フィアンセは、婚約破棄されようと必死です

ゆきな

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16:ジュリアのため息

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「はあ……」

ジュリアは深くため息をついてしまってから、慌てて顔を上げた。
しかし幸いなことに、女性の先生は手元の楽譜を熱心に読んでいて、ジュリアのため息には気づかなかったようだった。

ジュリアはほっと胸を撫でおろした。
先生は一度小言が始めたら、すぐには終わらないのが分かっていたからだ。

そして平静を装いつつ、再び指をピアノの鍵盤の上で動かし始めたのだったが、すぐにまた、思考はピアノ以外の事へと及んでいった。

ケインと公園で出会ってから、もう3日が経っていた。
それなのに、未だに、時折彼の手のぬくもりを思い出しては身もだえ、その度にため息が零れ落ちてしまうのを繰り返していた。

まさに今もそうだった。
先生の指導を受けながら稽古に励んでいたはずなのに、不意に、指先に彼の熱を思い出してしまって。
指どころか胸の奥底まで、燃えるように熱くなってしまったのである。

ジュリアは唐突に指を止めた。
そんなことを考えていたせいで、どこまで弾いたのか分からなくなってしまったのだ。
慌てて楽譜をめくっていると

「どうしました?
今日はなんだか、集中できていらっしゃいませんね」

と、優しく注意まで受けてしまった。

「す、すみません……」
「少し休憩いたしましょうね。
お茶を持ってくるよう、お願いしてきます」

先生が出て行くと、ジュリアはずるずると背もたれに寄り掛かった。
おかしな事ばかり考えているせいか、それとも単に室温が高いせいなのか、さっきから頬のほてりがおさまらない。

誰もいないのを良いことに、今度は、体中の空気が抜けそうなほど、深々とため息をついて、がっくりとうなだれた。
目を閉じて、熱っぽい指先に意識を集中してみる。

そうすればいつでも瞼の裏に、ある人の笑顔が浮かんでくるのだ。
それはもちろんケインの顔……ではなくて。

ダニエルの笑顔だった。

思い出しているのは、ケインに手を握られた時の事だというのに。
ジュリアの頭の中では、いつの間にかその相手がダニエルにすり替わってしまっていたのである。

「ああ、あれがダニエル様だったら……」

ジュリアは、照れくさそうに笑いながら、手を握ってくるダニエルを瞼の裏に思い描きながら、ついニンマリとしてしまった。
そして慌てて目を開けると

「ああ、ダメよ。ジュリア!
こんな、はしたないことを考えているとダニエル様に知られてしまったら、嫌われてしまうに決まっているわ……」

と、ぶつぶつ呟いた。
それでも、なかなか妄想は止まらなくて。

「結婚をしたら、手を握るどころか、抱きしめられたりもするんだわ!
それに、キ、キスも……」

と、自分で言っておいて、キャーキャー嬉しそうな悲鳴をあげたりして。
つまり、彼女の頭の中はダニエルで一杯だった。
ケインの入る隙間など、これっぽっちも無かったのである。

こんな状態だったから、休憩後に練習を再開しても、さっぱり身が入らなくて。
とうとう長い小言タイムへと突入していくのだった。
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