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6.7月編
68話 赤紫色に染まる空の下で
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地面に大の字で倒れている大地は動かない。
今の彼からは立つ気なんてものは微塵も感じない。
そんな彼を見て僕は息を大きく吸い込む。
「終わっ……た……」
無事に日光を守れたという安堵感とともに今までの張り詰めていた緊張感が解け、体から一気に力が抜けてしまい僕はその場に崩れ落ちるように地面に両膝を突いた。
「銘雪!」
日光の声とともに彼女がこちらに走り寄ってくる音が聞こえる。
僕が日光の方を振り向くと同時に――彼女は僕に勢いよく抱きついた。
「良かった……本当に良かった……」
涙混じりの声。
僕を抱き締める力が強まる。
きっとそれは橘のような馬鹿力などではなくか弱い女性が出せる程度のものだったのかもしれない……だが、全身がぼろぼろの今の僕からしてみればそれは橘以上の馬鹿力に感じられ、体中に走る激痛は女性に抱きしめられているという事実に戸惑う余裕さえも与えなかった。
「いたたたたたたたた⁈ ま、待て、落ちつけ! 今その力はマズイって!」
僕の叫び声で日光は咄嗟に僕から体を離す。
「ご、ごめんなさい……つい嬉しくって……」
日光は僕から顔を逸らしながら申し訳なさそうにそう言ったあと、再びこちらの方を向いて軽く優しい笑みを浮かべた。
「でも……貴方が無事で本当に良かった……」
頰を少し朱に染め、笑顔で日光はそう言った。
そんな彼女を見て、今更ながらに彼女を守れたという実感が湧き上がった。
「心配かけてごめん……。僕もお前が無事で良かったと思ってる……。その……ちょっとだけ手を貸してくれないか?」
僕は日光にへと手を差し出す。
彼女は何も言わずに僕の手を受け取って引っ張り、僕はゆっくりと立ち上がる。
そして僕はあるところに行こうと一歩歩いたのだが、未だに残る体のダメージのせいで大きくふらついてしまった。
「め、銘雪、大丈夫⁈」
日光は慌てた様子で僕の隣にへと来て体を撚りあわせて僕の体を支えてくれた。
「ごめん、ありがとう。申し訳ないんだけどこのまま大地の側まで連れて行ってくれないか?」
「いいけど……何をする気なの……?」
日光は僕が何かよからぬ事をしようとしていると思っているのか、不安そうな顔をしながら僕を見つめる。
僕はそんな日光に対し、彼女の不安を振り払うための笑顔を作った。
「まだ……やらないといけない事が残ってる」
気がつくと、夕日が沈み赤紫色に染まっている空が目の前に広がっていた。
僕は手の平に触れている砂を思いっきり握りしめ、眼を瞑る。
…………そういうことか。
自分が陸に殴られて地面に倒れていることに気付くとともに体中にへと痛みが走った。
意識は鮮明。
立とうと思えば立てる。
戦う余力はまだ残っている。
しかし、地面に倒れている体は起き上がろうとはしなかった。
体の方は大丈夫だったが心の方が敗北を認めてしまっていた。
すぐ近くで砂を踏む音が聞こえた。
首を動かし音がした方を向くと、陸とそれを支える紅葉さんがそこにいた。
2人はどこか虚しげな表情をして僕を見下ろしている。
あんな酷いことをしたんだ。
何を言われても仕方ない……。
そう、僕は覚悟を決めた。
「ごめんなさい……」
耳を疑う一言。
その言葉を口にしたのは紅葉さんだった。
予想だにしてなかった一言に僕は戸惑いが隠せない。
「なんで……謝るんだよ……! 謝るなよ……! もっと言うべき言葉が……あるだろ……!」
僕は嗚咽混じりの声を発した。
目には涙がこみ上げ紅葉さんの顔が少しぼやける。
そんなぼやけた視界だったが、紅葉さんが首を振ったのがなんとなく分かった。
「いいえ。私は貴方に謝らないといけない。私が銘雪の事を諦めきれていれば……中途半端な気持ちで貴方と付き合ってさえいなければ、貴方はこんな事をしなかったはずだから……」
そんな紅葉さんの言葉で僕の目からとうとう涙が溢れた。
分かっていた。
紅葉さんが僕を責める言葉を吐く訳がない事ぐらい。
しかし、それでも僕は彼女に罵倒を求めたのだ。
少しでも自分が楽になる為に。
そんな自分がいかに小さく卑しい人間なのかをただ無情にも押し付けられ、僕はもう2人の顔を見る事が出来なくなり、腕で眼を覆い隠した。
「あぁ……僕も……誰かに愛されたかった」
弱り切った心のせいで、つい心の底の本心を漏らしてしまった。
言葉に出したせいで、余計に僕の心は大きく揺さぶられ悲しみが一気に押し寄せた。
静かな公園で、ただ僕の啜り泣きだけが大きく響いていた。
ただっ広い公園の中に今は僕たち3人しかいない。
そんな中、ただただ大地の啜り泣く声だけが大きく響いていた。
僕はそんな彼の事をこれ以上見ていられなくなり、口を開いた。
「さっきはその……自分の生き方を信じたいとか貫きたいとかって言ったけどさ……僕も誰かのために生きるのは馬鹿らしいって思った事があったよ」
僕の声は大地にへと届き、彼は目を覆っていた腕を除け、驚いた顔をしながらこっちを向いた。
「君みたいな人が……なんで……」
「他人に感謝して欲しいとか恩を売りたいとか、そういった想いで誰かの為に頑張ってきた訳じゃなかったけどさ、それでも誰かに裏切られたり周りから人が離れていったりするのはやっぱり悲しかったんだ。そしてとうとう自分が傷付くのが耐えきれなくなって、僕は憧れた生き方から逃げ出してしまった」
「……それでも君は今も誰かの為に頑張っている」
「色々な人たちが僕が気付いていなかった事に気付かせてくれたんだ。誰かの為に生きるってことは素晴らしいって事や、僕の優しさで誰かを救える事が出来るって事とか。だから僕は今でも頑張る事が出来る」
「本当に……羨ましい限りだ。僕の周りにはそんな人なんていない。みんなは僕の事をただの都合のいい人だと思っているはずだ。いや、もしかしたらそう思ってさえいないかもしれないな。僕の事なんてきっと誰も見てなんかいないだろうさ」
大地はそう言うと僕から顔を逸らした。
そして彼は渇いた笑みを浮かべる。
そんな彼に僕はやはりどこかで昔の自分と似たようなものを感じた。
「お前も気付いていないだけかもしれない……」
「何?」
「お前は僕と同じなんだ。勝手に周りはこうだと決め付けて見ようともしない。だから気付かないといけない事にも気付く事が出来ない。周りはお前の事をちゃんと見ている筈だ。僕にもいたようにお前のことを理解してくれているやつがちゃんといるはずなんだ。だから、そんな自分の勝手な決めつけなんか取っ払って周りをよく見てみろよ。…………まぁ、これもある人が僕に教えてくれた事なんだけどな」
これが僕がやり残したこと……僕が大地に伝えたかった事だった。
彼は本当はなんだかんだ言いながらも誰かの為に生きたいと思っているということはなんとなくだけど確かに感じた。
彼が自分の為に誰かを傷付けようとすることはこの先ないだろう。
だが、このままだと彼が数ヶ月前の僕のように誰かの為に生きたいと思いながらも自分の気持ちを誤魔化して、誰かの為に動かない可能性は充分にある。
僕は彼にそうなって欲しくはなかった。
だから、僕は自分自身が立ち直るきっかけとなった橘の言葉を借りたのだった。
大地は僕の言葉に対して何も言わない。
それでも、きっと僕の言葉は彼に届いていることを信じ、僕は日光から体を離し彼から背を向けた。
「もういいの?」
「あぁ……多分だけど、あいつはもう大丈夫」
僕は公園の出口に向かって歩き出す。
その後を日光が追いかけるように付いてくる。
「ありがとう……」
背後から囁くような声で大地がそう言ったのが確かに聞こえた。
僕は一旦止まって振り返りそうになったが、すぐに思い直して再び足を進めた。
これ以上、彼に言葉を掛ける必要はない。
僕たちは振り返らず、ただ歩き続けた。
公園を出て数分が経過した。
僕の隣を日光が歩いている。
しかし、公園を出てからというもの僕たちは一切会話をしていない。
流れのままに日光を家まで送っているが……正直かなり気まずい状態だった。
さっきまでは色々な事があってどうも思ってなかったのだが……よくよく考えてみれば僕らは喧嘩中のような状態であったはずなのだ。
それに付け足し、さっきの公園の中では勢いに身を任せて臭い台詞を吐いたり日光を抱きしめたりと……なんだか今更ながらだが、とんでもなく恥ずかしい事をしてしまったのではないだろうか?
穴があったら入りたいなんて思いはとうに飛び越していて、自らが穴を掘って潜ってしまいたいぐらいに今の僕の心は恥ずかしさで悶えている。
僕はそんな自分に耐え切れなくなり、少しでも気を紛らわす為にチラッと隣の様子を伺った。
「「あっ……」」
互いに目が合い、すぐさま僕たちは焦りながら顔を逸らす。
……もし、僕の見間違いでなければ日光は顔を凄く赤くしていた。
何故顔を赤くしているのかは僕には分からない。
僕はさっきのが見間違いではないかを確認する為に再び日光の方に顔を向ける。
「「……」」
再びお互いの顔があってしまった。
しかし、今回はどちらとも顔を背けない。
そしてやはりさっきのは見間違いなどではなかったらしく、日光の顔は真っ赤に染まっていた。
「な、なによ……」
「い、いやぁ……顔が凄く赤いなぁと……」
「はあぁ⁈ そ、そういう貴方も耳まで真っ赤じゃない!」
「ええっ⁈」
僕は日光の指摘に対して、顔が熱くなっていくのをまじまじと感じた。
日光の顔も僕に指摘された為か更に赤くなっている。
そして互いが互いの顔を見えなくなってしまって、再び僕たちは前を向いて歩き始めた。
数分前と変わらない沈黙。
しかし、空気は更に気まずいものにへと変化している。
あ……。
僕は今になってある事を思い出した。
僕はまだ日光に謝れていないという事を……。
さっきのやりとりの感じだと、喧嘩みたいな状態だったのはどうやら有耶無耶となっているだろう。
しかし、それでも僕が日光に酷いことを言ってしまったのは決して消えることのない事実だ。
僕は瑞稀さんに日光に謝ると約束した。
それに、僕自身が日光にあの時の事を謝りたいと心の底から思っている。
言うなら今しかない。
僕は意を決して日光に声をかける。
「「あの!」」
運悪くまたしても同じタイミング。
互いが互いにあたふたと取り乱しながら先を譲り合うが、どちらも引き退らない。
このままじゃ埒があかないと僕は日光の遠慮に甘え、自分から話す事にした。
「日光、この前は悪かった! 本当にごめん!」
僕は勢いよく日光に頭を下げた。
顔を上げると彼女は僕の急な謝罪に対し、キョトンと意味が分からないとでも言いたげな顔をして僕を見ていた。
「えっ、いきなりどうしたの? この前の事って……」
「ほら、前に日光が男の人達に絡まれていて大地が助けた時に僕は酷い事を言っちゃたからさ……」
「あぁ、そのことね。別に良いわよ」
「別に良いって……お前な……」
「私もあの時はついカッとなって酷い事を言ってしまったし……お互いさまって事で」
「でも……」
「でもじゃない。謝られた私が良いって言ってるんだからそこは素直に受け取りなさいよ」
日光はそう言って僕に笑顔を向けた。
そんな彼女の笑顔を見て、まだ僕の中にあった罪悪感や言葉に言い表せない靄のような感情は振り払うように消えていく。
「それでもまだ何か不満があるというのなら、ほら」
日光は僕に右の手を差し出す。
僕は彼女のその行為の意図が分からず首を傾げた。
「と、とりあえず仲直りの握手でもする?」
自分で言い出したことにも関わらず、高校生にもなって仲直りの握手なんて提案してしまった事が恥ずかしいのか、日光の顔はだんだんと下から上へとメーターのように赤くなっていく。
僕のことを思ってこんな彼女に似合わない事をしてくれているというのに、これ以上恥を欠かす訳にはいかないと、僕は急いで彼女の右手にへと手を伸ばす。
「なんて、冗談よ」
日光がそれを言ったのと僕が彼女の手を握ったのはほぼ同時だった。
僕は握ってしまった日光の手を咄嗟に離そうとするが、その手を彼女は両手を使いしっかりと握って上下に数回激しく振った。
「はいっ! これで仲直り完了! もう謝るのは禁止!」
日光は早口でそう言って僕の手を勢いよく離す。
「さっき冗談っていいかけ――」
「何も言ってない!」
日光は僕の言葉を遮るように強気でそう言った後、僕を鋭い目で睨んだ。
僕はそんな圧力を前に何も言い返すことが出来なくなり――「うん、ありがとう」とだけ言った。
日光に謝れた事と許してくれた事でホッとし、心が軽くなる。
そして、長かった日光とのギクシャクとした関係が終わりを迎えたのを静かに感じたのだった。
「それで、僕が言いたかったことはこれで終わった訳だけど……日光も何か僕に言おうとしてかったっけ?」
僕がそう言うと日光はビクッと肩を震わせなにやら急にもじもじとしだした。
「えっと……ちゃんと助けてくれたお礼を言えてなかったと思って……その……助けてくれてありがとう。それと……」
日光は口をもごもごさせ、人差し指をこね回しながら僕の方をチラチラと見る。
何やら言おうか言わまいか悩んでる様子だ。
そんな彼女を見て僕は彼女が言わんとしている事を察した。
女性にこんな事を言うのは気が引けるが……でも事態が事態なだけに仕方ない。
「日光……トイレなら10分以上歩かないとダメだからいっそのことそこら辺の茂みで」
言ってる途中で思いっきり頭をしばかれた。
いつもならそこまでの痛みはないのかもしれないが、体がぼろぼろな為か有り得ないぐらいの痛みが僕を襲い、僕は頭を抑えてうずくまる。
「違うわよ! それにそこら辺の茂みって何⁈ ほんっとうに貴方って人はデリカシーってものが……」
日光はそう言いながら僕の事をジト目で睨んだ。
そして大きく溜息を吐くや否や、ズボンのポケットから何やら白い布のような物を取り出し僕にへと差し出した。
「貴方のおかげで緊張してたのが馬鹿らしくなったわ。これ……返す……」
「なんだこれ……ハンカチ? 返す? …………ってまさかお前、これってあの時の⁈」
僕は日光から渡された物を受け取り大いに驚いた。
僕は高校生になって日光にハンカチを貸した覚えなどない。
覚えがあるとすれば……小学生の頃に泣いている彼女に渡したあの一回のみ。
つまり彼女は……。
「そっ、そうよ。まさか6年も持っているなんて気持ち悪いとか思った? でも私は借りたものはちゃんと返す主義なの。だから今着ている貴方のパーカーも洗ってしっかり――」
僕は日光が話している途中で声を出して笑ってしまっていた。
「何よ……そんなに笑うことないじゃない……」
日光はそっぽを向いていじけたような顔をする。
「いやぁ、ごめんごめん。まさかこんな物が出てくるなんて夢にも思っていなくて……はっ⁈ って事はこの6年間肌身離さず⁈」
「ち、違うわよ⁈ 変な勘違いしないでよね! いつもは持っていないけど今日はなんとなく持っていただけであって……」
慌てた様子で説明する日光を見て僕は再び笑ってしまう。
そんな僕を彼女はしかめっ面で頰を膨らませて見つめる。
僕は一頻り笑ったあと、出てしまった涙を拭うために目をこすった。
「そんなにも面白い事だった?」
僕が笑い終わった事を確認し、日光は不満気に僕に言う。
「いや、本当にごめん。なんだかこうやって日光と話すのが久々でなんだか懐かしく、つい嬉しくって……」
僕はそこで自分が何を言ってしまったのかを理解し、急いで口を手で覆った。
しかし、それはもう手遅れだった。
「え? 何? もしかしてその涙って笑い過ぎて出たんじゃなくって嬉しくって出たものなの?」
日光の言葉に対し僕の顔が再び熱くなっていくのを感じた。
以前通りの会話をした途端に仲直りした実感が湧いてきて涙が出たとか恥ずかし過ぎてとても言えたものじゃなかった。
僕はこれ以上顔が見られないために日光から背を向けるように体ごと向きを変える。
しかし、僕の正面にへと日光は回り込んできた。
「し、仕方ないだろ! お前とはもうずっとあんな感じのかと不安で一杯で……自分の事で色々悩んだり、ずっと自分が言ったことを後悔したりと、すっごく大変だったんだからな!」
僕は押し寄せる沢山の感情に一杯一杯になってしまい意味も分からずついつい逆ギレをしてしまった。
そんな僕を見て今度は日光が声を出して笑った。
そして彼女は一頻り笑ったあと、溢れてしまった涙を僕と同じように拭った。
「えぇ、そうね。ごめんなさい。私も貴方と仲直りが出来て嬉しいわ」
日光はそう言いながら明るい笑顔を僕にへと向けた。
そんな彼女を見て、僕も自然に笑みがこぼれた。
そして、互いに笑い合ったあと、僕たちは再び前にへと歩き出す。
僕たちはその後もいつもと変わらない、たわいもない会話をしながら歩き続けた。
その僕たちの上にはあの時と同じような、僕の好きな赤紫色に染まった空が広がっていた。
今の彼からは立つ気なんてものは微塵も感じない。
そんな彼を見て僕は息を大きく吸い込む。
「終わっ……た……」
無事に日光を守れたという安堵感とともに今までの張り詰めていた緊張感が解け、体から一気に力が抜けてしまい僕はその場に崩れ落ちるように地面に両膝を突いた。
「銘雪!」
日光の声とともに彼女がこちらに走り寄ってくる音が聞こえる。
僕が日光の方を振り向くと同時に――彼女は僕に勢いよく抱きついた。
「良かった……本当に良かった……」
涙混じりの声。
僕を抱き締める力が強まる。
きっとそれは橘のような馬鹿力などではなくか弱い女性が出せる程度のものだったのかもしれない……だが、全身がぼろぼろの今の僕からしてみればそれは橘以上の馬鹿力に感じられ、体中に走る激痛は女性に抱きしめられているという事実に戸惑う余裕さえも与えなかった。
「いたたたたたたたた⁈ ま、待て、落ちつけ! 今その力はマズイって!」
僕の叫び声で日光は咄嗟に僕から体を離す。
「ご、ごめんなさい……つい嬉しくって……」
日光は僕から顔を逸らしながら申し訳なさそうにそう言ったあと、再びこちらの方を向いて軽く優しい笑みを浮かべた。
「でも……貴方が無事で本当に良かった……」
頰を少し朱に染め、笑顔で日光はそう言った。
そんな彼女を見て、今更ながらに彼女を守れたという実感が湧き上がった。
「心配かけてごめん……。僕もお前が無事で良かったと思ってる……。その……ちょっとだけ手を貸してくれないか?」
僕は日光にへと手を差し出す。
彼女は何も言わずに僕の手を受け取って引っ張り、僕はゆっくりと立ち上がる。
そして僕はあるところに行こうと一歩歩いたのだが、未だに残る体のダメージのせいで大きくふらついてしまった。
「め、銘雪、大丈夫⁈」
日光は慌てた様子で僕の隣にへと来て体を撚りあわせて僕の体を支えてくれた。
「ごめん、ありがとう。申し訳ないんだけどこのまま大地の側まで連れて行ってくれないか?」
「いいけど……何をする気なの……?」
日光は僕が何かよからぬ事をしようとしていると思っているのか、不安そうな顔をしながら僕を見つめる。
僕はそんな日光に対し、彼女の不安を振り払うための笑顔を作った。
「まだ……やらないといけない事が残ってる」
気がつくと、夕日が沈み赤紫色に染まっている空が目の前に広がっていた。
僕は手の平に触れている砂を思いっきり握りしめ、眼を瞑る。
…………そういうことか。
自分が陸に殴られて地面に倒れていることに気付くとともに体中にへと痛みが走った。
意識は鮮明。
立とうと思えば立てる。
戦う余力はまだ残っている。
しかし、地面に倒れている体は起き上がろうとはしなかった。
体の方は大丈夫だったが心の方が敗北を認めてしまっていた。
すぐ近くで砂を踏む音が聞こえた。
首を動かし音がした方を向くと、陸とそれを支える紅葉さんがそこにいた。
2人はどこか虚しげな表情をして僕を見下ろしている。
あんな酷いことをしたんだ。
何を言われても仕方ない……。
そう、僕は覚悟を決めた。
「ごめんなさい……」
耳を疑う一言。
その言葉を口にしたのは紅葉さんだった。
予想だにしてなかった一言に僕は戸惑いが隠せない。
「なんで……謝るんだよ……! 謝るなよ……! もっと言うべき言葉が……あるだろ……!」
僕は嗚咽混じりの声を発した。
目には涙がこみ上げ紅葉さんの顔が少しぼやける。
そんなぼやけた視界だったが、紅葉さんが首を振ったのがなんとなく分かった。
「いいえ。私は貴方に謝らないといけない。私が銘雪の事を諦めきれていれば……中途半端な気持ちで貴方と付き合ってさえいなければ、貴方はこんな事をしなかったはずだから……」
そんな紅葉さんの言葉で僕の目からとうとう涙が溢れた。
分かっていた。
紅葉さんが僕を責める言葉を吐く訳がない事ぐらい。
しかし、それでも僕は彼女に罵倒を求めたのだ。
少しでも自分が楽になる為に。
そんな自分がいかに小さく卑しい人間なのかをただ無情にも押し付けられ、僕はもう2人の顔を見る事が出来なくなり、腕で眼を覆い隠した。
「あぁ……僕も……誰かに愛されたかった」
弱り切った心のせいで、つい心の底の本心を漏らしてしまった。
言葉に出したせいで、余計に僕の心は大きく揺さぶられ悲しみが一気に押し寄せた。
静かな公園で、ただ僕の啜り泣きだけが大きく響いていた。
ただっ広い公園の中に今は僕たち3人しかいない。
そんな中、ただただ大地の啜り泣く声だけが大きく響いていた。
僕はそんな彼の事をこれ以上見ていられなくなり、口を開いた。
「さっきはその……自分の生き方を信じたいとか貫きたいとかって言ったけどさ……僕も誰かのために生きるのは馬鹿らしいって思った事があったよ」
僕の声は大地にへと届き、彼は目を覆っていた腕を除け、驚いた顔をしながらこっちを向いた。
「君みたいな人が……なんで……」
「他人に感謝して欲しいとか恩を売りたいとか、そういった想いで誰かの為に頑張ってきた訳じゃなかったけどさ、それでも誰かに裏切られたり周りから人が離れていったりするのはやっぱり悲しかったんだ。そしてとうとう自分が傷付くのが耐えきれなくなって、僕は憧れた生き方から逃げ出してしまった」
「……それでも君は今も誰かの為に頑張っている」
「色々な人たちが僕が気付いていなかった事に気付かせてくれたんだ。誰かの為に生きるってことは素晴らしいって事や、僕の優しさで誰かを救える事が出来るって事とか。だから僕は今でも頑張る事が出来る」
「本当に……羨ましい限りだ。僕の周りにはそんな人なんていない。みんなは僕の事をただの都合のいい人だと思っているはずだ。いや、もしかしたらそう思ってさえいないかもしれないな。僕の事なんてきっと誰も見てなんかいないだろうさ」
大地はそう言うと僕から顔を逸らした。
そして彼は渇いた笑みを浮かべる。
そんな彼に僕はやはりどこかで昔の自分と似たようなものを感じた。
「お前も気付いていないだけかもしれない……」
「何?」
「お前は僕と同じなんだ。勝手に周りはこうだと決め付けて見ようともしない。だから気付かないといけない事にも気付く事が出来ない。周りはお前の事をちゃんと見ている筈だ。僕にもいたようにお前のことを理解してくれているやつがちゃんといるはずなんだ。だから、そんな自分の勝手な決めつけなんか取っ払って周りをよく見てみろよ。…………まぁ、これもある人が僕に教えてくれた事なんだけどな」
これが僕がやり残したこと……僕が大地に伝えたかった事だった。
彼は本当はなんだかんだ言いながらも誰かの為に生きたいと思っているということはなんとなくだけど確かに感じた。
彼が自分の為に誰かを傷付けようとすることはこの先ないだろう。
だが、このままだと彼が数ヶ月前の僕のように誰かの為に生きたいと思いながらも自分の気持ちを誤魔化して、誰かの為に動かない可能性は充分にある。
僕は彼にそうなって欲しくはなかった。
だから、僕は自分自身が立ち直るきっかけとなった橘の言葉を借りたのだった。
大地は僕の言葉に対して何も言わない。
それでも、きっと僕の言葉は彼に届いていることを信じ、僕は日光から体を離し彼から背を向けた。
「もういいの?」
「あぁ……多分だけど、あいつはもう大丈夫」
僕は公園の出口に向かって歩き出す。
その後を日光が追いかけるように付いてくる。
「ありがとう……」
背後から囁くような声で大地がそう言ったのが確かに聞こえた。
僕は一旦止まって振り返りそうになったが、すぐに思い直して再び足を進めた。
これ以上、彼に言葉を掛ける必要はない。
僕たちは振り返らず、ただ歩き続けた。
公園を出て数分が経過した。
僕の隣を日光が歩いている。
しかし、公園を出てからというもの僕たちは一切会話をしていない。
流れのままに日光を家まで送っているが……正直かなり気まずい状態だった。
さっきまでは色々な事があってどうも思ってなかったのだが……よくよく考えてみれば僕らは喧嘩中のような状態であったはずなのだ。
それに付け足し、さっきの公園の中では勢いに身を任せて臭い台詞を吐いたり日光を抱きしめたりと……なんだか今更ながらだが、とんでもなく恥ずかしい事をしてしまったのではないだろうか?
穴があったら入りたいなんて思いはとうに飛び越していて、自らが穴を掘って潜ってしまいたいぐらいに今の僕の心は恥ずかしさで悶えている。
僕はそんな自分に耐え切れなくなり、少しでも気を紛らわす為にチラッと隣の様子を伺った。
「「あっ……」」
互いに目が合い、すぐさま僕たちは焦りながら顔を逸らす。
……もし、僕の見間違いでなければ日光は顔を凄く赤くしていた。
何故顔を赤くしているのかは僕には分からない。
僕はさっきのが見間違いではないかを確認する為に再び日光の方に顔を向ける。
「「……」」
再びお互いの顔があってしまった。
しかし、今回はどちらとも顔を背けない。
そしてやはりさっきのは見間違いなどではなかったらしく、日光の顔は真っ赤に染まっていた。
「な、なによ……」
「い、いやぁ……顔が凄く赤いなぁと……」
「はあぁ⁈ そ、そういう貴方も耳まで真っ赤じゃない!」
「ええっ⁈」
僕は日光の指摘に対して、顔が熱くなっていくのをまじまじと感じた。
日光の顔も僕に指摘された為か更に赤くなっている。
そして互いが互いの顔を見えなくなってしまって、再び僕たちは前を向いて歩き始めた。
数分前と変わらない沈黙。
しかし、空気は更に気まずいものにへと変化している。
あ……。
僕は今になってある事を思い出した。
僕はまだ日光に謝れていないという事を……。
さっきのやりとりの感じだと、喧嘩みたいな状態だったのはどうやら有耶無耶となっているだろう。
しかし、それでも僕が日光に酷いことを言ってしまったのは決して消えることのない事実だ。
僕は瑞稀さんに日光に謝ると約束した。
それに、僕自身が日光にあの時の事を謝りたいと心の底から思っている。
言うなら今しかない。
僕は意を決して日光に声をかける。
「「あの!」」
運悪くまたしても同じタイミング。
互いが互いにあたふたと取り乱しながら先を譲り合うが、どちらも引き退らない。
このままじゃ埒があかないと僕は日光の遠慮に甘え、自分から話す事にした。
「日光、この前は悪かった! 本当にごめん!」
僕は勢いよく日光に頭を下げた。
顔を上げると彼女は僕の急な謝罪に対し、キョトンと意味が分からないとでも言いたげな顔をして僕を見ていた。
「えっ、いきなりどうしたの? この前の事って……」
「ほら、前に日光が男の人達に絡まれていて大地が助けた時に僕は酷い事を言っちゃたからさ……」
「あぁ、そのことね。別に良いわよ」
「別に良いって……お前な……」
「私もあの時はついカッとなって酷い事を言ってしまったし……お互いさまって事で」
「でも……」
「でもじゃない。謝られた私が良いって言ってるんだからそこは素直に受け取りなさいよ」
日光はそう言って僕に笑顔を向けた。
そんな彼女の笑顔を見て、まだ僕の中にあった罪悪感や言葉に言い表せない靄のような感情は振り払うように消えていく。
「それでもまだ何か不満があるというのなら、ほら」
日光は僕に右の手を差し出す。
僕は彼女のその行為の意図が分からず首を傾げた。
「と、とりあえず仲直りの握手でもする?」
自分で言い出したことにも関わらず、高校生にもなって仲直りの握手なんて提案してしまった事が恥ずかしいのか、日光の顔はだんだんと下から上へとメーターのように赤くなっていく。
僕のことを思ってこんな彼女に似合わない事をしてくれているというのに、これ以上恥を欠かす訳にはいかないと、僕は急いで彼女の右手にへと手を伸ばす。
「なんて、冗談よ」
日光がそれを言ったのと僕が彼女の手を握ったのはほぼ同時だった。
僕は握ってしまった日光の手を咄嗟に離そうとするが、その手を彼女は両手を使いしっかりと握って上下に数回激しく振った。
「はいっ! これで仲直り完了! もう謝るのは禁止!」
日光は早口でそう言って僕の手を勢いよく離す。
「さっき冗談っていいかけ――」
「何も言ってない!」
日光は僕の言葉を遮るように強気でそう言った後、僕を鋭い目で睨んだ。
僕はそんな圧力を前に何も言い返すことが出来なくなり――「うん、ありがとう」とだけ言った。
日光に謝れた事と許してくれた事でホッとし、心が軽くなる。
そして、長かった日光とのギクシャクとした関係が終わりを迎えたのを静かに感じたのだった。
「それで、僕が言いたかったことはこれで終わった訳だけど……日光も何か僕に言おうとしてかったっけ?」
僕がそう言うと日光はビクッと肩を震わせなにやら急にもじもじとしだした。
「えっと……ちゃんと助けてくれたお礼を言えてなかったと思って……その……助けてくれてありがとう。それと……」
日光は口をもごもごさせ、人差し指をこね回しながら僕の方をチラチラと見る。
何やら言おうか言わまいか悩んでる様子だ。
そんな彼女を見て僕は彼女が言わんとしている事を察した。
女性にこんな事を言うのは気が引けるが……でも事態が事態なだけに仕方ない。
「日光……トイレなら10分以上歩かないとダメだからいっそのことそこら辺の茂みで」
言ってる途中で思いっきり頭をしばかれた。
いつもならそこまでの痛みはないのかもしれないが、体がぼろぼろな為か有り得ないぐらいの痛みが僕を襲い、僕は頭を抑えてうずくまる。
「違うわよ! それにそこら辺の茂みって何⁈ ほんっとうに貴方って人はデリカシーってものが……」
日光はそう言いながら僕の事をジト目で睨んだ。
そして大きく溜息を吐くや否や、ズボンのポケットから何やら白い布のような物を取り出し僕にへと差し出した。
「貴方のおかげで緊張してたのが馬鹿らしくなったわ。これ……返す……」
「なんだこれ……ハンカチ? 返す? …………ってまさかお前、これってあの時の⁈」
僕は日光から渡された物を受け取り大いに驚いた。
僕は高校生になって日光にハンカチを貸した覚えなどない。
覚えがあるとすれば……小学生の頃に泣いている彼女に渡したあの一回のみ。
つまり彼女は……。
「そっ、そうよ。まさか6年も持っているなんて気持ち悪いとか思った? でも私は借りたものはちゃんと返す主義なの。だから今着ている貴方のパーカーも洗ってしっかり――」
僕は日光が話している途中で声を出して笑ってしまっていた。
「何よ……そんなに笑うことないじゃない……」
日光はそっぽを向いていじけたような顔をする。
「いやぁ、ごめんごめん。まさかこんな物が出てくるなんて夢にも思っていなくて……はっ⁈ って事はこの6年間肌身離さず⁈」
「ち、違うわよ⁈ 変な勘違いしないでよね! いつもは持っていないけど今日はなんとなく持っていただけであって……」
慌てた様子で説明する日光を見て僕は再び笑ってしまう。
そんな僕を彼女はしかめっ面で頰を膨らませて見つめる。
僕は一頻り笑ったあと、出てしまった涙を拭うために目をこすった。
「そんなにも面白い事だった?」
僕が笑い終わった事を確認し、日光は不満気に僕に言う。
「いや、本当にごめん。なんだかこうやって日光と話すのが久々でなんだか懐かしく、つい嬉しくって……」
僕はそこで自分が何を言ってしまったのかを理解し、急いで口を手で覆った。
しかし、それはもう手遅れだった。
「え? 何? もしかしてその涙って笑い過ぎて出たんじゃなくって嬉しくって出たものなの?」
日光の言葉に対し僕の顔が再び熱くなっていくのを感じた。
以前通りの会話をした途端に仲直りした実感が湧いてきて涙が出たとか恥ずかし過ぎてとても言えたものじゃなかった。
僕はこれ以上顔が見られないために日光から背を向けるように体ごと向きを変える。
しかし、僕の正面にへと日光は回り込んできた。
「し、仕方ないだろ! お前とはもうずっとあんな感じのかと不安で一杯で……自分の事で色々悩んだり、ずっと自分が言ったことを後悔したりと、すっごく大変だったんだからな!」
僕は押し寄せる沢山の感情に一杯一杯になってしまい意味も分からずついつい逆ギレをしてしまった。
そんな僕を見て今度は日光が声を出して笑った。
そして彼女は一頻り笑ったあと、溢れてしまった涙を僕と同じように拭った。
「えぇ、そうね。ごめんなさい。私も貴方と仲直りが出来て嬉しいわ」
日光はそう言いながら明るい笑顔を僕にへと向けた。
そんな彼女を見て、僕も自然に笑みがこぼれた。
そして、互いに笑い合ったあと、僕たちは再び前にへと歩き出す。
僕たちはその後もいつもと変わらない、たわいもない会話をしながら歩き続けた。
その僕たちの上にはあの時と同じような、僕の好きな赤紫色に染まった空が広がっていた。
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