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第3章 広がる内面世界
133 検番
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藤城皐月は筒井美耶の方を振り返らずに自分の通学路を歩き始めた。
学校の前の通りをすぐに左に曲がると細い路地に入る。一緒に帰ろうと誘ったことはもう無効だな、と思いながら歩いていると、美耶が後からついて来るのが見えた。
立ち止まって振り返ると、美耶も立ち止まった。無言でいるのもバツが悪いので、とりあえず話しかけてみた。
「あそこの二階の建物、窓が開いているだろ」
「うん」
「検番って言って、芸妓の稽古場なんだ」
とっさに思いついたのが自分の親の話だった。皐月の親が芸妓だと知っている友達はそれほど多くない。皐月は美耶には知っておいてもらいたいと思った。
「ゲイコって何?」
「そうだな……芸者って言った方がわかりやすいかな。唄や舞や三味線などでお酒の席を楽しませる仕事。これならわかる?」
「まあ、何となく」
「俺のママ、芸妓なんだ」
「ママ? 藤城君、お母さんのことママって呼んでるんだ」
「悪ぃかよ……」
やっと美耶が笑った。自虐ネタで笑わせるつもりはなかったが、場が和んだのでまあいいか、と思った。
「さっきね……藤城君がデートのこと、冗談から駒って言ったよね。だから誘われたのも冗談なのかなって思ったの。喜んでいいのかどうかわからなくて、返事ができなかった。そうしたら私のこと置き去りにしちゃうんだもん……」
「お前、無言だったじゃん。だから俺、フられたのかと思ったよ」
「デートの誘いの返事はできなかったけど、一緒に帰ろうって言われたのにはちゃんと『いいよ』って答えたのに……」
「そうだったっけ? 悪かった。さっき茂之に冗談って言ったのは照れ隠しなんだよ。絶対にからかわれると思ったからさ……」
「なんだ、そうだったんだ」
「ごめん」
一緒に帰ろうと思って手招きをし、美耶が皐月の隣に来たところで前を向いた。検番の窓の欄干を見ると、その奥に人の気配があるような気がした。
明日美が来ているのかと思ったが、三味線の音が聞こえない。明日美がいれば一人で稽古をしているはずなので、別の誰かがいるのだろう。
皐月の母の小百合や栗林真理の母の凛子がいると少し困る。皐月は美耶を連れているところを母たちには見られたくない。目立たないように通り過ぎようと思い、視線を落として無言で歩きはじめると、上から声がかかった。
「皐月君?」
再び二階の稽古部屋を見上げると、窓辺にいるのは検番で皐月のことを君付けで呼んでくれる唯一の人、芸妓組合長の一人娘の玲子だった。
「こんにちは。玲子姐さんが検番にいるなんて珍しいね」
「今日はうちの若い娘の稽古を見に来たのよ。久しぶりね。背が高くなったよね?」
「育ち盛りだからね。もう玲子姐さんよりも背が高いかもね」
玲子はかつて芸妓をしていたが、今は辞めてクラブを経営している。そこそこ店も大きくなり、キャストの女の子は芸妓組合に所属する芸妓の人数よりも多くなった。
玲子は芸妓もやってみたいという店の女の子のために置屋を始めた。玲子の置屋は伝統にとらわれない現代的な芸妓の育成を目指している。玲子のクラブでは二人の若い子がキャストと芸妓を兼業している。
「髪型、変えたのね。格好良くなったよ」
「本当? ありがとう。ここ見てよ、紫にしたんだ」
髪をかき上げ、インナーカラーを見せた。髪に隠れる部分は前髪よりも鮮やかな紫に染めている。
「まあ、綺麗な色。よく似合ってるわ。今時の小学校って、ヘアカラーしてもいいのね」
「いいってわけじゃないんだろうけど、禁止されているわけでもないからね。でも、この髪のことでゴチャゴチャ言う先生もいるよ」
「禁止されていないんなら何をしたっていいのよ。なんなら、ダメって言われても無視しちゃえばいいわ。皐月君の好きにすればいいのよ」
「さすがは玲子さん、心が広い。学校の先生がみんな玲子さんみたいな考えだったらいいのにな」
「そうしたら親から苦情が殺到するだろうね。すぐに先生クビになりそう」
薄いメイクしかしていないのに、玲子は陽の光の下でも妖艶さをたたえていた。
学校の前の通りをすぐに左に曲がると細い路地に入る。一緒に帰ろうと誘ったことはもう無効だな、と思いながら歩いていると、美耶が後からついて来るのが見えた。
立ち止まって振り返ると、美耶も立ち止まった。無言でいるのもバツが悪いので、とりあえず話しかけてみた。
「あそこの二階の建物、窓が開いているだろ」
「うん」
「検番って言って、芸妓の稽古場なんだ」
とっさに思いついたのが自分の親の話だった。皐月の親が芸妓だと知っている友達はそれほど多くない。皐月は美耶には知っておいてもらいたいと思った。
「ゲイコって何?」
「そうだな……芸者って言った方がわかりやすいかな。唄や舞や三味線などでお酒の席を楽しませる仕事。これならわかる?」
「まあ、何となく」
「俺のママ、芸妓なんだ」
「ママ? 藤城君、お母さんのことママって呼んでるんだ」
「悪ぃかよ……」
やっと美耶が笑った。自虐ネタで笑わせるつもりはなかったが、場が和んだのでまあいいか、と思った。
「さっきね……藤城君がデートのこと、冗談から駒って言ったよね。だから誘われたのも冗談なのかなって思ったの。喜んでいいのかどうかわからなくて、返事ができなかった。そうしたら私のこと置き去りにしちゃうんだもん……」
「お前、無言だったじゃん。だから俺、フられたのかと思ったよ」
「デートの誘いの返事はできなかったけど、一緒に帰ろうって言われたのにはちゃんと『いいよ』って答えたのに……」
「そうだったっけ? 悪かった。さっき茂之に冗談って言ったのは照れ隠しなんだよ。絶対にからかわれると思ったからさ……」
「なんだ、そうだったんだ」
「ごめん」
一緒に帰ろうと思って手招きをし、美耶が皐月の隣に来たところで前を向いた。検番の窓の欄干を見ると、その奥に人の気配があるような気がした。
明日美が来ているのかと思ったが、三味線の音が聞こえない。明日美がいれば一人で稽古をしているはずなので、別の誰かがいるのだろう。
皐月の母の小百合や栗林真理の母の凛子がいると少し困る。皐月は美耶を連れているところを母たちには見られたくない。目立たないように通り過ぎようと思い、視線を落として無言で歩きはじめると、上から声がかかった。
「皐月君?」
再び二階の稽古部屋を見上げると、窓辺にいるのは検番で皐月のことを君付けで呼んでくれる唯一の人、芸妓組合長の一人娘の玲子だった。
「こんにちは。玲子姐さんが検番にいるなんて珍しいね」
「今日はうちの若い娘の稽古を見に来たのよ。久しぶりね。背が高くなったよね?」
「育ち盛りだからね。もう玲子姐さんよりも背が高いかもね」
玲子はかつて芸妓をしていたが、今は辞めてクラブを経営している。そこそこ店も大きくなり、キャストの女の子は芸妓組合に所属する芸妓の人数よりも多くなった。
玲子は芸妓もやってみたいという店の女の子のために置屋を始めた。玲子の置屋は伝統にとらわれない現代的な芸妓の育成を目指している。玲子のクラブでは二人の若い子がキャストと芸妓を兼業している。
「髪型、変えたのね。格好良くなったよ」
「本当? ありがとう。ここ見てよ、紫にしたんだ」
髪をかき上げ、インナーカラーを見せた。髪に隠れる部分は前髪よりも鮮やかな紫に染めている。
「まあ、綺麗な色。よく似合ってるわ。今時の小学校って、ヘアカラーしてもいいのね」
「いいってわけじゃないんだろうけど、禁止されているわけでもないからね。でも、この髪のことでゴチャゴチャ言う先生もいるよ」
「禁止されていないんなら何をしたっていいのよ。なんなら、ダメって言われても無視しちゃえばいいわ。皐月君の好きにすればいいのよ」
「さすがは玲子さん、心が広い。学校の先生がみんな玲子さんみたいな考えだったらいいのにな」
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