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第1章

第2話 使えない青魔法

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「ねぇ」
「なに?」

 背後から声をかけられたラークは、去って行くエドモンの背中を見たまま、返事をする。

「アンタ、エドモンくんとなにかあったの?」
「うーん……なんだか避けられてる気はする」
「なんかやらかした?」
「覚えはないんだけどなぁ」
「でも彼って、みんなに優しいじゃない?」

 そう言いながらアンバーは一歩前に出てラークと並ぶ。
 ふと姉のほうに目を向けると、彼女はどこかぼんやりとした表情で去りゆくエドモンの背を見ていた。

「もしかして姉さん、ああいうのが好みなの?」

 そう問われたアンバーは、頭ひとつ背の高い弟の顔を見上げると、フッと微笑んだ。

「そうね。一度くらいは抱かれてみたいかも」

 そして彼女はそう言うと、エドモンが去ったのとは別のほうへ歩き始める。

「いや抱かれるって……。家族のそういう話は聞きたくないなぁ」

 歩き出したアンバーのあとを追いかけながら、ラークはそう言って肩をすくめた。
 彼らは先ほど倒したレッサーワイバーンが消えたあたりに向かっていた。

「あら、あたしだって年頃の女なんだから、性欲くらいあるわよ。どうせなら優しいイケメンに抱かれたいじゃない?」
「だからそういう話はやめてって」

 そんな話をしながらレッサーワイバーンが消えた場所に着くと、そこには1枚の大きな皮と拳大の黒い石が落ちていた。
 レッサーワイバーンのドロップアイテムの竜皮と、魔石である。

 アンバーは竜皮を手際よく丸めると、腰に提げたポーチの口を開けてそこに当てた。
 するとひと抱えもあろうかというロール状の皮が、小物入れ程度の大きさしかないポーチに吸い込まれた。

 このポーチは魔法鞄マジックバッグといって、見た目よりも遙かに容量が大きく、収納物の重量を大幅に軽減できるアイテムだった。
 それだけではなく、収納した物の劣化防止効果までついているかなり高性能なものである。

「別にいいじゃない、性欲なんてあって当たり前のものなんだから」

 続けて魔石をポーチに収めると、アンバーはラークに向き直る。

「アンタだって時々夜の町に――」
「あーごめんなさいごめんなさい! もうこの話はやめましょう、ねっあねうえ?」
「ふふっ、そうね。これくらいで勘弁してあげる」
「ほっ……」

 姉の言葉に、ラークはほっと息をついた。

「それで、このあとどうするの?」
「あー、ちょっとしんどいんだよねぇ」
「さっきの傷、結構深かったもんね。火傷も軽いとは言え広範囲だったし」
「回復でかなり生命力を持っていかれちゃったかな」

 回復魔法や霊薬ポーションを使って傷を回復する際、術者の魔力だけでなく、魔法を受ける本人の生命力も消費される。
 深い傷を短時間で治す代償といっていいだろう。

 致命傷を考えなしに回復してしまうと、傷は治ったが死んでしまう、ということもあるので、回復魔法や霊薬ポーションを使う場合はそのあたりのことを注意しなくてはならない。

 生命力そのものを回復できる魔法やアイテムも存在するが、それらは非常に希少なので、アテにできるものではなかった。

 なので生命力を回復するためには、休養をとる必要があるのだ。

「それじゃ、帰りましょうか」

 アンバーはそう言うと、エドモンの去っていったほうへと歩き始めた。
 そちらには、この『草原』の出口がある。

「あっ、そうそう。なにかラーニングはできたの?」

 少し歩いたところで、ふと思い出したようにアンバーが声を上げる。

「あー、うん。パラライズテイルっていうのを覚えたよ」
「あの尻尾でやられたときね」
「そう」
「麻痺毒ってのは悪くなさそうだけど……どう、使えそう?」
「どうかな、試してみないと」

 そこでアンバーは立ち止まり、ラークも釣られて止まった。

「じゃあ試してみなさいよ。まだ[バリア]くらいは使えるから、受けてあげるわよ?」
「そうだね、じゃあ」

 アンバーの申し出にラークは頷き、目を閉じて集中した。
 慣れればすぐに発動できる青魔法だが、習得したてだとこうやって集中し、使い方を探らねばならない。

 姉が息を呑み、弟の様子を見る。

「……ああっ、だめだ」

 するとラークはそう言って、がっくりと肩を落とした。

「どうしたの?」

 アンバーが尋ねると、ラークは顔を上げる。

「尻尾がないから、使えない……」

 そして力なくそう答えた。

「……なにそれ?」
「たまにあるんだよ、こういうの。前にヴェノムファングっていうの覚えてさぁ」

 ラークの言う[ヴェノムファング]とは、以前ヴェノムヴァイパーという毒蛇型の魔物から〈ラーニング〉した青魔法だ。

 かなり強力な猛毒攻撃ができるものだが、相手に直接歯を立てなくてはならないという条件があり、お蔵入りにしたものだった。

「一応ゴブリンの首に歯を立てて発動はできたんだけど……おえっ……思い出しただけで気持ち悪くなってきた」
「あはは、青魔道士も色々大変なのね」
「ほんと、こういうハズレみたいなのはやめて欲しいんだよなぁ」
「ま、いいじゃない。アビリティは上がったんでしょ?」
「それはそうなんだけどね……」

 新たに[パラライズテイル]を〈ラーニング〉したことで、ラークは全体的な能力の上昇を自覚していた。

 青魔道士はラーニングによって青魔法を覚えるだけでなく、習得元となった魔物の力を一部引き継ぎ、能力が上昇する。
 なので、習得した青魔法が使えなくても無駄ではなかった。

 ただ、ラーニングに伴う能力上昇も、どちらかといえばデメリットに近いものだった。

「俺も訓練と経験でアビリティが上がればなぁ」
「たしかに、それはそれでやっかいよね」

 たとえば【戦士】の場合、剣の素振りをしていれば素の筋力以外にジョブの効果で身体能力などが強化される。

 この“ジョブによる能力補正”を『アビリティ』といい、【戦士】なら筋力や耐久力、【斥候】なら素早さや感知能力、【黒魔道士】や【白魔道士】なら魔力などが底上げされるのだ。

「あたしなんて、さっき走り回ったのでなんとなく体力が上がった感じだしね」
「っていうか姉さん、いま使える魔法もほとんど訓練で覚えたんだよね?」
「ええ。実戦経験のほうが成長は早いけど」
「いいなぁ。俺なんていくら訓練しても、ぜんぜん強くなれないのに……」
「素の身体能力は成長するから訓練も無駄じゃないでしょ」
「だけどアビリティの上昇には遠く及ばないよ……」

 ラークはそう言ってがっくりと肩を落とした。

「ああ……せめて訓練と経験でアビリティの上昇だけでもできればいいのに……」

 そう、青魔道士は他のジョブと違って、ラーニング以外でのアビリティ上昇がないのである。

「ラーニングで急成長できる可能性だってあるんだから、文句言わないの」
「はぁ……ジョブチェンジしたい……」
「はいはい、わかったから。帰るわよ」

 アンバーはそう言って弟の尻を叩く。

「それにしても……やっぱり仲間って、本当にありがたい存在だったんだなぁ……」

 姉に促されてふたたび歩き始めたラークは、少し前に別れた元のパーティーメンバーたちを思い出して嘆息した。

 彼らは【青魔道士】という面倒くさいジョブを持つラークを煙たがることなく、むしろ積極的に〈ラーニング〉の手伝いをしてくれていたのだ。

「あのねぇ、自分から辞めておいて、いまさらそんなこと言わないでくれる?」
「だってしょうがないだろ? 俺がいたんじゃ足手まといなんだからさ……」
「誰もそんなこと言ってなかったじゃない。リーダーのラキストだって、ラークがいなければ困る、なんて言ってくれてたわけだし」
「俺がいやなの! 俺のせいでみんなが足止めをくらうのなんて……」
「はいはいわかったわかった。だからこうしてあたしが付き合ってあげてるでしょう?」

 宥めるように言う姉を、ラークはねめつける。

「あの、だれも手伝ってくれなんて言ってないんですけど」
「はぁ!? あたしがいなきゃ絶対死んでたじゃない!」
「いやソロでラーニングなんてしないって!」
「でもラーニングしなきゃランクアップもできないでしょうが」
「ラーニングしなくたって、ソロでちゃんと実績を積めばいつかは……」
「あのねぇ、母さんの言いつけ、覚えてる?」
「うっ……」

 姉の口から出た『母さん』という言葉に、ラークが眉を寄せる。

「ソロになるのは白銀票冒険者シルバータグになってから! そういう約束でしょ?」
「それは……」
鋼鉄票冒険者スティールタグが偉そうに言ってんじゃないわよ」
「いやいやいやいや。姉さんなんて俺よりふたつ下の皮革票冒険者レザータグじゃんか!」
「アンタこそなに寝ぼけたこと言ってんの! あたしはまだ冒険者になって半月も経ってないのよ? それに木板票冒険者ウッドタグからのランクアップだって、かなり早いってチェブランコさんに褒められたんだから」
「それは……」
「ひょっとすると今日あたり、青銅票冒険者ブロンズタグになるかもね」
「いやぁ、さすがにひと月足らずで青銅票冒険者ブロンズタグは無理じゃない? 俺だって半年かかったんだから」
「ふふん、どうかしらね」

 いつものようにそんな話をしているうちに、ふたりは『草原』の出口へ辿り着くのだった。
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