、レシートとケーキボックスを受けとり、店を出る。
気付けば、足は萌のマンションの方角へと向いていた。
――とりあえず行って、三十分だけ待ってみよう。
それで帰ってこなければ、駅まで行こう。
そう決めて、歩きはじめる。
――ケーキは今日中か……。
そういえば、前に萌が言っていた。切った果物、特に苺はすぐ悪くなると。さくらジュレくらいは明日でも大丈夫かも知れないが。
会えなかったらどうしようと頭をよぎって、またひとつ、自分の罪を思いだした。
――寿司も、本日中だよな。
あのときの寿司を、萌はどうしたのだろう。
二人前。きっと、一番いいのを頼んでくれたはずだ。
今日の俺みたいに、恋人の喜ぶ顔を思って、一緒に喜びをわかちあおうと待つ時間。どれほど長く感じただろう。
――酔ってたからなんて、言い訳にもなんないよな。
そう、今は思う。
だって、その前の時点で俺は萌を裏切っていた。
寿司が食べたいと言ったのは俺なのに。
萌に連絡もしないで二軒目に行って「萌はアルコールが駄目だから、一緒にハイボールで乾杯もできない」と正当化して、適当な女をキャバ嬢がわりに盛りあがって。
――マジでクソだったな、俺。
受話器から聞こえた泣き声を思いだして、こぼれそうになる溜め息をのみこむ。
――会いたいな。
今すぐ萌に会いたい。会って、彼女の笑顔が見たかった。
今日で約束の四週間だ。
今日から新しい二人が始まる――と思う。
今度は間違えない。絶対に彼女を泣かせない。
そう心を決めて、足を速めた。
撮りためた萌の画像と動画、萌のSNSをながめているうちに、三十分は、すぐ過ぎた。
もう少しだけ待ってみよう――で、気付けばさらに三十分。
さすがに電話をかけてみようと、通話アプリをタップして、萌のアイコンを呼び出したところで――不意に着信画面に切りかわった。
「っ、……あ」
思わず出てしまった。
出てから、ちょっと後悔した。
スリーコールくらい待てば良かったと。
――待ちかまえてたみたいじゃん。キモッ。
だが、出てしまったからにはしかたがない。
「もしもし、萌? おつかれさま。今日、仕事遅くなりそう?」
「ごめん、今日は会えない」
装った平静は、萌の言葉で一瞬で乱された。
「え? なんで? だって、今日……本当に会えないの?」
聞きかえす声は情けないほどに震えていた。
この一週間、ずっと萌のことを想って、この日のために我慢してきたのに会えないなんて。
「俺、また何かしちゃった?」
「ううん。違うの、ごめん。急遽実家に帰らないといけなくなったの」
「えっ、どうしたの!?」
「お母さんも取り乱しててよくわからないんだけど、猫がね、緊急手術するんだって」
「ええっ」
「そりゃヤバい」という想いと「俺より猫かよ」という想いが一瞬入り混じって、奥歯を噛みしめる。
萌が実家の猫と犬をどれほど大切に思っているか、俺だって知っている。
耳をすませてみれば、新幹線のアナウンスが聞こえていた。本当に大急ぎで帰るのだろう。
例え、ただ待合室で待つことしかできなくても、その瞬間、そばにいたいのだ。
「……そっか、わかった。心配だもんな」
「……ありがとう、拓海」
萌の声が柔らかくなる。ほんのりと涙ぐんだ様子にキュッと胸が締めつけられる。
気休めでも何か言ってやりたくて「きっと大丈夫だって」と明るい声を出した。
「だって、このあいだ帰ったとき、めっちゃ元気だったって言ってたじゃん!」
「……うん。そうだよね」
「うん。手術、上手くいくといいね」
「……ありがとう」
すん、と萌が息を吸って、ふふ、と受話口から笑い声がこぼれてきた。
「ごめんね。せっかく、まちにまった最終日だったのに」
悪戯っぽい響きに、ドキリと鼓動が跳ねる。
「……言わないでよ。言われると意識しちゃうじゃん」
本当は今頃、萌の手で鍵を外してもらうはずだったのに、と。
今週火曜日から淡いクリアピンクのジェルネイルがほどこされた手を思いだす。
俺は、萌の手が好きだ。
前々からうっすらと感じていたが、射精管理がはじまってから強く思うようになった。
白くて細くて、なんだかいつも良い匂いがする。
形や匂いだけではない。何というか、所作がきれいなのだと今さら気付いた。
向かいあって食事をするときに箸をとる仕草、使い方、テイクアウトカフェでカップを受けとり、両手で包むように持ったときの指の揃えかた、意識してみれば、電車内で隣りあって吊り革をつかむ手の形ですら美しかった。
きっと、今、スマートフォンをにぎりしめ、目尻の涙をぬぐう姿もきれいだろう。
あの手の許しがなければ、今の俺は何もできない。
貞操具の鍵を開けて、洗って、扱いて、俺の欲望を管理してくれる手。
思いうかべたら、途端に単純すぎる身体が下半身に血を送りこみ、ケージの中の物がふくれてくる。
痛みに小さく息を呑めば、忍び笑いが耳をくすぐった。
「……ねぇ、勃っちゃった?」
周りに遠慮して潜めた声が妙にエロく聞こえて。
――くっそ。今ので完全に勃ったわ。
心の中で呟いて「アホなこといってないで、電車乗り遅れないようにしろよ」と言いかえす。
「大丈夫。後五分あるから。……あっち大丈夫そうなら、明日こっち戻ってくるから、明日会おうか?」
提案に飛びつきたくなるのをグッとこらえて、首を振る。
「いいよ。せっかく週末に帰るんだから、日曜までいなよ。手術終わってハイ、バイバイじゃ、猫に恨まれるぞ」
「でも、本当は今日なのに。それに、来週、拓海、連続で出張でしょ? 来週末まで会えなくなるよ?」
「いいって、来週で」
全然よくないし、本当は今すぐにも外して抜いて欲しい。
ズキズキと痛む股間の訴えに耳を貸さずに「ゆっくりしてきなよ」と伝えると萌は少しの間黙りこんだ。
「萌?」
「今、どこにいるの?」
「今? 萌の部屋の前だけど?」
「そう……じゃあ、郵便受けに手、入れて」
「え? 郵便受け?」
「そう」
首をかしげながらもスマートフォンを左手に持ちかえ、膝を曲げ、郵便受けに右手を差しいれようとして。
「鍵、郵便受けの内側に貼ってあるから。取って、外していいよ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
少し遅れて、恐る恐る手をさしこめば、こつり、と指先に触れるものがあった。
鍵だ。
養生テープで貼られた、鍵。
「一応、もしもに備えて前々から貼っておいたんだけど。やっぱり、期限は期限だから。自分で外して、好きにしていいよ」
萌の言葉に頭が真っ白になった。
自分で外して、好きにしていい。この鍵を取れば、自由だ。
そう理解した途端、肌が粟立つような興奮に包まれた。
「……拓海?」
スマートフォンを顔から離して、みちみちと食いこむステンレスの痛みに耐えるようにうずくまる。
目の前にぶらさげられた自由を前にして、身体の方は大歓迎を示していたが、心の方は、どうしていいのかわからなかった。
自由への渇望と、つきはなされたような寂しさ。二つの感情が入りまじる。
ふうふうと乱れる息を押さえる間も、欲望に素直な指は無意識に養生テープの端を探り、剥がしはじめる。
――そうだ。元々期限は今日だし。萌の許可は出てる。
ぺりり、と一隅が剥がれて、剥がれたところを指でつまむ。
――これで自由だ。萌を思って好きなだけ抜ける。
口元が笑みに歪む。べりりっ、と一気に剥がして、そして――俺はテープを摘まむ指を、そっと離した。
ひとさし指の先、二秒ほどぶらさがったテープは、鍵の重さに引かれて剥がれ、またたきの後、こん、と反響音がした。
「……拓海、どうしたの?」
「やっぱいい。まってる」
「どうして?」
「鍵、中に落としちゃった」
へへ、と残念そうに笑うと呆れたような声が返ってくる。
「えっ、も~、ダメじゃない。他にはないよ?」
「わかってる。だから、まってる。どうせなら冷たい鍵より、萌のおっぱいであったまった鍵で開けてほしいし」
「なにそれ、エッチ。もう、しょうがないなぁ。じゃあ、大事にあっためとくね」
くすくすと笑う声に、なぜだか涙が滲んでくる。
わかってしまったから。
もう、自分で、では駄目なんだと。
自分で何回抜こうと、あの快感や満足感は得られない。
大きく息をすって、吐いて、萌に伝えた。
「せっかく、まちにまった最終日だし、萌のこと、イイコでまってるよ!」
もう、萌じゃないと駄目だから――最後の一言は、口にしなかった。
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