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第一章
氷雪大陸 ――チャル 未知 1――
しおりを挟む俺はこれまで、水晶と共に育ってきた。
ノースランド、外界からそう呼ばれるこの場所は魔族と言われる俺達の楽園…らしいのだが、外界を知らない俺からすれば実感の湧かない言葉だ。
それでも確かに、外界には人が居ると聞いている。
此処とは違い緑がある。此処とは違い空が蒼い。そんな話を沢山聞いた。
だが、それに対して俺達魔族は、水晶の民は興味を抱かないんだ。
それは単純に俺達が誇りを胸に生きているからだ。外の世界などどうでもいい、生まれ落ちた場所を大切にして、生まれた場所を継いできて、その流れの中に俺達は生きているから。
それが俺、チャルディリー=ゴングの一生だと思っていた。
――チャル 未知 1――
その日、夜は俺達を包むように帳を降ろした。吹雪に守られたノースランド。いつもの夜、何の危険も無い、水晶獣も現れない平和な夜だった。
ただ。影が降りるまでは。
ノースランドは水晶の煌きによって夜も眩い輝きを街に届けてくれる。
水晶は万能だ。家にもなれば武器にもなる。加工は難しいけれど頑丈でどんな事にでも使う事が出来るノースランドの特色でもある。
その輝きの一部に影が差した。
その時、誰もが空を見上げた。
ノースランドには空を飛べる魔族もいるけれど、それ程大きな生物は何処にも居ない。有翼種と呼ばれる魔族はいるが、彼等の翼は自重を支える為にそれ相応の大きさだ。家屋一つに影を落とす程の大きさでは…無い。
そこに居たのはノースランドの伝説に残されている生物、ノースランドの地下に今も眠る美しい龍に酷似したシルエット、月を切り裂く黒い影、星の輝きの中に確かに映る大きな体躯。
ゆっくりと、まるで自分以外の誰かを、それこそ大地や、丸めていない背中など、様々な場所に気を遣っているみたいにその龍は地に降りた。
圧倒された。生きて来て初めて生物の存在に圧倒された。
きっとあれが龍、きっとあれが外界の生物、伝説の―――存在。
何処か、意識を引っ張られていた。気が付けば龍の影は無く。水晶が安心を運んでくれていた。
だが、其処に現れたんだ。文献でしか読んだ事が無い存在、俺にとって未知も未知。
水晶の門を通って、丈夫な履き物で水晶の大地を踏みしめる。その肌は俺達の様な色をしておらず。文献に在った通り黄色ともオレンジとも付かない不思議な色をしていた。
黒の髪に黒の瞳、人は俺達よりも成長が早いと聞くけれど、それなのにこの小ささ、七歳やそこらだろうか…。
服は着ているけれど、手には繋がれてこそいないけれど黒い鉄の輪…枷が嵌められている。それに、服もボロボロで…まるで、逃げ延びて来たかの様に見える。
何処か不安を抱えている様子で、辺りを窺いながら、そして辺りの視線を受けながらヒトは歩いた。
飯屋をやってるキー婆は悲しそうに、まだ幼いチョマ坊やカリンは興味深々で、俺は…どんな目で見ている?不思議と、そのヒトからは嫌な感じはしなかった。初対面で、どんな奴なのかも分からないのに、そいつを警戒する必要は無いと本能が告げていた。
何故だろうか、むしろ感動すら覚えている。それは、何が起因しているのか分からない…。
ただ…この出会いに感謝を覚えていた。それは見た事の無い存在を実際に見る事が出来たから…というだけでは無さそうだ。
こちらに真っ直ぐに歩いて来たヒトは、俺の目を見た。水晶にも、俺達魔族の瞳にも無い黒がこちらを見上げていた。
ゆっくりと動いた唇が、音を紡いだ。
「僕の言葉が…分かりますか?」
驚きだった。俺は、本を読むのが好きだ。
だから知っていた。ヒトと魔族は言語が違うのだと…故に、何故通じるのかと疑問に思った。
本を生み出す魔族が言っていた。
『もしもヒトと言葉が通じるとすればそれは…』
「あぁ、分かるぞヒトよ、ヒトなのだろう?」
驚きに目を開きながら、そのヒトは頷いた。
「僕は、ユーマと言います…お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
何故か怯えながら、それでも勇気を持って踏み出した一歩なのだろう。ユーマと名乗ったそのヒトは動かずに告げた。怖いのか、何かが怖いのか…それは分からない。
「俺の名前はチャルディリー=ゴング、チャルと呼んでくれ、ユーマ」
だが、一つだけ分かる。こんな感情を抱いた事も無い、出会っただけで感謝するなんて初めての事だ。言葉が伝わると思ってもみなかった。だけど、伝わった。
それは、紛れも無く偶然とかじゃなくて、ユーマは此処に来る運命を持っていたんじゃないだろうか。
「僕は、この周辺を全く知りません…なので、教えて頂きたい事が多く在ります」
容姿とはかけ離れた利発さ、興味が沸いた。関心が沸いた。
関わりたいと、そう思った。
「ユーマよ、丁度俺も君に聞きたい事が多く在る…我が家に招待しよう。是非来てくれ」
ヒトとは、ここまで心を許させる穏やかさを持っているのだろうか。それとも、ユーマだけがこれ程までに落ち着く雰囲気を纏っているのだろうか。
どちらにせよ、俺は確信していた。
此処に来る事が運命であったのならば、今ここで俺と出会ったのも運命なのだろう。
だが、それ程の運命を俺が持ち得ているとは思えない、ユーマにとっては運命でも、俺にとってこの出会いは何かが変わる兆しに思える。
何かが変化する。俺の一生の中で本来はある筈の無いこの出会いから変わり始める。
そんな出会いを何と呼べばいいのか、答えは既に知っていた。
そう。この出会いは『奇跡』だ。
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