ほしのしずくが降る路地裏で

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第3話:丘の上の約束

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朝。 シャッターを開けた瞬間、ひかりはまだ冷たい空気に頬を撫でられた。

「おはよう、ひかり」

陽太が、いつものようにエプロンを肩にかけてやって来た。 けれど、その声はどこか低く、重い。

「……あの人のこと、考えてた? 星影って人」

ひかりは一瞬、返事に詰まった。

「うん……ちょっとだけ」

「やっぱりな。あいつと話してるとき、ひかり、顔が違うんだよ。目が、すごく優しくなる」

陽太の言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。 自分でも気づかないうちに、そんな顔をしていたのだろうか。 どう返せばいいのかわからず、ひかりは花瓶の水を替えるふりをして視線を逸らした。

(ずっと見てきたんだ。笑って、泣いて、頑張ってきたひかりを。俺が誰より知ってるはずなのに――)

陽太は心の中で呟き、拳を握りしめた。

   ◆

昼過ぎ。 ドアのベルが鳴り、あの穏やかな声が響いた。

「こんにちは」

「颯さん……!」

ひかりの表情が一瞬で明るくなる。陽太の胸の奥で、何かが静かに軋んだ。

「近くで撮影してて。……実は、明日この町を出るんです。最後に、挨拶をと思って」

「え……?」

ひかりの動きが止まる。 心に灯ったばかりの小さな火が、急に吹き消されそうになった。

「今夜、丘の上で星を撮るつもりです。よかったら……最後に、また少し話せませんか?」

「はい。……行きます」

即答するひかりを、陽太はただ黙って見つめることしかできなかった。

   ◆

夜。店を閉めたあと、陽太は一人で花に水をやっていた。 そこへ、丘へ向かおうとするひかりが戻ってくる。

「陽太、まだいたの?」

「……ひかり。行けばいいじゃん。あいつ、喜ぶよ」

陽太は笑おうとしたが、うまく笑えなかった。

「俺が変なんだ。ずっとこの場所にいることが、安心で……怖くもある」

「陽太……?」

ひかりが近づこうとした瞬間、陽太は絞り出すように言った。

「俺、たぶん……ひかりのこと、好きだから。ずっと言えなかった。でも、もう隠せない」

花屋の時計の音だけが、やけに大きく響く。 ひかりは呼吸を止め、立ち尽くした。

「ごめんな、こんな空気にしたくなくて。……でも、颯のこと、気になってるんだろ? だったら、ちゃんと見送ってこい。……行ってこいよ!」

陽太の精一杯の背中押しに、ひかりは何度も頷き、夜の道へと駆け出した。

   ◆

丘の上に着くと、そこには三脚を据えた颯がいた。 月明かりに照らされた彼は、どこかこの世のものとは思えないほど、透明で切なげだった。

「颯さん……!」

「ひかりさん。来てくれたんですね」

風が二人の間を通り抜け、星々が激しく瞬く。

「颯さんと出会って、毎日が変わったんです。儚さの中にある光を、あなたが教えてくれたから。……だから、行ってほしくないって思ったけど。でも、応援したいんです」

ひかりの声は震えていた。 颯はそっとカメラを下ろし、ひかりを真っ直ぐに見つめた。

「僕が写したかったのは、光そのものじゃない。人の心に灯る“希望”だったんだって、君を撮って気づけた。だから、僕はまたここに戻ってくるよ。……約束する」

彼はポケットから一枚の写真を取り出した。 そこには、柔らかな光に包まれて、誰よりも優しく微笑むひかりがいた。

「この夜の君が、僕の“原点”です」

「……ありがとう。待ってます。ずっと」

遠くで夜汽車の音が響く。 颯は一度だけ深く微笑み、そして夜の闇へと溶けていった。

ひかりは丘の上で、彼が残した写真を抱きしめた。 涙が溢れて止まらない。 けれど、不思議と胸の奥は温かかった。

空を見上げると、一筋の流れ星が夜空を横切った。 それは、新しい物語の始まりを告げるような、強い光だった。

(第4話へ続く)
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