藤城皐月物語

音彌

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第1章 夏休みと子供時代の終わり

37 二組の母子家庭

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 居間の隣の部屋は母の小百合さゆりの部屋になっている。藤城皐月ふじしろさつきの服は小百合の部屋の箪笥の中にある。
 着替えを取りに入ると、いつもなら寝ている小百合がいない。着替えを取って浴室へ行くと、小百合が洗濯物をネットに入れているところだった。
「おはよう。昨日は遅くまで起きていたようだけど、大丈夫?」
「なんとか」
「眠くなったら昼寝しなさいよ」
「うん、わかった」
「着の身着のままで寝ちゃったね。まあ洗濯物が減るから、私は楽でいいけど」
「服脱ぐから、こっち見るなよ」
 小百合に背を向けながら裸になり、風呂場に入った。シャワーにしようかと思ったが、浴槽の残り湯がまだ少し温かかったので、体を洗わずに中に入った。お湯のぬるさが暑気を払うのにちょうどいい。髪と体を洗い、裸のまま浴槽の掃除をしてから浴室を出た。
 居間ではもう小百合と、及川おいかわ親子の頼子よりこ祐希ゆうきが揃っていた。
 テーブルには朝食の用意ができていた。ハムエッグとサラダにデザートのフルーツヨーグルト、ご飯と味噌汁といったごくありふれた献立だった。それでもいつもモーニングで済ませていた皐月には家庭料理が嬉しかった。
「ご飯と味噌汁がパンとコーヒーだったらモーニングだね」
「今朝は頼子と二人で有り合わせのもので作ったのよ」
 小百合の顔色を見て、からかうような口の利き方はやめた方がいいと思った。

「明日から旅館風の和食を用意するね」
「えっ、何それ? 豪華なやつなの?」
「特に豪華でもないんだけど、焼き魚やお漬物、おひたし、佃煮などを少しずつたくさん並べてあげるわ」
「ちょっと頼子、そんなに無理しなくてもいいのよ」
「大丈夫よ。お店で売っているものを上手に使えばそれほど手間をかけずにできるものなのよ。小百合がお金のこと気にしないでいいって言ってくれたから、一度そういうのやってみたかったのよね」
「じゃあ今朝みたいに、早起きできる時は私も御相伴にあずかるわ。でも豪華な朝食は一度だけ食べさせてもらえれば、続けなくてもいいからね」
 頼子に卑屈な様子は見られず、小百合にも尊大なところがない。友達同士で共同生活を楽しんでいるような感じがして、皐月も祐希もホッとした。

「和食ばかりになるの?」
「洋食も作るよ。その日、家にある食材で作れそうなもで献立を考えるわ」
「頼子も一緒にお座敷に行った次の日は、今まで通りパピヨンに行ってもらわなきゃならないんだから、洋食はその時に食べたらいいじゃない」
「モーニングか……。毎日だと飽きちゃうな。ママはよく飽きないね」
 モーニングを洋食と言う母の感覚に皐月は少し呆れた。
「私、まだモーニングって行ったことない。楽しみ」
 祐希が会話に加わってきた。皐月にも緊張感が伝わってきた。
「祐希、喫茶店でカフェ巡りしたことあるって言ってたじゃん」
「モーニングは行ったことないのよ。お茶するのはいつも午後だったから」
「祐希ちゃん、よかったら後でモーニング行ってみる? 二度目の朝食になっちゃうけど」
「大丈夫、行きます。やった!」
「皐月、あんたも行く?」
「俺はパス。昨日も行ったし、今日はいいや」

 話してばかりいないで食べようということになった。朝食の時、皐月一人だとネットで配信されている動画を見ながら食べていて、小百合と二人なら早朝に録画した経済ニュースを見ながら食べる。四人の初めての朝食では、まだ何も動画をつけていない。
「今日はモーサテ見ないの?」
「せっかく四人そろって朝ごはんを食べているんだから、そんな不粋なことはできないでしょ」
「小百合、モーサテって何?」
「『モーニングサテライト』っていう経済ニュースのテレビ番組があるのよ。宴席でお客さんとの会話する時のネタのためのお勉強ってとこかしら」
「それ、自分の相場の勉強じゃん」
「相場の話ができると、お客さんが喜んでくれるのよ」
 小百合は実際に資金をいろいろな方法で運用している。しょっちゅう損をしているけれど、トータルでは利益を上げているらしい。儲けた話よりも、損をした話をする方が宴席ではウケると言っていた。
「仕事なら私たちに遠慮しないで、そのニュース見ましょうよ。祐希もいいでしょ?」
「難しそうだけど、賢くなりそう。皐月は経済ニュースなんてわかるの?」
「大体わかるよ。知識が増えるほど言っている意味が理解できるようになって、難しくなくなる」
「ニュースはあとで一人で見るから、みんな私に付き合わなくてもいいよ」
 小百合は強引にこの話を終わらせた。

 皐月の子どもっぽいのに賢そうな雰囲気がある理由が、祐希にはわかった気がした。昨日会った栗林真理くりばやしまりにしても、祐希の見たことのないタイプの子だった。
 豊川稲荷で会った入屋千智いりやちさと月花博紀げっかひろきも衝撃的だった。二人のような顔面偏差値が高い子は自分の小中学校では見たことがなかった。芸妓げいこの小百合も華やかだ。祐希はとんでもないところに来てしまったと感じ始めていた。
「今日、友達に会いに行ってもいい?」
「あなた、何考えてるの。まだこっちの暮らしが落ち着いていないのに」
 頼子の剣幕に祐希が委縮していた。
「まあまあ、いいから。祐希ちゃんの好きにさせてあげましょうよ」
「だって小百合……」
「お昼はむこうで食べてくるの? 祐希ちゃん」
「そうしようかなって……」
「じゃあランチ代あげないとね。千円で足りるかしら?」
「ちょっと小百合、あんまり甘やかさないでよ!」
 泣きそうな顔で頼子が小百合に寄りかかった。
「お金のことはいいから。必要なものは出すわ。で、どうする? 祐希ちゃん」
「友達とだから、そんなに高いものは食べないです」
「じゃあ、少し多めに渡しておくね。後でお釣りをちょうだい」
「はい」
 お金のことでこんなに強い小百合を皐月は初めて見た。今まで家が裕福だと思ったことは一度もなかったが、貧しくて惨めに感じたこともなかった。それだけに頼子と祐希のやりとりが痛切だった。
 皐月はここで場を和ませることを何も言うことができなかった。自分がまだ子供であるという無力さを思い知らされた。
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