藤城皐月物語

音彌

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第3章 広がる内面世界

107 計算問題

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 藤城皐月ふじしろさつきが自分の席に戻ると、皐月の前の席にいる栗林真理くりばやしまりはいつも通り集中して受験勉強をしていた。隣の席の二橋絵梨花にはしえりかも勉強をしていて、後ろの席の吉口千由紀よしぐちちゆきは文庫本を読んでいた。同じ班で、斜め前のオタク友達の神谷秀真かみやしゅうまと、斜め後ろの岩原比呂志いわはらひろしはまだ学校に来ていない。
「おはよう」
 女子たち三人の邪魔にならないように小声で挨拶をすると、絵梨花が勉強の手を止めて、丁寧に挨拶を返してくれた。千由紀も本から目を離して皐月に応えてくれたが、真理は振り向きもせず、背中越しに生返事をしただけだった。
 真理の態度は傍から見れば相当感じが悪いだろう。だが、この日の皐月は全く気にならなかった。真理なりに二人の関係を隠しているつもりなのだろう。それよりも、真理が絵梨花や千由紀に嫌われやしないかと心配になった。

「できた!」
 真理が嬉しそうに後ろの席の皐月の方へ振り返った。
「おはよう」
 真理は学校ではあまり見せない人なつっこい笑顔をしていた。
「栗林さん、嬉しそう。どんな問題を解いていたの?」
 中学受験仲間の絵梨花が真理の相手をした。
「算数の計算問題なんだけどね、答案が汚い数字になっちゃって……。これは間違ってるな、と思ってもう一度慎重に解いたんだけど、やっぱり同じ数字になったの。もういいやって思って解答を見たら、合ってた」
「それってどこの中学の問題だった?」
「えっと……あっ、桜蔭おういんだ」
「あぁ~」
「出題校のとこ、ちゃんと見ておけばよかった」
「この学校の問題は解かなくてもいいよね。私は難関校の問題なんて全然手を付けないよ」

 真理と絵梨花が受験談義に花を咲かせていた。特に絵梨花が早口でペラペラとよく喋っていた。皐月はこんな絵梨花を見るのは初めてだった。
 絵梨花はいつも白のブラウスにスカートというコーデで学校に来る。この小学校でこのファッションはクラスの女子から完全に浮いている。
 色素薄い系女子の絵梨花は肌が透けるように白い。ベージュの髪、エイリングレーの瞳というビジュアルは日本人離れをしていて、まるで西洋人形のようだ。
 そのうえ優等生ときているので、男子から見るとちょっと近づきがたい存在だ。皐月が知る限り、絵梨花は女子からもあまり親しく話しかけられていないようだ。

「その問題、ちょっと見せて」
 なかなか口を挟む隙がなかったので、皐月は半ば強引に話に割り込んで、真理から問題集を借りた。真理の解いていた計算式は分数や少数の入り混じった長いもので、小数は簡単に分数に変換できそうになく、分数も分母がキモい帯分数だ。
「面白そうじゃん。俺にも解かせてよ」
「いいよ。制限時間は2分ね」
「見直し入れて2分30秒だよ、藤城さん」
「マジか! 無理ゲーじゃね?」
「早い子なら1分以内で解いちゃうかも」
「よしっ、やってやろうじゃん」
 真理や絵梨花は皐月を挑発しているわけではなかった。おそらくこの時間設定が受験生の標準的なものに違いない。式を見た瞬間、皐月は絶対に無理だと思った。自分の学力のなさが悔しかった。

 皐月が計算をしていると、秀真と比呂志が席に戻って来た。彼らに挨拶をされても、皐月は真理と同じような気のない返事しかできなかった。
 皐月と真理の違うところは、真理はこの計算問題を解けたけれど、皐月はまるで歯が立たなかったことだった。担任の先生が教室に来るまで計算をし続けていたが、最後まで正解に辿りつくことができなかった。小学生の計算問題が解けなかったことは、小学生の皐月にとって屈辱的だった。
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