大戦乱記

バッファローウォーズ

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ナイツと童

二大英雄の原点

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 童も背を見せて逃げるマドロトスに追い討ちを掛けようとして駆け出す。

「……ぃぁっ⁉」

 然し、第一歩で盛大に転倒してしまい、そのまま地面に突っ伏した。
童は魔力を用いた身体強化によって精鋭兵顔負けの働きを示していたのだが、大技の使用で大半の魔力を消費した今の状態では、飛び跳ねるだけの魔力すら残っていなかったのだ。
当然ながら爪を武器にする事も光線状の魔弾を撃つ事も、変形させた大型の魔銃を維持する事もできない。
魔銃は童の意思に反して元の片手型に戻り、当の本人は困惑の色を見せながら懸命に魔銃や足をぺしぺしと叩く。何故、体が思うように動かないのかが分からないのだろう。

「今だ! 八つ裂きにしろ!」

 マドロトスと童の間に入り、将の盾となっていた覇攻軍兵士が一斉に童に押し寄せた。
実質的な戦闘不能に陥っている童は、連続する危機を前に恐慌状態を引き起こす。

「……⁉ ……⁉」

「うひひっ!」

 幼子らしい大粒の涙を目に浮かべ、顔を歪めて小さな肢体を小刻みに震わす様が、敵兵の加虐性欲を駆り立て、嗜虐心すら植え付ける。
彼等は、マドロトスをも退ける童がまともに動けない状態でいる事を好機と捉え、散々に切り刻んだ後に惨殺して将の雪辱を晴らしたいと思った。
彼等は、童の幼体は鍛え抜かれた輝士兵と違って柔らかく、とても切り刻み甲斐や貫き甲斐があるのだろうと涎を垂らした。
彼等は――年端も行かぬ幼子に地獄の痛みと死による解放を味わわせてやりたいと願った。

 だが、それの一つすら絶対に許さぬ存在が童の背後にいた。
覇攻軍の兵士達は童が無意識のうちに放つ独特の色に魅惑されていた為に、その存在は眼中になかった様だが、あったらあったで結果がもっと鮮明に見えていたであろう。

「俺の弟に手を出すなぁっ‼」

 保護欲に駆られたナイツが負傷した左足を無理矢理動かして童の前に回り、怒号一喝とともに剣を力任せに大きく振るった。
前方に群がる覇攻軍兵が一人残らず塵芥と化し、大地に横一文字の大きく深い亀裂が走る。

「……‼」

 童は大きく目を見開いてナイツの背中を見た。
ナイト程に逞しくはなくとも、悪を一閃する凛々しき姿は紛うことなき英雄のそれであり、童はその勇壮な後ろ姿に強い憧れを抱いた。

「おっ……おお! 流石です若様! 我等も死力を尽くすぞ!」

 多くの輝士兵にとって、ナイツがこれほど激昂する姿は初めて見るもの。
彼等は僅かな動揺の後に自らを奮い立たせ、普段の毅然さを取り戻す。

「掛かれぇー‼」

 剣を突き出して部下達に号令を下すナイツ。
彼の声は東山全体に伝わり、各将兵は一斉に追撃に移った。

 そこからはひたすら剣合国軍の流れであった。
まず、西山を攻めていた覇攻軍三千は遼遠隊によって完膚なきまで叩き伏せられ、その勢いは止まる事なく、一の門から撤退していた部隊にまで及ぶ。
東山のマドロトス本隊八千も惨たる結果となる。山を下るまでに二千、下った後も韓任、メスナ、賀憲の猛烈な追撃で三千、戦闘での死傷者も合わせれば六千近い兵が戦死したのだ。
剣合国軍にとっては面白い程の逆転劇であった。

「……ありがとうな、お前のお陰で敵を押し返せた」

 東山での陣頭指揮を一通り終えたナイツは後の指揮を韓任等に任せ、背後の童へと向き直る。

「……」

 尻餅をついた状態でナイツを見上げる童。
その秀麗な顔は、朝日に照らされて光る涙と焼場の灰土によって台無しにされていた。
然し、それこそが独特な色を放ち、保護欲とは別の独占欲まで生じさせる事を童本人は気付いていない。
無意識のうちに周りを惑わしながら、尚その色を強めるかの様に丸みを帯びた目付きをつくって、ナイツの目を黙って見ていた。

「……いつまでも座っていると、もっと汚れるぞ。ほら、立てるか?」

 手を差し伸べたナイツであるが、童は無言のまま彼の手に自らの頭を近付ける。

「ふははっ……。うん、ありがとうな。おとう――」

「りょう……しゅう……」

 ナイツが改めて礼を述べ、童の頭を撫でようとした矢先、童が自らの口で初めてナイツに対して言葉を発した。
それは童の真名に他ならなかった。童は傍に落ちている石で灰土に名前を刻む。
りょうは「涼」、しゅうは「周」の字であった。

 ナイツは一瞬面食らった後に、ふっと微笑を浮かべて小さな頭を撫で撫でする。
「涼周か。……あぁ、それは良い名前だ。ありがとうな、涼周」

「……ぅんっ!」

 童改め、涼周は土まみれの肌でも分かる程に頬を赤く染め、穏やかな笑みを浮かべた。
何らかの封印が解かれたとでも言いたげな別人の様相に、若干の戸惑いはあれどもナイツは満足する。
「涼周」が童の真名であると判明し、曇りのない純真無垢な笑顔が見れた事で、彼の心が大いに満たされたからだ。

 ナイツが弟の存在の大事さを理解し、涼周が兄の存在の頼もしさを知った瞬間。
未だ戦場の狂騒が木霊する中、後の人界史に名高い二大英雄は黎明を半身ずつに浴びて手を取り合った。



「沛国防衛に続く、山城州南部の保龍攻防戦は守備側の剣合国軍に軍配が上がった。
覇攻軍を率いるハワシン・マドロトスは二日に亘って朝霧の中を突攻したものの、初日は剣合国軍主将 李醒の伏兵と火計によって撃退され、二日目は幼き二大英雄の手で押し返され、その後の追撃によって甚大な被害を受ける。
彼はこの戦に於いて合計二万五千もの戦死者を出したが、実の所、正面きっての戦闘や計略での死者の数よりも、追撃による犠牲の方が多かった。
覇攻軍は当初の勢いを保てず開戦二日目にして、その日のうちに全軍が撤退。
李醒率いる剣合国軍は後軍の到着を待つ事なく領土防衛に成功した。

私は、前を進むに長けた剣豪が背を向けた時点で、それは下策中の下策ではないのかと思う。マドロトスは上からの指図を仰いで動く一人の現場指揮官としての実力はあっても、大軍を率いる程の将器はないのだろう。
だからこそ、青眼剣殿に仕えた後の彼は一軍の指揮を固辞し、あくまで一武将であり続けたのかもしれない」
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