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最終話 月曜日の方違さんは、またここに来た
12-3 僕らは手を握りあい
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稲荷横丁の入り口までは、崖にへばりついた長い縁側みたいな木造の道を歩かなければならなかった。
前回も似たようなところを歩いたけど、今日は風が強い上に、方違さんが足を痛めている。
僕らは手を握りあい、崖の下の雲を見ないように岩の方に顔を向けて、カニ歩きで少しずつ進んでいった。
風はときどき強さと向きを激しく変える。彼女のスカートがばたばたと乱れて白い膝があらわになったり、長い髪が踊らされて僕の目に入りそうになったりして、そのたびに足を止めなきゃならなかった。
方違さんはまだ足が痛むらしくて、時おり喉の奥で「うっ」とか「っく」とか苦しげな声を出す。しっかりと手をつなぎ直して励ましながら、本当にこのまま進み続けていいのか、僕は何度も迷った。
だけどもう、何を言っても方違さんの意志は変わらないだろう。
そして、それはたぶん僕のためなのだ。
稲荷横丁の入り口は、岩肌に唐突に現れた。「イナリヨコチヤウ コノ中」と書かれたすりガラスの戸が崖にはめ込んであって、その周りには木の板を切り抜いた小さな鳥居がいくつも岩に打ち付けてある。
ガタガタする戸を開けると、中は真っ暗で、広々とした真っ直ぐなトンネルだった。空気が少しかび臭い。小さな電球が遠くまで点々と光っている。
濡れた岩の上に板を敷いた通路を、僕と方違さんは腕を組んで、痛む足をかばいながら少しずつ進んだ。
たしかにここは商店街で、左右には「め志や」とか「保ねつぎ」とか「靴鞄調進所」とか書かれた小屋みたいな店が並んでいるけど、どの店も明かりがなくて、ぼろぼろに壊れかけている。人の姿も見えない。
道を間違ったのかもと思い始めたころに、丸いガラスのランプに明かりがついているのが見えた。
近づいて見ると、小さな字で「旅籠 骨牌屋」と書いてある。
「たびりゅう、ほねひ……まもるくん、ここじゃないみたい」
「はたご、カルタ屋、って読むんだと思う」
「ハタゴ?」
「うん……。旅館、のことだと思う。たぶん」
「ん……」
旅館だったんだ。方違さんとふたりで、旅館に入るなんて。あのおばあさん、そんなこと一言も言ってなかったじゃないか。
だけど、足を痛めた方違さんとふたりで、行く場所のあてもないままこんな街を歩き回るわけにもいかない。ほかに選択肢が無いことは分かっていた。
ランプの下には木でできた小さな門があって、そこが細いトンネルの入口だった。稲荷横丁から枝分かれして、岩の中に深く続く下り坂を、僕らは腕を組んで、赤い提灯の列を頼りに降りていった。
フロントは天井の高い岩のホールにあった。制服の高校生二人では断られるかなと思ったけど、係の白髪の男の人は何も言わず、何も聞かずに、そこからまた下りの通路を延々と歩いた底にある、いちばん安い部屋に案内してくれた。
方違さんは係の人の顔を見ないで、ずっと下を向いて僕の腕につかまっていた。
部屋は広い和室で、天井はむきだしの岩だけど周りは土壁と障子、畳の上にはベッドみたいに大きな低いテーブルと座椅子が置いてあった。
「そばつゆ丼とか、軽い食事は出せるなんで、要るときはフロントに言いに来なね。布団は二組あるなで、自分らで敷いてな。んじゃ、ごゆっくり」
ふたりきりになると、僕らはへなへなと畳の上にへたり込んだ。
「足はどう?」
「……んー」
方違さんは僕の隣りで畳にぺたんと横座りになって、もぞもぞと靴下を脱ぎはじめた。
薄暗い畳の上に、少しまくれた紺のスカートから無造作に投げ出された二本の脚は、まぶしいくらい真っ白だった。僕は直視できなくて、痛めた足首をちゃんと見てあげることもできず、目をそらして彼女から少し離れた。
「えと、大丈夫そう? 痛くない?」
「ん……ちょっと」
「座って休んでてね」
僕は彼女に背中を向けて立ち上がり、部屋の中を調べて回った。
◇
押し入れには、布団と浴衣が二組。床の間には切り株から作った大きな時計が置いてあるだけで、テレビも花瓶も冷蔵庫も無い。
障子窓を開けてみると、外は真っ暗な空間だった。携帯のライトで照らしてみても、光が届くところには何も見えない。
「真っ暗だよ。地下なのかな」
振り返ると、方違さんは座椅子に座って、白いシャツの上半身をべたっとテーブルに伏せて、顔だけを上げてこっちに向けていた。
僕は広いテーブルを挟んで、彼女の反対側に座った。
方違さんはテーブルにあごを乗せて、じっと僕を見つめている。
脱いだブレザーとネクタイが、座椅子の背中に掛けてあった。黒い髪の毛が、テーブルの上に広がっている。岩の天井に取り付けられた薄暗い蛍光灯の明かりの下で、彼女の瞳も真っ黒に見えた。
「大丈夫? 何か、僕にできることある?」
「……手」
方違さんはテーブルの上に片手を伸ばしてきた。僕もちょっと頑張って腕を伸ばすと、テーブルの真ん中で手をつなぐことができた。
「怖くない?」
僕がきくと、彼女は小さく首を振った。
僕は彼女の右手を両手で包み、強く握った。
「何も心配しなくていいよ。せんぶ十二時までのことだからね」
「ごめんね……」
方違さんは目を閉じた。そして僕の手を握ったまま、長い間じっとしていた。
前回も似たようなところを歩いたけど、今日は風が強い上に、方違さんが足を痛めている。
僕らは手を握りあい、崖の下の雲を見ないように岩の方に顔を向けて、カニ歩きで少しずつ進んでいった。
風はときどき強さと向きを激しく変える。彼女のスカートがばたばたと乱れて白い膝があらわになったり、長い髪が踊らされて僕の目に入りそうになったりして、そのたびに足を止めなきゃならなかった。
方違さんはまだ足が痛むらしくて、時おり喉の奥で「うっ」とか「っく」とか苦しげな声を出す。しっかりと手をつなぎ直して励ましながら、本当にこのまま進み続けていいのか、僕は何度も迷った。
だけどもう、何を言っても方違さんの意志は変わらないだろう。
そして、それはたぶん僕のためなのだ。
稲荷横丁の入り口は、岩肌に唐突に現れた。「イナリヨコチヤウ コノ中」と書かれたすりガラスの戸が崖にはめ込んであって、その周りには木の板を切り抜いた小さな鳥居がいくつも岩に打ち付けてある。
ガタガタする戸を開けると、中は真っ暗で、広々とした真っ直ぐなトンネルだった。空気が少しかび臭い。小さな電球が遠くまで点々と光っている。
濡れた岩の上に板を敷いた通路を、僕と方違さんは腕を組んで、痛む足をかばいながら少しずつ進んだ。
たしかにここは商店街で、左右には「め志や」とか「保ねつぎ」とか「靴鞄調進所」とか書かれた小屋みたいな店が並んでいるけど、どの店も明かりがなくて、ぼろぼろに壊れかけている。人の姿も見えない。
道を間違ったのかもと思い始めたころに、丸いガラスのランプに明かりがついているのが見えた。
近づいて見ると、小さな字で「旅籠 骨牌屋」と書いてある。
「たびりゅう、ほねひ……まもるくん、ここじゃないみたい」
「はたご、カルタ屋、って読むんだと思う」
「ハタゴ?」
「うん……。旅館、のことだと思う。たぶん」
「ん……」
旅館だったんだ。方違さんとふたりで、旅館に入るなんて。あのおばあさん、そんなこと一言も言ってなかったじゃないか。
だけど、足を痛めた方違さんとふたりで、行く場所のあてもないままこんな街を歩き回るわけにもいかない。ほかに選択肢が無いことは分かっていた。
ランプの下には木でできた小さな門があって、そこが細いトンネルの入口だった。稲荷横丁から枝分かれして、岩の中に深く続く下り坂を、僕らは腕を組んで、赤い提灯の列を頼りに降りていった。
フロントは天井の高い岩のホールにあった。制服の高校生二人では断られるかなと思ったけど、係の白髪の男の人は何も言わず、何も聞かずに、そこからまた下りの通路を延々と歩いた底にある、いちばん安い部屋に案内してくれた。
方違さんは係の人の顔を見ないで、ずっと下を向いて僕の腕につかまっていた。
部屋は広い和室で、天井はむきだしの岩だけど周りは土壁と障子、畳の上にはベッドみたいに大きな低いテーブルと座椅子が置いてあった。
「そばつゆ丼とか、軽い食事は出せるなんで、要るときはフロントに言いに来なね。布団は二組あるなで、自分らで敷いてな。んじゃ、ごゆっくり」
ふたりきりになると、僕らはへなへなと畳の上にへたり込んだ。
「足はどう?」
「……んー」
方違さんは僕の隣りで畳にぺたんと横座りになって、もぞもぞと靴下を脱ぎはじめた。
薄暗い畳の上に、少しまくれた紺のスカートから無造作に投げ出された二本の脚は、まぶしいくらい真っ白だった。僕は直視できなくて、痛めた足首をちゃんと見てあげることもできず、目をそらして彼女から少し離れた。
「えと、大丈夫そう? 痛くない?」
「ん……ちょっと」
「座って休んでてね」
僕は彼女に背中を向けて立ち上がり、部屋の中を調べて回った。
◇
押し入れには、布団と浴衣が二組。床の間には切り株から作った大きな時計が置いてあるだけで、テレビも花瓶も冷蔵庫も無い。
障子窓を開けてみると、外は真っ暗な空間だった。携帯のライトで照らしてみても、光が届くところには何も見えない。
「真っ暗だよ。地下なのかな」
振り返ると、方違さんは座椅子に座って、白いシャツの上半身をべたっとテーブルに伏せて、顔だけを上げてこっちに向けていた。
僕は広いテーブルを挟んで、彼女の反対側に座った。
方違さんはテーブルにあごを乗せて、じっと僕を見つめている。
脱いだブレザーとネクタイが、座椅子の背中に掛けてあった。黒い髪の毛が、テーブルの上に広がっている。岩の天井に取り付けられた薄暗い蛍光灯の明かりの下で、彼女の瞳も真っ黒に見えた。
「大丈夫? 何か、僕にできることある?」
「……手」
方違さんはテーブルの上に片手を伸ばしてきた。僕もちょっと頑張って腕を伸ばすと、テーブルの真ん中で手をつなぐことができた。
「怖くない?」
僕がきくと、彼女は小さく首を振った。
僕は彼女の右手を両手で包み、強く握った。
「何も心配しなくていいよ。せんぶ十二時までのことだからね」
「ごめんね……」
方違さんは目を閉じた。そして僕の手を握ったまま、長い間じっとしていた。
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