41 / 77
将門の過去
ノモトにて
しおりを挟む平将門にとって、父が倒れてからの激動の日々であった、二年ほどが終わった後。
将門は危惧していた、嵯峨源氏の一族と平國香からの嫌がらせや、戦を仕掛けられることも無く。――心健やかに……土地を開墾し、子が、さらに生まれ、訓練にと日々を費やした。
とても、心地よく……良い日々は過ぎてゆく。――光陰矢の如し。
陽は中天に燦々としていた。
常陸国、平國香の本拠である石田。
その石田に構えられた、大きな屋敷。――灯りが揺れている一室にて。
平國香と、その舅である源護、そして源護の息子である源扶が勢揃いとなっていた。
「國香よ……体の調子はどうだ?」
老齢である源護が……ここのところ体調を崩し伏せることが多くなった、婿である平國香を気遣うように聞く。
「はは……体の方は、どうということは御座いませぬ。して、本題で御座いますが……新治の真樹と平将門の信頼関係を失墜せしめる策でございますが……義弟殿らには、大いに働いていただくことになります」
平國香の肌は幽鬼の様に青白くなり、頬も痩け、眼窩は窪みが深くなり、ぎょろりとした目が辺りを見渡す。
「そ……そうか、してどのような――っんぐ」
平國香のぎょろりとした目が光る。遥か、年上である筈の源護が思わず。……息を呑んでしまう。
「それよりも、舅殿は湯治にでも行かれてはどうですかな? あとは我ら若い者が首尾良くやっておきます故……どうですかな?」
平國香の周りから、ふわりと……香とは違った、この世のものとは思えない程に、甘ったるい香りが漂い、源護の鼻腔を侵す。
源護の眼が、途端に焦点が合わなくなり、虚ろになっていく。
「ううむ……そうだの。あとは國香に扶よ、任せたぞ。儂は湯治に行って老骨を慰めてくるわい」
源護は立ち上がり、横に座っていた、源扶の肩に手を置く。
源扶から返事はなく。――ただ言葉を肯定するかのように、身体を揺らすだけであった。
その姿に違和感を覚えて、立ち止まるでもなく……源護は覚束ない足取りで外を目指し、何度か、よろめきながらも独りで出ていく。
平國香は、その姿を最後まで見送り、足音が聞こえなくなってから、やっと口を開き始める。
「義弟殿……扶殿……後ほど渡す物を将門の前で使うだけでよい……それで、策は全て終わる」
平國香は、枯れ枝と見間違う程に痩せこけた指を伸ばしながら、揺れる源扶に声を掛ける。
声を掛けられても、未だに揺れる身体は止まらず。……源扶は虚空を眺めながら、正気ではないのか。――
「まさかど、ゆるさない。ゆるさない、痛い、痛い……」
――掠れた声で、同じ言葉を九官鳥のように延々と吐き出す、源扶。
一室の灯りの当たらない闇の中。――つい今ほどまで、誰も居なかった場所で狐面の口が歪む。
「丹精込めて育てた、悪意の花が芽吹く……嗚呼、収穫の刻は近い」
両手で自らの身体を抱き、嬉しさからか震える狐面の女。
俄かに。白磁のような艶のある指を身体の下の方へと這わす。――湿り気を帯び、粘りのある水音と嬌声が、國香と扶がいる部屋に響く。
ある日、将門の元に一通の文が届く。
いつもの文机で、その文を読み進める将門の顔は陰りを帯びていく。
「何だい将門。珍しく浮かない顔して……何処かの好い人から、恋文をもらったんじゃないの?」
良乃は悪戯な笑みを浮かべながら、珍しく独りで将門の部屋にやってくる。
「恋文だったら、どれほど良かったか……」
将門は大きく溜息を吐きながら、文を良乃に手渡す。――文を手渡された良乃の顔も、瞬く間に陰る。
文には簡潔ながら、平将門と平真樹との関係を解消するように、との内容が書いてあった。
「なんで今になって……これは君乃には見せれないね。で、将門はどうする気なんだい?」
将門は腕を組み、少しの間、眼を瞑りながら考える。
考えが纏まったのか、ゆっくりと口を開ける。
「たったの文一枚で真樹殿との同盟関係を解消し、君乃を国に返すわけにもいかぬ。一度、國香伯父上の所に……直談判に行こうかと思う」
将門の考えを聞き、良乃は安堵する。
「そうさね……それでこそ、あたしの将門だよ! 君乃と子供たちには、何とか上手い事、誤魔化しておくから行ってきな!」
とびっきりの笑顔で将門の背中を押す、良乃。――その笑顔に将門は大きな力を貰い、手早く直談判の為の準備を進めていく。
陽が傾き始める。
将門は平國香への直談判の為に、手勢五百人ほどを集め。國香の本拠である石井へと進軍していた。
「兄い……國香の伯父上は直談判を受け入れますかね?」
将頼は竜馬を歩かせながら、黒丸に跨り、先頭を歩く、将門の背後より話しかける。
「万が一、受け入れられず……戦となった時の為の軍勢だ……あまり武力を背景に交渉をしたくはないが。事情が事情なだけにな」
将門は将頼の問いに答え、後ろの付き従う五百人を見やる。
五百人全員が、いつでも戦となっても良いように太刀と弓を備え、準備万端であった。
「とはいっても、武力をちらつかせるのは悪い事ではないと思うんですがね。さて……この先が野本で、そのちょっと先が石井ですから、もうちょいですよ」
先頭を行く将門が、はたと止まる。
――遠くで風に靡かれ、はためく旗……その旗に将門は見覚えがあった。
それは陸奥国における、鎮守の軍旗。――蝦夷を抑える為の朝廷の軍である、鎮守府の官軍だけに使用が許された物である。
「なぜだ……何故……」
将門の顔が険しくなり、しまいには怒りの為か震え。――握り拳を木に叩きつける。
木は震える。――木を住処としていた、野生動物が一斉に逃げ出す。
「兄い、あの旗がどうかしたんですか?」
何故に旗数本に、そこまで怒るのか……皆目見当のつかない将頼は聞く。
「あれは……鎮守府の官給品だ。そして私用は固く禁じられ、処罰の対象となる」
将門の説明を聞き、察した将頼は苦い顔となる。
「ということは……奴らは挑発しているということですか」
将門はしっかりと頷く。
「大罪を犯す者たちを捨て置く訳にもいかんが……こんな馬鹿なことをしでかすのは十中八九、源扶だろう」
将頼は新治郡での出来事を、あの凄惨なやり口を思い出していた……
「兄い、あの時は逃げられましたが、今回こそ! 奴の息の根を止めてやりましょう! それにあんな挑発されて引けば、笑いものですぞ!」
将頼は鼻息荒く、源扶を滅するべしと進言する。
しかし、将門は思い悩んでいた。
「ここで引けば、向こうの思惑通り、真樹殿との関係も解消となろう。……罪人を見逃す、根性なしの汚名も被ろう。――逆に、あの挑発に乗って戦を仕掛ければ……汚名も被らず、真樹殿との関係も大事なく。だが、國香伯父上と戦となるな……どうしたものか」
将門は珍しく自分に言い聞かせるように小さな声で考えを口にし、状況の整理をする。
悩む将門の耳に、鼓の音が聞こえ始める。――それも、またもや官給の鼓鉦の音。
どちらの道も選びきれない将門を嘲笑うかのように打ち鳴らされる。
「決めたぞ!」
黒丸の踵を返し、将頼らに向き直る将門。――その双眸に決心と覚悟が宿っていた。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる