治癒術士の極めて平和な日常

福々 ゆき

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7 魔術剣士は意外と律儀

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 清々しく空が澄みわたり、朝日が眩しく町を照らしている。
 休みだったはずの診療所を開けることにしたエルフィは、冒険者が来る時間帯になる前に掃除をしておこうと、箒と雑巾を取り出していた。
 
「あれ、バケツはどこに?」
 
 同じ場所にしまったはずのバケツが見当たらず、手当たり次第に収納の扉を開ける。
 子蜘蛛は机の上で静かに待っていた。
 
「あぁ、ありましたよピノさん、ここに……」
 
 何故かエルフィの目線より高い棚にあった、バケツに手を伸ばす。
 その時、診療所の扉が、ちりん、とベルを揺らしながら開いた。思わずそこに視線を向けると、指先に引っかかったバケツが宙を舞い――
 
 
 ――ガツンと鈍い音を響かせ、エルフィの頭に直撃した。
 
 
 星が散るまぶたの隙間から、見慣れた夕焼けの髪が見えた気がした。
 
 
 
 
 
 
 扉を開けた瞬間、目の前で起きたことに、ディーガウムは気の強そうな顔に表れないながらも、確かに困惑していた。
 
 床に落ちている犯人――頑丈そうなバケツ――に、すっかり気を失っている治癒術士、慌てたようにそれに駆け寄る白い毛玉。
 ちょっとした用事で診療所によった筈なのに、すぐに終わらなそうな気配がする。
 
 ディーガウムは小さくため息を吐くと、手にもっていた箱をテーブルの上に置いて、倒れた治癒術士に近よった。
 真っ白い毛玉……もとい子蜘蛛がおろおろと体を揺らしている。
 
 床のバケツを部屋のすみに寄せ、治癒術士のすぐそばにディーガウムがしゃがんだ。
 そして子蜘蛛に視線を向けると、柔らかい雰囲気で言う。
 
「……ほら、運んでやるからじっとしてろ」
 
 普段のディーガウムからは聞いたことのない優しげな声に、子蜘蛛はびくりと体を震わせた。
 知能の高い子蜘蛛は、いつもとの差による驚愕から硬直していたのだが、それを言われた通りにしたと受け取ったのか、追い打ちのように、いい子だと更に優しく声をかける。
 
 ディーガウムがエルフィを診療所のベッドに運ぶまで、子蜘蛛はぴきりと硬直したままだった。

「……息してるよな」
 運んでも反応が無い治癒術士に僅かに不安になり、そっとエルフィの口元に手を寄せる。ゆるく吐き出される息が当たった。
 
「何だっけ、冷やせばいいのか?」
 わかんねえな、と独り言を呟くディーガウムは腕を組み、考えるように眉を寄せる。
「回復魔術は使えねーし……」
 いつもより雰囲気が柔らかい青年に戸惑いながら、子蜘蛛はエルフィの枕元でその様子をじっと見つめている。
 普段からそこそこ独り言らしきものが多かったが、もしかすると、ディーガウムは一人でいることが多いのかもしれない。
 
「ま、そのうち起きんだろ」
 
 そう結論付けてディーガウムは黙り込み、しん、と部屋に静寂が訪れる。
 診療所にかけてある、時計の針の音だけがカチカチと響いた。
 
 夕焼けのような青年は、濃い金色の瞳にちらりと白い毛玉を映す。元から見ていた子蜘蛛と、ぱちりと視線が合った。
 子蜘蛛は、ぴょっと変な鳴き声をあげたが、ディーガウムは何も言わずにじっと子蜘蛛を見ている。
 
 意図の読めない視線に、子蜘蛛は心の中でだらだらと冷や汗をかいていた。
 青年の腕が、すっと子蜘蛛に伸びてくる。何か怒らせてしまったのか……!? と思い、子蜘蛛は身を縮こまらせた。

 ――もふっ
 
 ディーガウムの指先が子蜘蛛の白い毛に沈む。
 そのまま、もふもふと子蜘蛛を撫でると、ディーガウムはほんのり優しい笑顔を浮かべていた。
 子蜘蛛は呆けたように、じっとしている。
  
 
「……ん」
 
 
 エルフィが身じろぐような声をあげた。
 
 瞬間、熱したフライパンに触ってしまったかのような素早さで、ディーガウムは子蜘蛛から手を離す。
 治癒術士は痛みに眉を寄せ、まぶたを震わせた。
 
 
 
「……う……い、いた……痛い? 何故?」
「大丈夫か?」
 ズキズキと痛む頭に困惑しながらエルフィが目を開けると、ディーガウムが不機嫌そうな表情の中に、心なしか心配そうな感情を滲ませて覗き込んでいる。
 
「えっ、ディーガウムさん? えっと……」
 くらりとする頭を抑え、エルフィは診療所のベッドからゆっくり起き上がった。
 
「お前、あれが頭ぶつかったんだよ」
 視線で示された方向で、鈍く周りの景色を映している銀色のバケツが僅かにへこんでいる。
 
「あぁ、そうでしたね……ありがとうございます。運んでくれたんですね」
 エルフィは顎に手をあてて、あれは痛かったと頷いた。こぶになっているかもしれない。
 後で治さなければ、と治癒術士は小さく呟いた。
 
「重いバケツなんか上に置くか普通」
 ディーガウムの指摘に、何故あんな所にあったのか、心底解せないような気持ちでエルフィは首を捻った。
 自分でもわからない。
「それは私も不思議です。何でですか?」
「俺に聞くな」
「はい」
 
 何となく、普段よりも表情が柔らかいようなディーガウムが顔をしかめる。
 それでも尚、空気がゆるんでいるように感じられ、エルフィはきょとんと目を瞬かせた。
 
「あ、そういえば、ディーガウムさんはどうしてここに?」 
 見える範囲には、青年に怪我は無い。エルフィは診療所を訪ねる理由が思いつかなかった。
 
「……無いとは思いますが、症状が悪化したとか」
 滅多にない魔力の治療をしたため、ちゃんと治したと思っていても不安になる。
 ディーガウムは、軽く首を横に振った。
 
「いや、昨日の礼言いに来ただけだけど」
 そう言うとディーガウムは、テーブルから何かせ持ってくる。その手には、可愛らしいケーキが入った箱があった。
 助かった、と一言言ってその箱を渡す。

「ディーガウムさんって、見た目からは想像できないくらい律儀ですよね」
 受け取った箱に戸惑いながら、エルフィはほんのりと笑顔を浮かべる。
 最初に出会った時も、後日、彼はケーキを持ってお礼に来ていた。
 
 普段の不機嫌そうな雰囲気からは、あまり考えつかないが、割とその辺りのことがキッチリとした性格のようだ。
  
「うっせ。お前一言多いって言われるだろ」
 そこそこ失礼なエルフィの言葉に、必要以上に噛みつくことなく言葉を返す。
 やはり、今日は機嫌がいいらしい。
 
「そうですね。一言二言多いくせに必要な事は言わない、という評価を受けます」
「余計ひどいな」
 呆れたような表情をするディーガウムに、エルフィは淡々とひどいですか、と返した。
 
 子蜘蛛は、エルフィの肩に乗りながら、診療所から帰るまで夕焼けの青年を不思議そうに見つめていた。

 
 
 

 日が沈み始め、町がどこか寂しい茜色に染まる頃。
 
 未確認の魔物の調査で怪我人が多くなるかもしれない、と思っていたエルフィの考えは杞憂に終わり、その日はむしろ不気味なほど、怪我人が少なかった。
 
 
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