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『人気者と日陰者』

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 はぁ……と大きなため息が溢れた。
 どうして小説を書くと約束してしまったんだろう、と僕は今更になって菜花さんの願いを承諾したことを後悔していた。
 原因は神社から帰ったあとに彼女から届いたメッセージ。
 その内容は【次の土曜日に出かけるから予定を空けといてね】というもの。
 どうやら僕が思っていた彼女が書いて欲しい小説と、当の本人が思っていた書いて欲しい小説には相違があったらしい。
 僕は菜花さんから過去の話をメッセージで送ってもらって、それを元に彼女がどうして写真家を目指しているのかを小説にすればいいと思っていた。
 だけど、こうして一緒に出かけようと誘ってきたということは、菜花さんは『これまでの私』ではなく『これからの私』を書いて欲しいと思っているということになる。
 ……まぁ、正直なところを言ってしまえば書こうとしていた内容に相違があったことには何の問題はなく、僕がただ単純に休日は小説を書く時間に当てたいだけなんだけども……。
 【君の過去の話をここに送ってもらって、それで小説を書くのはダメかな?】と僕はスマホに入力。そして、送信ボタンを押そうとしたが、指が画面に触れるかどうかのところで思い止まり、押すのをやめた。
 ふと思い返してみればこれまでの人生で、歳の近い異性と2人っきりで遊んだことなんて1度もなかった。
 恋愛小説を書いているにも関わらず、実際の恋愛経験ならそこら辺にいる小学生にすら負けている自信がある。
 そういった人生を歩んできたからか、小説を書けていた昔でさえ、主人公とヒロインが2人で遊びに出かける場面を書くのには一番苦労していた。
 この機会を逃してしまえば、僕が歳の近い異性と2人っきりで遊ぶ日なんてものは、大袈裟な表現とかでは無く本当に2度と訪れないだろう。
 今後小説を書く上で役に立つものを得られる可能性があるし、一度だけなら彼女の誘いを受けてあげてもいいかもしれない。
 僕はスマホに入力していた文字を削除し、【了解】とだけ菜花さんに返事を送った。




 小説を書く約束を菜花さんとしてから5日が経過した金曜日。
 今日の授業の終了を告げるチャイムが鳴り、みんなが忙しそうに帰り支度を始める中、僕も帰り支度を進めながら2つ隣の席の菜花さんに視線を向けた。
 菜花さんは女友達2人と楽しそうに会話をしている。
 彼女たちはスマホを片手に映える写真がどうこうと菜花さんに言っているので、SNS映えする写真の撮り方でも菜花さんにレクチャーして貰っているのだろう。
 凄い写真を撮っているクラスメイト。それが神社で彼女と話す前の、僕の菜花 旭という人物に対する認識だった。だけどこうして見ると、カメラを首からぶら下げていない今の彼女はどこにでもいるような女子高生と何ら変わらない。
 ……いや、“どこにでもいる”という言葉を使うのは彼女に対して失礼か。
 僕はこの月曜日から金曜日の間、菜花 旭の小説を書くために、彼女のことを少しでも知ろうと穴のあくほど観察した。
 菜花さんの周りには常に誰かがいた。朝のHR前、授業間の休み時間、昼休み、放課後。どの時間も彼女が1人でいる時はなかった。
 特定の人とだけつるんでいる訳でもなければ、菜花さんから話をかけている訳でもない。菜花さんはただそこにいるだけなのに、吸い寄せられる様に彼女の元に人が集まる。しかもそれは、同じクラスの子だけで留まらず、他クラスの子までもがわざわざ足を運んで彼女の元を訪れた。
 人気者――まさにその言葉がよく似合うほど、菜花さんはみんなから好かれていた。
 そんな彼女のことを知れば知るほど、僕みたいな日陰者が本来関わるはずの無い部類の人だなぁ、とつくづく思った。
 あの時僕が神社で小説なんか書いていなければ、きっと僕たちは会話を交わすことなく高校生活を終えていただろう。
 そんなことを考えていると、菜花さんが僕の方に視線を向けた。
 彼女と目が合う。
 しかし、それはほんの一瞬の出来事で、菜花さんは特にこれといった反応は示さずに友人たちの方へ視線を戻し、また楽しそうに会話を弾ませる。
 僕も特にこれといった反応は出さず、さっさと帰り支度を済ませて教室を後にした。
 神社で約束をしたあの日から、僕と菜花さんはチャットアプリでちょっとしたやりとりをするようにはなったが、校内では1度も会話を交わしていない。
 菜花さんの方から話かけてくると思っていたけど一向にそんな気配は無く、僕の方も彼女に用事などはないので、わざわざ話かけることはしなかった。
 どうせ僕たちの関係なんて、僕が小説を書いて、それに菜花さんが満足して、そしてあの写真を消してしまえばそれで終わってしまう。結局はその程度のものなんだ。

「相も変わらず辛気臭い顔してんな」

 学校を出てしばらくして、横からそんな陽気な声が聞こえたのと同時にドンッと強く背中を叩かれた。
 ぼっーと考え事をしていて何の身構えもしていなかった僕の体はあっけなくバランスを崩し、前の方にへと流れる。
 僕はそのまま転倒しそうになるもなんとか踏みとどまり、転ばなかったことに安堵の一息を吐いて、背中を叩いてきた人物を睨みつけた。

「おおっと。わりぃわりぃ。ちょっと力を入れ過ぎた」
 
 同じクラスの男子生徒――ふじは反省の色が見えない薄ら笑いを浮かべながら言った。
 そんな彼に僕は嫌味ったらしく大きなため息を吐いてやる。

「おいおい、そんな態度を取るなよな。大切な友人を無くすことになるぜ」

「だったら、さっきみたいな暴力行動を今後控えなよ。っていうか、これくらいのことで壊れるほど、僕らの関係は脆くは無いだろ」

「確かに。これで俺らの関係が壊れるなら、これまでに何百回壊れてるんだよって話だよな」

 藤はそう言って「わはははっ」と豪快に笑う。
 その何百回の内のほとんどがお前が原因だけどな、と言ってやろうと思ったが、言ったところで何も変わらないことは分かっていたので僕は何も言わなかった。
 藤とは家が近く、幼稚園からの長い付き合いで、いわゆる腐れ縁の仲ってやつだ。
 だから、互いのことは大抵知り尽くしている。

「そういえば、コンビニの新作スイーツが今日から出てたっけな。帰り道にちょうどあるし、寄らないか?」

「ごめん。金が無いからパスで」

「はいはい。どうせ貰った日に本で全部使い切ったんだろ。こちらとらそんなの百も承知で誘ってんだよ。奢ってやるから行こうぜ」

「うーん……奢って貰うとなるとしのびないなぁ。どうしても奢りたいのなら行くけど」

「どうしても奢りたいわけないだろうが。あー、もうつべこべ言ってねぇで行くぞ。こっちは受験への鬱憤やらストレスやらが溜まっていて、ゆうに話したいことが山ほどあるんだ」

 そう言うや否や、藤は僕がまだ了承もしていないのに歩き始めた。
 僕がついて来ると信じているのか、藤は後ろを1度も振り返らないままズンズンと進んで行く。
 ……ついて行かずに違う道から帰ろうとしたら、あいつはいったいどんなリアクションを取るんだろう。
 そんな魔が差した考えが頭を過ったが、特にこれと言った断る理由が無いのと彼の信頼を裏切るわけには行かないので、僕は急いで彼に追いつき隣に並んだ。

「毎日毎日、勉強勉強と全く嫌になるぜ。昨日なんか――」

 藤は相当鬱憤が溜まっているのか、淡々と愚痴を連ねていく。
 それを聞きながら僕は、どうして藤はスイーツを奢ってまでしてそれを僕に聞いて貰いたいのだろうと考えていた。
 僕は先月に地元企業の採用試験を受け、小学生でも解けるような計算問題や漢字の読み書き、そして面接という名の雑談をして就職が決まっていた。
 いくら親しい仲と言えど、大学受験の苦しみは僕には分からない。
 「それは大変だね」とか「それは悲しいね」とか月並みな感想しか言えない奴よりも、同じ苦しみを分かち合える受験組と話す方が、余程有意義な時間が送れると僕は思うのだ。
 藤が嫌われ者で僕以外に話せる友達がいないのなら、僕にこうやって話しをするのは分かる。
 だけど、藤は嫌われ者なんかじゃなかった。むしろその逆。
 身長は190センチを超える高身長。それでいて顔が整っていて、スポーツは万能。勉強の方は……そこそこだけど、言いたいことをハッキリと言う表裏手のない性格で、人望や信頼に厚く、人当たりも良くって――言ってしまえば藤もまた、菜花さんと同じくらいみんなから好かれていた。
 正直なところを言ってしまうなら……僕と藤は腐れ縁の仲ってだけ。
 友達が多い彼からしてみれば、僕なんかよりも親しい友達なんて両手では数えられない程いるだろう。
 もし家が近くではなかったら。もし親同士が仲良くなかったら。もし幼稚園からずっと一緒ではなかったら。少しでも何かが違っていれば、僕がこうして彼の隣を歩くことはなかったかもしれない。

「――ゲームデータも勝手に消され……って、おい。ちゃんと聞いてるのかよ」

「聞いてるよ。ゲーム機を落としてデータが消えたんだろ? そりゃあ災難だったな」

「聞いてねぇじゃねぇか。親に消されたんだっつーの。まったく……まっ、こんな愚痴を長々と聞かされても、そりゃあつまらねぇよな。話したいことあらかた話して大分楽になったし、たまには夕から話題を振ってこいよ」

「はぁ? 急にそんなこと言われても話題なんて……」

 僕はそこまで言って言葉を止めた。
 話題……ではないけれど、藤に聞いてみたいことがふと頭に浮かんだから。

「藤はさ、菜花さんのことどう思う?」

 僕は回りくどいことをせずに聞きたかったことをそのまま口にした。
 この5日間、菜花さんを観察して得られた新しい情報は特になく、ただ彼女の人気っぷりを改めて再確認させられただけだった。
 菜花さんの小説を書くために、もっと彼女のことを知っておきたい。
 それに、人気者の目には同じ人気者がどういうふうに映っているのかを知りたくて、聞いてみたのだが……。

「……」

 お互いが無言の時間がかれこれ2分以上続いているというのに、藤が何かを言ってくる気配は一向に感じられない。
 もしかして、僕の声が小さくて藤の耳には届かなかったのだろうか?
 僕は横目で藤の様子を確認する。
 彼は眉間にシワを寄せた険しい表情で前を見ていた。
 何かあるのだろうか? そう思って僕も再び目の前に視線を向けるも、そこにはいつも通りの景色が広がっているだけ。

「変な顔してるけど、何かあった?」

「あ、あぁ、いや、わりぃ……どうも今日は耳の調子がおかしいみたいで、夕が『菜花さんのことどう思う?』って言ったように聞こえてな」

「え? そのまんまだけど」

 僕がそう言った途端、藤はバッと勢いよく顔をこちらにへと向けた。
 その彼の表情は最初は驚き顔だったが、次第にニマニマとした気持ち悪い笑みに変わっていく。

「おいおいおい。夕が他人のことを聞くのでさえ珍しいのに、しかもそれが女の話だなんてどういう風の吹き回しだよ。これから雪でも降るのかねぇ」

「今日の天気は一日中快晴だから安心しなよ。って、そんなことはどうでもいいから質問に答えてくれ」

「お、おおっ。こんなに積極的な夕を見るのは初めてだな……。はは~ん、さてはこれって恋の相談ってやつか?」

 勝手に変な勘違いをし始めてテンションを上げている藤に僕は大袈裟なため息を吐く。
 異性のことを聞いたからって、どうしてすぐに色恋沙汰に繋げるのだろう。
 ……僕の聞き方もそりゃあ悪かったかもしれないけどさ。

「違うよ」

「じゃあ、なんでそんなことを聞くんだよ」

「うっ……それはちょっと、言えない……」

「ふぅん……。まっ、言いたくないなら別にいっか。とは言っても、俺も菜花さんと仲が良いわけではないしなぁ。どうって聞かれても、写真を撮るのが上手な可愛い女の子としか言えねぇよ」

 藤の出した答えは僕の認識と然程変わらないものだった。
 まぁ、そうなるのも当たり前か。日陰者であろうと人気者であろうと、結局その本人と仲良くなければ詳しいことなんて分かるはずないもんな。

「なぁ、この質問って俺が菜花さんをどう思っているかを聞くことに意味があるのか? それとも夕が菜花さんのことを知りたいだけなのか?」

「その両方かな」

「そっか。もし他の奴にも同じ質問をしようと思っているなら、男じゃなくて女子達に聞いた方が手っ取り早く菜花さんのことを知れると思うぞ。他の野郎どもに聞いたところで、俺とほとんど同じ答えが返ってくるだけだろうしな」

「どうしてそう言い切れるんだよ。菜花さんと仲が良い奴に聞けば、何かしらの別の情報が出てくるかも知れないだろ」

「だーかーら、その仲が良い奴に野郎どもがいないんだっつーの。菜花さんが男と話しているところなんてほとんど見ねぇし……第一あの人、男が苦手だろ?」

「はぁ?」

 何を言っているんだこいつは?
 確かに藤の言う通り、この5日間ずっとと言っていいほど僕は菜花さんのことを見ていたが、彼女が男と喋っているところを一度も見たことがなかった。だけど、神社で1人でいた僕にズカズカと話しかけてきて、終いには一緒に出かけようと誘ってくるような人が男が苦手だなんて、到底思えるはずがなかった。

「男が苦手ってのは藤の勘違いなんじゃないの? 男と喋っているところをほとんど見たことが無いってだけで、男が苦手って判断するのは軽率だと思うよ。ただ単に男が菜花さんに話をかけに行っていないだけかもしれないし」

「ばーかっ、それだけな訳あるか。それに、あんなに可愛い人を野郎どもが放って置くわけないだろ。お前は知らないかもだろうが、男が話をかけに行けばすぐに話を切り上げられて終わらせられるし、放課後や休日に遊びに誘った時の『写真を撮らないといけないから』の断り文句は男子の間では有名だぜ」

 ……どういうことだ?
 藤の話を聞けば聞くほど、僕の頭は混乱していた。
 彼が語る菜花さんは僕が実際に接している彼女とは全くの別人だった。
 校内では全然話さないけど、チャットの方では菜花さんの方から【趣味は?】とか【好きな食べ物と嫌いな食べ物は?】等とどうでもいい些細なことを聞いてくるし、明日のお出かけだって逆にこっちが小説を書きたいからと断ろうとしていたぐらいなのに……。
 男が苦手じゃないけど、普段は苦手な様に振る舞っているとか? ――いや、そんなことをして菜花さんに何の得がある。
 じゃあ、本当に男が苦手? ――いや、それは僕と接するあの態度で絶対に無いと言い切れる。
 でも、だとすればいったいどうして…………。あぁ、もう、やめだやめだ。いくら考えたところで、どうせ答えなんて出やしない。

「まぁ、仮に菜花さんが男が苦手で仲の良い男友達がいないとして……藤は女子達に話を聞けって言うけど、僕にそんなことを聞けるほど仲がいい女友達がいると思う?」

「あっ。あー……」

 藤は気不味そうに視線を落とす。
 そして、罪悪感たっぷりの申し訳なさそうな面を浮かべ、それを僕にへと向けた。

「すまん……。さっきの発言こそが軽率だったな……」

 なんだこいつ? ぶん殴ってやろうか?
 反省して欲しい時にヘラヘラと笑い、どうでも良い時に限って本気で申し訳なさそうな顔しやがって。

「あのさ、そういう反応やめてくれる? 僕は女友達がいないこと気にしてないし、藤や他のみんなみたいに女性に対して…………って、良い事を思い付いた。藤が女友達に聞けばいいじゃん」

「あぁ? それってもしかして、俺が女子達に菜花さんのことを聞けってか?」

「そうそう」

「い、嫌だよ」

「どうして?」

「どうしてって、そりゃあ……俺が菜花さんに気があると思われるじゃねぇか……」

 そう言って藤は気恥ずかしそうに頭を掻きながら目線を僕から逸らした。
 なんだなんだ? 藤とは長年の付き合いだが、彼のこういった反応を見るのは初めてだ。
 ……そういえば藤と昔テレビドラマを見ていた時に、彼はある女優さんを見つめながら「こういう人と付き合いたいなぁ」とボヤいていたっけ。
 その女優さんは凹凸の少ないスレンダーな体型で身長が低く、髪型がショートボブであり、外見が今の菜花さんとかなり似ているところがあったけど……あぁ、なるほどな。つまりはそういうことか。

「おい。何ニヤニヤと笑ってんだよ」

「えっ? 別に?」

「……今、お前は、絶対に、勘違いを、している」

「何が?」

「俺が本当に菜花さんに気があると思ってるだろ?」

「違うの? 藤の好みとぴったり一致しているじゃん」

「いつ俺が夕に女の好みの話をしたんだよ。俺はな、可愛い系の顔じゃなくてキリッとした綺麗系の顔の方が好きなんだ」

「まぁ、綺麗系か可愛い系かと言われれば菜花さんは可愛い系の顔だね」

「だろ? そんでもって性格はなんでもかんでも強引に引っ張ってくれる気の強い人がいい」

「それは菜花さんにも当てはまると思うけど?」

「そうなんだけど、そうじゃないんだよなぁ」

「どういうことだよ」

 藤の意味の分からない返答に僕がつっこむと、彼は「う~ん……」と唸りながら両手を頭の後ろに回して空を見上げる。

「これがしたい、ここに行きたい、これが食べたいとか、菜花さんはそういったことで引っ張ってくれると思うんだよ。でも、俺が引っ張って欲しいのはそっちじゃないんだ。家事とかお金とかの生活面での話。俺ってほら、そういうのにだらしないところがあるだろ?」

 そう言い終えると藤はこっちを向き、「だから『あなたはこれをやりなさい』ってちゃんとキツく言ってくれる人がいいんだ」と付け加えてニカッと笑った。
 相手に全てを任せて甘えようとするのではなく、自分もやる……か。
 藤は一見ちゃらんぽらんそうに見えながらも、そういった考えが出来る真面目な奴だった。
 藤は言いたいことをズバズバと言うし自分勝手な振る舞いが目立つところがあるけど、人が本当に嫌がる様なことは言わないし、やらない。
 それが意識的なものなのか無意識的なものなのかは分からないが、彼の生来の性格が優しいものであるのは確かだった。
 そんな藤のことだから、どんな女性とだってきっと上手くやっていけると僕は勝手に思っているけど……敢えて厳しい人を選ぼうとしている変に生真面目な彼に、僕はついついくすりと小さく笑ってしまった。

「今の俺の話で笑うようなところなんてあったか?」

「ううん、ないよ。藤の理想としている相手を想像してみて、お前と相性が良さそうだなぁって思っただけ」

「おっ。やっぱ夕ならそう言ってくれるって信じてたぜ。他の奴らと同じ話をしても『いや。お前は落ち着きがあって、やんわりとしている子の方が絶対合ってる』って言われるからなぁ。流石、伊達に十数年も付き合っていないのな」

 藤は嬉しそうな表情で「わはははっ」と豪快に笑いながら僕の背中をバンバンと叩いた。
 今日の出会い頭の一発目よりも力は入っていないが、それでもそこそこの力が込められていて普通に痛い。

「……あのさ、暴力行動は控えろって一番初めに言ったよね」

「わりぃわりぃ。つい嬉しくってな」

「つい嬉しくなると人に手を出すってお前……それはただのヤバい奴だぞ。これから人と会話する時は相手の半径1メートル以内に入らない方がいいってのを……もう手遅れかもだけど一応忠告しといてやるよ」

「フッ、その心配はご無用。俺は夕以外の人間には基本手出さねぇから」

「だったら僕にも手出さないでもらえるかな……」

「そうしたいのは山々なんだけど、気が付いたら手が出てしまっているんだよなぁ。夕だけ特別、みたいな?」

「そんな特別扱い嫌だよ。っていうか気持ち悪いからその動きやめろ」

 妙に艶っぽい表情を作って体をクネクネと動かしている藤を尻目に僕はそう言って、歩くスピードを早める。
 お目当てのコンビニは既に目に見える距離にあった。
 藤と会話をするのは嫌いじゃないが、膨大なエネルギーを消費させられる。
 もう僕の体力はすっからかんだ。
 それなのに明日もまた、藤と同じ様に僕の体力をゴリゴリに削ってくる相手と遊ばなくちゃいけない。
 さっさと糖分を摂り、さっさと家に帰って明日に備えなくては。

「ところでさ、夕」

 後ろから聞こえた藤のその声は、いつも騒がしい彼にしては気味が悪いぐらい静かで、とても落ち着いたものだった。
 僕は足を止めて、恐る恐る後ろを振り返る。
 そこにはつい数秒前まで気持ち悪い動きをしていた奴とは思えない程に、神妙な面持ちで立ち止まっている藤の姿があった。

「ど、どうしたんだよ、急にそんな顔しちゃって……あっ、分かった。さてはお前、新作スイーツが出る日を勘違いしてて、今日じゃなくて明日だったとか言うんだろ。それか出してるコンビニを間違えてたとか。はたまた、奢るはずだったけどお金がなかったとか」

「いや、そうじゃねぇよ。新作スイーツは今日出るし、コンビニも間違えていないし、奢る金もバッチリある。ただ、夕に言っておきたいことがあってだな……」

 僕の喉の奥からヒュッと空気が突き抜ける音がした。
 藤がこうやって神妙な顔をして静かに話を切り出すのは、実はこれが初めてではなかった。年に1、2回はある。そして、それらの全てが僕にとって最悪なニュースとなるものばかりだった。
 例を出すなら、僕から借りていた傘を紛失したり、僕から借りていた小説にジュースをぶち撒いたり、僕から借りていた夏休みの課題を提出するその日に全て忘れたり、あとはエトセトラ――。
 今度はいったい何をやらかしたんだこいつは……。

「ちょっと話は戻るんだけどな、夕は俺の理想とする相手と俺が相性がいいって言ってくれただろ。俺もその……夕と菜花さんはパッと見は合わなさそうに見えるが、凄く相性がいいと思うぞ。お世辞とかではなく、これマジで」

 …………本当に何を言ってるんだこいつは?

「ん? んんっ? 待って。えっ? どういうこと? どうしていきなり僕と菜花さんの相性の話になるのさ? それに相性がいいって……いや、とりあえずそれは置いといて、全然話の流れが見えないんだけど?」

「夕は菜花さんのことが好き……という感情に達してないにしても、少しぐらいは異性として意識しているところがあるんじゃないか?」

「ないないないない! そういう感情は本当にこれっぽっちもない! だからどうしてそういう色恋沙汰の話になるんだよ⁈」

「だって、夕は菜花さんのことが知りたい訳だろ? その理由を聞いた時にもなんか慌てた様子で口ごもっていたし、そんなの異性として意識してるってことで確定じゃねぇか」

「確定じゃない! 口ごもったのには深い理由があってだな……」

「じゃあ、その深い理由ってやつを教えてくれよ」

「それは無理……だけども……」

「ほらぁ」

「ほらぁ、じゃない!」

 あー……全てを話せるのならどれだけ楽だったか。
 僕は僕と関わりがある人ほど、僕の書いた小説を読ませたくはない。だから、小説を書いていることを誰にも知られたくはなかった。
 それこそ藤に小説を書いていることがバレた日には、菜花さんにバレた時とほぼ変わらない反応が返ってくることだろう。……いや、もしかしたらあれ以上の辱めを受けらされるかもしれない。
 しかもその上で、僕が菜花さんの小説を書くことになった経緯も説明しなくちゃいけなくなると……ちょっと待て。よくよく考えてみればそれってかなり面倒なことじゃないか? ……何がなんでも絶対にバレないようにしないと。

「とにかくそういうのじゃないから。はい、この話はこれで終わり」

 僕は手を一回叩いて無理矢理話を切り上げ、コンビニに向けて歩みを進める。
 しかし、すぐに後ろの奴に肩を掴まれ、僕は足を止めた。

「……なんだよ」

「俺はな、心配なんだ」

「何が?」

「夕は地元企業に就職が決まってる。そんで俺はどの志望校が受かっても本州の大学。俺が受験に失敗しない限り、俺たちは高校を卒業した後は離れ離れになっちまうだろ? そうなれば夕はどうなる?」

「……どうにもならないと思うけど」

「一人ぼっちになるだろうが」

 「実家暮らしだからならないよ」――そう事実をハッキリと突きつけたのに、後ろの奴はそれに構わず話を続ける。

「だから俺は夕に生涯のパートナーとして寄り添って生きていける相手を今の内に見つけてもらいたいんだよ。でないと俺、向こうに行ったら夕のことが心配で堪らなくて夜も眠れねぇよ」

「余計なお世話だよ。お前は僕の親か」

「そうだよ」

「違うだろ」

 中身のない不毛なやり取りに呆れてため息を吐いていると、ポケットの中のスマホが震えた。
 取り出して画面を開くと、そこには【明日のこと忘れていないよね?】と菜花さんからのメッセージが表示されていた。

「誰から?」

 デリカシーの無い後ろの男は高い身長を生かして僕のスマホを上から覗き込む。
 僕は咄嗟にスマホをポケットにしまい、「親から。夜遅くなるって」と適当なことを言って再び足を前に進ませた。
 後ろから「えっ? つまりは俺からってこと?」っていう訳の分からない言葉が聞こえてきたが、僕はそれを無視して歩き続けた。
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