幸せを知る異世界転移

ちゃめしごと

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Prologue

怒りと悲しみの邂逅

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 我の爪が振り下ろされる。

 人間の少年、黒髪に黒眼という珍しい容姿と、手足に付けられた枷から不幸な人生を送っているであろう事が分かった。

 きっと、良き龍であれば彼を助ける事もしたのだろうな。

 だが今の我は、怒りをぶつける悪しき龍だ。

 故に―――生きたい―――我は…。

 それは、我の思考を遮る程の強烈な思念だった。

 ―――生きたい、あの人と約束したから―――

 それが少年から発せられている事は、この場の状況から分かる事だった。

 街道に転がる馬車に、逃げた御者は草むらの中、目の前に居るのは少年一人だ。

 関係無い、生きたいという思念ごと、潰してしまおう。

 我は、爪を振り下ろした。



 そして、目を疑った。

 少年は、いや、人間は非力な生物だ。

 爪の風圧から上がった砂塵の向こう、我の爪は地に食い込み、少年は無残に引き裂かれる運命が当然の物。

 だが、我は見た。

 爪が振り下ろされ、少年を切り裂くというその瞬間に、少年が枷を引きちぎり、我の爪を受け止めたのを…。



 現に、我の爪に感じている感触は地面のソレでは無かった。何かに支えられている。そう感じる程にこちらに対する害意は無く。ただ落ちてきた物を止めた少年の腕だった。

「生きる為なら―――僕は―――!」

 言葉を発した。ただそれだけの事なのに、少年から吹き荒れるこの圧は何だ。

 身を焦がす様な熱でも無い、暴風でも無い、ただ申し訳ないと感じてしまう程の、優しい圧だ。

「僕は…」

 我は戦いが始まると心構えた。

 だが、少年は我の爪をゆっくりと地に降ろすと、あろうことか涙を流し始めたのだ。

 戦えば確実に我が負けていたであろうその状況で、何故、少年は拳を振るわなかったのだろうかと、我は理解が出来なかった。

 先程学んだばかりだ。我の子を何故か殺していた信奉者の者達と同じ人間なのだから、この少年もまた…我を殺すのだろうと思っていた。

 だが、何故か殺されない。

 それどころか、涙を流したのだ。

 我の爪に、少年の涙が触れた。

 世界において、管理者である我は知りたい存在の内に触れる事で刻まれた記憶を見る事が出来る。

 人においては血液や涙など、故に、我はこの少年の記憶に触れた。

 人の記憶とは断片的な物だ。全てを明確に覚えておける程の存在では無い。

 故に少年の記憶も断片的な物、見ても仕方が無い物、どうせ、親に恵まれずに捨てられたのが妥当であろう。

 そう考えていた。


 だが、



 蔑まれ、詰られ、蹴られ、打たれ、刺され、閉じ込められ、それでもそれを幸せな環境だと信じ、死に、掬われ、機会を得て、拾われ、笑い、悲しみ、知り、学び、走り、共に行き、捕まり、過去の幸せを信じられ無くなり、項垂れ、それでも彼は―――先程の思念を放った事を知った。



 なんと数奇な運命か、なんと恵まれぬ人生か、それに…彼が一度目の死後に出会ったあの女性は、見紛う筈も無く…。

 神の御子、彼は…自分が何者かも知らないのだろう。

 この世界に来て、存分に歩く事を知った。笑う事を知った。本当の幸せに僅かに触れて…それを失う覚悟で誰かを助けた。

 気高き魂、それでいて、その気高さを己は知らず…。

 神ファーリエル…今は亡き唯一神よ、彼の者は、貴女が御残しになられた最後の御子なのですね。

 真実は分からない、何故、彼の神が少年を渡らせたのか…。

 この少年に、何が秘められているのか。

 この巡り合い、偶然とは思えぬな。

『少年よ…』

 我の言葉も、この少年であれば伝わるだろう。そういう存在なのだから。

「はい…」

 涙を流し、言葉を発するのも辛いであろう嗚咽の中で、しっかりと返事をした。礼節を尽くすのか、この中にあってもなお…。

『少年に問いたい、何故、涙を流す?そなたの力であれば、我を殺す事など容易いだろう?』

 本当は知っていた。この少年が、自身にそれ程の力が備わっているのだと理解していない事も、だからこそ、それを教える意味で質問した。

 少年は、自分の手を強く握り、我を見つめた。真っ黒な瞳は、我を射止め逸らされる事無く紅蓮の鱗を映していた。



「僕は、生きたいと願い、その為ならばと…その為ならばと貴方を殺そうとした。人は生に貪欲です。生きる為に他を殺し、生きる為に恐怖を取り除く…」



 頷く事で促した。この少年の理知は聞くに値する。

「だけど…猪や馬、獣は殺し食べる事で人の生の一部となります…そう考えた時、僕は貴方を、ただ殺す事しか出来ないと思ったのです」
『我は他の人間を害する悪しき存在やも知れぬぞ?現にそなたを殺そうとした。現に我は怒りに任せて人を殺した。生きる為には我を殺さねばなるまい』

 少年は頷き、目元に溜まった涙を拭った。

 そして、右手を見た。強く握りしめ、何かを思い出す様に開き、再び握り締め、その拳の上に涙を落した。



 愚かな我は、そこで気付いた。彼が、我を殺せなかった理由を。



「貴方の爪を受け止めた時、暖かさが伝わって来たんです。懐かしい、僕の幸せを願ってくれた女性の暖かさが…だから、殺せる筈が無かったんです」



 …人は、進化の中で生じた存在だ。

 対して龍は、神が世界の管理者として生み出した存在、いつの間にか、その管理者としての役割は人に受け継がれ、管理者たる役目を全うしている龍は少なくなったが…それでも、祖の龍は、神に、ファーリエル様に造られた存在なのだ。

 ファーリエル様を知り、感謝し、想い出の中に大切な御方として刻み込んだ彼が、我等を殺す事など、戦う事でさえ…辛く。苦しい事なのだろう。

 我は頷いた。深く深く。それは謝罪の意も込めた頷きだった。

 この少年には、帰りを待つ盗賊団がある。盗賊という行為は受け入れられないが、それでも彼にとっては居場所の筈だ。

『少年よ、送り届けよう…君を待つ人々の所に』

 喜ぶかと思ったが少年は、身を震わせた。

「ぼ…僕は…帰れない、分かっているのに、盗賊団の人達の中に、僕に悪意を向ける人はいなかった事も、待ってくれている人がいる事も…なのに、こ、怖い、人が怖い…」

 少年は、蹲ってしまった。

 むしろ、よくぞこれまでの生で人に対する恐怖を覚え無かったものだ。

 …待ってくれていると理解している分、彼の苦しみは相当な物だろう。

 彼は、その苦しみに負けた訳では無い、負けてしまったのであれば怖いと考えることすら拒絶するだろう。

 彼には、時間が必要だ。

 その恐怖と向き合い、戦い、打ち勝つだけの時間が…だが、それには彼は知らな過ぎる。世界を、人という存在を…。

 嗚呼、やはりこれは運命だ。この出会いは偶然では無い。

『少年、名を聞かせてくれ…我には名が無い、故に名乗る事は出来ぬが紅蓮とでも呼んでくれ』
「僕は…僕はユーマと言います」
『そうか…ユーマよ、父はいるかね?義父でも良い』
「います…きっと、待ってくれている…僕の、帰りを…」

 記憶で見た。

 ユーマの名も、その義父であるレイシュールも、故に我という存在もまた必要となるのだ。



『ユーマよ、世界を知り、人を知り、その恐怖に打ち勝ってはみないか?』
「え…?」



 この言葉を口にしたら、後には引けない。

 偶然じゃ無い、我が子を失い、怒り、この少年と出会ったのは…神の御子としてのユーマにでは無い、この気高き少年ユーマにであw

 龍の言葉には意味がある。龍の言葉は世界への宣誓にも成り得るのだ。

 故に龍は本来会話で龍の言語を使用しない、だが、この場においては我々の言語で良い。



『我は、ユーマの父となろう。龍としての義父に、人の父はおるのだろう?』



「…龍としての、義父さん?」




 不思議と、その響きは好ましい物だった。

『あぁ、我で構わなければ、義父として…ユーマと共に世界を巡ってみたいと思っている』
「龍としての…人では無い、義父さん…」

 何かを悩んでいる様だった。だが、頷いた。そして我に一礼をした。

 …認めて、くれたのだろうか。

 ユーマは、一度だけ振り返った。

 それは物理的にも、心情的にも、二つの意味を持っていたように思う。




「いつかまた―――」




 決意に満ちたその言葉を、我は聞かぬフリをした。

 人としての義父への、一度の、別れの挨拶だったのだろう。

 そして、我に向き直った。決意を目に、我に縋るのでは無く強い意思で見つめていた。

「僕は…僕は幸せを見つけます」
『我も、正直な所幸せを知らぬからな、共に探すとしようぞ』
「人も、克服します」
『思えば我も、人に対する怒りを忘れねばユーマとの度に差し支えるな』

 互いに目を合わせて、思わず笑みを零した。

 変わりなどでは無い、我の子は死んでしまった。我の目の前に居るのはいわば…神の子に近いだろう。

 神に生み出されし龍の末裔が、神の子の義理とはいえど父になるとは…いや、そうしたいと思ったのは我か。

 似ている…とは言わん、ユーマは我よりも気高く。我よりもずっと強い。それを自覚していないのは困りものだが…。

『ユーマよ、背…いや、首の辺りに乗ると良い』

 背を屈める際にユーマに風圧がいかないように力を使う。我々龍は、風に関する力を授かっているので人を乗せても大丈夫だろう。人を乗せるのは、初めての事だ。


「ありがとう…えっと、義父とうさん」


 どうやら、父と認めてくれたらしい。
 
 恥じらいを持ってそう言うユーマを、我は愛おしく感じた。守りたいと思った。教えたいと思った。

 それはこれから、叶えて行けばいい、そう思った。

 我の鱗を掴んでよじ登り、ユーマは何度か座り直して腰を落ち着けた。既に陽は登り切っていた。

 手初めてに、ユーマには世界の広さを教えてやるとしよう。

 背に感じるユーマの少しの重さに、我が夢見ていた子と共に空を飛ぶという今は叶わぬ儚き願いを想い出した。

 死した我が子よ、そなたの事は忘れない、どうかそなたの兄を見守ってやってくれ。

 そなたの兄、ユーマだ。生まれてくる筈だった我が子ルージュよ、どうか、安らかに。

『さぁ、行くとしようか』
「はい!」

 羽ばたく。強く。これまでで一番強く。

 不思議な物だ。既に怒りは忘れている。驚きと、悲しさと、色々な物が混ざり合って残ったのは子を思う愛しさだけとは…。

 共に行こう。





 これは、幸せを知る為の旅だ―――。






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