きっと日本で1番長いラブレターを君に送る

米屋 四季

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『書き手と読者』

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 今の時刻は午後の2時49分。
 僕は時間を確認するために見ていたスマホを上着のポケットにしまい、駅の階段を上がる。
 今日は菜花さんと出かける日で、待ち合わせ時間は午後の3時5分となんとも中途半端な時間であり、待ち合わせ場所はこの駅の待合室だ。
 もちろん時間と場所を指定してきたのは菜花さんの方であって、時間と時間、場所が場所なだけに電車を利用してどこかに行くのかと思いきやどうやらそうではないみたいで、偶々この時間と場所になったらしい。
 ……それにしても早く着きすぎたな。
 遅れるよりは全然いいんだけど、問題は菜花さんよりも先に着いているかどうか、だ。
 僕が菜花さんよりも先に着いていたら、後から来た彼女は先に待っている僕を見て「私よりも先に来るなんて、なんだかんだ言いながら私と出かけるの楽しみにしてたんじゃないの?」といったふうに僕をからかってくるに違いない。
 もし待合室に菜花さんがいなかったら、一旦引き返して駅を出よう。そして、良い頃合いになったらまた戻ろう。
 そんなことを考えながら駅の待合室が見える所まで来ると、そこには既に菜花さんがいた。
 紺のジーンズ。グレーの無地シャツの上にベージュのマウンテンパーカー。そして首にぶら下げられている大きなカメラ。と、神社で話した時とほとんど変わらない格好をしている菜花さんは、何やらソワソワとした様子でスマホを見ている。

「あっ!」

 菜花さんは待合室に僕が入ってきたのを確認すると、顔を一気にパァと明るくさせ、一目散に僕の元へ駆けつけてきた。

「ちょっとちょっと! まだ15分も前だよ? 来るの早すぎじゃない? そんなにも私と出かけるのが楽しみだったの?」

 ……まさか後から来たのに予想していた言葉を言われるなんて、思いもしてなかったな。

「そんなわけないだろ。それに、来るのが早すぎはこっちのセリフだよ。菜花さんはいつから待ってるのさ?」

「えっ⁈ わ、私もついさっき着いたばっか……ですけど?」

「……本当?」

「本当だよ。嫌だなぁ、疑うなんて。ささっ、こんなどうでもいい話は置いといて行こ行こ」
 
 先にこの話をふっかけてきたのは菜花さんの方なのに、彼女は僕の横を通って逃げるように待合室を出て行った。
 まぁ、でも菜花さんの言う通り、彼女がいつから待っていたかなんて僕にとってはどうでもいい話であり、わざわざ追及して聞く必要がないのは確かだ。
 僕も待合室を出て、先に出て行った菜花さんを探すために辺りを見渡す。
 待合室を出てすぐ左にある切符の券売機の前。そこに菜花さんはいた。
 彼女は券売機に千円札を入れて――

「ちょっと待て⁈」

 僕は切符を買おうとしている菜花さんを慌てて止める。

「どうしたの?」

「どうしたの、じゃないよ。電車使うの?」

「そうだよ。待ち合わせの時間と場所で大体察しはついてたでしょ?」

「いや、そうだけども……でも僕が【お金は何円必要?】って聞いたら、君は【お金は使わないから必要ないよ】って返してきたよね?」 

「うん、そうだね。でも、電車を使わないとは言ってない」

「……えっと、どういうこと? 君の言っていることがよく理解できないんだけど? あの、情けない話……僕は自販機で缶ジュースも買えないぐらいお金持ってなくて……」

「だ、か、ら、四葩君はお金を使わないから大丈夫だって。今日は私が全部出すから」

 菜花さんは言ってすぐに切符を2枚購入して、1枚を今一つ状況が飲み込めていない僕に無理矢理渡した。
 そしてそんな僕を置いてけぼりに、菜花さんは軽い足取りで改札を通って駅のホームに下って行く。
 いったい僕はどこに連れて行かれるのか……。というのも、僕が今日のことで分かっていることは『待ち合わせの時間と場所』、『お金は必要ない』、『菜花さんが写真を撮りたい場所に行く』、『夜の8時までには帰れる』の4つだけであり、それ以外のことを聞いても菜花さんは【秘密】と返すばかりで、行き先の詳しい情報は聞かされていなかった。
 渡された切符の料金、そしてこの時間帯の電車が走る方角から考えるに、県を跨いだ隣の市が僕たちの目的地だろう。
 隣県はとにかくうどんが有名だが、隣の市はそれ以外だと[砂で描かれた巨大な銭形]や[街が一望出来るほど高い場所に建てられている神社]などが有名だ。
 菜花さんは写真を撮りに行くと言っていたので、もしかするとそれらの風景を彼女は撮ろうとしているのかもしれない。

「おーいっ! そんなところでぼーっとしてないで早く早く。もうすぐ電車来ちゃうよ」

 なかなかホームに降りてこない僕を心配してか、菜花さんはいつの間にやら改札のところまで戻って来ていた。
 僕は「はいはい、分かりましたよ」と返して改札を通り、駅のホームに伸びる階段を菜花さんの後ろに続いて降りる。

「全然来ないから、帰ったんじゃないかと思ったじゃん」

「流石にお金を出させといて勝手に帰ったりはしないよ。まぁ、僕が出させたんじゃなくて君が勝手に払っただけなんだけども…………まさか、あとで倍にして返してとか言わないよな?」

「言わないよ⁈ 四葩君は私をなんだと思ってるの?」

 先にホームに着いた菜花さんは後ろを振り返り、ふくれた面を僕に向ける。
 そんな彼女の様子も相まって、我儘で自分勝手な子ども――と、つい口走ってしまいそうになったが、それを言ったらまた面倒なことになるという思いがブレーキとなり、その言葉を喉の奥まで引っ込めた。

「ただのクラスメイトだと思ってるよ。さっきああやって聞いたのは、どうしてお金を払ってくれたんだろうって疑問に思ったからであってだな……」

「そんなの私が誘ったからに決まってるじゃん。それにそうまでしないと、四葩君は遠出とかしてくれなさそうだし」

「……あのさ、僕はこう見えても遠出をするのは好きだよ。たまにだけど、お父さんとツーリングにだって行くしさ」

「えっ? ツーリング……ってことは四葩君バイクに乗れるの⁈」

 菜花さんは突然大きな声を上げ、目をキラキラと輝かせて顔を一気に僕へと近付ける。
 な、なんだこの食いつきようは……。

「自転車じゃないよね⁈ サイクリングの間違いじゃないよね⁈ ツーリングだからバイクだよね⁈」

「う、うん……バイクの方だけど……」

「わぁ! すごいすごい! 何乗ってるの? ハーレー? CB400? インパルス? それともそれともゼファーとか? あとあと――」

「ちょ、ちょっと一旦落ち着いて! ストップストップ! ……その、過度な期待をしているところ申し訳ないんだけど、僕が乗っているのは新聞配達の人とか郵便配達の人が乗っている小さいバイクで……」

 僕は気不味くなって、菜花さんから視線を逸らす。
 菜花さんが名前を連ねていたバイクは大型や中型の有名なものばかりだった。だからきっと彼女はがっかりしただろうと、そう思ったから――

「スーパーカブ⁈ 私のおばあちゃんも乗ってるよ! すっごく丈夫で、とにかく燃費がいいよね!」

 しかし、菜花さんから返ってきた反応は僕が思っていたものとは全く違うものだった。というか、もはや真逆。

「そう……だけど……」

「そっか、カブかぁ。四葩君がバイクに乗っているのは意外だったけど、カブなら納得かも。それでそれで? 何CCのカブに乗ってるの? それと免許を取った日は?」

「排気量は110CCで、免許は高1の夏に父さんに半ば強引に取らされて……って、こんなことを聞いてどうするのさ?」

「どうもしないよ。ただ、四葩君が2人乗り出来るかどうか知りたかっただけだから」

 あっ、しまった……と、今になって僕は何も考えずに色々と喋ってしまったのを後悔した。
 しかし、時はもう既に遅く、菜花さんはニヤリとした粘着質な笑みを僕に向ける。

「確か2人乗りの条件って、運転者が免許を取得してから1年以上が経過していて、バイクの排気量が51CC以上だったよね?」

「そうだけどダメだよ。僕の母さんは厳しい人で、僕1人ではバイクに乗らしてくれないんだ」

「2人で乗るから大丈夫だよ」

「いや、そういう話じゃなくて父さんと一緒じゃないとって意味で……」

「なら、こう、一生懸命に手を合わせて、頭も下げまくって必死にお願いしようよ。それならきっと許してくれるよ」

「無理だって。僕がバイクに乗ること自体、母さんは快く思っていないんだから」

「じゃあ私も一緒にお願いする。それなら――」

「それは本当にやめて」

 あーだこーだと菜花さんと言い合いをしていると、ホームに電車がやって来た。
 「えーっ、なんでぇ」と未だに駄々をこねている菜花さんを尻目に「あっ、電車が来たみたいだよ」と僕は話を逸らし、彼女よりも先に僕は電車に乗車する。
 久々に乗った電車の中は相変わらず閑散としていて、この車両の乗客は僕らを合わせて6人しかいなかった。

「ねえ、どうしても無理なの?」
 
 座席に腰を下ろしても尚、菜花さんは僕にバイクの2人乗りのことを聞いてきた。
 このままだと、神社の時と同じだ。
 諦めの悪い菜花さんは僕が首を縦に振るまでずっとお願いをし続けるのだろう。
 本当はまだ見せるつもりはなかったけど……仕方がない。
 僕はスマホを取り出して操作し、『きっかけとクラスメイト』と題を打った小説を開いて菜花さんに差し出す。

「その話はとりあえず置いといて、電車で移動している間に君に読んでもらいたいものがあるんだけど」

「ん? ……きっかけとクラスメイト? これって四葩君が書いた小説?」

「そうだよ。僕が菜花さんのことを書いた小説だ」

「えっ⁈」

 菜花さんは驚きの声を上げて、何度も僕とスマホの交互に視線を行き来させる。
 まぁ、菜花さんがそういった反応をするのは無理も無い話だ。きっと彼女の予定では、これから僕と遊び、自分のことをよく理解してもらった上で小説を書いて貰おうと思っていたのだから。

「あとそれと『人気者と日陰者』って書かれている小説もそうだから。それも読んでくれ」

「に、2本も⁈」

「うん。あぁ、でも、1本1万文字程度の小説だからすぐに読めると思うよ」

「いいいい1万文字⁈ えっ……じゃあ計2万⁈ ってことは……原稿用紙50枚分……」

 菜花さんは口をポカンと開けて固まってしまった。 
 さっき僕は平然と「1本1万文字程度」と口にしたが、書き終えて文字数を確認した時の僕もまた、今の菜花さんと同じ表情をしていたんだと思う。
 『きっかけとクラスメイト』と『人気者と日陰者』。その2本の小説は昨日書き始めたもので、半日足らずで2万文字も書けたのはこれが初めてだった。しかも、1ヶ月間も小説を書けなくなっていた僕がこれを書いたのだ。
 昨日、藤と話をしていた時までは、こんな小説を書く気は無かった。だけど、彼と別れて家に帰ったあと、ふと僕は第三者に菜花さんのことを書いた小説が見つかった時の事を考えた。
 それは万が一にも有り得ないことなのかもしれない。だけど僕だって、誰にも知られずに墓場まで持っていこうとしていた“小説を書いている”という秘密が菜花さんにバレたんだ。現実ってもんは何が起こるか分からない。
 名前を変え、性格も少し変えても、写真を撮るのが好きな女の子を書いてしまえば、同じ学校に通っている人なら誰しもが、その小説は菜花 旭を意識して書いたものだと分かるはずだ。
 そうなれば僕はどうなる? 答えは簡単。菜花さんに想いを寄せているストーカーみたいな扱いを受けることになるのだろう。
 僕にそんな気持ちなんてこれっぽっちもなく、菜花さんから強制的に彼女の小説を書かされているのにも関わらず、だ。
 しかし、それを説明しても相手が納得してくれるとは限らない。
 ならいっそのこと、“菜花 旭の小説を書かないといけなくなってしまった経緯”も含めて小説にしてしまうのはどうだろうか?
 そう考えた僕はすぐに行動に移した。
 いつもみたいに思いついた文章をただひたすらに書き込んで、書き込んで、書き込んで――でも、いつもと違うことがあった。
 僕は削除も修正もほとんどしなかった。……いや、する必要がなかったの方が正しい。
 まるで憑き物が落ちたみたいに僕はぶっ通しで小説を書き続けた。
 実際にあったことをそのまま書くだけの作業、ってのもあったかもしれない。
 たった1人に読ませるためだけに書いた小説、ってのもあったかもしれない。
 まだ百パーセントの出来と胸を張っては言えないけど、それでもまた、僕は小説を書くことが出来たんだ。
 書き切ったあとに2万という文字数を見た時は正直自分でも引いたけど……でもそこには、確かな喜びもあった。

「ところで君はいつまでそうやって固まっているつもりなの? そろそろ読んで欲しいんだけど」

 未だに呆けた面をしている菜花さんに僕がそう言うと、彼女はハッと我に返ったような顔をして首を横にぶんぶんと勢いよく振る。

「で、でもでも! これで『小説を書いたんだから、あの写真を消せ』って言うのは無しなんだからね!」

「分かってるよ。書くって決めた以上、僕も中途半端なものを創りたくはないから」

「……へぇ。四葩君はもう覚悟が決まっているってわけだね。読んじゃうよ? いいの? 四葩君が書いた小説、私、今から、読んじゃうよ?」

「そういうのいいから。早く読んで」

「もう。ノリが悪いなぁ」

 菜花さんは僕からスマホを受け取り、僕が書いた小説を読み始める。
 しかし、1分と経たない内に菜花さんは表情を曇らせながら首を傾げ、口を開いた。

「あれ……? これってもしかして四葩君が主人公の小説なの?」

「僕が主人公であれ菜花さんが主人公であれ、どちらにせよ書き手である僕から見た菜花さんを書くことになるんだから変わりないだろ」

「うーん……そう言われるとそうなんだけど……。でも、いいの?」

「何が?」

「何がって……まあ、別にいっか。私は何も困らないし」

 菜花さんは何やら意味あり気なことを言ってから、小説を読むのを再開した。
 僕は菜花さんが僕に何を伝えようとしていたのかが気になったが、せっかく読み始めたというのにまた中断させるようなことをしたくはなかったので、僕は静かに彼女の横顔を見入る。
 菜花さんは真剣な表情で僕の小説を読んでいた。小さな口をキュッと閉じ、大きくて丸い瞳を細かく動かし、画面の端を押さえる右手の親指を少しずつスワイプさせて。
 しばらくすると、菜花さんは少し口元を緩ませて微笑んだ。――あぁ、きっと今、彼女は自身が登場した場面を読んでいるんだろうな。
 またしばらくすると、菜花さんはちょっとだけ顔をしかめて、頬をぷくっと膨らませた。――小説を書いて欲しいと僕と揉めている場面でも読みながら、彼女はあの時と同じ気持ちになっているのかもしれない。
 それからまたしばらくすると、菜花さんは「ふふっ」と楽しそうに笑った。――それは見覚えのある笑顔だった。指切りをしていて僕がふと笑みを溢してしまった時に彼女が見せた、あの笑顔。
 その後も菜花さんは僕が書いた小説を読みながら様々な表情を見せてくれた。
 声を出して笑ったり、眉間に皺を寄せてムスッとしたり、不思議そうな顔をしたり、口をわなわなと震わせながら顔を真っ赤にしたり……。
 そんなになるほど怒らせるようなこと書いてたっけ? ……まぁ、いいか。

「えっと……読み終わりました」

 菜花さんは、ふぅ、と一息吐いてからそう言うと、僕にスマホを返した。

「それで? 感想は?」

「その前に1つ確認」

 菜花さんはバッと両手の掌を突き出して、感想を急かす僕に静止の意思を示す。

「クラスメイトの藤君って誰なの?」

 菜花さんのその疑問は当然のものであり、僕が予期していたものだった。
 だって“僕達のクラスメイトに藤という名前の人物はいないのだから”。

「実在する人なの? 四葩君が作り出した架空の友達じゃなくて?」

「……君って本当に失礼だな。僕にだって普通に話せる友達くらいいるよ。友達だって菜花さんに会話の内容を知られると思って僕と喋っていたわけじゃないしさ。そりゃあ本当の名前は隠すよ。人のプライバシーは守らないとね」

「ねぇ、だったらそれって四葩君が友達と会話をしているシーンを書かなければ良かった話なんじゃないの? 私のことを書く小説なんだしさ」

「……」

 突然の正論パンチに僕はぐうの音も出なかった。
 こればかりは全くもって菜花さんの言う通りだ。
 本来なら僕が友達と会話をしている描写など、菜花 旭の小説には不要なもの。
 僕が帰り支度を終えて教室を出た時点で『人気者と日陰者』は終わらせることが出来たはずだった。
 それじゃあ、僕はどうしてわざわざ友達と会話をしている場面を書いたのか?
 ……正直なところを言うと、分からない。分からないけれど……それこそ僕は菜花さんに、僕だって普通に喋れる友達ぐらいはいるんだぞ、とちっぽけな見栄を張りたかったのかもしれない……。

「あー、ほら。あれはあれで必要な場面だったんだよ。菜花さんのことを話していたし、最後らへんのやり取りとかで君が笑ってくれくれるかなぁ、とか思ってだな……」

「えー、なになに? 私を笑わせようとしてくれたの?」

「そりゃあ、読者には楽しみながら小説を読んでもらいたいしさ」

 それは見栄を張った(かもしれない)のが菜花さんにバレないようにする為の言い訳だったけど、本当の気持ちでもあった。
 菜花さんはニヤニヤとやらしい笑みを浮かべながら頭を揺らしていたが、僕の言葉を聞いた途端に動きをピタッと止めて目を丸くさせ、そして――「ん、そっか」と明るく笑った。

「でも、だからって嘘を書いたりとかはしてないんだよね?」

「嘘? ……もしかしてまだ君は藤が僕が創り出した架空の存在だと思っているわけ?」

「あっ、違うの! そういうわけじゃ……あぁ、いや、微妙には合っているのかも……」

「微妙には、ってどういうこと?」

 菜花さんは僕の言葉に頬を少し紅潮させ、目を泳がせながら両手の指を交差させてモジモジと動かす。

「その……藤君の存在についてはもう疑ってないよ。だけど会話の内容にはまだ疑いがあるというか、なんというか……」

「会話の内容も本当だよ。嘘偽りのない事実」

「じゃ、じゃあさじゃあさ。四葩君と藤君との会話で2人は私のこと、あの……可愛いと思ってるって書いてるけど、それも本当なの? 小説の中の2人に勝手に喋らせて、私を喜ばせようとしているだけじゃないの?」

「君を喜ばせて僕になんの得があるのさ。あの時に思っていたことをそのまま言って、そしてその会話の内容をそのまま書いただけだよ」

 淡々と僕がそう言うと、菜花さんは顔を赤くしたまま僕のことを睨みつける様にじぃーっと見つめる。

「……何?」

「なんか、ムカつく」

「はぁ? いきなりなんだよ?」

「私だけが動揺していて馬鹿みたいじゃん! 四葩君はどうして平然としていられるの? 異性と遊んだことが1度もないとか、私のこと、その……可愛い……とか恥ずかしいこと沢山書いてるの読まれているのに!」

「そりゃあだって、君に読ませるの前提で書いた小説なんだから当たり前だろ。僕が読まれて恥ずかしいと思うことなんか、初めっから書きやしないよ」

「ということは、四葩君は女の子に可愛いって言うの恥ずかしくともなんともないってこと? ……もしかして四葩君って意外とチャラい?」

「どうしてそうなるんだよ……。恋愛感情を相手に伝えるなら恥ずかしいと思うかもしれないけどさ、可愛いとか綺麗とか格好いいとか、そういった気持ちを伝えるのに恥ずかしさなんていらないだろ」

「むむむっ……言っちゃあれだけど、四葩君って普通から少しズレてるよね」

「ズレていなかったら小説なんて書いていないよ」

 吐き捨てるように、僕は言った。
 普通。その言葉が嫌いだったからだ。
 何も自分が特別な人間だなんて思っていない。それどころか普通以下だと、僕は自分自身をそう思っている。だからこそ僕は普通……いや、『普通よりも劣っている自分』が嫌いだった。

「うーん……確かに。それもそっか」

 菜花さんはキョトンとした顔でしばらく僕を見つめていたが、そう言うと柔らかく微笑んだ。
 これまで沢山の菜花さんの笑った顔を見てきたけど、それは初めて見る類の笑顔だった。

「だからこそ、四葩君は小説を書けるんだ」

 菜花さんのその表情は、その言葉は、普通以下の僕を肯定してくれるような優しさがあった。
 多分彼女にはそんな気持ちなど微塵もなかったのかもしれない。会話の流れとタイミングが偶然重なり、勝手に僕がそう思っただけ。でも、そう思ったことは確かであって、僕は胸の内から湧き上がる何とも言えない感情を感じ、僕はほんの少しばかり菜花さんの顔から視線を逸らした。
 
「そういえば感想の方なんだけど、私が思っていたよりも完成度が高くてびっくりしちゃった。ちゃんとした小説じゃん。本にして売れるよそれ」

 僕が持っているスマホを指差しながら菜花さんは興奮気味に言った。
 本をあまり読まなさそうな人にそんなことを言われたところで嬉しくもないし、こんな物が本にして売れるわけのないことを自分が一番理解しているので「そりゃあ、どうも」と僕はぶっきらぼうな返事を返す。

「でもさでもさ、やっぱり主人公を四葩君自身にしたのは失敗だったと思うなぁ」

 菜花さんはわざとらしく口元に手を当てて「くっくっくっ」と不気味に笑う。
 ころころと表情が変わって本当に忙しい人だ。

「そういえば君は小説を読む前にもそんな感じのことを言ってたっけ。君自身が主人公じゃないことに不満があるのなら分かるけど、失敗っていうのはよく分からないな」

「だってさ、四葩君の視点で書くってことは、この小説を読む私には四葩君の感情は筒抜けってことなんだよ? つ、ま、り、四葩君が私のことを好きになっちゃったらすぐにバレちゃうてことなんだよ!」

 ビシッと僕を指差して勝ち誇ったような顔でそんなことを口にした菜花さんに僕は呆気に取られて言葉を失った。
 …………いや、本当に突然何を言い出してるんだこの人は?

「しかもその小説は好きになった瞬間を事細かく書いたラブレターと言っても同然! どうだ! 恥ずかしいでしょ!」

 僕を指差したまま、菜花さんはやけに早口で捲し立てるようにそう言い切った。せっかく普段通りの色に戻っていた顔をさっきよりも更に赤くし、目をぐるぐると回しながら。
 彼女もきっと、自身が突拍子もないおかしなことを言っている自覚がちゃんとあるのだろう。
 
「どうだと言われましても……もしかしてこれってさっきの仕返しのつもり? 僕が恋愛感情を伝えるのは恥ずかしいって言ったから? だとしたら大きな間違いだよ。第一僕が菜花さんを好きになるなんてありえないし、もし万が一好きになったとしても、それを書かなければ済む話だし」

「なぁ⁈ ずるいずるいずるいずるいずるいっ! ていうか、ありえないってどうして言い切れるの! 自分で言うのもなんだけど私ってそこそこな優良物件だと思うんですけど!」

 可愛いって言われて照れるくせして自分を優良物件だとは思っているんだな……。
 
「それは自己過信……とは言えないか。事実君は成績優秀だし、顔も良いし、明るい性格もしているし、沢山の写真コンテストで賞を取ってるし」

「ふふん。でしょでしょ!」

「でも、残念ながら僕のタイプじゃない」

 僕が言った途端、胸を張って得意げな顔をしていた菜花さんは一変、前に倒れてしまうのではないかというぐらいの勢いでガクンッと肩を落とした。

「へぇ……」

 ロボットみたいにぎこちない動きで菜花さんは顔だけをこちらに向ける。
 その表情は満面の笑顔だったが……どうしてだろう? 僕は背筋に冷たいものを感じた。
 
「それじゃあ四葩君はどんな女の子がタイプなの?」

「そ、そうだな……おっとりとしていて清楚で静かそうな女の子がタイプかな。君とは真逆の」

「ちょっと! 真逆ってどういうこと⁉︎」

「そういう騒がしいところだよ」

「それはさっきからず~っと四葩君が失礼なことを言ってるせい! 普段の私はお淑やかでしょ!」

「え? それ本気で言ってる?」

「はい、また失礼なこと言ったー!」

 菜花さんは幼い子どもみたいに手と足をばたつかせて反抗の意思を体でも示す。
 ほら、そういうところだぞ。と思ったが僕はそれを口には出さない。

「まぁ、仮に菜花さんが普段はお淑やかだったとして――」

「仮にって何よ! あと、だったとしてって!」

「……はいはい、普段の菜花さんはお淑やかでございます。だけど、こうして僕をお出かけに誘ったのは君なわけだろ? はっきり言わしてもらうけど、ぐいぐい積極的に遊びに誘ってくる女の子が僕は苦手なんだよ。相手側も男が苦手ぐらいが僕にとってはちょうどいい」

「それだとどっちとも話かけにいかないだろうから、恋人になるどころか友達にすらなれないんじゃないの?」

 ……彼女は時々、痛いところを的確に突いてくる。

「好きになった人には自分から話しかけるよ……多分……」

「随分と自信なさげだね。絶対話かけにいけないやつじゃん。そうやって何も出来ないまま歳をとっていって婚期を逃していくんだ。四葩君はやっぱり積極的で前向きな人と付き合うべきだと、私は思うなぁ」

「うるさいな……そんなこと君に決められる筋合いはないよ。それに今は誰とも付き合う気はないし。まぁ、何にせよ、僕が菜花さんを好きにはならないことは確かだね」

「……ふぅん」

 ため息にも聞こえるような声を出して、菜花さんは冷ややかな視線で僕を見つめた。
 その彼女の目には明らかな怒りが込められていた。
 失礼な発言をしている自覚は正直あったけど……そんなにも怒るようなことだろうか?
 ……いや、考えてみればそれもそうか。相手は自身を優良物件だと思っている人だ。やはりそこには譲れないプライドみたいなものがあるのだろう。こんな見るからにモテなさそうな奴に「好きにはならない」とか言われて、みすみす黙ってはいられないのかもしれない。

「まっ、四葩君が誰と付き合おうが私には関係ないから別にどうでもいいし。でも、一応言っといてあげるけど、清楚そうでお淑やかで『私、男の人が苦手で……』とか言ってる子の方が断然男の子と遊んでいるんだからね。逆に私はこう見えて全然――」

 そこまで口にして突然、「あっ」と声を上げて菜花さんは固まった。
 そして彼女は何事もなかったかのようにゆっくりと僕から視線を逸らし、前を向く。
 急な会話の終わり。
 僕は当然それを不思議に思わないはずがなかった。

「私はこう見えて全然、の続きは?」

「うぁ……えっと、その…………」
 
 菜花さんは口元をごにょごにょさせて再び押し黙った。
 突然話を切り、こうして何も喋ろうとしないということは、菜花さんにとっての不都合が言おうとしていた続きの部分にあるということだ。
 これまでの話の流れからして考察するに……もしかして菜花さんは異性と全然遊んだことがなくて、それを恥ずかしいと思っているのだろうか?
 そういえば、小説に可愛いって書いてるのが恥ずかしいと思わないのかどうかと菜花さんと言い争っていた時に、僕が異性と1度も遊んだことがないことを書いているのも恥ずかしいと思わないのか、と彼女は聞いてきてたっけ。
 僕は胸の内でニヤリと笑う。いや、それはちゃんと表情にも出ていたのかもしれない。
 菜花さんはマズイとでも言いたげな顔で何かを言おうとするが、それよりも先に僕は口を開いた。

「じゃあ僕が当ててあげようか。答えは『私はこう見えて全然遊んでない』だろ? 付き合ったこともないんだな」

 これまでの仕返しとばかりに挑発的な口調で僕は言ってやった。余計な一言も添えるおまけ付きで。

「はっ、へっ……あああありますけでょお?」

 いつもは強気な姿勢で反論してくるくせに、あたふたと狼狽えた様子で菜花さんは反論した。
 最後の方に至っては凄い噛み方をしていたし、どうやら僕の予想は当たっていたみたいだ。

「凄い動揺っぷりだな。さては君、嘘をつかないといけないゲームとか苦手なタイプだろ?」

「な、何言ってるの。私嘘つくの超上手だし! ……あ、でもさっきのは本当なんだから! もう18歳なのに付き合ったことがない人なんている訳ないじゃん!」

「君の目の前にいるんだけど……まぁ、その話は今は別にどうでもいっか。じゃあさ、菜花さんは今までに何人の人と付き合ったことがあるの?」

「何人? えーと……今までで1人、いや、2人でしたっけ?」

「僕に聞かれても知らないよ。それにどうせ嘘をつくならもっと大きい数字にすればいいのに」

「少ない方がリアルな感じがするでしょ。あっ……」

 菜花さんはしまったというふうに急いで自分の口を手で塞いだ。
 その分かりやす過ぎる仕草(というかそれ以前に明らかなボロを出していたが)に、僕はつい声を出して笑ってしまう。

「あ~! 馬鹿にしてる! 四葩君も同じくせに!」

「いやいや、馬鹿にはしてないよ。意外だなと思っただけ。菜花さんは可愛いし、初めて遊ぶ異性といきなり電車で遠出するような人だからさ、遊び慣れているもんだと思ってたから」

「なっ……」

 菜花さんはまた固まった。
 見る見るうちに彼女の顔は下から段々と赤に染まっていく。
 さっきの僕の発言のどこにそんなにも怒りを買うところがあったのだろう? ……まさか『遊び慣れている』のところか? 
 全く異性と遊んでないとバレるのは恥ずかしいけど、遊びまくっている女だと思われているのは癪だとか、そういうことなのか?
 だとしたら相当面倒な人――いや、今はそんなことよりも、とにかく彼女を宥めなければ。
 
「待て待て待て。別に怒るようなことじゃないだろ? 遊び慣れているというのは言葉の綾であってだな……」

「へ? 怒ってる? 誰が?」

「君以外にいないだろ」

「私? 全然怒ってないけど……どうして?」

「どうしてって、だってそんなにも顔を真っ赤にしているから」

 菜花さんの顔を僕が指差すと、彼女も自身の顔を指差し疑問符を浮かべながら首を横へ傾けた。
 僕は無言で首を縦に振る。
 すると菜花さんは尚一層、なんなら今にも爆発してしまうのではないかと思うぐらい顔を真っ赤にさせ、すぐに僕とは逆の方へ顔を背けた。

「これは違うの。怒ってる訳じゃないから。だから気にしないで」

「それは無理だよ。そんな反応をされて気にならない訳がないだろ。怒ってないならいったい……」

 僕は菜花さんの後ろ姿をじっと見据える。
 流れる一間の静寂。
 そのままの状態で1分ぐらいは経っただろうか?
 ずっと視線を送り続けていると菜花さんはプルプルと体を小刻みに震わし、そして突然「あー!」と声を上げ、僕の方を振り返った。

「本当にムカつく!」

「なんだ。やっぱり怒ってるじゃないか」

「ちーがーうー! さっきまでは怒ってなかったけど、たった今怒ったの!」

「怒ってないって言ったり怒ったって言ったり……だったら顔を赤くしていた理由はなんだったんだよ? それと今怒っている理由は?」

「そんなの自分で考えろこの鈍ちん! あー、もう知りません! 答えが出てくるまで四葩君とは喋らないって決めました!」

「それだとこの鈍ちんから答えが出てくることは無いから、今日どころか一生話せなくなるけど?」

「……電車が着くまで、に訂正します」

 ため息を吐きながら言って、菜花さんはプイッとそっぽを向いた。
 一応無駄だとは思いながらも、菜花さんが顔を赤くしていた理由と怒っていた理由を僕は考える。
 だけど結局、電車が着くまでに答えが出ることは無かった。
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