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第一章
氷雪大陸 冷たさ
しおりを挟むそれまでの大陸を表現するのならば、緑に満ちた深緑の大陸だった。
海は蒼く。空も蒼く。義父さんが言う様に空だけが蒼では無い景色は、目が痛くなるほどに蒼の世界を魅せてくれた。
陽光を浴びて煌く海面に見える影に、生命の存在を感じた。
島々が確かに在り、そこで暮らす人もいれば、人のいないであろう島もあった。
それらの先、義父さんの紅蓮の鱗と対を成すが如く白に染められた大陸に僕達は辿り着いた。
空は灰色の雲で覆われていて、それまでの蒼は雲の向こう。さらに上昇すれば見る事が出来るのかもしれないけれど、恐らくはこの大陸の景色を義父さんは見せてくれているのだろう。
小さな粒が降り注ぐ。元の色も分からぬ大地を更なる白で上塗りして行く。
その色は、その冷たさは、僕にとっては馴染みのある物だった。
前進する事を止めて、その場に滞空する様に羽を上下させながら義父さんは纏っていた風を霧散させた。
風が晴れた事で寒さを感じ、天から舞い降りた懐かしい冷たさが頬に触れた。
僕の死を運んできた存在であり、僕の心象風景であり、僕とあの人の出会いの場に居合わせた存在。
「雪…」
その大陸は、雪に覆われた大陸だった。
―――氷雪大陸 冷たさ―――
雪原以外、その場に呼び名があるのだろうか、一面の柔らかな新雪、そこに義父さんは降り立った。
『ぬ…』
違和感を覚えたのか小さく声を漏らした義父さんは、何度か足を動かした後に落ち着いた。
『むぅ…踏み固めぬと我の身は重いか…』
どうやら雪が柔らか過ぎた様だ。義父さんの身体の大きさは良い事ばかりでは無いらしい。
落ち着いたと思ったのだけれど、再び義父さんの身体は雪に沈み始めた。
義父さんの身体は暖かいから、その所為で雪が溶けて沈んでしまう様だ。
『ふむ…あまり雪上に長居は出来ぬな…何処か安定した場所を見つけねばなるまいて』
「義父さんが住んでた山の山頂には雪は無かったんですか?」
『あった…だがここまで深くは無かったのでな、勝手が違うとこうも困惑する物だとは…』
再び羽ばたき、僕を背に乗せて義父さんは飛翔した。
近くの山の方へと向かっている様だった。
『我も人の姿になる秘儀を覚えておれば良かったのだが…我が父はその秘儀を教えてはくれんでな』
「それは…どうして?」
『父は頑固でな…理由も話してはくれなんだ…良く考えれば我は父の事を何も知らぬな…』
悲しみに近い感情が伝わって来たけれど、同時に喜びも感じられた。
これから会いに行くのを、楽しみにしているのが窺えた。
再び僕が風を浴びなくても済む配慮をしてくれて、空を風邪と共に駆け出した。
「どんな方だったんですか?」
『どんな…そうだな、錆鱗と言われる程に粗い鱗をしていた…それほどまでに、戦いを重ねた龍だ』
「錆鱗…」
『龍は長く生きれば人と同じ様に衰えが身体に現れる。だがその他にも疲れや精神的な負担によっても、龍はその身に変化を露わす…我が父も元は紅蓮の鱗を持つ龍だったと聞くが、強者との戦いの中で身も心も疲弊し、いつしか鱗が錆びれたと聞いた…』
何処か嬉しそうに義父さんは爺ちゃんの事を話す。
その嬉しさが僕にも伝わって来る。感情を読み取るこの力が今はありがたい。
『我等龍族は血縁の場所だけは伝わる様に出来ていてな、父が住まうのは雪の降り積もるあの山脈の頂きだ…』
義父さんの視線の先にある山頂が、僅かに煌いた。爺ちゃんも、もしかしたら息子が来ている事を、いや、先程の義父さんの話からすれば、確実に分かっているのだろう。
もしかしたら、楽しみにしてくれているのかもしれない、そう思うと、爺ちゃんに会うのが楽しみになった。
『とはいえ…流石は我が父だな、どうにも何か飼っているらしい』
「飼っている…?」
『あぁ、先程から視線を感じるのでな…ユーマ、しっかりと捕まっておれ!!』
急上昇、その後に義父さんが滞空していた場所を、何かが切り裂いた。音だけが耳に届いて、その場所を何かが、何かした…つまるところ、何が起きたかはまるで分からなかった。
僕は言われた通り、義父さんの背に強く捕まっているだけ、下方向から義父さんを追って上昇して来た何かが僕達の進行方向である山頂への空路を塞いだ。
緑の体躯に尖った角、あからさまな凶悪さというのは逆に格好良さを感じてしまうのは僕だけだろうか。
義父さんとは違う。恐らくこの生物は龍でも無い、そして、心も感じない。
どういう生物なんだ。そんな疑念が尽きない程に、彼からは感情を感じなかった。
『吼える事も無く。誇りも持たぬ愚かな生物よ…龍鱗の化身よ』
その言葉から、その生物の正体を、少しだけ明かしてくれた。
龍麟、龍の鱗…その化身。
一体、この生物はどうやって生み出されているのだろうか、鱗…爺ちゃんの鱗の化身なのだとしたら、龍という生物は一体全体、どういう構造をしているのだろうか。
『我が風と炎を司る様に、我が父は風と命を司る…息を吹けば緑が芽吹き、己の身体の一部を小さな命に変える事も出来る…だが、その命に感情は無く。父の道具として扱われているがな…』
それは、酷い話なのか検討が付かなかった。だって、生み出してくれた事に変わりは無いのだから、そして意思が無いのならば、その事を酷い事なのか、嬉しい事なのか判断する事も出来ないのだから。
剣や靴に意思が宿っていたとして、本当は斬る為に使われたくない、地面を踏みしめる為に使われたくないと思っているとしたら、そうした剣には別の生き方を用意してあげなくちゃいけない、だけど、剣に意思は無い、故に僕等は斬る為に使うし、折れても新たな物を用意しようと思う。
目の前の生物に意思が無いのだとしたら、それは、剣と変わらないのではと思ってしまった。
義父さんは殺してしまうのだろうか、この生物を…。
『……大方、我の様子を見に来たのだろうな』
小さく笑った義父さんは羽ばたいてその生物の上を飛び越えて山頂への空路を進んだ。義父さんの言う通り、それ以降追ってもこなかったし、進路を塞がれる事も無かった。
「ど、どうして分かったんですか?あの龍が邪魔をしてこないって」
『…分からん、だが、我が父はそういう龍なのだ』
不思議な答えだったけれど、胸の内側で羨ましさと納得の両方が落ち着いた。
やっぱり、子供は父親の思っている事がなんとなく分かるのかな…僕には少し、分からないや。いいや、義父さんも分からないと言っているし、それが当然なのかもしれない。
分からないけれど、分かる事…そう言う事もあるよね。
『さぁ、一息に行くとしよう』
降り注ぐ雪の冷たさを感じないこの状況なのに、僕は、父親との繋がりを感じた事の無い僕は…少し、寂しさを感じたんだ。
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